43. 聖女は嗤い、悪役令嬢は撃ち抜く
街道を埋め尽くす魔物の群れ。その禍々しい気配に、王国のエリートであるはずの近衛騎士団がたじろぎ、後退を始める。
「お、おい! 何をやっている! 俺を守れ!」
ルディウスが情けなく叫ぶ。無理もない。王国は聖女リリアの「光の壁」に守られ、人々は魔物の脅威を「壁の向こうの出来事」として忘れていたすのだ。実戦経験の乏しい彼らに――いや、長年「光の壁」に守られてきた王都騎士に、この地獄を止める術はない。
「怯むな! アレを使うぞ!」
ギルバートの鋭い号令が飛ぶ。
辺境領の騎士たちが一斉に、腰のホルダーから鈍い輝きを放つ「魔核メダル」を抜き放った。
「「「換装!!」」」
マキナが開発した新型魔道具『ルクシライザー』。メダルを装填した瞬間、銃身から騎士団たちの様々な魔力が溢れ出し、純粋な光の弾丸が魔物の群れを次々と屠っていく。
炎、水、風、雷の――それぞれの属性を帯びた魔力がルクシライザーの機構で増幅され、色とりどりの閃光となって夜闇を切り裂く。それはまるで、闇を払うために降り注ぐ「正義の雨」のようだった。
「な、なんだその武器は! 聞いてないぞ!」
腰を抜かしたルディウスが喚くが、ギルバートは剣を振り抜きながら冷たく言い放った。
「言ってないからな」
その時、一際大きな咆哮が森を震わせ、魔物の動きがピタリと止んだかと思うと、闇の中から一人の少女が姿を現した。
「ごきげんよう、皆様」
「リリア! どうしてここに!」
驚愕するルディウス。だが、リリアは聖女の微笑みを投げ捨て、狂気を孕んだ瞳で周囲を見渡した。
「そんなの決まってるでしょ。全部、ぶっ壊して私の理想の世界を作り上げるためよ。可愛いでしょう? この子達、私の言うことならなんでも聞いてくれるの」
「まさか……この襲撃もおまえが仕組んだのか」
ギルバートの問いに、リリアはくすくすと肩を揺らした。
「なによ。『1度目』の魔物は私じゃないわよ? あの時、弱かったあの人達が悪いんじゃない。」
その言葉が放たれた瞬間、街道の空気が凍りついた。
ギルバートの動きが、不自然なほどぴたりと止まる。
(1度目……あの人達……?)
脳裏をよぎるのは、血の海に沈んだかつての光景。救えなかった命。そして、自分を「死神」と呼んで蔑んできた王都の人々の顔。それを、この女は今、何でもないことのように嘲笑ったのか。
「……なぜ」
ギルバートの声は低く、地這うような響きを帯びていた。
彼はゆっくりと顔を上げ、リリアを射抜く。その瞳には、今まで見せたことのないような、暗く烈しい「怒り」の炎が渦巻いていた。
「……なぜ、そのことを知っている。お前が、……あの日、何があったかを知っているというのか!」
一歩、彼が踏み出すたびに、足元の草花が枯れ果てるほどの殺気が噴き出す。それはもはや騎士の怒りではなく、大切な過去を汚された「死神」の、魂の咆哮に近かった。
「答えろ!!!!!!」
「っ……!!」
地平を揺らすようなギルバートの咆哮に、リリアの肩がビクッと大きく跳ねた。
向けられたのは、ただの殺意ではない。触れれば魂まで凍りつくような死神の怒り。その圧倒的な圧に押され、彼女は一瞬、喉を鳴らして言葉を詰まらせる。
