第56話 大和の関
「そろそろ夜が明ける刻限かと…」
朧は隼人の胸に顔を埋めながら、いつまでも終わらせたくない幸福に満ちた時間を過ごしていた。
だが、自分たちの使命を忘れることはできない。
隼人も同じ思いを抱きながら、二人は身支度を整えはじめた。
その際、隼人がふと朧に問いかけた。
「朧…お前“未来”という言葉を知っているか?」
「み、らい…でございますか?いいえ、存じ上げません。」
不思議そうな顔で朧は隼人を見つめた。
「先の事を表わす言葉らしい。明日、明後日も未来、百年、千年先も未来だ。」
「さようでございますか。私はそのような先のことなど考えもしたことありませんので…」
朧にはそのような遠い先の事を考えるという気も起きなかった。
「ずっとずっと先、我らが死に絶えた遥か先の未来ではな、戦が無い世の中が来るらしい。」
「それでは我ら忍びはどうなるのでしょう?」
「忍びなどおらん。もちろん武士も大名も。皆がただの民として、平等に暮らすのだ。」
朧にはそんな世界が全く予想できなかった。
「そのような世界であれば、私と隼人様は主従という関係では無くなるのですか?私は御側にいられなくなるのでしょうか?」
朧が少し悲しそうな顔で問いかけてくる。
「その世界では主従やら何やらということはないのだ。人は身分という物がなく、男と女も皆平等なのだ。だから、我らは誰の気兼ねなしに夫婦となり、命の危険無く暮らすことができるようになるのだ。」
「そんな夢物語のような世界が本当にくるのであれば、いつか隼人様とその時代に生まれ変わりたいものです。」
あくまで一途な朧の心が意地らしく、隼人は再び抱き寄せ口づけを交わした。
「そうだな。いつか未来で巡り会おうな。」
「はい。必ず隼人様を見つけに行きます。」
二人は見つめ合い、微かに微笑むと、里の一行の元へ戻っていった。
陽が上ると、一行は先に進むものと戻るものとに分かれた。
マサとユウとシホは一行と反対方向に峠を下った。
途中野盗の残党がいないとも限らないので、隼人は玄十を峠下まで護衛に付けた。
一行は3人が見えなくなるまで手を振り続けた。そしてまた京を目指して歩を進め始めた。
いつものように朧にピタリと寄り添っている千草が、朧の微妙な変化に気付いた。
「なんかいいことあったの?朧いつもと雰囲気違うよ」
「えっ!」
いつも冷静沈着な朧が声を上げ、顔を赤らめている。
もちろん千草が男女の機微など知る由もないが、朧にいいことがあったらしいことは察していた。
「変な朧…。でも、なんか柔らかくなったよ。今の朧も好きだな。」
千草が朧に微笑む。
いつも一緒の千草は、見ていないよいうで、ちゃんと見ている。
自分の喜びを分かってくれる小さな理解者が朧にも嬉しかった。
「幸せ…見つけたんです…」
微かに聞こえるかどうかの声で朧は呟いていた。
隼人は既に頭領の顔に戻っていた。
絶えず弥太郎、朱音、カスミを先導させ、その報告を聞きながら先頭を歩いている。
夕方、隼人達は昨夜夜を明かした古寺に到着した。伊賀と大和の国境手前である。
皆夕餉の支度をしていた。夕餉と言っても簡単な携行食を湯で戻して食べる程度だった。
疲労した肉体にはとても足りる量じゃなかった。
そんな時、タイガがウサギを仕留めてきた。 タイガは弓が上手い。全員で食べるとそれほどの量にはならなかったが、貴重なたんぱく源として皆喜んでいた。
そんな賑わいの輪から少し離れたところに、隼人、玄十、弥太郎、サイゾウ、ショーゾーが集まっていた。
「いよいよ明日は伊賀を超える。敵領内だからどんな不測の事態があるかわからない。」
と隼人が言うと、玄十が続いた。
「先ほど物見に出ていた弥太郎の話ですが、ここの抜け道は生きているようです。」
「うむ。ただその場合街道から遠ざかるため、遠回りにはなるな。しかもその先泊まれる目ぼしい宿がない。おまけに山中は織田の忍びの勢力圏内だ。」
「分散して関所を通るか?」ショーゾーが言う。
「それも手だな。我ら百地党は抜け道を行き、その先で合流でもいいしな。」玄十も続いた。
関所がある街道で襲われる危険性は少ないが、百地党と分散するのは一抹の不安がある。
だが、どう抑えても百地党の武人の雰囲気は拭いきれず、平成の里の者だけでいる方が、一般人という風に見られ詮議されない可能性もあった。
