第77話 百地砦
百地砦の物見櫓からは、押し寄せる織田の軍勢が辺り一面を色とりどりの甲冑、旗指物で埋め尽くす様子がはっきりと見てとれた。
百地砦の兵力は近隣から逃れてきた民らを合わせも五百人に満たない。。
「さて、今夜動くか。明日になれば逃げだす隙間もなくなる。」
百地丹波は柘植隼人に代わり百地忍軍をまとめている朽木五郎左衛門に向かって言った。
「行先は?」
「最後まで抵抗したいものは柏原城を目指せ。だが、落ち延びたいものはいずこに逃れようと責めはしない。」
丹波の元には昨日の平楽寺での惨劇の報が入っていた。
伊賀上野の平楽寺に伊賀衆一千五百が立てこもり織田軍に抵抗したが、衆寡敵せず、平楽寺の僧七百人が「抵抗した者は僧俗を問わず皆殺し」の命の下、切り捨てられたとのことだった。
(城に籠ったとて、援軍無きは落ちる運命だが、少しでも引き延ばさねば...)
丹波は三太夫から伊賀の未来を聞かされてる。
伊賀の戦は10月には終結する。約ひと月時間を稼ぎ、一人でも多くの民、家臣らを助けたいと思っていた。
だが、実際の織田軍の侵攻は軍勢の量、進軍速度いずれも想像以上である。
そして言われていた焦土作戦の様は目を覆いたくなるばかりであった。
物見櫓に上がり、四方を見渡せば、あちらこちらから黒煙が上がる様が見える。
あの黒煙の下で数多の命が燃やし尽くされているのだ。
落ち延びよといったが、現実的に落ち延びるところなど無かった。
丹波は奥に入り妻のミツに告げた。
「ミツ、今宵我らは織田の軍勢に夜襲をかけ、そのままこの地を落ちる。お前もこの間に砦を落ち逃れてほしい。」
「この伊賀の地に女子の逃れられるところなど無いと聞き及んでおります。捕まって辱めを受け殺されるくらいならば、ここで死を賜りたく存じます。」
ミツは覚悟を決めた目で見つめている。
実際ミツの言うとおりだった。
最後まで抵抗を示す者は柏原城へと戦いの場を移していけるが、非戦闘員はもうどこにも逃れようがなかった。
投降しても撫で斬りされた報告が多数届いていた
。
城に逃れようとしても、小城では兵糧を圧迫するので入れてもらえない可能性が高い。
「やはりあの時千草らと逃れていれば…」丹波らしくない繰り言が口から出た。
「私の覚悟はあの時と同じです。ただ、あなた様が最後まで戦う足手まといとなるならば、この場でその手ずから私の命を絶ってくださいませ。」
さすが武家の娘だった。
こういう時の肝の据わり方は、幼少のころから植え付けられた教育の賜物である。
だが、妻をわが手にかけるなどできるはずがなかった。
伝説の忍び百地丹波も八方塞がりに陥った。
その時
「失礼ながら...」
襖の外から呼びかける声がした。
「なんだ、取り込み中だ!」
丹波が少し怒気を含んだ声で吐き捨てる。
「丹波様らしくありませんな。“短気は目の前の景色を狂わせる”と我らに散々教えて聞かせてくださったではありませんか。」
その聞き覚えのある声に、丹波は振り向き、襖を勢いよく開けた。
正座した男が笑顔で丹波を見上げている。
「隼人!」
丹波のみならずミツも喜色を浮かべて近寄ってくる。
「お久しぶりでございます。柘植隼人ただいま戻りました。」
笑顔だった丹波は直ぐに顔を曇らせ、
「お前はせっかく京に逃したのになぜ命を破って戻ってきた!」と目を剥く。
それに対し隼人は飄々と答える。
「私は命に従っただけです。伊賀陥落の折には落ち延びる者の手引きをせよ、という丹波様の命に。」
「馬鹿もん!あれはお前と朧らを生かすための方便ではないか。本当に戻ってくる奴があるか!」
口調は厳しいが丹波の顔は笑っている。
ミツも嬉しそうに隼人の前に座り