だが、リリアはすぐに引きつった笑いを顔に貼り付けた。恐怖を誤魔化すように、勝ち誇ったような甲高い声を張り上げる。
「ははは! 怖い顔しちゃって! 私はなーんでも知ってるの。この世界のこと、『シナリオ』のこと! あのルーナマリアに、魔法の才能なんて欠片もないってこともね」
リリアはルーナを嘲笑うと、今度は誘惑するようにギルバートへ、ねっとりとした視線を送った。
「ねぇ、ギルバート様。そんなに怒らないで。あなたが私と一緒に来るっていうなら、辺境領には手を出さないであげるわよ? あ、そうだ! 辺境領なんて辺鄙な場所、もう捨ててもいいわね。私があなたをこの国のトップにさせてあげる! こんなに顔がいいのだもの。この聖女である私が!あなたを『死神』なんて呼ばせない世界にしてあげるわ」
リリアは自信たっぷりに、あたかも自分がこの世界の唯一の救世主であるかのように振る舞った。
「あんな魔力なしの肥えた豚なんて……ねぇ? ……悪い話じゃないでしょ?」
その言葉が放たれた瞬間。
ギルバートの肩が、ピクリと動いた。
それは、彼の中に眠る「死神」が、かつてないほどの冷徹な殺意と共に目覚めた合図だった。彼にとって、ルーナマリアは自分を暗闇から引きずり出し、光を与えてくれた唯一無二の光。それを「肥えた豚」と侮辱した女を、彼はもはや人間とは見なしていなかった。
「シェロン!」
セレスティアの叫びに応じ、守護龍シェロンが元の巨大な姿へと戻り、蒼白の炎を吐き出す。しかし、リリアは顔色ひとつ変えない。
「ちょっと! 今大事な話をしてるのに。あら、あなたはじゃじゃ馬のお姫様ね? 私の魔物の方が強そうだけど。ふふ」
リリアが嘲笑いながら、周囲の魔物を愛でるように指先を動かす。それに対し、セレスティアは一歩も引かず、冷徹なまでの軽蔑を込めて言い放った。
「……あなたのような方を聖女として王室に迎えたことは、この国の、そしてエルバイン王族の汚点ですわ」
その凛とした言葉に、リリアの頬がピクリと引きつる。さらに追い打ちをかけるように、ギルバートが深淵のような眼差しでリリアを射抜いた。
「……お前のような、他人の価値を顔や金でしか測れぬ女に、何がわかる」
地を這うような低い声が、リリアの鼓膜を震わせる。ギルバートは一歩、また一歩と、死の気配を纏いながらリリアへと歩み寄った。
「ルーナは、素晴らしい女性だ。魔力がない? 才能がない? ……笑わせるな。彼女は、お前たちが『壁』に守られて忘れてしまった、生きるための強さと、他人を信じる温かさを誰よりも持っている」
ギルバートの脳裏に、慣れない土地で泥にまみれ、それでも笑いながら新しい魔道具を作り上げるルーナの姿が去来する。
「彼女はこの地の民に、ただの生存ではなく『希望』と『楽しみ』を与えた。俺を暗闇から引きずり出し、生きる意味を教えてくれたのは、他でもない彼女だ。お前のような薄っぺらなシナリオで動く女に、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいほどにな。
それに…はっ!俺の妻がお前に劣ると?
