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6/11

元カノ、なんか必死な感じ

放課後を告げるチャイムが鳴り終わるか終わらないかのうちに、俺は鞄を掴んで教室を後にした。


無駄な居残りはしない。日々の鍛錬と勉学のルーティンをこなす必要があるからだ。


真っ直ぐに昇降口へと向かう廊下で、すれ違う女子生徒たちの視線が、不自然なほど俺に集まるのを感じていた。通り過ぎた直後に背後でひそひそと交わされる、「高城くん、今日もカッコよくない?」「声かけてみなよ」「無理無理、あんなクールな人に話しかける勇気ないって」というヒソヒソ声が耳に届く。


一部からは『ストイックで寡黙な文武両道のイケメン』などと持て囃されているらしい。それはそれで結構なことなのだが、買い被りもいいところだ。その実態は、女子から急に話しかけられても『あ、えっと……』としか返せない悲しき陰キャだ。


それに、ありがたくも持て囃されているのは今の俺の『ガワ』だけだ。中身は二年前、『地味で超つまんない』と日向坂に切り捨てられたあの頃から何も変わっていない。女は信じない。信じてはいけない。それを知っているからこそ、俺はただボロが出ないよう表情筋を死滅させ、前だけを見て歩き続けるのだ。


無事に昇降口に辿り着き、指定のローファーに履き替えていると、騒がしい音が背中越しに聞こえてきた。


「たっかじょーくんっ! 待って待って!」


さらに、背後から、パタパタと慌ただしい足音。振り向かなくともわかる。圧倒的な『陽』の気配と、春の陽だまりのような甘い香り。


振り返ると、少し息を切らした日向坂愛瑠が、スカートの裾をふわりと揺らして小走りで駆け寄ってくるところだった。


「……何だ」


「えっとね……」


「なんだ」


「だから……あのね」


「早く言え」


「⋯⋯っ」


日向坂は急に言葉を詰まらせると、泳がせるように視線を泳がせ、それから自分のローファーのつま先をじっと見つめた。


さっきまでの勢いはどこへやら、せわしなく動き回る細い指先が、スクールバッグのストラップをぎゅっと握りしめている。


沈黙の数秒。


夕暮れの廊下に、彼女の小さく弾む呼吸の音だけが響く。


「……あの、さ」


意を決したように顔を上げた顔は、いつの間にか耳の裏まで真っ赤に染まっていた。


「……一緒に……かえ、ろ?」


絞り出すようにそう口にした瞬間、日向坂はぎゅっと目を瞑ってしまった。



「……は?」


予期せぬエンカウントと、ギャル然としたルックスに見合わない日向坂の言動で、俺の脳の処理がほんの一瞬フリーズする。


「なんで俺がお前と一緒に……。断る」


なんとか思考を再起動して拒絶の言葉を絞り出したものの、日向坂は一瞬だけ怯んだものの……。


「え、な、なんで!?」


とさらに顔を近づけてきた。必死か。その力一杯握りしめた拳はなんだ。


「なんで、って……俺とお前が一緒に帰る理由がないだろう」


「あるよ! あたしたち、『お友達』じゃん! それに、帰るタイミングも今まったく一緒でしょ? あたしたち中学も同じだったわけだし、家の方向も途中まで丸被りじゃん。これでも一緒に帰らない理由って逆に何!?」


日向坂はびしっと人差し指を突きつけ、有無を言わさぬ勢いで三段論法を展開してきた。これは多分準備してきている。それを今頑張ってまくしたてている。それがわかる。


ぐっ……。確かに、物理的な条件は完全に彼女の言う通りだ。友達、と言う関係性を受け入れたのは俺自身でもある。ここで「お前と一緒に歩きたくないからだ」と意固地になれば、それこそ不自然に意識していることを露呈してしまう。


