63. 一億回地獄を見ろ
評価、ブクマ、リアクションありがとうございます!
励みになっております!
感想もぜひぜひお待ちしております<(_ _)>
「……元婚約者?」
低く、確かめるような声だった。
リュシアンはにやりと口角を吊り上げる。
まるで待っていたかのように、愉快そうに肩を揺らした。
「そうだ。マキナだよ。少し優秀というだけでチヤホヤされ、調子に乗っていた鼻持ちならない女さ」
汚れた顔のまま、彼はルーナの耳元で勝ち誇ったように囁く。
ルーナの瞳が、冷たく据わる。リュシアンはそれに気づかず、吐き気を催すような過去を語り続けた。
「だから、教育してやったんだよ。私が開発した『魔獣誘引香』を塗りたくってな! 魔獣の群れの中に放り投げてやったのさ! 」
その声は、まるで武勇伝でも語るようだった。
「……あの時のマキナの絶望した顔、見せてやりたかったよ。冗談のつもりだったのに、逃げ出しやがって。よほど必死だったんだろうな、こんなちんけな辺境の地まで逃げ延びていたとはな!」
リュシアンの下卑た笑い声が戦場に響く。
だが、次の瞬間、彼の喉元を掴んでいるルーナから、突き刺さるような冷気が放たれた。
「……そう。それが、あなたの『冗談』なんだ」
ルーナの声から一切の感情が消えた。
マキナは誰よりも純粋に、ルーナの描く「夢」を信じてくれた。
前髪の隙間から覗く、痛々しい傷跡。
あれが、今目の前で下卑た笑いを浮かべている男によって刻まれたものだなんて。
予算がないとギルバートに叱られ、肩を落としていたマキナ。それでも彼女は、ルーナの「子供たちを喜ばせたい」という無謀な願いを叶えるために、夜通し研究に没頭してくれた。
実戦用への転用を渋るルーナの意思を尊重し、まずは「夢を形にすること」に心血を注いでくれた、最高に優しくて「変態的」な技術者。
(――マキナ。あなたが、あんなに優しく笑えるようになるまで、どれだけの地獄を歩いてきたの)
戦場の喧騒が、遠くなる。
怒号も、剣戟も、魔力の爆発音さえも。
すべてが水の底に沈んだように、ぼやけていく。
脳裏をよぎるのは、出陣の直前。自室でマキナに強引にデバイスを腰に巻かれた時のことだ。
『王妃様になるんだから、丸裸で戦場に行っちゃダメだよ! ルーナが傷ついたら、ボクは一生自分を許せない。……いいから、これはお守りだと思って持っていて。ボクの最高傑作なんだから!』
あの時マキナが見せた、泣き出しそうなほど真剣で優しい瞳を思い出す。
(ごめんねマキナ。推しは眺める派だけど……今日は、あなたの勇気を借りるね)
胸の奥で燃えているのは、ただ一つ。
友を踏みにじられた怒り。
彼女は、乗馬服の下に隠していた自分専用のデバイスを、迷いなく指先で弾いた。
「変身」
カチィィィン! という硬質な音が響くと同時に、ルーナの全身を薄紅色の高密度な魔力障壁が包み込んだ。
「なっ……!? 私の指の魔導器をショートさせただと!?」
驚愕し、手を離すリュシアン。その隙を見逃さず、ルーナは華麗な身のこなしで宙を舞った。
「マキナがどんな想いで、今日まで戦ってきたと思っているの!」
空中で鋭く回転したルーナの足に、マキナが込めた人工魔石の全魔力が集中する。「プロデューサー」として騎士たちの戦技を誰よりも理解し、そしてこの日のために、ギルバートと幾度も重ねてきた戦闘訓練。その全てを乗せた一撃。
「一億回地獄を見ろ、このクズ!!」
ドッゴォォォォン!! と、ルーナの渾身の回し蹴りがリュシアンの顔面に炸裂した。
リュシアンの身体は弾丸のように吹き飛び、岩壁を何枚も突き破りながら地面を転がっていく。
「が、はっ……あ、ありえん……あんな小娘に……!」
リュシアンが泥にまみれて這い上がろうとした瞬間、その視界が反転した。
