最終話 風の忍び達
集会所の中に入ると白い隠し頭巾を被った男が一人座っていた。
家康は、なんとも言えぬ不思議な感覚に襲われた。
(俺はこの男を知っている…)
既視感にも似た感覚を持ちながら、家康は上座の席に案内され着座した。
「我らは三河守様が安全にこの伊賀を横断していけるよう、お手伝いさせていただきます。先程申し述べた通り、我らは神仙の山の守り人ですが、先の伊賀の乱において主家を失った百地党の一部を受け入れております。もちろんこの者達に三河様方への怨嗟の念などありませんのでご安心を。」
「そうかそうか。伊賀の乱は難儀であったろう。あのような残虐な仕打ちを受ければ、民の織田軍、それに組する者への恨みの感情あって当たり前だろうな」
家康はしみじみと言った。
「この里は織田信長様から直接安堵を約束されておりました。故に織田様に恨みの気持ちなど全くありません。そして、願わくば、三河様が将来天下人になられた暁には、信長様同様、今回の協力を元に、この里の安堵をお願いできないでしょうか。」
「ふははは、お主何を言っておる。信長様が横死されたとの噂は聞いておるが、儂が天下人などとは恐れ多い話だわ“!」
家康は野望などおくびにも出さず、三太夫が言ったことを一蹴した。
「そうですか。それは時の流れにて人知の及ばざる領域でもありますれば、今はお忘れください。」
三太夫がそう言うと、家康も含みのある笑みを湛えながら、
「まぁ、この窮地を無事脱することができたなら、お主らの協力には何らかの形で報いるようにいたそう」
といって話は終わった。
やがてささやかながら里の精一杯のもてなしが出された。
給仕をしていた三太夫に家康が聞く。
「あそこの頭巾を被っている御仁はどなたかな?」
「あぁ、あれなるは私と共にこの里を作り上げた大人でございます。顔に大きな火傷があり、お見苦しい姿を見せたくないと、あのような姿で失礼しておるのです。」
家康はどうにも引っかかっていた。
「あの者と話できるか?」
「さて、あまり人と話したがらない者ですので、ご遠慮したいと言うのではないかと。」
「さようか」
やがて宴は終わり、三河衆は大広間で雑魚寝する形となった。
夜中、家康は尿意をもよおし起き上がる。
「誰か厠へ案内せい。」
そう言うと、ゴエモンが進み出て、「こちらへ」と案内する。
家康の近習も付いてくる。
厠で用を足し戻ろうとした時、少し先の広場に先程の頭巾の男が月明りに照らされ立っていた。
家康は引き付けられるようにそちらへ歩を進めた。
「お主は先程の...」
そう言いかける家康に、男はゆっくり振り返り頭巾を取った。
家康は驚愕し、なかなか言葉が出ない。
「・・・う、上様」
やっとそれだけを吐き出した。
「三河殿。儂にここで遭うたのは、お主の心の中だけの秘め事としてくだされ。」
「そ、そんな。上様が生きておられるなら、我らと一緒にここを脱し、兵をまとめて明智を討ち平らげましょうぞ」
「いやいや、儂はこのまま死んだものとして扱ってくれ。織田信長のこの世での役割は終わったのだ。これからは三河殿や残った者達がどのような国を作っていくのか、この山中から見物させてもらうわ。」
今までの信長が見せたことない柔和な笑みを湛えている。
「しかし、何故このような山奥に…」
「ここは儂の第二の故郷という所でな。余生はここでと前から決めておったのよ。」
「さようでございましたか…」
家康には理解が出来なかった。
信長が伊賀と繋がりがあるという話は聞いたことがなく、更には、自身が健在であるにも関わらず、これまで積み上げてきた物を全て捨て去り隠遁の道に入ることを。
「三河殿の伊賀越えは、この里の忍び共とその人脈にて必ず成し遂げさせるゆえ、今後もこの里については不可侵として取り扱っていただきたい。」
「それがしが伊賀を領有することがあるかはわかりませんが、ここが安全に過ごせる場所であり続けるよう、陰ながらご協力させていただきます。」
この夜約束したことは、後に現実のものとなる。
家康が天下人になった際、この伊賀越えにおいて家康に協力した村の年貢などが免除された記録が残っている。
