第71話 開戦前夜
風結庵はゴエモンがいなくてもキュウサクが担えるほど成長していた。
これにケンタも加わり、今後ゴエモンが伊賀方面の戦闘に行っても怪しまれる事なく営業継続できる目処がたっていた。
アヤカも身重になった事で産婆の仕事は制限し、健康相談のみ行うようにしていた。
それ以外の受付や雑務は蛍とリンが担っていた。
蛍はアヤカの産婆の助手をしてきたことで、自身も将来そうなりたいという夢を持ち始めていた。
これまでの人生は人の命を奪うことばかりだったが、命が生まれる感動を目の当たりにし、過去を悔いると共に、今後はこれまで殺めた人の分まで新しい命のために働こうと思うようになっていた。
朧はまだサイゾウの所にいる。
隼人と夫婦の誓いを立てたとはいえ、差し当たり伊賀のことが終わるまで祝言は控えることにしていた。
朧の体を心配し、千草のお目付けには朱音と霞が交代で来るようになった。
隼人も店が終わると朧の元に通って来ているようだ。
千草ら子供達も、掃除や洗濯などできる事を手伝っている。
特に千草は、武家の姫として収まっているより、体を動かして人の役に立つことが嬉しくて仕方ないという感じだ。
放っておくと神鳳堂への使いなどにも一人で行きそうになるので、朱音や霞が慌てて付いて行くのが当たり前の日常になっていた。
左輔は、日々右近についてどこかへ出かけていく。きっと忍びとしてだけではない、社会教育なのだろう。ひと頃に比べてだいぶ落ち着いてきたように見える。
風結庵の仕事が終わった後は、裏庭で男性陣がトレーニングに励むのが日課だった。
ゴエモンの強靭な肉体を見て左輔は
「すげぇ体だな~」と言って感心する。
ゴエモンの行うトレーニングは、この時代の者には見たことない物ばかりで、左輔も面白がりながら一緒にやっている。
キュウサクは里にいた頃からプロレスの技をゴエモンに習っていて、最近は結構スパーリングパートナーも務まるようになっていた。
左輔や蛍などは、二人が繰り出す見たことない極め技や派手な技を興味深そうに見入っている。
「俺にも教えてくれよ」と左輔は言うが、ゴエモンは、「右近の方の修行が終わったらな」と言って教えない。体が出来ていないうちにやらせて怪我をさせないためのゴエモンなりの配慮だった。
それ以外の大人は救民所の仕事をしていた。 オユキは主に食事や風呂などの管理を、町衆から派遣された下男、下女を指図して管理していた。
サイゾウ、セイヤ、ケイゴは救民小屋の増築に汗を流している。
そんな中、タイガとキョウコが面白い事を始めていた。
救民小屋の中の一角に机を置き、何やら入所者の相談を受けている。
円空が回ってきた時、オユキに問いかけた。
「彼らは何をなさってるのですか?」
オユキは笑顔で答える。
「入所者の今後を支える活動です。」
「と、いいますと?」円空が首を傾げる。
「ここに入所されている方々は、大抵帰るところの無い方々です。ここに一時的に入っても、自立できなければ、行き着くところは河原の乞食か病死です。」
円空は真剣な顔で頷く。
「戦から逃れてきた人の多くは健康な方々です。そうした方々をただ救民小屋に押し込めておくのではなく、労働力とすることができれば、自立の道に繋がると共に、食い扶持がなく野盗に成り下がる者も少なくなり、京の治安維持にも繋がると思います。」
「それは正に目から鱗ですな。今までこうした救民対策は目の前の困窮者を食わせて雨風を凌ぐ場所を提供するに留まっておりましたが、その先の自立まで考えるとは。いやはや、風結庵の皆様のお知恵は素晴らしい。」
円空は感に耐えない様子だった。
実際タイガとキョウコは神谷宗兵衛を窓口に京の町衆に住み込みで働ける所、日雇いで働ける所など、求人が無いかを聞いて歩き、救民所の中でそれに応じられる者を募り紹介していた。
現代の人材派遣会社のようなものである。
この結果、住み込みで働くようになり、救民所を出ていく者も増え、小屋を必要以上に増やす必要がなかった。
