59. 届いた想いと漆黒の戦士
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翌朝、ギルバートの私室。
ルーナはカーテンの隙間から差し込む光に目を細めたが、体が鉛のように重い。
(……体がだるい。声もうまく出ない……)
「起きたか。もう昼だぞ」
ベッドの傍らで、爽やかな顔をして書類に目を通している男を見て、ルーナは枕に顔を埋めた。
「マキナが、俺とお前で工房に来てくれと言っていたが、どうする。行けそうか?」
「誰かさんのせいで足腰が~……お姫様抱っこで連れてってくれるなら、行きまーす……」
掠れた声で冗談を言うと、ギルバートは掛布団ごと迷いなくルーナを抱き上げようとした。
「お安い御用だ」
「ちょっ……!!!! 冗談ですって! まだ着替えてな……ゲホッ、ゲホッ!」
「ほら、急に喋るからだろ」
ギルバートが手際よく果実水を口元に運んでくれる。冷たく甘い液体が、乾いた喉に心地よく染み渡った。少しずつ呼吸を整えるルーナを、ギルバートは至近距離で見つめたまま、逃がさないと言わんばかりにベッドの縁に腰を下ろす。
「で、そろそろ『答え』が聞けそうか?」
不意に落とされた低く甘い声。昨夜、何度も問い詰められ、そのたびに快楽に紛れ込ませて逃げていた質問。ルーナは顔を真っ赤に染め、震える声で絞り出した。
「ぅ……す……」
「す?」
わざと聞き返すような意地の悪い微笑みに、ルーナは耐えきれず枕を抱え込み、顔を半分ほど隠して叫んだ。
「好きです……っ!!」
その言葉がこぼれた瞬間、ギルバートの動きが止まった。
これまでの「好き」とは違った。
初めて出会った時から今まで、ルーナはどこかで自分に言い聞かせてきた。「これは『推し』への愛着だ」と。画面の向こう、あるいは物語の向こう側にいた憧れの存在を崇拝しているだけなのだと。
けれど今、目の前で自分を見つめる男の体温、肌に触れる指先、そして自分を求める強い視線が、その逃げ道を塞いでいた。
(……あぁ、そうだ。この人は、ちゃんと『ここ』で息をして、生きてる)
虚像じゃない。設定でもない。この世界で共に歩み、自分のわがままも、暴走も、醜い部分も、そのすべてを包み込んで愛してくれる一人の男。その事実に気づいた瞬間、ルーナの目には、これまで見ていた景色とは違う、鮮やかな色彩を放つギルバートの姿が映っていた。
「……あ……」
不意に、ギルバートの手が枕を優しく取り上げた。剥き出しになったルーナの視界。そこには、いつも冷徹と言われる『死神』の面影など微塵もない、泣き出しそうなほど愛おしげに歪んだ彼の表情があった。
「……ようやく、届いたな」
ギルバートの声がわずかに震える。彼は、ルーナがどこか遠くを見ていることにずっと気づいていた。自分を通して『誰か』を見ているような、そんな不安を抱えながら、彼女が自分個人を愛してくれる日を、渇望していたのだ。
「『愛してる』だろ。ベッドの中ではあんなに素直に言えていたのに」
そう告げる彼の指先が、ルーナの頬を震えながら撫でる。その震えこそが、彼もまた一人の人間として、ルーナの愛を必死に求めていた証だった。
「……!」
額に軽く触れるだけの口づけ。
彼女は布団を頭まで被ってジタバタと暴れる。
「わーん! それでもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ~! 無理~!!」
「はは、慣れていくしかないな。さあ、軽食を持ってきた。軽く食べてから行くぞ」
差し出された果実水の心地よさにルーナは素直に甘えながら、二人は穏やかな昼食の時間を過ごしたのだった。
その後、重い腰を上げて向かったマキナの工房。出迎えたマキナは、ルーナの顔を見るなり、その口角をこれ以上ないほど吊り上げた。
「やっときた! 王妃になる覚悟はできたかい?」
「なっ……! マ、マキナ、何の話を……!」
「いやあ、ギルの顔があまりにスッキリしてるからさ。」
マキナがニヤニヤと意地悪く突きつける視線に、ルーナは顔を真っ赤にして果実水のグラスに逃げ込んだ。その隣で、ギルバートは否定するどころか、満足げに鼻で笑ってルーナの腰を引き寄せる。
「マキナ、余計な勘繰りはよせ。……事実だがな」
「ちょっ……! ギルバート様まで!!」
そんな夫婦の熱い空気をお構いなしに楽しみながら、マキナは一転して、机に広げた布を勢いよく剥ぎ取る。
「まあ、冷やかしはこれくらいにして。できたよ、ルーナ! 新しい武器(おもちゃの方もね)が!」
剣型の『ソードルクシア』、銃型の『ルクシライザー』に続く第三の装備。
その名は、魔導防盾『テトラシールド』。
そして、その中央に鎮座するのは、ルーナが魂の底から待ち望んでいた聖遺物――。
「『変身ベルト』……ついに、ついに形になったのね……!」
ルーナの震える声に、マキナが鼻高々に胸を張る。
「盾のおもちゃの方は、ボタンを押すと変身音が鳴って、端の部分が七色に光るだけ。でも、こっちの実戦用は人工魔核を組み込んであって、属性に応じた防御やカウンターが可能なんだ!」