翌日、家康一行は百地郷から落ち延びた百地丹波らの忍びに護衛され、里を後にした。
丹波は各地に潜んでいる藤林らの残党に話をつけながら進み、無事家康ら一行を落ち延びさせた。
家康一行を見送った三太夫がポツリと聞いた。
「これからどうするのだ、ショウ?」
「そうだな~、しばらくゆっくりするさ。」
「お主のことだ。こんな山奥にじっとしてられまい。」
「その時は天海とでも名乗って家康の元へ行くわ。」
「それがお主には合っているな。」
二人は声を上げて笑った。
そこに元気な赤子の泣き声が響いた。
一人が泣くとつられてもう一人も泣いた。
アヤカと朧の子だ。
「ほら、じいじを呼んでおるぞ」
「爺はお主も一緒だろ」
互いに微笑みあい、ショウと三太夫は泣き声のする方へ歩き出した。
アヤカと朧は京ではなく平成の里での里帰り出産を選んだ。
蛍が二人の子を取り上げた。
すっかり一人前の産婆になっていた。
ゴエモンの子は男の子で、龍樹と名付けられた。
隼人の子は女の子で、楓と名付けられた。
ゴエモンとアヤカは風結庵を継続することにしている。落ち着いたら蛍と京に帰る。
今はキュウサクとケンタが風結庵の留守を守っている。二人とももう一人前と言っていい腕前だった。
サイゾウとオユキはひよりを連れて里へ帰ってきた。ひよりも里で暮らすことを望んだ。
「俺たちは田舎の方が性に合ってるよ」
サイゾウはそう言っていたが、ゲンさんが亡くなり、マサやシホなど歳の近い者がいなくなった三太夫を心配してのことだろう。
セイヤとオキョウも里へ戻った。
他に平成の里には百地郷を失った丹波とミツ、左輔、千草が加わった。それにつれ、京都の伊勢屋からは定期的に玄十や弥太郎、朱音、霞などの旧百地忍びが訪れる。
丹波は平成の里に来て正式に隠居し、残存した百地党の頭領は左輔ということになった。
ただ、土地も俸禄も無くなった頭領であるから、名目だけである。
京のサイゾウの住んでいた家にはタイガとケイゴが入った。
タイガはゴエモンに代わり救民所の管理をしていたが、伊賀の乱から1年が過ぎ、救民所はだんだんとその役割を終えつつあった。
救民所の仕事が一段落したらタイガも平成の里へ帰るらしい。
ケイゴは調理師の腕を発揮し、京で食事処を開こうと計画している。
リンは14になり子供組を卒業し、京に残った。
ケイゴから料理を教わりつつ、風結庵の事務仕事を任されている。
隼人も伊勢屋から出て呉服屋を始める予定だが、朧と子供が戻るまでは、もうしばらく伊勢屋にやっかいになるつもりだ。
左輔と右近は気ままに京都と平成の里を行き来していた。
平成の里が一望できる小高い丘に三太夫、サイゾウ、ゴエモンが佇んでいる。
「新しい平成の里の形ができてきましたね。」
ゴエモンが三太夫に言う。
隣にいるサイゾウも頷く。
「これからは里の存続をかけた危機は起こらないだろうが、俺たちは未来を知る者としてこれからも歴史上何か担わなければならない可能性はある。そのためにもお前たち京都組と連携してこの国の行く末を見定めていかなければならない。頼りにしてるぞ。」
そう言って微笑む三太夫もめっきり歳をとった感じがする。
「はい。僕らは歴史があるべき形で進んでいくか、監視するために落ちてきているのかもしれませんね。」
ゴエモンがそう言った時、背後から恐る恐る呼びかける声がした。
「あ、あの~、ここはどこですか?雷に打たれた後、道に迷っちゃったみたいで...」
ゴエモンとサイゾウは振り向き答える。
「戦国の世へようこそ!」
完
ゴエモンを中心とした平成の里の物語が無事完結いたしました。
歴史好きが高じて、いつかこうした作品を書いてみたいと思った夢が叶いました。
ここまで読んでいただいたみなさんに心から感謝申し上げます。
歴史小説は結果が決まっているお話です。
なので、作品の個性はそのプロセス部分でしか出せないのですが、タイムスリップというファンタジーを取り入れたことで面白い解釈が可能になりました。
純然たる歴史小説ではありませんが、歴史小説をあまり読まれない方のきっかけになったなら嬉しく思います。
本編はこれで終わりですが、明日エピローグを1話追加してますので、そちらもご覧いただけると幸いです