鏡でもよく見てみろ。」
徹底的に「女」として、そして「人間」として切り捨てられたリリアの顔が、怒りと屈辱で真っ赤に染まっていく。
「なっ……後悔しても知らないから! 私を選ばなかったこと、地獄の底で呪いなさい!」
「後悔するのはお前の方だ」
ギルバートは迷いなく剣を構え直し、リリアが放った魔物の群れへと踏み込んだ。
「なっ、なんなのその武器は! そんなのがあるなんて、ゲームの攻略情報には何もなかった! そんなおもちゃみたいなもので!」
リリアが狂ったように叫ぶ。その時、ギルバートの背後から、静かに、けれど確かな足取りでルーナマリアが一歩前に出た。
ギルバートの大きな背中の影から、月光の下へと姿を現した彼女の瞳は、これまでにないほど冷たく凍りついている。
「シナリオ……? おもちゃ? ……あなた、転生者なのね」
「……!! まさか、あなた……その姿は!」
リリアの顔から余裕が消え、戦慄が走る。ルーナはドレスの裾を軽く払い、リリアを真っ向から見据えた。
「ルーナマリアよ。今更気付いた? 悪役令嬢がなんで、なんて思ってるんでしょうけど」
「こ、こいつも転生者だったっていうの……!? そんな素振りは……なんで……? 私がヒロインなのに! 私だけの世界なのに!」
「何を言ってるの。今の状況からして、悪役はあなたじゃない?」
「う、うるさいうるさい!!!!」
リリアの叫びに呼応し、巨大な魔物の一撃がルーナを襲う。
「ルーナ!」
ギルバートが叫ぶが、ルーナは間一髪でその攻撃を跳ねるように回避した。
「そもそも、ヒロインってなに? ジャンル間違ってない? 私の思うヒロインは、あなたのように魔物に守られてるような弱いヒロインじゃないわ」
「はっ!あなただって逃げることしかできないくせに! ほら! もうこの世界からログアウトしなさいよ!」
乱戦の中に孤立したルーナに、次なる魔物の爪が迫る。ギルバートは群れを相手にしていて近づけない。
「ルーナ……!!!!!」
だが、彼女は怯むどころか不敵に微笑んだ。ふわりとドレスの裾をめくり上げると、太腿のホルスターに仕込んでいた専用のルクシライザーを抜き、最短距離で魔物の目に向けて引き金を引いた。
「なっ!!!!!!」
轟音と共に光弾が眼球を焼き、さらに眉間を貫く。唖然とするギルバートを余所に、ルーナは凛として銃口を構えた。
「ふふ、戦えないと思った? マキナお手製、私専用の特別仕様よ!」
「あぁぁああああ!!!!」
発狂するリリアの腕で、黒い魔力を放つブレスレットが暴走を始める。さらに膨れ上がる魔物の数に、騎士たちが負傷し始めたその時。
「私に任せて!」
マリーナが叫び、戦場に人魚の歌を響かせた。
その癒やしの魔力が、みるみるうちに騎士たちの傷を塞いでいく。
「なに、何よあの女…!!!!!」
絶え間なく溢れ出す魔物の波に、リリアが苛立ちを募らせる。だが、その絶望の淵で、一人の少年が咆哮を上げた。
「俺はもう! あの日、父様と母様を守れなかった俺じゃない!!!!」
アルスが叫び、剣を天に掲げる。その場所は、かつて魔物の大群に襲われ、彼が本当の両親を失った忌まわしき街道。そして――あの日、今より少し若かったギルバートが、己の命を削り、死神と揶揄されながらも彼らを救い上げてくれた、運命の場所でもあった。
アルスが全力で剣を振るうと、紅蓮の炎が奔流となって放たれ、一列の魔物を塵も残さず焼き尽くした。かつての「守られるだけの子供」が、今は父と同じ背中で戦場に立っている。
そしてエルナもまた、あどけない手に力を込め、マキナから贈られた可愛いステッキを強く握りしめた。
「私だって!!! 私だって戦える!」
「なんなのよなんなのよ! そんなおもちゃで何ができるって言うのよ!!! 消えなさい!!!!」
リリアの嘲笑が夜の森に響く。だが、その傲慢な声を、エルナの清らかな叫びが真っ向から打ち消した。
「ミラクル・ローリング・スター!」
エルナがステッキを振りかざすと、愛らしい星型の光が爆発的に広がり、世界を白銀に染め上げた。それはどす黒い怨念を浄化し、全ての魔物を光の中へと還していく。暗く沈んでいた魔の森に、かつての悲劇をなぞるのではなく、未来へと続く真っ直ぐな「光の道」が切り拓かれた。
「ひかり……まほう?」
静まり返った戦場で、一同がその輝きに目を奪われていた。
――だが、その光を、憎悪に歪んだ瞳が睨みつけていた。




