36. 鉄壁の水着審査と、乙女のモヤつく心
城下町へ到着した馬車の扉が開くと、ギルバートが先に降り、当然のように手を差し伸べた。
(……え、エスコート!?)
初めて差し出されたその手に、ルーナは心臓の鼓動が跳ねるのを感じた。恐る恐るその大きな手に指を重ねる。普段の「プロデューサー」としての顔はどこへやら、一人の女性としてエスコートされる状況に、足元がふわふわと浮き立つような緊張感に包まれた。
辺境領の市場は、かつての静けさが嘘のように活気付いていた。石畳が午後の陽光を照り返し、新しい漆喰の白壁には色とりどりの看板が掲げられている。
「わー!!!! すごい! いつの間にこんなにお店が! このカフェ素敵〜! あ、お花屋さんもある!」
ルーナは視線をあちこちに飛ばしながら、弾むように歩く。その隣では、黒い外套を纏ったギルバートが、周囲を護衛するように静かに付き従っていた。今日のギルバートは、正装ではないシンプルな衣服に身を包み、腰には一振りの剣を下げていた。それでも隠しきれない騎士としての体躯と端正な顔立ちは、市場でも異彩を放っている。すれ違う女性たちが思わず頬を染めて振り返るが、当の本人は隣を歩く妻以外、一切視界に入れていない。
一方で、ルーナもまた、市場の男たちから熱烈な視線を浴びていることには全く気づいていなかった。瞳を輝かせ、楽しげに笑う彼女の眩しさに、多くの者が目を奪われている。それを察知するたび、ギルバートの周囲には「近寄るな」と言わんばかりの冷気が漂い始めていた。
「ここはなんだろ……」
ふらりと入った店には、繊細な音色が満ちていた。
「あ、オルゴール! この曲……スターレンジャーのシオンさんの曲じゃない!」
「そうなんですよ。専属契約しましてね」
店主が誇らしげに髭を撫でる。
「おかげさまで売り上げは好調です。他にも彼が作曲した曲がありますので、ぜひ」
「はい!」
ルーナは目をキラキラと輝かせ、店内の装飾を見て回る。棚に並ぶ細工物に外からの光が反射し、万華鏡のように店内に光の粒を散らしていた。
「綺麗……」
「そうだな」
呟いたギルバートの視線は、オルゴールではなく、光の中に佇むルーナに釘付けになっていた。
ルーナがスターレンジャーの曲が入ったオルゴールを手に取ると、横から大きな手がひょいっとそれを持ち上げる。
「店主、これをくれ。あとこれと、これもだ」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
素早く箱に入れられ、鮮やかなリボンがかけられる。
「ギルバート様……その、ありがとうございます」
「ふっ、どういたしまして。この二つはエルナとアルスへの土産にしよう。二人とも、ついて行くとあれほどごねていたからな」
(私は別によかったんだけど、なぜかマーサが必死に『ここはお二人で!』って止めてたな……)
店を出ると、いよいよメインの目的地である洋服屋へ向かった。
ここは、かつて王都で騎士団の制服を仕立ててくれた老紳士の息子夫婦が営む店だ。店内は深い木目調の家具で統一され、洗練された既製品の他にも、ルーナのプロデュースした「スターレンジャー」の衣装がショーウィンドウを飾っている。いつかここに、ミラクルステラの衣装も並ぶ日が来るのだろう。
「ルーナマリア様! ギルバート様ですね! いつもお世話になっております、どうぞこちらへ!」
個室に案内されると、ギルバートがルーナの全身を値踏みするように眺め、不意に言った。
「そうだルーナ。ドレスを買ってやる。お前はいつも、その乗馬服のような服ばかりだろう」
「え!? 動きやすいしこれで十分ですよ! 畑にも出ますし、ドレスなんて着る機会が……」
「問答無用だ。お前の意見は聞いていない。店主、この女に似合うものを片っ端から持ってこい」
ギルバートは有無を言わせぬ低い声で命じ、当然のように一番良い椅子に腰を下ろした。
「ギ、ギルバート様……! 勝手に決めないでください!」
「黙って着ればいい。それとも、俺に無理やり着せられたいのか?」
「う……はい。着ます、着ればいいんでしょ!」
その逆らえない圧力に、私は結局折れるしかなかった。
久しぶりに袖を通したドレスは、やはり物理的な重みがあった。けれど、自身が常に斬新なデザインを提案してきたこともあり、ここのドレスはどれも洗練されていて、不思議と嫌悪感なく着こなすことができた。鏡に映るのは、艶やかな漆黒の生地に細やかな銀糸の刺繍が施された、まるで夜空のような色のドレス。その深い色合いが、ルーナの鮮やかな赤髪をより一層美しく引き立てていた。
「まあ、なんて素晴らしい……! とてもお似合いです、奥様!」
「そ、そうですか? ありがとうございます……」
面と向かって褒められ、ルーナは照れくさそうに頬を掻いた。
「やはり、ドレスも似合うな。……これはこのまま着ていこう」
ギルバートの満足げな言葉に、ルーナの頬が赤らむ。
その後の買い物は凄まじかった。ギルバートは小物やアクセサリーに至るまで、迷うことなく次々と購入していく。
