第68話 伊賀紛糾
「何としてもこの者救うのだ!」
そう言い残すと、信長は家臣に抱えられるようにして、寺から連れ出され京に戻った。
京に戻った信長から風結庵にゴエモンが凶弾に倒れた報告が入る。
アヤカはその場で眩暈を起こし、蛍が支えた。
「場所はあっしがわかりますので、様子を見てきます。」
右近が立ち上がった。
「私も行きます!」
アヤカがフラつきながらも立ち上がり強く言った。
「私もアヤカ姉さんとご一緒します。」
蛍がアヤカを支えながら言った。
「じゃあ僕も」
キュウサクも言ったが、アヤカが
「キュウサクは残って風結庵を守って。あなたまでいなくなったら患者さんが困るわ。」
そう言われると、キュウサクも返す言葉が無かった。
「じゃあ俺が供しよう。」
いつの間にか柘植隼人が来ていた。
「お頭がご一緒なら心強い」
右近がほくそ笑む。
そうして身支度を整えると、4人は伏見に向かった。
伏見の古寺。
信長は既に避難し、あたりに警護のものはいなかったが、寺の門をくぐろうとしたとき、不意に若侍が道を塞いだ。
「どちらさまかな?」
そう問いかける侍に対し、隼人が返す。
「そちらこそどちら様かな?ここは誰でも参拝できる山寺だと思っていたが。」
「近頃は物騒な輩が多くてな。こんな寺でも襲って来る不届き者いるそうです。例えば…伊賀者とか。」
そう言ってギロリと隼人を睨む。
右近は話の雲行きが怪しくなってきたのを察知し、それとなくアヤカと蛍を後ろに引っ張る。
「我らはその襲撃で怪我をした者のご内儀と身内でございます。お引き合わせ願えませんか?」
隼人は徴発に乗らず、淡々と答える。
「さようですか。それでは案内させましょう。」
そう言って本堂の横にたたずむ小坊主に手を振り、「先頃撃たれて奥に運んだ怪我人の所へ案内してやってくれ。」と言い渡した。
小坊主は「こちらに」と言って先導し始めた。
それに続く隼人らの後ろ姿に、若侍は言葉を投げかける。
「しかし、伊賀者というのもおかしな連中ですな。暗殺を試みながら、自らそれを阻止する。相手をさせられるこちらはたまったものではありません。内輪揉めは、伊賀の中だけでおやりいただきたい。」
隼人が立ち止まり振り返る。
「そこもとのお名前は?」
「望月三郎左衛門」
「私は柘植隼人。覚えておきましょう。」
そう言うと踵を返した。
「ゴエモン!」
寺の奥の間に横たわるゴエモンを見て、アヤカがすがりつき涙した。
息遣いは荒く、まだ昏睡から目覚めていなかった。
胸のあたりに晒がまかれている。
信長の侍医良寛が入ってきて病状を説明した。
「種子島による狙撃です。距離も近く、相当な衝撃だと思います。懐刀と鎖帷子がなければ、即死だったでしょう。それでも相当な衝撃だったと思いますが。」
そう言って良寛が送った視線の先には、引きちぎられたような大穴の開いた鎖帷子と銃弾を受け鞘が粉々になった村正が置いてあった。
「なにより、この御仁自体の体が物凄く丈夫ですな。強靭な体が損傷を最小限に抑えたといえるでしょう。」
アヤカは日々プロレスラーとしてのトレーニングを欠かさないゴエモンの姿を思い出していた。
「しばらくこちらで療養なされるといい、との上様のお言葉です。ご内儀もご一緒に。」
そういうと良寛は部屋を辞していった。
「凄い衝撃だったのね…」
アヤカが鎖帷子を手に取り呟く。
「庭の松の辺りからの狙撃なら、かなり近いからな。鎖帷子だけなら死んでいただろう。この村正に当たったおかげだ。」
隼人が砕けた鞘と、銃弾により曲がった村正の刀身を見比べていた。
「でも、凄い運…。ゴエモンは天に愛されているんだね…」
蛍がゴエモンの額の汗を拭きながら言った。
ゴエモンは荒い息を吐きながら、苦しそうに呻いていた。
アヤカは傍らでそっと涙した。
「…バカ。また誰かのために命投げ出して…あなたの帰りを待ってる人もいるのよ...」
蛍がその背をさすっていた。
翌朝隼人と蛍は一度風結庵に報告の為戻っていった。
信長のいないこの寺を敵が再度襲撃することはないだろう、という隼人の見立てだった。
同じ頃。
伊賀惣国一揆に連なる土豪、地侍、上忍らが集い、織田軍の伊賀侵攻の陣触れが出されたことへの軍議が平楽寺にて開かれていた。
噂に五万とも六万とも言われる大軍を前に、有効な策もなく、会議は重苦しい沈黙に覆われていた。
そんな空気の中、伊賀三大上忍の一人藤林長門が口火を切る。
「昨日わが手の者にて怨敵織田信長の暗殺計画を実行したのだが、あと一歩のところで邪魔が入り討ち洩らしたとの報告が入った。」
一同ざわつく。
「しかもそれを阻止したのが、丹波殿、そちらが使いし下忍だったと報告が入っているのだが、これはどういうことかご説明願おうか?伊賀が存亡を賭けて戦おうとしている中で、これは裏切り行為に等しいのではないのか?」
長門は百地丹波を直視し、ズケリと言い放つ。
丹波はこのこと初耳だった。
だが、信長を庇ったという話を聞いて、直ぐにゴエモンの顔が思い浮かんだ。
