第66話 陣触れ
天正9年7月
織田信長の名のもと、伊賀侵攻の陣触れが出された。
総大将は織田信雄とし、六道から侵攻し伊賀を平らかにせん、というものだった。
滝川一益は鞆田を呼びつけていた。
「とうとうここまで来たな。やっとあの伊賀者を根絶やしにできるわ。」
鞆田は局地的に柘植らに敗れたが、伊賀侵攻の為の下準備は万端整えていた。
伊賀者が使う抜け道、隠れ宿はほぼ壊滅させた。
前回の侵攻で伏兵、罠などが配置された所にはあらかじめ忍びを配置し、同じ轍を踏まぬよう警戒していた。
「単発の反撃はあろうと思いますが、壊滅的な打撃を加える力はもう伊賀に残っておりません。」
鞆田は冷静に現状分析して報告した。
「ふ、此度の侵攻は戦ではなく、地ならしだからな。伊賀の不浄な血を根絶やし、新しい血をもって新たな国を作るのよ。」
そう言ってほくそ笑む滝川の顔に映る狂気を鞆田は背筋の凍る思いで見つめていた。
一方平成の里
三太夫の元にショーゾーとマイが戻ってきた。
風の亡骸は大和で荼毘に付してきたが、その骨は故郷の平成の里に埋めてやりたかった。
三太夫、ゲンさんに加え、京都行きを断念したマサ、シホ、ユウが出迎え、悲嘆にくれる二人を温かく迎えた。
マイは里に戻ると、今にも風が駆けてきそうな気がして、胸が締め付けられる思いだった。
ショーゾーも戦から帰るたびに「チチ!チチ!」と駆けてくる風の姿を思い出し、人目も憚らず涙した。
里の広場が見渡せる炊事場の横に、小さな石を削って「風」と刻み、墓標とした。
宴の場をいつでも見守れるようにと。
保母だったシホは、和紙で作った風車を添えた。
誰もが風のことを思い出し涙した。
数日後、三太夫は二人に聞いた。
「どうする?ここは安全とは言えないぞ。風は残念だったが、二人ならなんとか抜け出す手立てもあるが。」
そう言われてもマイは魂が抜けたように返事をしなかった。
代りにショーゾーが答える。
「私たちはもうこの地に骨を埋めることに決めました。例え蹂躙される結末になろうとも、風と一緒にこの地の土に帰れるなら本望でございます。」
「そうか…子を失うことほど、親にとって辛いことはないからな。今は何を言っても無駄であろう。」
三太夫は理解を示した。
だが、まだ若い二人に年長者として問う。
「だがな、ショーゾー、マイ。二人が風を追うように死を選ぶことを、風は喜んでくれるかな?」
三太夫の声音は優しく温かい。
「風はチチ、チチとお前の事が大好きだった。そんな大好きなチチに死んでほしいなどとあの風が言うはずあるまい。生きていてほしい。そしてもう一度生まれかわって、お前達夫婦の元へ戻ってきたい。そう言っていると、俺は思うぞ。」
そう言うとショーゾーはまた泣き崩れた。
マイも生気のない瞳で三太夫の方を見ている。
「俺たちが居た現代では、子供が生まれて育つのは当たり前だった。だから七五三なんて風習がなぜあるかなんて気にもしてなかった。だが、この時代、命が生まれて育つというのが如何に難しいことなのか、つくづく思い知らされるよ。」
三太夫はマイの方を見つめて言う。
「命が3歳まで生きることが大変だから祝うのさ。それから5歳、7歳と、たかが2年毎に祝うのはそれだけこの時代が過酷だからだ。
7歳になってやっと、これからは少々のことでは亡くならないとされる。それまでは神様の使いとしていっときこの世界に派遣されている、そんな風に思うことで、この時代の人たちは子供を失う痛みを和らげようとしているんだ。死んだんじゃない。神様の元へ帰ったんだってな。」
マイの瞳に微かに光が戻ってきている。
「風も帰った。だが、またお前たちの元にやってくるかもしれない。いや、帰りたいと思っているよ。だから、お前たちは風が帰ってくる場所を守らなければならない。それは里じゃない。お前達二人が生きる事だ。お前達二人がいる所なら、風はどこでもまた帰ってくる。」
マイの目から滂沱の涙が流れていた。
「風は、神様の元に帰っただけ…」
マイは自分に言い聞かせるようにその言葉を反芻していた。
「…私たちが元気でいたら、風は、戻ってきてくれる…」
マイはショーゾーにすがって泣いた。
「あぁ、戻ってくるさ。風はいつでもお前たちの側にいる…」
平成の里に一陣のつむじ風が吹き抜けていった。




