66. 舞台が壊れる音
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アステリア王国の港から馬車に揺られること数刻。一行が辿り着いたのは、都の喧騒を離れた静謐な森に佇む、要塞のような大邸宅だった。壁面で無数の歯車が時を刻み、蒸気と魔導が融合したその威容に、ルーナは目を丸くする。
「すご……なにこれ。家……? 宮殿の間違いじゃなくて……?」
「ようこそ、ルーナ。エーデルシュタイン侯爵家へ」
マキナが少し照れくさそうに微笑むと、ルーナは絶叫した。
「ちょっ……待ってマキナ! あなた、侯爵令嬢だったの!? 全然聞いてないよ!」
「あはは、ボクも研究に夢中で、あんまり家柄とか気にしてなかったからさ」
驚愕するルーナを余所に、重厚な鉄扉が開く。中から現れたのは、マキナにそっくりな理知的な両親だった。
だが、出迎えた二人の微笑みを見た瞬間、ルーナの背筋に冷たいものが走った。
どこか……出来すぎている。
「お帰りなさい、マキナ。無事で何よりです」
「ああ、さあ中へ。お茶の用意ができていますよ」
感情の起伏が削ぎ落とされたような、穏やかすぎる声。
二人の声には、再会の狂喜も、安堵の震えもなかった。ただ、毎日学校から帰ってきた子供を迎えるような、平坦で、どこか空虚な響き。
まるで誰かに与えられた役割を、ただ正確にこなしているだけのよう。マキナを映しているようで、その実、何も見ていない。その不自然さにルーナが眉をひそめる。
「……お父様? お母様……?」
マキナが困惑し、震える足で屋敷の敷居を一歩跨いだ。
――パリン、と。
何かが割れるような幻聴がした。
それはまるで、
見えない舞台のガラスが砕けたような音だった。
その瞬間、両親の瞳を覆っていた「ガラス玉のような輝き」が砕け散り、代わりにどっと生々しい感情が溢れ出した。
「……マ、キナ……? ああ、本当に、マキナなのかい……!?」
先ほどまでの完璧な微笑みが崩れ、父親の顔が大きく歪む。
母親は、マキナを抱きしめたまま、糸が切れたように泣き崩れた。
「……マキナ。もっとよく、顔を見せてちょうだい」
母親の手が、マキナの左目を隠す長い前髪へと伸びる。マキナが一瞬、身体を強張らせた。
「……ッ、その……傷は……」
前髪の隙間から覗く、痛々しい傷跡。かつては宝石のように輝いていたであろう左目は、今はその光を失い、深く刻まれた痕だけが残っていた。
「……詳しいことは、中でお話しします」
マキナが静かに、しかし拒絶するように前髪を戻す。その横顔には、アステリアを追われてからの壮絶な日々が刻まれているようだった。
一行は静まり返った空気の中、館内へと案内された。
「カイエン、ネレイス、ゼクス殿下はそれぞれの客室へ。マーサと双子ちゃんは、ギルとルーナの部屋の隣にしたよ!」
テキパキと仕切るマキナに、ルーナが慌てて食ってかかる。
「ちょっと待って、サラッと私とギルを一緒の部屋にするのやめない!? まだ正式に結婚してないんだから!」
「いいじゃん、もう夫婦同然なんだし。あと二の月が過ぎたら結婚式だよ?」
ルーナが顔を真っ赤にして抗議すると、ギルバートは平然とした顔で肩をすくめた。
「そうだぞ、もう何回体を――」
「子どもの前!!!!!!!!」
ルーナの鋭いツッコミと共に、ギルバートの頭がスパーン!と景気よくはたかれた。
「痛っ……。事実だろう……?」
「事実とかそういう問題じゃないの! 教育に悪いでしょ!」
「はん、今更照れる中でもないだろうよ。私は寝る、起こすなよ」
ネレイスは欠伸をしながら自室へ消え、カイエンは「立地の下見」と称して街へ飛び出していく。賑やかな旅の終わり、ようやく訪れた安らぎの時間――。
だが、夕食の席で空気は一変した。
贅を尽くした料理が並ぶ中、それまでずっとマキナの手を握っていた母親が、震える声で口を開いた。
「……不思議ね、マキナ。あなたが屋敷に足を踏み入れた瞬間、何かが……重く冷たい霧のようなものが、さあっと晴れた気がしたの」
お母様は潤んだ瞳でマキナを見つめ、困惑したように続けた。
「屋敷の使用人たちもそうなの。皆、あなたが帰ってきた瞬間に、まるで長い夢から覚めたような顔をしていて……。正直に言うわ。あなたがいなかった間、私は何を考え、どう過ごしていたのか、記憶がひどく平坦なの。……まるで、決められた役柄をなぞっていただけのようだった」
マキナが眉をひそめ、隣に座る父親を仰ぎ見る。
「……お父様も、同じなのですか?」
父親は、震える手でグラスを見つめたまま、重々しく頷いた。
「ああ。感情を、どこか遠くに置き忘れていたような心地だった。だが今は……こうしてお前の温もりを感じるだけで、胸が苦しいほどに痛む。……私たちは、一体何に縛られていたのだろうね」
両親の独白に、食卓が重苦しい沈黙に包まれる。その沈黙を破ったのは、マキナの硬い声だった。
「……それは、お父様たちのせいじゃない。きっとボクが……、ボクがこの国から『消えた』からなんだ」