「ギルバート様! 買いすぎですって! 劇場も再建中だし、壁の修繕にもお金がかかるんですよ!」
「俺がそんなに甲斐性なしに見えるか? 大丈夫だ。元を言えば、これらはほとんどお前が稼いだ金だろう」
「うぅ〜……でも……」
ギルバートは、困り顔のルーナを優しく見つめ、その細い指に触れた。指先にキスを落とす。
「今までの礼だと思って受け取ってくれ」
「っ……!」
ルーナは息を呑み、あまりの衝撃に指先を震わせた。指先に触れた彼の唇の熱が、まるで魔法のように全身へ広がっていく。心臓の音が耳元まで届きそうなほどに激しく打ち鳴らされ、あまりの気恥ずかしさに視線を泳がせた。
(な、なになに!? 今のなに!? )
ギルバートの深い眼差しに射抜かれ、ルーナは顔を真っ赤にして固まることしかできない。その理由が、自分が今も髪に結んでいる「銀色のリボン」にあるとは、夢にも思わずに。
ギルバートは知っている。自分が初めて贈った、あの安物の銀色のリボンを、ルーナが今でも大切に使い続けていることを。
(……なんでこんなに、可愛いんだろうな)
……その後、本来の目的である水着選びになった途端、彼の態度は一変した。
「ご試着されますか?」
女性店員に提案され、ルーナは二つ返事で頷いた。この世界でも「試着用下着」の概念があることに感心しながら、カーテンの向こうへ消える。
数分後。
カーテンの奥から、なかなか出てこないルーナの戸惑うような気配が伝わってきた。
「……あの、ギルバート様。やっぱり、出るのやめてもいいですか?」
「どうした。サイズが合わなかったか?」
「いえ、そうじゃなくて……。うぅ……見せなきゃダメですか? 思ったより、その、布が少なくて……恥ずかしい……」
カーテン越しに聞こえる、消え入りそうなモジモジとした声。その初々しい躊躇いが、外で待つギルバートの忍耐をじりじりと削っていく。
「……構わん。見せろ」
「……もう、知りませんよ!」
意を決したルーナがカーテンを細く開け、おずおずと姿を現すと、そこには「絶景」が広がっていた。だが。
「却下だ」
「~~~~~~!!! もう! 結局却下じゃないですか!」
そのあと、このやり取りを三着もした。
「そんな露出が激しいもの、許可できるわけないだろう。他に見せたい奴でもいるのか? ん? ……ああ、アレンか」
ギルバートが音もなく背後に回り込み、逃がさないように肩を抱くと、熱い吐息を孕んだ低い声でルーナの耳元に唇を寄せた。
「な、なんでアレン…ヒェ!……耳を食べるなー!!!」
真っ赤になって片方の耳を両手で塞いで防御するルーナを見て、ギルバートの口角がわずかに上がる。
「ルーナ、知ってたか? 耳はもう一つある」
「わー!!!!!!」
空いている方の耳も狙いに定めた彼の言葉に、ルーナはすかさず両耳を必死に押さえて防御し、絶叫して身をよじった。
そんな余裕のない彼女の反応がよほど面白かったのか、ギルバートは声を殺して低く笑った。普段の冷徹な仮面が剥がれ落ちたような、いたずらが成功した子供のような愉しげな笑み。
そして叫んだ直後、ルーナは見てしまった。
少し離れた場所で、女性従業員たちが頬を赤らめ、口元を押さえながら、こちらを「見てはいけないものを見てしまった」という顔で見守っているのを。
(……わあああああ!! 見られてた! 従業員さんたちにバッチリ見られてたー!!)
あまりの恥ずかしさに、ルーナの顔が茹でダコのように更に赤く染まる。
結局、ギルバートの鉄壁の防衛線を突破することはできず、上から長めのラッシュガードのような上着とパレオを着用することで、ようやく妥協案が成立した。
その後、雑貨店で浮き輪やビーチボール、そして釣り道具を買い込み、膨大な量の荷物をギルバートが一つずつ丁寧に、かつ手際よく馬車へと積み込んでいく。
「夕飯には早いが、何か食べて帰るか」
連れられたのは、あの日王都で寄った大衆酒場ではない。今着ているドレスに相応しい、洗練されたオシャレなレストランだった。
(こんな場所があるなんて。……ていうか、なんか慣れてるし。この人エスコートうますぎない? ご経験豊富なのかしら)
そう思うと、胸の奥がチリリと焼けるようにモヤつく。
(誰かと来たことがあるのかな。ギルって本当にビジュアルいいもんなぁ。元カノとか……いるよね、そりゃあ)
「ルーナ?」
ハッとする。「は、はい!」
「どうした、注文しないのか?」
「あ! しますします! これと、これと……」
(だめだ、考えはじめると止まらない。そういえば
私ってギルバート様のこと、何も知らないんだな…)
結局、味も分からないままの帰り道。贈り物でいっぱいになった馬車の中で、ルーナはぼーっと外の景色を眺めていた。
「疲れたか?」
「は、はい」
「ほら、肩を貸してやる。少し休め」
ギルバートの肩に頭を預けながら、ルーナは心地よい揺れに身を任せた。けれど、その心はまだ、レストランでの彼の完璧な所作に囚われたままだった。




