第85話 伊賀の乱その後
第二次天正伊賀の乱終結から約10カ月が過ぎた天正十年六月二十一日未明。
織田信長は地響きのような馬蹄の音と具足が擦れ合う音で目が覚めた。
同時に森蘭丸が注進に駆け込んでくる。
「上様、敵襲でございます!」
信長は内心思っていた。
(やはり歴史は変わらんな…)
「敵は、明智か?」
「ハッ!旗指物からして間違いないかと」
「…是非に及ばず」
本能寺には二百ほどの守兵しかいない。
対する明智勢は一万三千とも言われる。
映画のように夜着のまま乱戦に臨むなど、むざむざ殺されに行くようなものである。
「お蘭、儂は奥で腹を召す。お主は直ぐに寺に火をかけ、明智が軍勢寺内に入れないようにいたせ。我が首奪わせるでないぞ。」
そう言うと信長は障子を閉め、奥の間へと消えていった。
それを見届けると蘭丸は、他の小姓や近習に命じ寺に火をかけるよう命じた。
寺の僧らには脱出するよう言って歩く。
庭には明智勢が乱入してきていた。
やがて寺の各所で火の手が上がる。
信長は臥所の上に座り瞑目していた。
頭によぎるのは何だったのか。
志半ばで潰える天下布武の夢の行く末か。
これまで成し遂げてきた栄光の日々か。
敵の喚声と、銃声、剣戟の音が近づいてくる。
炎の熱気、煙の臭いが立ち込める。
その時、信長の据わる臥所の横の畳がゆっくり持ち上がり、一人の男がはい出てきて膝をついた。
「長きに渡る織田信長としての御勤めご苦労様でした。お迎えに上がりました、今宮翔平殿。」
声の主はゴエモンだった。
「大儀。俺の役割もこれで終わりだ。」
そう言うと信長はショウに戻り、
「最後に敦盛舞った方がいいか?」
と茶目っ気のある瞳でゴエモンに笑いかける。
「それは今度ゆっくり見せてください。」
ゴエモンも苦笑いしながら答えると、すぐ真顔に戻り、「先を急ぎましょう。」と信長を誘い軒下へ消えていった。
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二日後、徳川家康は窮地に立っていた。
信長の招きで堺見物に赴いていた家康は、信長の本能寺での横死を聞かされ、敵中に孤立した状態からの脱出方法を考えていた。
一時は進退極り、信長を追って自害するとまで言ったが、家臣らが諫めた。
そして下した決断は伊賀越えだった。
伊賀の地は先年の織田軍による撫で斬りにより、織田やそれに組する徳川などに対する怨嗟の念が強い。
それでも、取り得る手段で一番生存率が高いと思われたのが伊賀越えだった。
徳川の家臣団の中に服部半蔵正成がいたのも大きいが、この服部は伊賀三大上忍の家ではなく、随分前に徳川家に臣従している。
伊賀の者達を説き伏せられるかは賭けであった。
はじめ家康と同行していた穴山梅雪は、途中から家康と別行動をとったことで、山中襲われ命を落としている。この事実からしても、当時の伊賀を超えることの危険性がうかがい知れる。
信長の死の噂が広まっていくと、伊賀の各地で再び武装蜂起が起こった。
この頃伊賀を治めていたのは織田信雄。
滝川一益は武田氏滅亡後関東に移封されていた。
父に大軍を与えられてやっと平定できた信雄に、自軍勢力だけでこうした武装蜂起を止めることができるはずもなく、各地の城は次々と奪い返され、信雄の勢力は伊勢の国境付近まで後退を余儀なくされた。
これを第三次天正伊賀の乱と呼ぶ者もいる。
こんな火薬庫のような状態の伊賀を、信長の同盟者として同様に恨みを買っている徳川勢が横断しようとしているのだ。
正に命がけであった。
「この先土民が蜂起し、待ち構えております。」
服部半蔵が伝える。
「お主の力でなんとかならんのか?」と家康が問うが、「我が家は早くに伊賀を出ておりますれば、服部党以外とは殆ど話が通じませぬ」と半蔵は済まなそうに首を垂れる。
「いらぬ戦闘は極力避けたい。どこか迂回路はないのか?」
家康が家臣を見渡すが、伊賀の山に精通している者など一人もいない。
誰もが口をつぐんでいたその時、頭上から声が聞こえてきた。
「あ~あ、天下の三河守様もここではただの人だな」
「何奴!殿を愚弄すること許さぬぞ。」
本田忠勝が周囲に向け怒鳴りつける。
「そう怒るなよ。とりあえずこの窮地脱するよう手引きしてやってもいいぜ。」
「誰が姿も見せぬ得体の知れない者の言を信用するものか!」
酒井忠次が言うのを遮るように家康が声を発した。
「誰だか知らんが我らは今本当に難儀している。お主が誰かはわからんが、今やそれがまやかしであったとしても、すがるに他道はないのだ。済まぬが手引きしていただけぬか。」
家康がそう言うと、他の三河衆も従うしかなかった。
すると少し離れた先の木の枝の上に一人の少年が姿を現した。左輔だった。
「子供!」
三河勢がざわつく。
「とりあえず安全なところまで案内してやるよ。ついてきな!」
左輔は立っていた木の枝から飛び降りると、山道とは反対の方向へ進んでいく。
「こんな道も無いような所…ついて行って本当に大丈夫なのか?」
そう言いながら榊原康正が三河衆の先頭に立って歩きだしていた。
山道を行くこと半刻。
一行は登って下って、時に引き返して、同じ所に向かうのでも遠回りしているのではないかと思う行程をいく。
「あのガキ、我らを騙しているのではないか?」
皆がそう言っている時でも、家康は泰然とし、
「我らはあの少年に運命を委ねたのだ。今更あの子と別れたとて、ここがどこか皆目見当もつかんわ」
そう言うと低く笑った。
そして突然視界が開けた。
そこは小さな山中の隠れ里のような所。
目の前に大きな神社があるが、それ以外は特に目ぼしいものの無いところだった。
神社の前にここの住人が出迎えていた。
一族の長らしきものが近づき、うやうやしく頭を下げ礼を尽くす。
「徳川三河守様ですな。」
「いかにも」
「私はここ神仙の山で守り人を務めております、百地三太夫と申します」
「百地!」
徳川の家臣が気色ばんだ。
敵対する伊賀者の里に入り込んだと思ったのだろう。
その空気を察し、家康が皆を抑えた。
「待て待て。この者らに害意があるなら我らとうに首を取られておるわ。こうして礼を尽くされているのは害意の無い証拠であろう」
そう言って三太夫を見つめる。
「さすがは三河守様。その通りでございます。ここではなんですから、どうぞ中へお入りください。」
三太夫は家康ら一行を神社の集会所へ案内した。
長く続けてきた本作も明日が本編の最終話、明後日がエピローグとなっています。
最後までゴエモンと平成の里の仲間たちの行く末見守っていただけると幸いです。