「柘植様方とは一度別ルートを取ろう。千草殿はこちらでお預かりした方がいいだろう。 我ら里の方も分散せず一塊でいく。個別に行って、役人対応間違うと救いようがない。」 サイゾウは熟考の末言った。
「あとはこいつがちゃんと効果を発揮してくれるかだな」
サイゾウが持っているのは、ゴエモンが密書に同封してきた通行許可願だった。
神鳳堂の神谷宗兵衛の名で、“京都内での難民救済所設営のため、その責任者の身内の者を通過させてほしい”とされていた。京都町廻りの日置忠之臣の添え状も付けらていた。
山城まで行けば、実質信長の直轄領に入るので、なんら問題ないだろうが、大和は筒井順慶が治めている。
京都の意向がどこまで通じているか。
一抹の不安はあった。
―翌朝 隼人はサイゾウに言った。
「この先はお主の機転が頼りだ。千草様のことも重ねてよろしく頼む。」
「どうなるか保証はできませんが、できるだけのことはします。柘植様も抜け道の先、合流地点に我らが到着しない時には、様子見に来てくだされ。」
「共に、健闘を祈ろう」
そう言って、百地党は伊賀の抜け道を通るべく山中に消えた。
朧は千草に「ちゃんと里の皆さんと仲良くするのですよ。」と言って手を振った。
リンが「ちーちゃんのことは任せてください。」と笑顔で言うと、「頼みます」と言って朧も山中に消えていった。
残った里の一行は12人。 男5人女7人であった。
街道を1刻程歩くと、大和との国境に着いた。
侵攻を前にした関所は、詮議が厳しいと見え、かなりの人がごったがえしていた。
普段は山伏や行商人などが多いが、今は里の一行と同じように国外脱出を図る家族連れも多く見られた。
だが、通行許可証、手形の類を持たず、追い払われている者も多数いた。
「大丈夫かな?」オユキが囁く。
「どうかな。まぁ出たとこ勝負しかあるまい。」サイゾウは皆に不安を与えないようわざと明るく言った。
関所は厳重に木柵と門があり、高札にて『通行手形ナキ者入国ヲ禁ズ』と書かれている。
一行の順番 抜き身の槍を持った粗衣の番卒が声を上げる。
「止まれぃ!いずこより参った。大和に何用だ。」
「はい、我ら伊勢の白山から参りました。京にいる親類より、京都守護様の命にて救民所を多数作るため、事業を手伝うよう言われて向かっているところでございます。その通り道として、大和様の領内を通らせていただきたいという所存です。」
交渉役は、口が上手く何故か人に好かれるタイガが引き受けた。
目の前の粗衣の番卒の後方幔幕内には、上役らしい鎧武者が数人にらみを利かせている。
「手形はあるのか?」
「へい、こちらに」
そう言ってタイガは神谷宗兵衛の通行許可願と日置忠之進の添え状を重ねて渡した。
番卒がそれを幔幕内の上役に回した。
「お主ら伊賀者ではあるまいな。現在織田伊勢守(信雄のこと)様からのお達しで、伊賀者の国外転出は厳禁とされておるからな。」
番卒は特に体格のいいサイゾウを根目回しながら言った。
それに対しサイゾウが、
「伊賀者であればかような大所帯で関所など通らずに、山中忍んで行かれるんじゃないですか?ましてこんな女子供の足弱を連れてわざわざ行く伊賀者など聞いたことないでしょう。」
そう言って笑うと、番卒も 「まぁ、もっともだな」と言って口許を緩めた。
後ろの上役人が声を発した。
「確かにどちらも本物であるな。京にて救民所を設営する話も聞いたことがある。
だが、なぜこれほどの大勢で行く?しかも子供まで行って役に立つのか?」
オユキが進み出て言う。
「私ら、旦那に行かれて子供らと残されても、飢え死にするだけでございます。聞けば救民所では、病人や年寄りの世話など、女手が重宝することもたくさんあると、向こうの親類に言われて、それなら皆で行こうと決めてきました。」
オユキの心からの訴えかけに役人も心動かされたようだった。
「言う事いちいちもっともなことよ。特に止めだてする理由もない故、通行は許可するが、領内で騒ぎは起こすなよ。」
幕内の上役がそう言うと、番卒は遮っていった槍を開き一行を通した。
一行が見えなくなった頃、幕内にいた別の武者が、幔幕の外に控える使い番に耳打ちした。
「城に伝えよ。怪しき一行が領内に入った。監視を怠らぬようにと。」




