6. 肉!肉!!肉!!!
執務室。カイルから「到着して数時間」の報告を受けたギルバートは、深く椅子に背を預け、大きな掌で顔を覆うと、絞り出すように呟いた。
「……なんなんだ、あいつは」
その声には、魔獣との戦いでも見せないような困惑が滲んでいる。
そもそも、この結婚はギルバートにとって苦渋の選択だった。魔獣の猛攻で疲弊し、騎士たちすら恐怖に駆られて去っていくこの辺境領。廃れゆく地を維持するための資金援助と引き換えに、王家から押し付けられたのが「傲慢で冷酷な氷の令嬢」だったのだ。
「旦那様。ルーナマリア様は、ずいぶんと噂とは違っているようですね。公爵令嬢が、あの殺風景な部屋で侍女も必要ないと仰り、自ら進んで動き回っておられます。この領地を、愛と勇気とワクワクするものに変えると」
カイルが淡々と告げると、ギルバートは顔を覆っていた手をどけ、鼻で笑った。
「はっ……そんな夢物語が通用する場所ではない。……どうせ、すぐに泣き言を言って王都に帰りたがるさ」
不機嫌そうに、銀の瞳を再び書類へ落とした主人の横顔を見つめ、カイルは密かに思った。
(……いや、果たしてそうでしょうか。あのルーナマリア様なら、もしかしたら。この凍てついた領地も、旦那様の心も、救ってくださるかもしれない)
そんな淡い期待を胸に、静かに執務室を後にした。
夕食時。私は案内役のカイルに詰め寄っていた。
「……え、お部屋で一人で食べるの!?」
「はい。旦那様はお忙しい方ですし、これが辺境伯家のしきたりでして。お食事は自室にて召し上がるのが、この城の……」
「アルス君とエルナちゃんも?」
私の問いに、カイルは一瞬言葉を切り、淡々と頷いた。
「はい、そうです。お子様方はまだ幼いこともあり、別室にて召し上がっていただいております」
「じゃあ二人と一緒に食べるわ」
「は?」
カイルが、またしても素で間の抜けた声を上げた。彼ほど有能そうな男が、今日一日で何度目を丸くすれば気が済むのだろうか。
「え? なんでそんな顔するの? だって、ご飯は家族で食べるのが当たり前でしょ?子ども達のところへ行くわ!」
多目的室の重い扉を勢いよく開けると、そこではアルスとエルナが静かに皿を突いていた。
「なんでお前がいるんだよ!」
アルスが驚いて椅子から立ち上がる。
「なんでって……家族になったから?」
「ま、まだ家族って認めてない!」
「だめ? 一人でご飯食べるの寂しいんだよ〜。私を助けると思って!ね?」
私が手を合わせて拝むと、アルスは毒気を抜かれたように「ぐっ……」と言葉を詰まらせた。
「私は……ルーナマリアさんと、食べたいな」
エルナがほわほわとした笑顔で援護射撃をしてくれると、アルスは顔を真っ赤にして座り直した。
「……しょうがないな。エルナがそう言うなら、今日だけだぞ」
「ありがとう! 嬉しい!」
さっそく並べられた食事を見て、私は驚愕した。
「肉! 肉!! 肉!!! ……お肉は好きだけど、絵面が暑苦しい! 茶色だらけ!お通じが『岩』になるって! 腸内環境ってデリケートなんだよ!」
「辺境では力をつけるために肉を食べるのが当たり前だ。文句があるのか?」
アルスが怪訝そうに聞くが、私はそれどころではなかった。
皿の上には、脂の乗った塊肉がこれでもかと積まれている。野菜はクタクタに煮込まれた飾りのようなものだけだ。
(二人ともいつもこんな食事を……?)
(エルナちゃん、こんなに体が弱いのに、このヘビーなメニューなの……!?)
「これじゃ、立派なヒーローやヒロインにはなれないわよ!」
「……ひーろー?」
ポカンとする二人を置いて、私は立ち上がった。
「カイルさん! 今すぐ、厨房に行くわよ!」
「……え、またですか!? 今から召し上がるのでは……!?」
部屋の隅で控えていたカイルが、裏返った声を出す。本日何度目か分からない彼の困惑をよそに、私は彼の腕を掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「予定変更よ! 子どもは健康がいちばん!」
「お、お待ちください、ルーナマリア様! 厨房の者たちも驚きますし、まずは旦那様にご報告を……ああっ!」
カイルの制止も聞かず、私は軽やかな足取りで部屋を飛び出した。
カイルは「これは胃に穴が開く……」と独りごちながら、慌てて私の後を追って廊下へ滑り出した。
ところが、廊下の角を曲がった瞬間、目の前に「大きな影」が立ちふさがった。
「わっ!」
慌てて足を止めた私の目の前に立っていたのは、執務室にいるはずのギルバートだった。
逃げ場を塞ぐように、彼の大きな掌が私の真横の壁に叩きつけられる。
――ドンッ!
低い衝撃音が廊下に響き、私は思わず息を呑んだ。
背後で追いついたカイルが、「ひっ」と短く息を呑んで直立不動になる。主人の放つ圧倒的な「死神」のオーラに、有能な側近といえど蛇に睨まれた蛙状態だ。
至近距離で見下ろすギルバートの銀の瞳が、冷たく細められた。地を這うような静かな怒りが、その奥で鈍く光っている。
「……余計なことはするなと言ったはずだ、ルーナマリア」
「ギ、ギルバート様……」
「客分として大人しくしていればいいものを、さっそく子どもたちに取り入り、挙句の果てには城の厨房にまで口を出すつもりか。二度と言わん。余計な真似をして、この城の秩序を乱すな」
私を射抜くような鋭い視線。普通の令嬢なら泣き崩れるほどの圧。
傍らで控えるカイルは、あまりの気まずさに眼鏡のブリッジを震わせながら、存在感を消そうと必死に壁と同化している。
(闇属性イケメンの壁ドンこっわ……)
あまりの迫力に身をすくませた私だったけれど、脳内では無意識に過去の「強敵」たちと比較が始まっていた。
(……でも、全宇宙を無に帰そうとした暗黒破壊神(特撮のラスボス)よりは怖くないな)
「……」
一瞬、廊下に奇妙な沈黙が流れた。ギルバートが氷のように冷ややかな目で私を凝視している。
「あれ? 口に出ちゃってました?」
ギルバートは表情を一切変えず、銀の瞳だけを冷ややかに細めると、壁からゆっくりと手を離した。その瞳には、もはや怒りすら通り越した、底知れない冷たさが宿っている。
「……警告はしたぞ」
低い声でそれだけを言い残すと、彼は一度も振り返ることなく去っていった。
カイルは、主人の背中を見送り、ようやく肺に溜まった空気を「はぁぁ……」と吐き出した。
「……ルーナマリア様。旦那様にあそこまで言われて、平気なのですか? 暗黒……なんとかいう神様の話、旦那様は絶対に冗談だとは思ってくれませんよ?」
残された私は、心臓の鼓動を鎮めながら、彼が去った廊下をじっと見つめる。
「……ワクワクしてきたぜ……っ!」
私は思わず、大好きな『スターレンジャー』のレッドが逆転劇の前に放つ決めゼリフを呟いた。




