42. おかあさまを救い出そう
日間で83位までいきました。これも一重に
読んでくださる方、評価してくださる方の
おかげでございます。
これからアレが出てきたり、展開に驚くことも
あるかと思いますがお付き合いくださると嬉しいです!
王都へ向かう街道を、王家の紋章が入った重厚な馬車が、低い軋み音を立てて進んでいた。
車輪が舗装の甘い石を噛むたび、がたん、と鈍い振動が贅沢なクッションを透かして車内に伝わる。
閉ざされた空間。カーテンで遮光された薄暗い車内には、吐き気がするほど濃密な沈黙が淀んでいた。
その沈黙の中で、ルーナは祈るように身を縮めていた。あの日、ギルバートが贈ってくれたドレスに身を包んだ。黒の生地に銀糸の刺繍が施された、あの夜空のような色のドレス。
(……私の心は、ギルバート様と共に)
肌に触れる生地の感覚が、まるで彼がそばにいてくれるような勇気をくれる。だが、向かい合うルディウスは、ゆったりと足を組み、彫刻の施された肘掛けに頬杖をついたまま、品定めするように口角を吊り上げる。
「機嫌が悪そうだな、ルーナ」
その甘ったるく、粘りつくような声に、ルーナの背筋に冷たいものが走る。
「……それ以上近寄らないでください。私はヴォルフラム公爵、ギルバート様の妻ですので」
はっきりと突き放す拒絶の言葉。
だが、ルディウスはそれを楽しむように、喉の奥でくつくつと下卑た笑いを漏らした。
「妻? あんな死神と? ……どうせ、体裁だけの仮初の妻だろう?」
その瞬間、車内の空気が一段と冷え込んだ。
ルーナは射殺すような視線で、かつての婚約者を睨みつける。
(……最低。本当に、この男は……!)
胸の奥で、警鐘が乱打されるような嫌な予感がじわりと広がっていく。ルディウスは獲物を追い詰める爬虫類のような赤目で、身を乗り出してきた。
「そんな目をしても無駄だぞ。はははは! ばかめ! 辺境を救うために父上を説得する? そんな奇跡を本気で信じていたのか!」
「……っ、何が言いたいの」
ルディウスはわざとらしく肩をすくめ、残酷な真実を突きつけた。
「セレスが説得できなければ、お前を愛妾として迎えろと言われているんだよ。スカーレット公爵家の膨大な金と後ろ盾……それさえあれば、俺の廃嫡は帳消しになる」
楽しげに語られる、人ひとりの人生を塵のように扱う打算。
「今のお前なら、喜んで迎えてやろう。王都に着いたら、朝までたっぷり可愛がってやる」
――ぶつり、と。
ルーナの中で、理性の糸が断ち切られた。
「あなた……最初からそれが目的で、私を一人で来させたのね……!!!!!」
怒りで声が震える。だが、ルディウスはそれを「悦び」として受け取った。
彼はゆっくりと立ち上がり、狭い車内でその距離を一気に詰めにかかる。
「離婚なんて簡単だろう? 俺が命じた結婚だ、俺の一言で終わる。愛のない結婚など未練もあるまい……なあ、ちょっとぐらい味見してもいいよな?」
ルーナはとっさに後ずさったが、すぐに馬車の硬い壁に背中を打ちつけた。逃げ場はない。
ルディウスの白く、冷たい手がゆっくりと伸びてくる。ひやり、と肌が粟立つ。その指先が頬に触れようとした――その時だった。
――ドンッ!!
天地がひっくり返るような衝撃が馬車を襲った。
「なっ!?」
外から御者の悲鳴と、馬の荒い嘶きが響き渡る。
直後。
――バァンッ!!
施錠されていたはずの扉が、外側から強引に、紙細工のように引き剥がされた。
吹き込んできた激しい夜風と共に、車内を支配していた汚濁を切り裂くような、凍てついた声が落ちる。
「……俺の妻に、その汚い手で触れるな」
凍てついた声。馬車の外には、月光を背に漆黒の外套を翻したギルバートが立っていた。
ルディウスの顔から、余裕の色が瞬時に消え失せる。
その声を聞いた瞬間、ルーナの心臓が大きく跳ねた。
「ギルバート様……!」
馬車の外に立っていたのは、月光を背に受け、漆黒の外套を翼のように翻したギルバートだった。
その背後には、抜剣した黒装束の精鋭騎士団。
夜の街道の温度が、一瞬で氷点下まで下がったかのような錯覚に陥る。
ルディウスの顔から、余裕の色が瞬時に消え失せた。
「ちっ……なぜお前がここにいる……! さすが死神と呼ばれるだけの事はある。領地の民のことなどどうでもいいのか! 戦争になっても構わないのか!」
ギルバートは答えない。ただ、深淵のような瞳でルディウスを射抜く。その圧倒的な圧だけで、王子は一歩後退り、座席に崩れ落ちた。
「ルーナ!こっちへこい!」
差し出された、大きくて温かな手。
ルーナは迷わず、その手を掴んだ。
ギルバートの腕に抱き寄せられ、馬車を降りた――その瞬間。
遠く、街道を囲む森の深奥から、大気を震わせる地鳴りのような咆哮が轟いた。
「――――グルァアアアアアッ!!」
「旦那様! 魔物です! それも……四方から、この数……!」
部下の報告と同時に、闇の中から無数の赤い眼が灯り始める。
異常な密度。そして、統率された動き。明らかに自然の摂理を超えた「何か」を感じさせる光景。
(……まさか、誰かに操られてる?)
風が、不気味な血の匂いを孕んでうねる。
「……来るぞ。全員、円陣を組め! 」
ギルバートの低い号令が、夜の戦場に鋭く響いた。
血と硝煙に彩られる、本当の戦いが、今幕を開ける。
――遡ること数時間。辺境領にて。
「行くぞ」
主の短い号令に、カイルは不敵に微笑んだ。
「このままみすみす逃すなんてことはないと思っていましたよ」
カイルから差し出された書類を、ギルバートは無言で受け取った。ギルバートはその書類を懐に収めると、鋭い眼光で前方に広がる闇を睨みつけた。
マキナが、調整を終えたばかりの特製「魔道具」をギルバートに差し出す。
「ほら、これ持っていきな。ボクの大切なお姫様を頼んだよ」
「わたくしも行きますわ!お父様とお母様に一言言ってやらないと気がすみません!」とセレスティアが身を乗り出し、シェロンも鼻息荒く続く。
「ボクも絶対に行く! 野菜パラダイス、まだ叶えてもらってないんだからな!」
そこへ、青い髪を揺らしてマリーナが飛び込んできた。
「待ってよ、私も連れてって! 絶対役に立つからさ!」
さらに、小さな二つの決意が響いた。
「父上! お願いします、俺も行かせてください!」
「絶対に邪魔しないから!」
アルスとエルナの必死な瞳を受け、ギルバートはその肩に手を置いた。
「わかった。全てが片付くまで後ろの方からついてこい。一緒に『おかあさま』を救い出そう」
その背を見送る演者たちの顔にも、並々ならぬ覚悟があった。
バンダルが深く頭を下げる。
「私たちはここでお待ちしております。必ず、プロデューサーを連れ戻してください」
「ギルバート様、お願いします」
アレンの言葉に、ギルバートは短く応えた。
「ああ」
あの日、あの時。間に合わなかった自分に後悔した。
二度目の後悔は、もうしない。
彼は決然と馬を走らせた。




