第72話 開戦
天正九年九月中旬
織田の各部隊は六道から一斉に伊賀に進軍を始めた。
各道の主な武将は
大和口は滝川一益、羽柴秀長ら
信楽口は細川忠興、一色義定ら
青山口は織田信雄
島ヶ原口は蒲生氏郷、堀秀政
木津川口は筒井順慶ら
名張口は丹羽長秀ら
総大将は織田信雄、総勢六万とも言われた。
伊賀の全勢力をかき集めても六千くらいにしかならないのだから正に過剰な戦力である。
それだけ今回の伊賀侵攻が、失敗の許されないものであることを伺い知ることができる編成であった。
このうち平成の里から百地砦に連なるルートは、滝川一益の部隊が進んでいた。
伊賀を敵視する勢力としては最悪な相手である。
侵攻開始直後、第一次伊賀侵攻を経験していない蒲生氏郷は、伊賀北方の島ヶ原口から通常の戦と同様威風堂々と進んでいた。
蒲生氏郷は信長の娘を嫁にしているほど、その俊英を評価されていた武将であり、戦場においても常に先陣で戦う猛将でもあった。
その為戦は正々堂々と戦うものとするのを信条としていた。
だが、伊賀の戦は違った。
氏郷の進軍ルートには藤林忍軍がいた。
氏郷隊は伊賀の狭い山道を細長い縦列で進んでいた。
伊賀の山中は伊賀者が伏せていることは、事前に周知されていたため、各隊甲賀者を中心とした忍びを先行させ、奇襲に対して警戒しているはずだった。
氏郷もそう信じていた。
だが、伊賀の山中においては、伊賀者以外如何に手練れの忍びといえども、圧倒的に不利であった。
先行した甲賀忍びらは次々伊賀者に討ち取られ、既に山中は伊賀の忍びにより覆い尽くされている事を氏郷は知らない。
氏郷の隊の半ばが谷を通過している時、四方の山々から一斉に落石が起きた。
狭い谷間の隘路で逃げる場所もなく、将兵の多くが圧死した。
それを見て後退しようとする氏郷隊に対し、山中の木々が一斉に人に変化した。
そう見えるほど、樹間に潜んでいた藤林忍軍が一斉に襲い掛かり、散々に蒲生隊を蹂躙していった。
筒井順慶も大和信楽口から進軍していた。
順慶も蒲生隊同様、百地忍軍による山間でのゲリラ戦に手を焼いていた。
やっと山間を抜け出し、人里に到着した。
人里と言っても、住民は既に逃げ落ち、住居はもぬけの空だった。
順慶はここに夜陣を張った。
十分にかがり火を炊き、昼と見まがうほど明かりを灯し、夜襲に備えていた。
毒が投げ込まれていることを警戒し、村の井戸水は飲まぬよう触れを出していた。
だが、それだけ警戒していても、丑の刻、伊賀者が秘密の抜け道を通って大挙殺到し、各部隊が逗留していた家々に火を点け、逃げ出て来た者を待ち構え、打ち倒していく。
この夜襲に於いて、筒井隊は千人近くを討ち取られ、戦闘継続が困難になった。
他でも、夜襲続きで織田の各隊は疑心暗鬼に陥っていた。
狭い国土に万余の兵卒が入り込んだのだ。
そこら中、道も野原も、とにかく織田の士卒が溢れていた。
普段顔も知らない他国の軍勢同士が密集して野営しているのである。
伊賀者が数名紛れ込み「敵襲!」「伊賀者だ」「〇〇の部隊には伊賀者が多数紛れ込んでいるぞ」と言って、隣の陣営に矢を射かけるだけで勝手に同士討ちを始める始末だった。
おかげで織田の各隊は夜も満足に眠ることもできず、兵の士気は著しく落ちた。
ある所では、織田の将兵が逃げ遅れて泣いている小さな兄妹を見つけた。
見かねた兵卒が、「どうした?母者とはぐれたか?」と声をかけると、幼い兄弟は兵卒に泣きながら抱きつき、手にした小刀でその将兵の首を掻き切った。
またある村では、逃げ遅れた老人数人だけが残っていた。
抵抗はせぬから、命は助けて欲しいと言われ、酒や食事のふるまわれ、宴になった。
宴の興がのったころ、老人たちが伝統の舞を披露するといって、前に進み出、厳かに舞を舞った。
その舞が終わる時、老人たちが懐に隠し持っていた焙烙玉がさく裂し、それを取り囲んでいた将兵ごと吹き飛ばした。
こうした老人や子供による、現代でいう自爆テロのような攻撃はさらに織田方の士卒の神経をすり減らしていった。
「敵は誰なんだ?」「自分達は何と戦っているんだ?」
将校から末端の兵卒まで、伊賀の人間全てが薄気味悪い物の怪の類に見えはじめていた。
「大勝利、大勝利!織田軍何万来ようと物の数ではないわ」
伊賀の地侍、土豪達は緒戦の勝利に沸き立っていた。
これを続ければ、あわよくば勝てるのではないか、そんな希望を持つ者もいた。
だが、各地から寄せられる伊賀者によるゲリラ戦による善戦の報を聞き、百地丹波は危機感を覚えた。
(これで織田軍は引っ込みがつかなくなった…)
次々と入る敗戦の報を聞き、滝川一益は憤怒していた。
「だから伊賀の者は普通の人間ではないといっているのだ!奴らは老若男女問わず全てが悪鬼羅刹、餓鬼畜生よ。人と思うて正々堂々の戦だの、子供年寄に対する情けなど掛けると痛い目に遭うだけなのだ!」
そう言うと総大将である織田信雄に早馬を飛ばした。
「伊賀に手ぬるい対応をしていると益々被害が増大し、今度こそお父上から勘当申し渡されることになりますぞ」としたためた手紙を持たせて。
それを見た信雄は恐怖した。
ただでさえ第一次伊賀侵攻に失敗したとき、信長から親子の縁を切ると言われたのだ。
今回これだけの兵力を与えられて、またぞろ伊賀者になぶられている現状が父に知れたら…
信雄は恐怖で肌が粟立った。
そしてついに総大将織田信雄の名において命を下した。
「伊賀の者は老若男女、戦闘非戦闘員関わらず、ことごとく撫で斬りにすべし。村郷の類も残すことなく全て焼き尽くすこと」
これが伊賀の悲劇のはじまりだった。