緊張の場面ではあるが、ゴエモンのやりそうなことだと、思わず口許が緩んだ。
「何がおかしい丹波殿!そこもとの手の者が余計なことをしなければ、今頃信長は冥途行きだったのだぞ!」
長門は顔を真っ赤にして激怒している。
「これは済まなんだ。いやいや、まさか藤林殿がそのような計画を実行しているとは微塵も思っておりませんでしたからな。今初めてこのことを聞かされ驚きいっておりました。」
「貴殿今笑っていたではないか!」
「これは申し訳ない。笑ったつもりはないのだが、そうする者に心当たりがありましてな。如何にもありそうなことよと、そいつの顔を思い出していた次第。」
「何を悠長なことを。あわよくば信長を仕留め、伊賀の運命が変わったかもしれぬのだぞ!」
それまでにこやかに対応していた丹波の表情が険しくなり、
「それはない!」
と低く、それでいて有無を言わせぬ重みをもった口調できっぱりと言い切った。
それまで気色ばんで詰問していた長門も、その迫力に気負され、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「こたびの侵攻、確かに信長の名のもとに陣触れされたが、その実率いてくるのはまた伊勢守(織田信雄)と滝川よ。信長を討てば一時的に時間稼ぎはできようが、いまや織田の支配体制揺るぎなく、この畿内にポッカリ空いた穴の如く残された我ら伊賀の運命は、変えようがない。頭が誰にすげ変っても、攻め寄せてくる。今の伊賀の状態は、後詰なき籠城戦。いつか矢玉と食い物が尽き、落城するは必定。」
一同いちいちもっともな理屈に押し黙った。
「逆に考えれば、信長のような天才がいれば、伊賀のその後に道も開けよう。だが、信長が死に、あの阿呆の信雄が伊賀を思いのままにするとなれば、この地の民は地獄を見る。」
「であれば、信雄も一緒に討てばいいではないか!」
座の中から誰かが叫んだ。
丹波は声のした方をジロリと睨みつけ言った。
「先ほど申した通りだ。信雄を殺しても次の誰かが来る。
伊賀の民は9万あまり。そのうち兵力たるはせいぜい5~6千。忍びを数にいれても7千はいかんだろう。」
皆は突然話の方向が変わったことに戸惑っているが、丹波は構わず続ける。
「こたびの戦は誰のための戦か、皆に問いたい。」
「そんなこと決まっておろう。われら伊賀の民の存続の戦よ!」
年配の地侍が叫ぶ。
「ふ、伊賀の民か。お主らのような物の道理のわからぬ連中が、伊賀の民などと語るな!
お主らのすることが、民に何の得になるというのだ?いたずらに武門の誇りだのといってのっぴきならぬ状況を招き、民に危機を招いてるのが自分らだということがわからぬのか?」
「何だと!」
場は丹波対伊賀惣国一揆衆と言う感じになっていた。
それでも丹波は泰然とし、話を続ける。
「伊賀の民の為というならば、今すぐ武装解除して織田の軍門に降るのが最善の手段ぞ。
だが、お主らは先の戦で阿呆の信雄の手勢数千を打ち破ったことで、図に乗っておる。
こたびは奴ら同じ轍は踏まぬ。またぞろ前回の様に敵を攪乱攻めにすれば、奴ら戦闘員、非戦闘員の別なく、伊賀の民全てを撫で斬りにするだろう。」
一同内心ではわかっていたが、ちっぽけな自尊心と希望的観測で、誰もが言い出せなかったことを丹波はさらりと言ってのけた。
「死ぬことを誉とするたかだか6千人の自己満足の為に、数万の無辜の民が犠牲になるのだ。お主ら、自らの背負う罪を思い知った上で死んでいくのだな。」
座にいる一同の中には刀を抜き、斬りつけようとする者もいる。
「では百地党はこたびの戦に参加しないということですな!伊賀の上忍の家の頭領とも思えぬお言葉よ。」
長門が吐き捨てる。
「そのようには言っておらん。今更我らだけ引いたところで、伊賀の運命は変わらん。我らもここまで事態を悪化させた者の一翼を担ってきた者として、罪を背負って死ぬ覚悟はできている。
だが、我らが戦うのは自己満足のためではない。滅びゆく伊賀の地で織田の軍の狼藉から一人でも多くの民を救うために我らは戦うのだ。」
「率直に言って」
丹波の隣にいた同じく三大上忍服部党の当主服部正長が口を開いた。
「こたびは勝ち目が無いのは、皆おわかりのはずだ。」
頭に血が上った一同の気持ちを冷ますような
落ち着いた声音で言い聞かせる。
「その上で、武門の誉の為戦うも、民の為に戦うも各々勝手でよろしいのではないかな」
頭に血が上った面々の顔を見渡し、それを冷ますようわざとゆっくり話している。
「後世伊賀はかく戦ったと、誰かの記憶に残る戦いをすれば、我々名もなき伊賀者も浮かばれるというものではないか。」
服部はそう言いながら丹波と藤林を見た。
「我らこの地で多くの忍びを束ねるものだが、各々の思想は水と油ほど違う。この戦いの後、伊賀者が生き残るのか、死滅するのかはわからんが、生き残ったところが、伊賀者の術を残していこうではないか。」
藤林は苦虫を嚙みつぶしたような顔でそっぽを向いていた。
丹波は微笑をたたえ頷いていた。
伊賀の武人達は滅びのために戦う決意をした。