「まさにヒーローの必須アイテムだね!」
「ほう、盾か。実戦用の方は、後で私が使い勝手を試しておこう」
ギルバートが感心したように重厚な実戦用の盾を手に取る傍らで、ルーナはすっかりプロデューサーの目に戻って、七色に輝くおもちゃの造形美に見惚れた。するとマキナが、さらに「本命」を指差す。
「変身ベルト自体は数ヶ月前にルーナからデッサンをもらった時に、おもちゃとしてサンプルは作っていたんだけどね。昨日、ネレイスから預かったネックレスに使っていたコアを入れて、最終的なサンプルをササッと作ってみたよ。どうやら『変身』という特定のキーワードをトリガーにしないと、回路が起動しないみたいなんだ」
「キーワード……。なるほど、理に適っているな」
ギルバートが、ルーナの熱視線に押されるようにして、そのベルトを腰に巻いた。騎士団長としての引き締まった腰に、無骨ながらもどこか未来的な造形のベルトが驚くほどよく似合う。
ギルバートは少し照れくさそうに、けれどルーナの期待に応えるように、低く、重厚な声で唱えた。
「『変身』」
――その瞬間、ベルトのコアが共鳴し、眩い光が溢れ出す。
光は渦を巻きながらギルバートの体を包み込み、次の瞬間、執務室には、あの最凶魔女ネレイスが身にまとっていた、禍々しくも美しい『漆黒の装甲』。それを纏ったギルバートが立っていた。
黒銀の甲冑、深紅のライン、そして顔を覆うフルフェイスのヘルメット。光沢のある漆黒の装甲は、ギルバートの騎士としての覇気を何倍にも跳ね上げ、その圧倒的な存在感に、その場の空気が凍りつく。
「かっーーーーー!!!!! 好き!!!! 最高!!! !!!!」
あまりの格好良さに理性が蒸発したルーナが、叫びながらギルバートに猛然と抱きつく。装甲の冷たい感触も気にせず、彼女は「推し」の完全な再現に涙を流して狂喜乱舞した。
「……ちょっ、落ち着けルーナ! 興奮しすぎだ! この装甲、意外と動けるな……」
漆黒のヘルメットの奥から、少し困惑した、けれど騎士としての好奇心も混ざったギルバートの声が聞こえる。ルーナをがっしりと受け止め、彼はその装甲の可動性を確認するようにゆっくりと拳を握り、零した。
「……朝の告白より、明らかに心がこもっていないか……?」
「そんなことない! ないけど! 今のは世界一格好良かった!! もう一回! もう一回言って!!」
「……断る」
頬を赤らめてそっぽを向くギルバート。そんな夫婦の痴話喧嘩(?)の横で、マキナは「おもちゃの方も在庫がなくなってきたから、大量生産しておいたよ。さあ、どんどん出荷しちゃおうか!」と、邪悪なまでの商売スマイルを浮かべていた。
その頃、エルバイン王国――
「兵を! もっと兵を集めろ! 冬が開けたらすぐに戦えるように準備しろ!あやつらを叩き直すのだ! 密偵を忍ばせ、未知の武器を盗め! 戴冠式の準備で人が増えている今がチャンスだ!」
国王は忌々しげに、かつてギルバートから突きつけられた最後通牒を思い出していた。
「何が『戦争をしたくなければ、条件を飲め』だ……! 田舎の辺境伯ごときが、この余を脅した報い、その身に刻んでくれるわ!」
国王は拳を震わせ、豪華な玉座の肘掛けを叩きつける。
「奴のおかげで、国庫は空になるわ、国からは人は流出していくわ……! 聖女の不祥事が露見して評判が落ちる云々の前に、このままでは我が国の威信は失墜し、歴史に泥を塗ることになる。すべては、あの死神の仕業だ!」
実際には、無理な徴税や聖女への過度な依存が招いた自業自得の結果なのだが、追い詰められた国王にそれを直視する冷静さは残っていなかった。
重苦しい空気の漂う謁見の間に、隣国アステリア王子、リュシアンが降り立っていた。
「そ、そんなに兵を! ありがたい!」
国王が縋るように声を上げると、リュシアンはうやうやしく頭を下げた。
「わが国の誇る『魔獣騎兵団』もどうぞ使ってください。わが国は技術国家。魔獣を飼い慣らす力、どの国にも負けない頭脳があるのですよ」
飛行魔獣や重装甲の魔獣を自在に操る首輪型の制御装置。その笑みは完璧だった。ただし、瞳の奥だけが何も映していなかった。その異様さに、ゼクスは学園時代のライバル的存在であったリュシアンを、苦々しく睨みつけていた。
その夜。
潜入していた王国の密偵は、積み上げられた『テトラシールド』と武器の山を物陰から覗き込み、喉の奥で笑った。
(……これだ。これがあの『爆音』と『閃光』の源、辺境の秘密兵器!)
彼は「おもちゃ」という言葉を聞き逃したまま、焦りと功名心からか、その山を一台残らず運び出していった。
静まり返った工房。
そこにあったはずの『兵器』は消え、ただ白い月光だけが床を照らしている。
王国が手に入れたのは、起死回生の希望か、それとも戦場に響き渡る滑稽なファンファーレか。
何も知らない密偵が夜の闇へと消えていく中、ヴォルフラム領の夜は、嵐の前の静けさを湛えて深まっていくのだった。