マキナは、隠していた左目の傷に触れるように前髪をなぞった。
「ボクは、リュシアンが開発していた『魔獣騎兵団』を作るために……魔獣誘引香を試す、『餌』として利用されたんだ」
マキナが淡々と告げたその言葉は、豪華な食卓に冷や水を浴びせかけた。
「『餌』……? 婚約者を、魔獣に……?」
マキナの母が絶句する。
「あぁ。ボクを囮にして魔獣をおびき寄せ、そこで開発中の制御デバイスを試す。……その過程で、この左目も失った。ボクは命からがら船に乗って、海を渡って、そこから死に物狂いで走って……。もうダメだと思った時に魔物に出くわして、そこをギルに拾われたってわけさ」
マキナの母の唇が、震えた。
次の瞬間――
「ああぁ……っ!!」と、母親が顔を覆ってその場に泣き崩れた。
「なんて……なんてこと……! 私たちは、あの子を信じて、マキナを王宮へ送り出してしまった……! 私たちの無知が、この子を地獄に追いやったのね……!」
母親の慟哭が食堂に響き渡る。
父親は、握りしめた拳を小刻みに震わせ、ただ一点を見つめていた。その瞳には、かつて王家への忠誠を誓った誇り高い貴族の姿はなく、ただ娘を守れなかった己の無力さへの、深い、深い絶望と怒りが渦巻いている。
「……リュシアン殿下は、最初からそのつもりだったのか。……娘を、技術を搾り取るための道具としか見ていなかったのか……!」
父親の低く、地這うような声に、誰も言葉を返せない。
マキナは泣き崩れる母親の肩にそっと手を置いたが、その表情はどこか遠く、感情が削ぎ落とされたように静かだった。
「ギルバート様、娘を……マキナを匿ってくださってありがとうございました」
父親の深い感謝に対し、ギルバートは静かに首を振る。
「彼女の技術と意志こそが、我々の窮地を救ってくれたのです」
話題は、かつての婚約者・リュシアンへと及ぶ。
「それで……リュシアン殿下は……?」
「表向きは行方不明となっておりますが……彼は自ら魔獣となり…我々が討ちました」
ゼクスの言葉に、両親の顔が歪む。
「元から性格に難があるやつだったけど、最初はあそこまで酷いやつじゃなかった。……王宮の地下で、『本』が見つかってからかもしれない。」
「本……?」
「あぁ。彼はそれを、『光の脚本』と言っていたな」
マキナからその名を聞いた瞬間、ネレイスが目を細めた。
「おっと、まさかの名前が出てきたねぇ。私の前に現れた『闇の脚本』の対みたいじゃないか」
「なんだって? 君たちは『闇の脚本』を持っているのかい!?」
マキナの両親が驚愕する中、ギルバートが答える。
「あぁ。今はカイルが厳重に保管している。……アステリアの『光の脚本』が、人々に役割を強いることで完璧な世界を偽装しているのなら……」
ルーナがふと、隣に座るゼクスを見て首を傾げた。
「ねぇ、一つ気になったんだけど。……マキナがいなくなってからこの国がおかしくなったんだとしたら、なんでゼクスは留学中、あんなに普通だったの? リュシアン殿下はあんなに変わっちゃったのに」
ゼクスはフォークを置き、少し考え込んでから答えた。
「これは憶測でしかないが……私は『留学』として他国へ出ていた。光の脚本にとって、その時の私は『必要のない人物(登場しないキャラクター)』だったのかもしれない」
「なるほど……」
ルーナは、上陸時に見たあの「空のノイズ」と、街の人々の歪なほどに明るい「笑顔」を思い出していた。
「(……そんなの、ただの、電池で動かされるだけの人形劇じゃん……!)」
ルーナが怒りに震えていると、一人の執事が音もなく近づき、マキナの父に耳打ちした。
報告を受けた父親は、険しい表情で一同を見渡す。
「……ちょうど、明日王宮でパーティがあるようだ。その前に、我々との謁見も許可されたそうだよ。マキナの件についても、我が家から正式に抗議を申し入れるつもりだ」
「明日、ですか……」
ギルバートが顎に手を当て、思考を巡らせる。
「何か作戦を立てないとな。ただ抗議するだけでは、あの『脚本』に呑まれるだけだ」
「ねぇ、その『光の脚本』、なんとか手に入れられないかな。それが元凶なら、実物を叩き壊すか奪うかすれば、この不気味な街も元に戻るんじゃ……」
ルーナの提案に、ゼクスが神妙な面持ちで頷いた。
「そうですね……。物語の『核』を叩くのは理にかなっています。ですが、おそらく守りは相当なものでしょう」
「はん、地下に忍び込むにも警備が厳重だろうよ。それに、その『脚本』とやらは、ただの道具じゃない。意思を持って侵入者を排除しようとするはずだねぇ」
ネレイスがワインを回しながら、冷ややかに告げる。
緊迫した空気が流れ、全員が「どうやって潜入するか」と頭を抱えている。
食卓に重苦しい沈黙が落ちた。
カチャカチャ、もぐもぐ。
あまりにも場違いな、軽快に食事を進める音が響く。
一同の視線が、双子と我関せずといった様子で、山盛りの高級料理を口に運んでいたカイエンに集中する。
「…………はい?」
口いっぱいに肉を頬張ったカイエンが、間抜けな声を上げた。




