第73話 燃ゆる伊賀路
織田信雄から一国撫で斬りの指令を受けた日から、織田軍の戦略が変わった。
目に付く生き物は全て殺し尽くすような進軍となった。
山道を進む時は木々の枝を払い、時には切り倒し、更には火をかけながら進んだ。
村落は人の有無を問わず焼き尽くす。
抵抗の意思を示さず、恭順を誓う村も、聞く耳持たず、村を包囲した上で一斉に火をかけ、逃れ出てくる者は弓鉄砲で射殺した。
織田軍の進んだ後は正に焼野原が残るだけという有様だった。
筒井家の島左近はこの光景を見て呆れていた。
「俺たちは武士だ。処刑人じゃねえ。」
筒井軍は緒戦の夜襲によって甚大な被害が出ていた。
左近は順慶に進言した。
「こんな馬鹿馬鹿しい殺戮に真剣に当たったとあっては、筒井家の武名を汚します。われら緒戦で大きな打撃を受けたことから、軍を立て直すため一度引く、と滝川様に願い出ましょう。」
順慶も元僧侶として、この様な惨劇を直視できなかった。
すぐに滝川に申し出たところ、あっさり認められた。
筒井隊に代り前線に出たのは羽柴秀長隊だった。
羽柴秀長
言わずと知れた後の天下人豊臣秀吉の実弟である。
この時28歳で、兄秀吉の元から離れ大和方面の織田方代官的な立場を任される立場であった。
農民の出の秀長は、元来温厚で朴訥とした性格だったため、秀吉の身代が大きくなるにつれ家臣団のまとめ役、他家との外交窓口など、人の調和を図る役割を担い活躍した。
後年、天下人となった以降の秀吉に対し、唯一諫言できる存在として、内外から厚い信頼を寄せられる存在になる。
豊臣家の没落は、秀長という調整役を失ったことから始まると言われている。
『人たらし』と呼ばれ、敵も味方も人を殺すことを嫌った秀吉が、後年人が変ったように人を切り捨てるようになる。恐らく現代でいう認知症の類だったのだろうと言われているが、そんな秀吉が唯一言う事を聞いたのが秀長だった。
秀長がもう少し長生きしていれば、甥の秀次を死に追いやることもなく、豊臣家中の石田三成ら文治派と加藤清正ら武断派の対立も上手くまとめていたことだろう。
そうすれば、徳川の天下は訪れなかった可能性が高い。
だが、それはもっと後のこと。
このころの秀長はあせりがあった。
農民出身とはいえ、兄の下、数多の戦に出ている経験はあった。
だが、それはあくまで秀吉という頭があり、その手足となる戦であった。
秀吉はこの頃織田家の一軍団を任され、中国方面司令官という立場迄出世していた。
信頼できる身内のいない秀吉にとって、秀長は腹心中の腹心として、軍事面でも独立して作戦展開できるようになってもらいたいと思われていた。
そんな兄の期待をヒシヒシと感じていた秀長は、今回兄の軍ではなく、秀長の軍として従軍する機会で大きな戦功を立てたいと並々ならぬ意気込みで臨んでいた。
そんな中飛び込んで来たのが信雄の指令だった。
秀長も元農民として、女子供も含めた無辜の民を撫で斬りにしろ、という命令には耳を疑った。
(そんな命令に従いたくない!)
秀長は激しく葛藤していた。
そんな時、秀長の軍勢と入れ替わりで後方へ引いて行く筒井順慶の隊とすれ違った。
一行が行き過ぎる時、筒井軍の殿島左近から声を掛けられた。
「嫌な役割を押しつける形になってすまんな。だが、全ての責任は総大将にある。お主は兄者の為に武功を上げなければならぬのだろう。ならば命に従って存分に働くがいい。」
そう言われ、秀長の決心は固まった。
(兄者は人の嫌がる仕事を率先して引き受ける事で立身出世したのだ。俺だけが綺麗ごとを言ってどうする。)
それからの秀長軍は目を見張るほどの活躍を見せた。
敵の抵抗する勢力はもちろん、命令通り人も村も全て燃やし尽くし突き進んだ。
実際資料の少ない第二次天正伊賀の乱の記録の中でも、羽柴秀長軍の軍事行動が苛烈だったという記録が残っているほどである。
口汚い古参武将はわざと聞こえるように陰口を叩いている。
「なんとも浅ましき振舞いよ。さすがあの意地汚い猿の弟だわ。」
「まぁ、元々武士ではないからなぁ。抵抗しない女子供を撫で斬りにするのがお似合いだわ」
「そこまでして戦功がほしいのかね~」
だが秀長は気にしなかった。
(笑いたい奴は笑えばいい。いつか、兄者と二人、その浅ましき兄弟がお前たちの上に立ってやる)
一方、伊勢方面から進軍していた堀秀政。
彼の元にも信雄の命令は届いていた。
だが、小姓時代から織田信長に仕え、その信長から「知勇兼備」の才子と認めれていた秀政は、信雄の軍配の馬鹿馬鹿しさにうんざりしていた。
(伊賀を放置はできまいが、いずれ統治しなければならない土地の民を殺し尽くし、怨念を植え付けても上様の為にはなるまいに...)
馬上の秀政はそんなことを思っていた。
やがて目の前に小さな集落が現れた。
逃げ遅れたのだろう、白髪の老夫婦と幼子が村の入口に進み出て、額を擦り付け土下座し、両手を合わせ拝むようにして命乞いをしている。
秀政の側近は
「御大将のご命令です。あの者らを斬り、この集落を焼き払わなければなりません。」
と言って来る。
だが秀政は返事をしない。
「殿!聞こえておられますか!あの者らを...」
「見えん!」
「は?」
「俺には見えん。俺の目には一面の野原にしかな。お前には何か見えるのか?」
集落の方には見向きもせず、ただ真っ直ぐ前を見ながらそう言う秀政の意図を側近も感づき、ハッとした。
「確かに…何もありませんな…命令は道中にある村、人を撫で斬りにせよ、というものですから、見えない者は撫で斬りにしようがありませんな。」
側近はそう言って微笑み、我が殿の度量の大きさに感心した。
そうして堀秀政の部隊は、目の前の集落に一瞥することもなく、素通りして行った。
織田軍の悪行のように伝わる伊賀の乱。
六万の軍勢も、各々思いは複雑であった。




