37. 夏全開!青い海と謎の少女
「海だーーーー!!!!!!! すごい、白い砂浜! 透き通った波! 思った以上に綺麗……!!」
一週間後。馬車から降りた瞬間、視界いっぱいに広がる鮮烈な青に、ルーナは叫んでいた。
「おかあさま、おかあさま! カニさんがいます!」
「あ、本当だ。エルナ、挟まれないように気をつけてね」
「貝背負ってるやつもいるぞ! 待てー!」
波打ち際へと走り出すアルスとエルナ。その後ろを、カイルが重そうな荷物を抱えて追いかける。
「賑やかですねぇ。よし、まずは拠点を決めましょう」
カイルは手際よく、昨日購入しておいた大きなレジャーシートを広げ、料理長特製の豪華なお弁当をテキパキと並べていく。
「ギルバート様、僕たちまで誘ってくれてありがとうございます」
「海なんて久し振りだ! テンション上がるなぁ!」
アレンとリオンも、潮風を浴びて清々しい表情を見せている。
「あれ、リオンとアレンは海経験者なの?」
「はい。夏になるとシスターが連れて来てくれました。もっとも、浅瀬で遊ぶ程度でしたけど」
「そうなんだ」
(元保育士だから分かる。……やんちゃな男の子たちを連れての海なんて、シスター、相当大変だっただろうな……)
かつての自分とシスターの姿を重ね、ルーナは遠い目でアレンたちの元気な姿を見つめた。
ふと、今日ここに来られなかったメンバーを思い出す。他の演者さんたちは「たまの休みは家族でゆっくりしたい」「買い物に行きたい」とのことで、それぞれ思い思いの休暇を過ごしている。そしてシオンさんはといえば、「ミラクルステラの新しい劇中歌を書き上げたいから」と、邸で作曲に没頭中だ。
(シオンさん、相変わらずストイックなんだから……。でも、いい曲になりそう。戻ったら聞かせてもらうのが楽しみだな!)
そんな風にプロデューサーとして仲間のことを考えつつも、今は目の前の絶景に浸ることにした。
「綺麗……」
セレスティアがうっとりと海を眺めていると、その影からシェロンが勢いよく飛び出した。
「うわー! 最高! ちょっと上から見てくる!」
「あ、シェロン! あまり遠くに行っちゃダメよ!」
(……と、こうして盛り上がってはいるけれど。昨日の夜、私は心に誓ったのだ)
ルーナは砂浜の端で、ぎゅっと手を組み、深刻な顔で考え込む。
(いや、ギルバート様、距離感バグってない!?)
今更、本当に今更ながらの気づきである。
何かと触れてくるのは心臓に悪い。あの時のキスは私があまりにワンワン泣くから黙らせるための応急処置だったと思うし、あの時の指先へのキスだって、ただの……ただの丁寧すぎるお礼のはず……!
(……って、そんなわけあるかーい! まさか、私のことがす……いやいやいや、ありえないから!)
そもそも、初めて会った時に「愛するつもりはない」ってあんなにハッキリ断言してたじゃない。
あれはきっと、新しいおもちゃを見つけたような感覚っていうか……私の反応を見て、からかって遊んでるんだわ。絶対そうだ!
(そうよ、あれは猫がネズミを弄ぶような、強者の余裕に違いないんだから……!)
レストランでのモヤモヤも、きっと彼の術中にはまっている証拠だ。
(こうなったら徹底的に……避けてやる! ギルバート様のペースに巻き込まれないように、プロデューサーとしての威厳を保つんだから!)
鼻息荒く「完全回避」を宣言したものの、ふと我に返って周囲を見渡すと、せっかくの絶景なのに、一般の利用客もまばらで閑散としている。
「あれ、海の家は? 海鮮市場は? イカ焼きの匂いは!?」
「何も手をつけていないと言わなかったか。一応、あそこに素朴な更衣室がある程度だ」
背後からギルバートの声が降ってくる。
「もったいなーーーーい! ここも早めに観光地として盛り上げたいな〜」
「お前は暇さえあればすぐ仕事のことを……。今日は休めと言っただろう」
パシャッ。
「?」
(あれ、なんか今、視線を感じたような……。それに、大きな魚が跳ねたような音……)
周囲を見渡すが、見えるのは白い波頭が岩に当たって砕ける様子だけ。
「……気のせいか。波の音かな」
ルーナは気を取り直して、着替えの入ったバッグを掴んだ。
「さて、あそこの更衣室で水着に着替えましょうか!」
更衣室から出てきたルーナを、真っ先に迎えたのは子供たちの歓声だった。
「おかあさま! 可愛い!」
「ルーナ、あなたいつもへんてこりんな服を着ていましたけど、出るところは出ていますのね」
エルナが目を輝かせ、セレスティアがどこか感心したようにルーナを眺める。
「ありがとう! 二人とも、とっっても可愛い! アルスも、その水着すごく似合ってるよ!」
「へへっ、だろ?」
ルーナもまた、可愛らしく着飾った子供たちを抱きしめて笑う。その背後では、水着姿のルーナを直視できなくなったアレンとリオンが、顔を真っ赤にして視線を泳がせていた。
が、その和やかな空気は、光の速さで詰め寄ってきたギルバートによって切り裂かれる。
「ルーナ。なぜ上着と、下を覆うものを着ていない」
「え、もう着なきゃいけないの!? まだ海にも入ってないんだけど!」
「当たり前だろう! なんのために買ったと思って……ブツブツ」
ギルバートは恐ろしい手際でラッシュガードを羽織らせ、「ほら」とパレオを手渡してきた。有無を言わせぬ圧力に押され、ルーナは大人しく自分でパレオを巻きつける。
(……あ、そうだ! 昨日の決意を忘れるところだった!)
