第59話 南都を越えて
辰の正刻(午前8時頃)
里の一行は南都…古の平城京跡へと足を踏み入れていた。
往時の栄華はすでに失われ、土塀は崩れ、瓦もまばらに残るばかり。だが寺内町を中心に人々の営みは確かに続いており、荒れた大地の上に市場や茶店の喧噪が広がっていた。
ここからは街道を東北方面に行き、木津川を目指す。
順調にいけば、今日一日で木津川の関まで辿りつける目算だった。
関を越えれば山城、京都に入ったようなものである。
南都市街近くまで来ると興福寺の五重塔が目に飛び込んできた。
サイゾウら未来人は修学旅行で見た五重塔が、この戦国の時代から同じ姿でそびえている、時空を超えた既視感に、胸がざわつくのを抑えられない。
「これが…あの南都…」
百地郷の片田舎しか知らぬ千草は、立ち並ぶ堂塔や人いきれに圧倒されていた。
やがて東へ進み、東大寺の大伽藍が視界に入った。
ただし大仏殿はまだ再建途上にあり、廬舎那仏は仮の覆屋に半ば露わな姿をさらしている。永禄十年、松永久秀の兵火により焼き払われた爪痕がそこにあった。
「…本当に、歴史の中にいるんだな」
誰ともなく呟いた言葉に、皆が深くうなずいた。
「ねぇ、せっかくだから何か美味しいもの食べたいな」
緊張感を振り払うように、キョウ子が明るく言った。
東大寺の門前には茶店が軒を連ねている。サイゾウも腹を撫でながら頷き、皆はそのうちの一軒へ入った。
膳に出されたのは奈良茶飯…茶で炊き込んだ米に具を混ぜ込んだ素朴な料理である。
「奈良茶飯って炊き込みご飯みたいだね~」
キョウ子が言うと、オユキが
「うん。久しぶりにちゃんとしたごはん食べた気がする」
といって笑った。
千草もひよりも初めて食べる味に驚き、
「美味しい~」と歓声を上げている。
「この漬物、きっと未来の奈良漬けですよね。でも全然違うな。」
「ああ、酒の匂いが強烈だな。」
セイヤとサイゾウが食後のどぶろくを飲みながら笑い合っている。
戦火を逃れる旅の中にあって、ひととき観光旅行のような空気が流れた。
しかし、街道を進むほどに詮議は増えた。
その度にタイガがにこやかに応対し、時に袖の下をちらつかせ、巧みに切り抜けていく。
サイゾウは感心しきりに「お前も役に立つ男だな」と囁いた。
東大寺の門前を発って数十分。
タイガがサイゾウに耳打ちする。
「誰か付いてきてますね。」
「あぁ。だが、今のところ敵意は無い様だから、このまま木津川の手前まで歩き通そう。念のため最後尾をセイヤに警戒させてくれ」
そう言うとサイゾウはチラリと後ろを振り返り確認する。
かなり距離は離れているが、その姿を隠そうともせず、浪人笠をかぶり、槍を担いだ浪人風の男が、こちらと一定の距離をおくように付いてきていた。
未の刻(15時頃)一行は奈良坂を上っていた。ここを超えるといよいよ木津川が間近になる。
その中腹に、十人ばかりの役人風の一団が立ちふさがる。関所はもっと先にあるはずだ。
旅人を詮議するにはおかしなところだった。
いつもの様にタイガが進み出て対応する。
「これはこれは、お役目ご苦労様でございます。何かございましたか。」
するとリーダー風な男が鋭い目つきでタイガをにらみながら
「我らは織田伊勢守様の命にて伊賀者の詮議をしている。ある筋から、お主らが伊賀者であるという情報が入っている。大人しく同道するならば命までは取らぬが、抵抗するならば、この場で全員打ち捨てる!」
その強い口調に気負されつつもタイガは腹を据えて言った。
「おや~、ここ大和は筒井様のご領内と思っておりましたがね。お父上ならいざしらず、伊勢守様のご威光が、他国にまで及ぶとは聞いたことがございませぬな。」
「おのれ、命が惜しくないものと見えるな」
回りの兵が刀の柄に手を掛ける素振りを見せる。
「いくら織田様のご子息とはいえ、天下の大道で、理由なく殺生をなされば、それこそ御名を汚すことになりませぬか」
タイガは切羽詰まると却って度胸が据わるタイプのようだった。
相手の痛い所を確実についている。
だが、ここで相手を論破してもあまり意味はない。怒りに任せて切りかかってくるのは目に見えている。
かといって、大人しく同道しても、あらぬ嫌疑をかけられ、囚われどこかに移送される。
今朝ショーゾーとも別れているので、今里の一行の戦力はサイゾウ、セイヤ、ケイゴ、タイガの4人だ。
目の前に10人、後ろから来ている謎の浪人風の男もこいつらの後詰か…
サイゾウはそっと薪背負いのひよりを下ろし、オユキに預けた。
