第60話 狼煙
隼人ら一行は、伊賀の抜け道を抜けた先の炭焼き小屋へ駆け込んだ。
息は荒く、額からは汗が滴り、土埃が喉を焼く。
朧を庇いながらの山越えはあまりに遅く、追手の影はすぐ背後に迫っている。
「さすがに、まずいな…」
隼人は短く吐き捨てた。
戦闘続きで物資も尽き、手裏剣も焙烙火矢も残っていない。
残るは鞘に収まった忍者刀が一本ずつ。頼りない鉄の重みだけだった。
「この小屋も包囲されているようです。」
玄十が冷静に報告する。
「道具を失った忍びなど、鹿狩りの鹿と変わらん…飛び出せば矢玉の餌食よ」
隼人の声は冷ややかだが、その奥底には不屈の信念が見えた。
「すいません。私が足手まといなために」
朧が皆に向かって頭を下げる。
「いいや、皆百地忍軍の絶対走り抜けの禁を破って戻ったのだ。悔いはないさ。」
弥太郎が明るく笑う。
「そうそう、朧姉にはこれまで何度も命救われているから、このくらい当たり前です。」
朱音が膝をつき、朧の傷を気遣いながら言った。
「みんな…ありがとう」
朧の瞳に光るものが浮かぶ。
その時、玄十が暖炉の脇を指さした。
「頭、これ使えませんかね?」
側に行ってみると、暖炉にくべる薪の束に加えて藁束が山の様に積んである。
隼人は瞬時に意図を悟った。
「なるほど…狼煙か。」
暖炉の焚き付け用には不相応な数の藁束は、きっと伊賀忍びの通信用だ。
「サイゾウらが待ち合わせの宿場まで来ていれば、ここからの狼煙が見えるはずだ。他に近隣に潜伏する伊賀衆達も気付くやもしれん」
だが、狼煙を上げれば包囲している甲賀衆の襲撃も早まる。
襲撃があるとすれば、無駄に犠牲の出ない焼き討ちだろう。
幸い小屋は石造りで燃えにくい構造になっていた。伊賀の者がこういう忍び小屋を作る時には必ずアレがあるはずと隼人は読んでいた。
「どこかに地下への入口があるはずだ。探せ!」
皆小屋の床を舐めるように探す。
「あった!」
霞がかまど横に置いてある貯水瓶の下にそれを見つけた。
玄十と弥太郎が水が入った瓶をずらし、隼人が石造りの蓋を持ち上げると、地下空間がぽっかり口を広げた。
松明を点け、中を調べると、特に何もない空間だが、6人が十分は入れる大きさだった。
「よし、朧と霞は先に中に入っていろ。朱音は暖炉で藁束を燃やし狼煙を上げよ。火が点いたら瓶の水をたっぷりかけ、大量の煙が出るようにいたせ!」
「ハイ!」と言って、朱音は狼煙の準備に走った。
「残る者は戸や窓を塞げ。燃えやすい物には水をかけろ。少しでも時間を稼ぐぞ!」
忍び達は迷わず動き、迫る嵐に備えた。
一方里の一行
「おかしいな。柘植様達がまだ着いていないとは…」
サイゾウが呟く。
木津川の関の手前の宿場、ここが里の一行と百地党の合流場所になっていた。
忍びの脚ならとっくに着いているはずである。
宿場の木賃宿一軒一軒を当たってみたが、隼人らの一行が来た形跡は無かった。
時刻は酉の刻あたり。
6月で陽が長い時期ではあるが、辺りは夕焼けで赤く染まり出していた。
これから郡山城下へ戻るのは無理ということで、護衛についてくれた島左近もこの宿で一泊することになった。
「とりあえず宿を探すか。」
左近がそう言った時、千草が小さく叫んだ。
「狼煙!」
皆一斉に千草の視線の先を見つめる。
朱に染まる夕焼け空の稜線に、白い煙が立ち上っていた。
「朧!朧たちだ!サイゾウさん、朧たちを助けて!」
千草が涙を浮かべながらすがってくる。
だが、サイゾウ達も武器弾薬の類が尽きているのは一緒だった。
まして、女子供だけを宿場とはいえ、この地に残していけない。
「…お願い」
千草が手を合わせ、必死にサイゾウを見ている。
サイゾウは深く息を吐き、決断した。
「島様。我ら仲間を救出にあそこに向かわねばなりません。こんなお願いできる立場ではないのですが、この子らを我らが戻るまで守っていただけないでしょうか。」
そう言われると左近はニヤリと笑った。
「男だなサイゾウ。お主らとて手負いの状態なのに、仲間を救出に向かうか。」
そして千草の頭を撫でながら答えた。
「お主らが存分の働きが出来るよう、この者達のことは俺がしかと承った。後顧の憂いなく存分に働いて参れ!」
「ありがとうございます。島様が付いていてくだされば、これほど心強いことはありません。」
そういうとサイゾウは、タイガ、ケイゴ、セイヤを見渡した。
皆覚悟を決めた目で頷き返した。
最後にサイゾウはオユキとひよりを見た。
オユキは心配そうな顔だが、必死に笑顔を作ろうとしていた。
そしてひよりが心配そうに呟いた。
「サイチチ、無事戻ってきてな」
初めてサイゾウを父と呼んでくれた。
思わず涙が出そうになるのをこらえ、サイゾウはひよりを抱きしめた。
「行くぞ!」
サイゾウの号令の下、駆け出そうとした時、
「これ持ってけ!」
と左近が持っていた豪槍をサイゾウに投げてよこした。
サイゾウは槍を受け止め深々と頭を下げた。
そして振り返らず、仲間と共に走り出した。
空の色が赤から紫色に変わりつつあった。




