第78話 突破しろ!
陽が落ちると百地砦の周りが敵の篝火によって遥か先まで囲まれていることが見て取れる。
はた目にはこの重囲を突破するのは不可能に思える。
丹波は砦の者どもに告げた。
「ありったけの篝火を焚き、鬨の声を上げよ!こちらの戦意旺盛だということを見せつけるのだ!案山子に着物、具足を着せ、要所に配置し敵の目を眩ませ!夜襲がなった後は、奇襲部隊以外は敵の手薄な南東側から脱出せよ!」
その後、丹波は百地砦の蔵を開け、ありったけの財物を家臣らに配り、酒、兵糧を振舞った。
「皆の者、今日迄よう従ってくれた!この先は各々の意思で動いてくれ。生きていればまた会おう!」
皆泣きながら別れの盃を交わした。
もう二度とこの砦に戻ることはないのだ…
隼人はミツに聞いた。
「奥方様、馬には乗れますか?」
「馬鹿にするでないぞ隼人。こう見えて私は幼少の頃より乗馬が得意中の得意でな。左輔妊娠以降止められているが、馬だけはお主らより得手である自負があるわ」
といって胸を張った。
ミツは15で左輔を産んでいるので、この時まだ27である。体力にはまだまだ自信があった。
「夜襲がなり、敵が崩れましたら、我ら織田の伝令の態で敵中を突破いたします。前後私と玄十、弥太郎が護衛いたしますので、遅れず付いて来てくだされ。」
「お主達こそ遅れるでないぞ」
ミツが笑って答えた。
ゴエモンは朽木五郎左衛門と搦め手門の脇に待機していた。。
朽木とはゴエモンが初陣したこの百地砦の戦い以来だった、
朽木はゴエモンを見て「”男子三日会わざれば刮目して見よ”の言葉通りだな。あの時の頼りない若者がよくもこの短期間で…」と相好を崩している。
ゴエモンも初陣の折には、口うるさく嫌味な人だという印象があったが、(根はいい人なんだな…)と思った。
丑の刻過ぎ
百地砦から多数の矢が射放たれる。
篝火が焚かれていない漆黒の面にも敵兵が渦巻いている。
適当に放っても誰かに当たる。
「敵襲!」
敵陣がざわいている。
同時に百地砦の正門が開き、丹波が二十騎を率いて飛び出した。
滝川勢も通常の火付や攪乱くらいは警戒していたが、よもや騎馬突撃があると思っていなかった。
低く馬に伏せるようにして全速力で駆け抜けていく疾風の如き一団に、敵陣は大混乱に陥った。
丹波らは夜目が効くので、敵の篝火を蹴倒し戦場を更に漆黒の闇とする。
ここは目をつぶっても何がどこにあるか熟知している百地の庭である。
敵が闇の中大混乱に陥っている中を縦横無尽に駆け回り、敵を突き崩し馬蹄にかけた。
その間隼人はミツを伴いそっと門を出た。
ゴエモンが信長から借り受けてきた具足を着て、旗指物を背負い、織田の伝令という態で街道をいく。
篝火は消されてる上、敵の注意は丹波らが引きつけている。
無人の野を行くが如く、隼人らはあっという間に百地砦から遠ざかっていった。
一方搦め手門からはゴエモン、サイゾウ、朽木らが柏原城を目指す一団と一緒に城を出た。
正門方面の混乱に引っ張られているのか、搦め手を警戒していた兵らの姿が見えなかった。
「好機だ。急ぐぞ!」
朽木が集団の先頭を走る。
同行しているのは、非戦闘の民を含めて二百数十名程だが、民は柏原城に辿りつく前に、思い思いの山の方に逃げ散っていった。
四半刻過ぎた頃には、五十人程の一団になっていた。
一息ついた頃、正面で暴れまわっていた丹波ら二十騎が追いついてきた。
「上手くいきましたな。」
朽木が丹波に向かって笑いかける。
「まだ油断ならん、この先も敵が埋め尽くしているぞ」
丹波がそう言いながら、馬の歩を進めて行く。
その時前方から戻った物見が注進してきた。
「前方に種子島の火ぶたを切り、街道を塞ぎ待ち構えている敵勢があります。」
(こちらの動きを読んでいたか)
ゴエモンは搦め手の辺りに敵がいなかったのが引っかかっていた。
次の物見が戻る。
「敵は筒井勢!」
筒井順慶は緒戦で手痛い夜襲を受け、一度後方に退いていたが、軍勢を立て直し再び前線に出て来ていた。
(筒井様の軍…島様と戦うことになるのか...)