「左輔と千草は息災ですか?朧は?」
「はい。左輔様も千草様も大変お健やかに過ごされております。特に千草様は大変明るい性格になり、よく笑い、ちゃんと自分の気持ちを言える子になっております。これもあの平成の里の者達の中で暮らしている影響だと思います。」
ミツは感慨深そうに微笑みながら
「まぁ、あの千草がそんな...ひと目会いたいものです...」
と言って涙で潤んだ目で遠くを見ている。
「奥方様、そのお気持ちがあるならば我らと一緒にお越しください。私千草様より『必ず母様を助けて』と言われてきております。来ていただかなければ私が帰ることができません。」
そう言って微笑みかける隼人にミツは、うっすら涙を浮かべながら
「あなたも変わったわね、隼人。」
と言うと、丹波も
「確かにな。なんだかゴエモンのようになってきたな」と揶揄する。
「はい。あの者達は人として大事なものを持ち続けています。私もそう言われることは、誉め言葉だと捉えさせていただきます。」
丹波もミツも笑顔で頷いている。
「お前、もうこの地で死ぬ気だとは言わないだろうな?」
「もちろんです。私は生きて帰ります。私には朧とその腹の子のためにも生きて帰る義務があるのです。」
「まぁ!朧と夫婦に?しかもややまで。」
ミツが驚きの表情を浮かべる。
「お前、これまで散々周りが焦れるほど奥手だったくせに、手を付けたと思ったらもうやや子まで!」
丹波も皮肉りつつ、心から喜んでいる。
隼人は照れ笑いを浮かべながらもあらためて丹波に向き直る。
「朧と夫婦になることは、丹波様に代わり左輔様にお願いしお許しをいただきましたが、あらためて丹波様にもお許しいただきたく存じます。」
そういって頭を下げた。
「いや、俺が居ぬ時左輔が許したものならばそれでいいのだ。これからも左輔が良き頭領となるよう補佐してやってくれ。」
丹波は嬉しそうに言った。
「この戦が終われば私は朧と祝言を挙げます。丹波様と奥方様には仲人をお願いしたく思っておりますので、ここは是が非でも落ち延びていただきますぞ!」
隼人があらためて言うと、ミツも微笑みながら、
「そこまで言われるのであれば、私も生きねばなりませんね…」
といい、落ち延びる決意を固めたようだった。
その後丹波と隼人は広間に戻った。
百地の主だった家臣に交じって、ゴエモンとサイゾウもいた。
「おお、お主たちもいたか。京では我が党の者どもと子らが世話になっているようだな。感謝するぞ。」
そう言いながら丹波が着座すると、
「隼人、策があるのだろう。申せ。」
と隼人の発言を促す。
「はい。まず今夜敵勢に夜襲を仕掛けます。敵が混乱し、注意をそちらに引き付けている間に、奥方様らは我ら京都衆がお守りし、後方で焼き討ちを免れた平成の里までお連れ致します。」
「敵中をどうやって突破するのですか?」
朽木五郎左衛門が聞いてくる。
「我らは織田軍の具足と旗指物を手に入れております。昼間もその格好でここまで難なく来ることができました。夜間であればなおのこと、怪しまれず進むことができると思います。」
ゴエモンが答えた。
ゴエモンは、信長が暗殺されかけた時、伏見の寺で信長に織田軍の具足と旗指物、そして書状を一通貰えるよう頼みこんでいた。
後日信長から届けられたそれらを身につけ、包囲されていた伊賀に入り、平成の里から百地郷へと難なく移動してこられたのである。
「無事平成の里まで落ちられましたら、この戦が終わるまでしばし留まっていただきます。」
「よし、それでは夜襲の準備をせよ。それぞれの作戦が完了したら、戦闘継続する者はここには戻らず柏原を目指せ!」
そう言うと一同持ち場に散った。