いざとなれば、戦うしかない。
「まぁよい、どうせ名もなき伊賀者など、何人斬ろうと誰も咎めぬわ。斬捨てい!」
サイゾウは咄嗟に仕込み杖を抜き、居合のごとく一閃。迫る一人を胴払いに斬り伏せる。
敵は一瞬怯み、足が止まる。
「こいつら歯向かうぞ。手加減無用だ。討ち取れ!」
敵の将が叫ぶと、敵は一斉に押し寄せてきた。
サイゾウが続けざまに2人を斬り伏せる。
セイヤ、ケイゴ、タイガも必死に応戦する
だが、相手は倍以上の数。武器も刀と槍に対し、こちらは短刀と苦無。
サイゾウらの防戦虚しく、最後は女子供を背にして完全に包囲されてしまった。
オユキとキョウ子がひより、千草、リンを抱きしめるようにして守っている。
子供たちは気丈にも堅く目を閉じ、オユキとキョウ子にしがみつきながら恐怖に耐えている。
(これまでか…)
サイゾウも観念するしかなかった。
「オユキ、すまんな…。俺たちが斬られたら、大人しく恭順して子供たちは守ってくれ。」
「そんなのずるいよ!子供たちのこと言われたら…一緒に逝けないじゃない!」
オユキが涙ながらにサイゾウに訴える。
「それでこそ俺の女房だ…」
サイゾウは振り向かずに微笑んだ。
サイゾウが覚悟を決めて、最後の一太刀を浴びせようとした時、
轟音とともに、正面の敵三人が血飛沫を上げて吹き飛んだ。
先程から後ろを付いてきていた浪人風の男が駆け寄り、手にした長槍を横一文字に薙ぎ払ったのだ。
「な、何者だ!?」
叫ぶ間もなく、槍が唸りを上げて次々と敵を薙ぎ倒す。突きは雷のごとく鋭く、払いは大風のように重い。
迫る兵はまるで藁人形のように宙を舞い、地を叩き、ある者は首を飛ばされた。
わずか数合で、敵はリーダー格の男を残すのみとなっていた。
「き、貴様、何奴だ!?お、織田伊勢守様の…」
と男が言い終わらぬうち、浪人態の男は口を開く。
「な~にが伊勢守だ。ここは筒井家の領内だ。お前ら他人の庭で何勝手な事やってやがる。伊勢守のたわ言は、伊勢だけで言ってろボケ!」
「ふ、不遜な!貴様何奴だ?」
「賊に名乗る名前は持ち合わせちゃあいないが、冥途の土産に聞かせてやるよ。俺は筒井家中、島左近清興!ニセ役人と違って、ちゃんと殿の命で動いているからな。お前らを切り捨てることも公務というわけだ。」
(島左近!)
サイゾウは衝撃を受けた。
後年石田三成がまだ4万石の扶持取りのころ、半額の2万石を持って召し抱えたと言われる男。
関ケ原の合戦でも、東軍から集中的に攻撃を受ける石田軍にあって、獅子奮迅の働きを見せ、徳川方から「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と言わしめた豪の者である。
官僚としての才は抜群だったが、戦については疎い三成に代り、石田軍の出処進退を実質的に担っていたのが、島左近だった。
この頃左近は40才くらいの働き盛りで、筒井家中で武を持って鳴らしていた頃である。
幼少で家督を継いだ順慶を補佐してきたことで、その信任厚く、順慶が前田利家からの親書に応えると決めた時、陰ながらこの一行を庇護してやってくれと指示されていたのだ。
「まだ何か言いたいことはあるか?」
左近がニヤリと笑みを浮かべながら腕組みして問うと、男は「くっ、覚えてろ」と言って跳躍した。
だが、「てめぇなんぞ覚えてられるか!」と言いながら放った左近の槍が雷のように唸り、男の背を貫き、無残にも地へ沈んだ。
戦国の豪傑のあまりの迫力に、里の一行は茫然と見ているだけだった。
左近が死体から槍を引き抜き、血を拭っている所へ、サイゾウが進み出て礼を述べた。
「おかげで大変助かりました。」
そういうと左近は浪人笠を取り、笑顔で答えた。
「いやいや、我が領内で不届き者に襲わせては、我ら家中の恥。奥方や子供たちに怖い思いをさせたな、許してくれ」
「あなた様がいなければ、我ら皆ここで果てておりました」
重ねて礼を述べると、左近は手を振った。
「もうよい。木津川の関まで賊は出ぬだろうが、念のため俺も同道しよう」
頼もしい護衛を得て、里の一行は大和路の最後の坂を登りはじめた。
またまた戦国の有名武将が登場です。
島左近については、東軍側から見るか西軍側から見るかで評価の分かれる武将ですね。
関ケ原で討ち死にしたと言われていますが、遺体が見つからなかったことから生存説も多数残っています。
今後この物語を続けていけば、再登場もあるかもしれません。