ここでルーナはハッと思い出し、ギルバートから距離を取るように飛び退いた。
「で、ではギルバート様! 私は子供たちと遊んできますから~! ほらいこ、みんな!」
「うん!」
明らかに不審な動きで、逃げるように砂浜を駆けていくルーナ。
それを見送るギルバートが腕を組んだ隣で、セレスティアがジト目を向けた。
「……ギルバート様」
海風に揺れる赤い髪を眩しそうに見つめる彼に、セレスティアが隣から静かに、けれど逃げ場のない声をかけた。
「なんですか」
視線はルーナから外さないまま、ギルバートが短く応じる。その横顔は、普段の冷徹な仮面がわずかに緩み、独占欲と慈しみが混ざり合った、無防備なものだった。
「あんまりルーナで遊んでいると、そのうち痛い目を見ますわよ。……彼女、ああ見えて一度思い込んだら一直線ですから」
セレスティアは、砂浜を不自然なほど全力で逃げていくルーナを見やり、呆れたように、けれどどこか忠告するように目を細めた。
「……」
ギルバートは答えなかった。ただ、わずかに眉間に皺を寄せ、組んでいた腕に力がこもる。否定も肯定もしないその沈黙は、彼自身が自分の「拗らせ」を自覚している証拠でもあった。
「はぁ……。最強の騎士様が、恋の駆け引きだけは初陣以下の新兵さんですわね。だいぶ拗らせてますわ」
セレスティアはそれ以上追及せず、パッと明るい表情を作ると、裾をまくり上げて駆け出した。
「ルーナー! わたくしも入れてくださいまし!」
呆れたように溜息をつくと、セレスティアもルーナたちを追いかけていった。
ふとレジャーシートの方を見れば、激務明けのカイルが早くも爆睡している。アレンとリオンは照れ隠しか、ビーチボールで熱い戦いを繰り広げ始めた。
波打ち際で、無邪気に子供たちとはしゃぐルーナ。
そんな光景を眩しそうに見つめるギルバートの瞳が、ふと切なげに細まった。
「……分かっている。そんなこと、一番俺が分かっているんだ」
吐き捨てるような独り言は、波の音にかき消されて誰にも届かない。
一方、その頃。
「う~み~はひろい~な~、おおきい~な~」
シェロンは愛らしいモチモチの姿で、海面から上がる細かな水しぶきを浴びながら、気持ちよさそうに空を散歩していた。
「ん?」
ふと岩陰に目をやると、そこには波に洗われるようにもたれかかっている一人の少女の姿があった。
「た、大変だ! 溺れてるのか!?」
シェロンはすかさず元の巨大な龍の姿に戻ると、鼻先で器用に少女をすくい上げた。
その少女は、見たこともないような不思議な光沢を持つ衣を纏い、ぐったりと目を閉じている。
「なんだぁ? 人間だよな……? まあいいや、死んじまったら大変だ!」
シェロンは彼女を背中に乗せると、ルーナたちのいる砂浜へと急いだ。
「ルーナ! 大変だー! 倒れてる子がいたぞー!」
空から降ってきたシェロンの叫び声に、波打ち際で遊んでいた一同が顔を上げる。
「ええっ!? シェロン、その子は……!?」
ルーナが慌てて駆け寄ると、シェロンの背中から砂浜へと降ろされたのは、濡れて砂に伏した、透き通るような肌の少女だった。
肩の上でくるくると跳ねる、鮮やかな青い髪。その神秘的な色彩は、先ほどまでの穏やかな海の青よりも、ずっと深い。
波音だけが響く静かな入り江で、物語は予想もしない方向へと動き出す。