 それに、俺の『2カ年限定・青春浪費ざまぁ計画』の観点から言えば、帰り道を共にしてあいつに無駄な期待を抱かせるのは、むしろ計画通りと言えるはずだ。……はずなのだ。


「……勝手にしろ」


「……やったぁ!」


俺が視線を逸らしながら短く吐き捨てて歩き出すと、日向坂は小動物のように跳ねて喜んだ。


二人の帰り道。


少し傾きかけた西日が、住宅街のアスファルトに二つの影を長く伸ばしている。


「でね、その時のユイの顔がマジでウケてさー!」


日向坂はスクールバッグにつけた無数のキーホルダーをジャラジャラと鳴らしながら

ひっきりなしに楽しそうに喋り続けている。俺は「あぁ」「ふうん」と適当な相槌を打ちながら前を歩くが、彼女は全く気にする素振りも見せず、コロコロと表情を変えて笑う。


突き放すように少しだけ歩幅を広げて歩くスピードを上げると、日向坂は短いスカートの裾を揺らし、タッタッと小走りで追いついてきた。


「待ってよー。たかじょーくん、足長すぎ!」


楽しそうに笑いながらも、少しだけ息を弾ませている。その様子に、俺は小さく息を吐いた。


……チッ。だから一緒に帰るなんて面倒なんだ。


そう内心で毒づきながらも、横を歩く彼女がこれ以上無理な小走りをしなくて済むよう、俺は自分の歩幅を狭め、歩く速度を落としていた。


これはあくまで計画を円滑に進めるための戦略的歩み寄りだ。決して、横を歩く彼女がこれ以上無理な小走りをしなくて済むよう、気を遣っているわけではない。


ぶっきらぼうに振る舞い、冷徹に接することに徹したいところだが、そうもいかない。ただそれだけである。


「……あ」


ふいに、隣で小走りを続けていた日向坂の足音が、タッタッ、というリズムから、ピタリと俺の歩調に合う自然なものへと変わった。


視線を感じて横目で窺うと、彼女は俺の顔を下から覗き込むようにして、えへへ、と嬉しそうに目尻を下げていた。


「……なんだ」


「ううん。たかじょーくん、あたしに合わせて歩くのゆっくりにしてくれたなーって思って!」


「……偶然だ。歩き疲れただけだ」


「そっか、偶然かー!」


何を勘違いしているのか、日向坂はさらに機嫌を良くして、鞄を揺らしながらニコニコと笑った。


嬉しそうに弾む声。その屈託のない笑顔を真正面から浴びせられ、俺はたまらず顔を背けた。これ以上墓穴を掘らないよう、俺は再び口を固く結び、ひたすら前だけを見て歩き続けるしかなかった。


「あ、愛瑠おねえちゃん!」


ふいに、前方から可愛らしい声が響いた。


視線を向けると、真新しい黄色の帽子を被り、自分よりも大きく見えるランドセルを背負った小学一年生くらいの男の子が、こちらに向かって駆け寄ってくるところだった。


「あ! コウくん、おかえりー。今日も元気だねぇ」


日向坂はパァッと顔をほころばせ、男の子の目線に合わせてしゃがみ込んだ。どうやら近所の子らしい。男の子は嬉しそうに日向坂に懐いていたが、すぐにその後ろに立つ俺の存在に気づき、大きな目を瞬かせた。


背が高く、無愛想な顔で立ち尽くす俺を見て、男の子は少しだけ怯んだように日向坂の袖を引っ張る。


「ねえ、愛瑠おねえちゃん。このお兄ちゃん、だれ?」


「ん? あー、この人はねえ」


「おねえちゃんの、かれし?」


子供特有の、悪気など微塵もない無邪気で直球な問いかけ。


俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上がった。ちっ、と舌打ちをしそうになったが抑える。思わず口を挟みそうになる。


だが、日向坂は全く慌てる様子もなく、力なく笑った。


「残念ながら違うんだー、これが」


日向坂は、しゃがんだまま上目遣いで俺を見上げる。


「……あたしの、大好きな人なんだけどね」


夕日を反射してきらきらと潤んだ瞳が、俺を真っ直ぐに射抜いていた。


「……っ!」


あまりにもストレートな好意の塊を顔面にぶつけられ、俺は思わず明後日の方向へと視線を逸らし、口元を片手で覆い隠した。耳の裏が熱い。


嘘だ。俺を『つまんない』とフッたお前が、そんなふうに俺を見るはずがない。俺の『ガワ』がハイスペックになったから、打算的によりを戻そうとしているザマァ対象であるはずだ。


そう疑心を抱こうとするのに、表情筋を固定する力が音を立てて崩れ落ちそうだった。


男の子と別れ、住宅街の十字路に差し掛かったところで、俺は立ち止まった。


「……俺は、ここから道場に行く」


俺の通う高校には弓道部がないため、幼い頃から通っている近所の道場で日々弓を引いている。それが俺の日常だ。


「あ、そっか。弓道、だよね」


日向坂は少しだけ目を見開いた後、ふっと柔らかい、どこか安堵したような微笑みを浮かべた。その表情の奥に一瞬だけ見えた切実な色に、俺は少しだけ引っ掛かりを覚えるが、すぐに彼女はいつもの明るい笑顔に戻った。


「じゃあ、気をつけてね! 練習、超頑張って!」


「あぁ」


踵を返し、道場の方角へ一歩を踏み出そうとした、その瞬間。

くっ、と。


ブレザーの袖口が、微かな重みに引かれた。


振り返ると、日向坂の細い指先が、無意識に俺の袖口をちょこんと摘まんでいた。

中学時代、デートの別れ際に彼女がよくやっていた仕草。不意にフラッシュバックした記憶に、俺の息が微かに詰まる。


彼女自身も自分が何をしたのかわかっていないのか、ポカンと目を丸くして自分の手元を見つめている。やがて、その指先が触れている意味を理解したのか、彼女の顔がポンッと音を立てるように真っ赤に染まった。


「あ、やばっ! ⋯⋯ご、ごめん!」


弾かれたように手を離し、日向坂は照れ隠しのようにぶんぶんと大げさに手を振る。


「ま、またね! 明日学校でね、たかじょーくん!」


言うが早いか、彼女は翻ったスカートの裾を押さえながら、ものすごい勢いで自分の家の方角へと走り去っていった。


十字路に一人取り残された俺は、微かな春風の中、自分の袖口に視線を落とす。

ほんの一瞬だけ触れた、彼女の指先の感触。そこだけが、火傷でもしたかのように不自然な熱を持っている気がした。


「……ざまぁ計画の、ためだ」


過去のトラウマを塗り潰すように、誰に言い訳するでもなく、自分に言い聞かせるように呟く。


だが、うっすらと早鐘を打つ心臓の音は、道場に着くまでどうしても収まってはくれなかった。


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