ギルバートside: 氷の花が溶ける音
市場の喧騒の中、俺は一歩引いた場所で護衛として立っていた。目の前では、エプロンをなびかせて領民と笑い合うルーナマリアと、見違えるほど表情が豊かになったアルスとエルナの姿があった。
……信じがたい光景だ。
最初はただの貴族令嬢だと思っていた。
王都での噂によれば、金遣いが荒く傲慢。誰に靡くこともなく冷淡で、その美貌の裏に血も涙も通わぬ心を持つ『大輪の氷の花』。
王家との契約でこの辺境へ送られてきた時、俺は確信していた。
王都の緩い生活に慣れた公爵令嬢だ、俺と、そしてこの辺境の凄惨な現状を見るなり、すぐに泣き言を言って逃げ帰るだろうと。
今までも、金の力で名声を得ようとした家から何人か令嬢が来たが、一週間と持たなかった。
コイツも、同じだろうと。
だが。
最初から、何もかもが違っていた。
初めて出会ったあの時、彼女の瞳は俺を真っ直ぐに射抜いた。
多くの者が目を背ける俺の傷跡や威圧感に、怯えも、媚びもなく。
それどころか、まるで「伝説の英雄」でも見つけたかのような、妙に熱を帯びた輝きを湛えていた。
たまに奇妙な……いや、奇抜な言葉を発し、とんでもない発想で俺たちを驚かせる。
泥だらけになって土を耕したかと思えば、既存の料理の概念を覆すような「魔道具」のような菓子を作り出す。
何より驚くべきは、あの双子の変化だ。
俺が近づくだけで凍りついていたアルスとエルナが、今は彼女の隣で、年相応の子供らしい声を上げて笑っている。エルナは彼女の膝に顔を埋め、アルスはぶっきらぼうながらも、彼女が差し出す「試作」と称した得体の知れない菓子を、信頼しきった様子で口に運んでいる。
俺が一生をかけても埋められなかった溝を、彼女はたった数ヶ月で、陽だまりのような明るさで埋めてしまった。
「……」
ふと気づけば、俺は彼女の動きを目で追っている。
今日もまた、何やら怪しげな決めポーズをして子どもたちを笑わせているようだ。あの不屈の精神。あの底抜けの明るさ。
ルーナマリア。お前は本当に、あの『氷の令嬢』なのか?
それに――。
ほんの数ヶ月で、彼女の体つきもかなり変わった。
出会った頃も美しいとは思っていたが、訓練場から毎朝走り込みをしているのを偶然見かけるたび、その引き締まっていく肢体に目を奪われる。
毎日、動きやすさを重視してか乗馬服のような服を着ているが、その曲線は以前よりもずっと……。
(……いや、俺は何を考えているんだ)
俺は無意識に湧き上がった雑念を振り払うように、片手で顔を覆った。指の間から見える彼女の笑顔が、眩しすぎて直視できない。
だめだ。何も考えるな。
俺はこれからも一人で、この呪われた辺境を支えていかなければならない。守るべきものが増えることは、それだけ弱点が増えることと同義だ。余計な感情は、とうの昔にこの乾いた土の下に埋めてきたはずだろう。
「……面白い女だ」
無意識に零れた独り言に、俺自身が一番驚いた。
逃げ帰るのを待っていたはずの自分が、今は彼女が次に何をしでかすのかを、どこかで期待してしまっている。
俺の「秩序」は、あの紅き流星によって、とっくに書き換えられ始めているのかもしれない。