サイゾウは胸の内で呟いた。
丹波は敵が展開している地点の当てはついていた。この先比較的大勢の軍を展開できる場所は決まっていた。
「五郎、三十を率いて敵の背後に回れ。但し、山中甲賀者がいることを念頭に入れて動け。」
朽木はそう命を受けると、瞬時に隊をまとめ闇に消えて行く。
残るは丹波の騎馬を含めて四十程。
「五郎が敵の背後を攪乱したら一気に駆け抜ける。徒士の者は皆騎馬の後ろに乗れ!」
そうして闇の中、物音を立てないようそっと予定戦場の近くまで辿り着く。
あとは朽木の奇襲を待つだけだった。
だが、朽木五郎左衛門は苦戦していた。
山中を迂回して背後に回ろうにも、山中の鞆田兵馬率いる甲賀者の数が多く、容易に近づけないでいた。
「まずいな。このままではお頭達が着く前に奇襲をかけることができん。」
同行したゴエモンが聞く。
「一度戻って立て直しますか?」
「ダメだ。間もなく夜が明ける。後ろは空にした砦。正面の大軍が、夜が明けて砦がもぬけの殻だと知ったら急ぎ追いかけてくる。それまでに突破できなければ、我らは敵中に孤立して討ち取られる。」
時間をかけることはできなかった。
朽木は配下に告げる。
「こうなれば一塊で敵中を突破するぞ。
生き残った者は敵の後方に焙烙火矢を投げ込みお頭が突破する道を開け!」
そう言うと自ら先頭に立って駆け出す。
木々の間、枝の上から手裏剣、弓矢、投石などありとあらゆるものが飛んでくる。
一緒に駆けていた仲間がバタバタと倒れる。
倒れた後から、トドメを刺しに来る敵が殺到し、味方の断末魔の悲鳴が聞こえる。
ゴエモンも歯を食いしばって駆けていたが、前方に数十人の黒い集団がいた。
「ふふふ、お前たちの動きなどお見通しよ。お前達をせん滅した後、百地丹波を押し包み首級を上げてみせよう。」
「お前は誰だ?」
ゴエモンが問う。
「滝川忍軍、鞆田兵馬!」
ゴエモンが後ろを振り返ると、三十ばかりいた百地の忍びが二十名程に減っていた。
朽木がそっと呟く。
「ゴエモン殿、我らが敵を引き受けます故、敵中を突破してなんとしても、お頭を…」
考えている暇は無かった。
ゴエモンがコクリと頷くと、朽木は地を蹴り鞆田めがけて駆け出した。
それに従う者十名。
残りはゴエモンを守るように朽木と逆方向に駆けだす。
鞆田の周りにいた忍びが、朽木らを取り囲む。
瞬く間に朽木の姿は見えなくなったが、簡単にはやられない。敵と激しいやり取りが行われている音が聞こえる。
ゴエモンは朽木の柔和な笑顔を思い出し涙が出た。
(ダメだ。俺にはあの人を見捨てられない)
そう思うと同時にゴエモンは立ち止まり、黒い影に取り囲まれている朽木の元に走った。
目の前の敵を棒手裏剣で突き刺す。
飛び膝蹴りと肘打ちで敵をなぎ倒す。
必死で抵抗している朽木の姿が見えた。
ゴエモンは村正を抜き放ち、囲んでいた3人を切り伏せる。
そうして、朽木の所まで辿り着いたが、敵は二人を十重二十重と囲んでおり、万事休すの状態になった。
「ゴエモン殿…、どうして…」
荒い息で朽木が言う。
「わかんないけど、こんなのはダメだって俺の中の俺が言うんだ」
「殺せ!」
鞆田の指令と共に敵が打ちかかって来る。
だが、悲鳴が上がったのは敵の後ろからだった。
何が起きたからわからず後ろを振り向く敵を、ゴエモンは薙ぎ払った。
朽木と残っていた4~5名も最後の力を振り絞り、眼前の敵を切りむすび、やっと抜け出す活路が開いた。
鞆田は叫ぶ。
「どうした?何がどうなった?」
そこへ新たな影の一団が殺到し、鞆田の周りにいた甲賀者を打ち倒していく。
「伊賀の山で大きな顔するんじゃないよ」
「藤林様!」叫ぶ朽木に対し、
「早く行け!丹波が窮地なのだろう!」
そう言われると朽木はハッと我に返り、ゴエモンら生き残りをまとめて先へ急いだ。
鞆田率いる甲賀者は逃げ散っていた。
窮地を脱した朽木とゴエモンらは十人に満たない数だったが、街道の裏手に出ると、槍衾と鉄砲を構える敵陣に焙烙火矢を投げ込んだ。
そしてうろたえる敵中に突き入れ、突破口を開こうとする。
だが、人数が少なく、押し包まれそうになったその時、先ほどの藤林忍軍が横から敵に殺到した。
瞬間敵は浮足だち、崩れるかに思えたが、直ぐにそれは静まる。
乱戦の中、一人鬼神の如き働きをしている者がいた。
その者が槍を振るえば、瞬時に藤林の忍び数名がはね飛ぶ。
漆黒の鎧に身を包んだ島左近であった。
雑兵、下忍では何人束になっても敵わないだろう。
だが、これを破らなくては、街道に突破口は開けない。
怖気づく味方を背に、ゴエモンがスッと前に進み出た。
それに気づいた左近はゴエモンに向かい構えるが、ふと気付いた。
「お主、以前大和で会った伊賀者か?」
「はい。その節はお世話になりました。次に会う時は敵味方と思っておりましたが、できれば左近様との闘いは避けとうございました。ここは引いていいただくというわけにはいきませんか?」
「俺もお主らに個人的な恨みはないが、戦場で相まみえれば戦うのが我らの慣わし。ここは正々堂々、俺を打ち倒し道を開いてみせろ。」
そう言われるとゴエモンも覚悟を決めた。
「わかりました。全力で行かせていただきます。」
そういうとゴエモンは右手に村正、左手に苦無を構える。
左近は豪槍を低く構える。
槍の間合は遠く、迂闊に飛び込めない。
相手が動いた“後の先”を取るしかない。
ゴエモンの勝機はいかに間合いを詰めるかだった。
いつしか戦場の将兵が二人の一騎打ちを囲むように注視していた。
互いに動かない、ジリジリとした時間が流れていた。
『男子三日会わざれば刮目して見よ』は三国志に登場する言葉です。
簡単に言えば、人は3日もあれば変わる、という意味で、前は大したことが無かった相手でも、次会う時はどれほど成長しているかわからないから注意しろという教訓ですね。