着地したルーナが、息つく暇もなく肉薄していたのだ。
「全然足りない」
ルーナの拳が、リュシアンの腹部を正確に抉る。魔力装甲を纏ったその一撃は、アステリア製の防具を容易く粉砕した。
「ぐ、あぁあああっ!?」
ルーナの容赦ない追撃が続く。裏拳がリュシアンの鼻柱を折り、膝蹴りが彼のあばらを引き裂いた。技術大国の王子としてのプライドは、ルーナの「物理的な怒り」の前にボロボロに崩れ去っていく。
「ま、待て……! 私はアステリアの……!」
命乞いをしようと震える手で手を伸ばすリュシアン。
ルーナはその腕を冷たく踏みつけると、彼を見下ろして静かに言い放った。
「――じゃあ、これも『冗談』ってことで」
ルーナは、最大出力に設定した脚部の魔力を一気に解放した。
「ひ、ひぃいっ! やめろ、やめてく――」
「マキナなら、笑って許してくれるよね? 冗談なんだから」
ドンッ!! という轟音とともに、ルーナのトドメの踏みつけがリュシアンの胸部で炸裂した。
「が、はっ……あ……ありえん……こんな、ちんけな場所で……私が、負ける、だと……?」
泥にまみれ、誇り高きアステリアの軍服をズタズタにされたリュシアンが、震える手で懐から一本の銀色のシリンダーを取り出した。
中には、不気味に脈動するどす黒い液体が満たされている。
「……認めん。認めんぞぉ!! アステリアの最新技術を、舐めるなぁぁあああ!!」
「リュシアン、やめろ!」
ゼクスの制止も聞かず、リュシアンは狂ったような笑みを浮かべてその針を自らの腕に突き立てた。
直後、彼の身体が異様に膨れ上がり、皮膚を突き破って漆黒の体毛と鋭い爪が飛び出す。骨が軋む嫌な音が響き、理性の光が消えた瞳が、赤く濁っていった。
「……グ、オォォォォォォ!!」
それはもう、王子でも人間でもない。ただの、醜悪な魔獣の成り果てだった。
「……人じゃなくなるぞ! 何て馬鹿な真似を……!」
ゼクスは苦渋に満ちた表情で剣を握り直した。
共に学園で競い合ったライバルだった。できることなら、法の裁きを受けさせ、せめて人として罪を償わせたかった。
だが、リュシアンが我が軍へ働いた陵辱、そして何より、マキナという一人の女性の人生を無残に踏みにじった仕打ち。
その報いが、この哀れな獣の姿なのだ。
「ゼクス、前を見ろ。……もう、これは人ではない」
隣に並び、五色の魔力を剣に纏わせたギルバートが静かに告げる。
「……っ、……了解した」
ゼクスは迷いを断ち切るように、ソードルクシアを正面へ構えた。
一方、変身を維持したまま、少し離れた場所でその光景を見ていたルーナは、頬を引き攣らせて呟いた。
「(……これ、第2形態ってやつ……?)」
ルーナは二人の背中に向けて、信頼を込めた声を飛ばした。
「お願いねギル、ゼクス! そいつを、マキナの悪夢ごと叩き斬っちゃって!」
「任せろ」
「ああ、必ず!」
二人の英雄が、同時に地を蹴った。
黄金の閃光と五色の魔力が交差し、狂った魔獣へと襲いかかる。
「これで……最後だ!!」
ゼクスの叫びとともに、黄金のソードルクシアがリュシアンの胸部を貫く。間髪入れず、ギルバートのソードルクシアが、魔獣の核を一刀両断に切り裂いた。
「ガ、ア……ッ……!」
断末魔の叫びさえ上げられず、リュシアンだった「モノ」は、どす黒い霧となって霧散していく。アステリアの野望も、彼の下卑た執着も、すべては荒野の塵へと消え去った。
戦場に訪れたのは、耳が痛くなるほどの静寂。
巻き上がった砂塵がゆっくりと落ち着き、雲の隙間から柔らかな陽光が差し込む。
「……マキナ、終わったよ」
ルーナは変身を解除し、遠くの空を見上げ、小さく息を吐いた。
「あなたの作ったおもちゃで、最高の幕引きにしてあげたから」
その横顔は、誰よりも凛々しく、そして美しい「武闘派ヒロイン」そのものだった。