平成の里が管理する六角堂の救民所は、疫病の発生もなく、入所者が京の地で自立していく援助も併せて行うことで、各地の模範となり、各所の責任者が視察に訪れるようになっていた。
こうした風結庵、救民所の様子に満足したゴエモンは、8月末風結庵に皆を集めた。
「もう大丈夫だな。」
ゴエモンが言うと
「私たちが撒いた種を、もう皆が独自に発展させてくれているもんね。」
とアヤカが頷き、少しの間を置いて
「行くのね、伊賀へ…」
と言ってゴエモンを見つめた。
「あぁ。里のこと、丹波様達のこと、俺にできることを務めるつもりだよ」
特に悲壮感も無い、ゴエモンらしいカラッと明るい雰囲気で告げる。
「桃爺たちを助けて…でも、自分の命は大事にして。この子生まれる前から父無し子にしちゃダメよ…」
そう言うとアヤカの頬を涙が伝った。
「大丈夫。無理はしないよ。」
ゴエモンは微笑みながらアヤカの頬を伝う涙を指で掬った。
「父様と母様をよろしくお願いします」
千草が毅然とした口調でゴエモンに願い出た。
「俺も連れていけと言いたいけど、これだけは右近が許してくれないから、我慢するよ」
左輔も今回は子供が行ける戦いではないことを自覚しているようだ。
タイガが珍しく真面目な顔でゴエモンに語りだした。
「今回は俺たちが行っても足手まといだろう。俺さ、お前と同い年だけど、お前のことすげぇ奴だって尊敬してるんだ。」
「タイガにそんな風に言われたら気味が悪いなぁ」
ゴエモンが少し警戒した表情でおどける。
だが、タイガは笑わずに続ける。。
「お前が俺たちの為にしてくれたことに比べたら、俺がしてやれることなんてちっぽけなことしかないけど、留守のこと、アヤカのことは任せてくれ。お前に代わって必ず守るから。普段ふざけているけど、俺、アヤカがお前と一緒になって本当に良かったと思っているんだ。だから、お前が心置きなく戦ってこれるよう、俺がアヤカとお前の子供守るから、心配しないで行ってきてくれ。」
タイガの決意が伝わってくる。
「ありがとうタイガ。お前は本当は優しくて正義感の強い奴だってこと皆ちゃんとわかっているから。そして強い奴だってこともな。サイゾウさんと俺がいない間、アヤカだけじゃなく、ここの仲間たちのこと頼むぞ。」
ゴエモンにそう言われて、タイガは感極まっていたが、強く何度もうなずいていた。
そしてゴエモンは再度顔を上げ、皆を見回して言った。
「皆あとを頼む。今回は俺とサイゾウさん、それと柘植様ら百地党で行く。俺たちが帰るこの風結庵を守ってくれ」
サイゾウはオユキとひよりと川の字になって床についていた。
今回伊賀の戦に戻るのはゴエモンとサイゾウだけ。
戦闘を得意としない者には無理をさせず、京の地盤を守っていてもらおうということだった。
「生きて帰ってね…」
オユキがぽつりと言った。
「あぁ。お前とひよりがいるんだ。無理はしないさ。」
「...サイチチ帰ってきたら釣り教えてな」
寝てるものと思っていたひよりが呟いた。
サイゾウはひよりを抱き寄せ
「おう、チチは漁師だったんだぞ。大きな魚釣りに行こうな!」
そう言ってひよりの頬に自分の頬を擦り付けた。
「チチ、おひげ痛いよ~」
言いながらひよりは嬉しそうにサイゾウにしがみつく。
3人の家族の絆も強まっていた。
「行かれるのですね…」
朧が隼人に添い寝しながら呟いた。
「あぁ。丹波様達を救い出さねばならん。」
隼人は決意のこもった口調で言う。
「死ぬときは一緒の誓い、お忘れになりませんように…」
朧が言うと、隼人は笑って、
「もちろんだ。俺が死ねばお前が後を追う。そうしたらやや子までが死んでしまうからな」
そう言って朧の腹を撫でた。
「ご武運、お祈りしております…」
朧は隼人の唇に自らの唇を重ねていった…
翌朝早く、ゴエモンとサイゾウ、隼人らは、それぞれの思いを胸に伊賀に向け出発した。
第四章開戦前夜編、短かったですが、伊賀の乱開戦前の各人の様子がうかがい知れたと思います。
明日からはいよいよ第五章 第二次天正伊賀の乱編です。物語もいよいよ終盤という展開にご期待ください。




