第55話 各々の命
二日目の夜。
一行は峠茶屋の廃墟から動けず、そのまま一夜を明かすこととなった。予定より大きく遅れている。
井戸端に腰を下ろし、サイゾウは考え込んでいた。
弱音を吐く者が出始め、「里に戻りたい」という声すら上がっていたのだ。
水を汲んで来たオユキが、竹筒を差し出した。
「ご苦労さま」
戦いを経て、幼いひよりを背負い、なお人々の思いに応えようとする夫の姿に、誇らしさと同時に胸を締め付けられる思いがあった。
「思ったより大変だね」
「歩くだけでも骨が折れるのに、初っ端からあんな戦いだ。怯えるのも無理はない」
「私も怖かった。ひよりに見せないよう、必死に目を覆っていたくらい」
「これからの敵は、あんな野盗よりはるかに手強い。…帰りたい者は、帰らせた方がいいのかもしれん」
サイゾウは水を飲み干した。
オユキが静かに言った。
「皆を守るのも大事だけど、命の使い方は一人ひとりのものよ。戻るにせよ進むにせよ、覚悟は要ることだもの」
その言葉を聞き、サイゾウは少し考えこんだ。
そして何かを悟ったように頷き、微笑んだ。
「やはりお前は、俺には過ぎた女房だな。」
「そんなことないよ。あなたも過ぎた旦那様よ。」
そう言ってお互い照れたように笑った。
-峠で里の一行が一夜を明かしている頃
隼人は一人偵察に来ていた。
峠を下った先に伊賀の隠れ宿があったが、隼人は使うのを避けた。
先日の安田仁左衛門のような邪な考えを持つ者がまた現れないとも限らないからだ。
隠れ宿の先に、ちょうどいい廃寺があった。
ところどころ朽ちているところがあるが、屋根は落ちておらず、一晩夜露を凌ぐには十分だった。
寺の中を視察している時、背後に人の気配を感じた。
振り向かなくてもわかる気配だった。
幼いころからずっとそうして後ろに付き従い、自分をジッと見つめる視線。
「朧、どうしてここまで?」
「隼人様のお考えは全てわかります。恐らく明日の宿の下見であろうと推察しお供しようと思い参りました。」
「まったく…お前は俺の事はなんでもお見通しだな」
隼人は苦笑いする。
二人で寺内を点検して歩き、特に危険がないことを確認し終えた時、サーっという音共に雨が降り注いできた。
「止むまで少し待つか。」
そう言って二人は本堂の縁側に並んで座った。
百地忍軍の主従から、幼馴染の隼人と朧に戻り、他愛もない会話を始めた。
「千草様は昔のお前に似ているな」
「左輔さまこそ、昔の隼人様に瓜二つです。」
「俺はあんなに小生意気ではなかったぞ!」
「まぁ!ご自分の事はわかっておられないのですね。」
クックと笑う朧。
隼人もフッと笑みを漏らしながら言った。
「お前がそう言うならきっとそうだったんだろうな。親も弟も失った俺のことを誰より見てきたのはお前だからな。」
「はい。身寄りのない私に優しくしてくれたのは隼人様ご兄弟だけでした。まだ小さく水汲み等の家の仕事に人の倍かかっている私を、お二人が密かに手伝ってくれて…。その結果、隼人様達のご用が間に合わなくて、折檻されているご様子を何度も見てきて、将来お二人の為に私の人生は捧げようと幼心に誓っておりました。」
それを聞き隼人も懐かしそうに答える。
「そんなこともあったな…昔のお前はおっとりしてて、無口だったから、こちらが手を貸してやらんといつ終わるやらハラハラしたものよ。」
「でも、嬉しゅうございました…」
朧が微笑みながら隼人を見つめてくる。
「お前が師の元を破門され、俺が引き取って以降、忍びになどならず、どこかへ嫁ぎ普通の暮らしをすることもできたのだぞ。なぜつらい道を選んだ?」
「…理由などございません。気づけば、私の視界には常に隼人様がおられました。それが私の人生。それだけでございます」
「それで幸せなのか?」
「はい。それ以外に幸せと思うことはございません。」
「これから先、我らはいつ命を落としてもおかしくない。お前、俺が死んだらどうする?」
「ご一緒に…付いて参ります。」
迷うことなく朧は言い切った。
「頑固な娘よ」
隼人は笑った。
「いまさら変えられませぬ」
朧も笑った。
しばしの沈黙の後、隼人は意を決して言った。
「せっかくこの世に生を受けたのだ。俺はお前に女の幸せを味わわせてやりたい…」
朧ははにかみながら、それでいてハッキリと言った。
「それは…隼人様にしかできないことでございます。」
「……わかった。」
隼人は静かに朧の肩を引き寄せた。
朧は固く瞳を閉じ、それでも拒まず、ただその腕の中に身を委ねた。
夜は深まり、雨が止んでも、二人はしばらく寺を出ようとはしなかった。
―翌朝。
サイゾウは皆を集めた。
「ここからなら里へ戻ることも容易だ。行くのも戻るのも命懸けに変わりはない。己の命だ。どう使うか、自ら決めてほしい」
言葉に緊張が走る。戦いを経験したばかりだけに、その重みはいやでも増していた。
最年長のマサが口を開いた。
「俺は戻るよ。シホさんも無理はできんだろう。護衛を兼ねて、年寄り二人は里で過ごすさ」
シホも頷き、
「どこも危険なら、愛しい里にいる方が良いわ」と告げた。
肩を負傷したユウも、里で養生すると言う。離脱者が出ると、決意を固めていた者たちの心にも迷いが広がった。
そのとき、幼い声が洩れた。
「…私も、帰ろうかな」
六つのひよりだった。
皆が驚いて振り向くと、彼女はうつむいたまま、ぽつりと続けた。
「だって、ひよりは…里の子だもん」
そう言ってポロポロと泣き出した。
ひよりの母は産褥でひよりを産んですぐ亡くなっていた。父も、ひよりがまだ1才の頃軍役に行き、敵の流れ矢を受け絶命した。
以後ひよりは里の子として、里の独身女性が共同生活する家で育てられてきた。
ひよりが里の子というのは、身寄りがないことに加え、里そのものが両親だという意味にも聞こえた。
幼いひよりがそんな事を思っていたのかと、大人たちは胸を打たれた。
そんなひよりの前にオユキが進み出て、ひよりの顔を覗き込むようにして優しく話しかけた。
「ね〜、ひより。オユキ姉お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
ひよりは涙を拭きながら、「何?」と首を傾げた。
「オユキ姉とサイゾウおじちゃんさ、この前結婚式したよね。ひよりもたくさんお花摘んでくれて、たくさん投げてくれたの。覚えてる?」
ひよりは無言で頷く。
「結婚するとね、今度は子供欲しくなるんだ。でもさ、コウノトリさんは気まぐれだから、いつ来てくれるかわからないんだよ。」
ひよりはジッとオユキを見つめる。
「だからさ、ひより、オユキ姉とサイゾウおじちゃんの子供になってくれないかな?サイゾウおじちゃんもひよりが可愛くて、ずっと背負ってるでしょ。」
サイゾウはオユキとこの話を事前にしているわけじゃなかった。
でも互いにひよりを娘に、と同じ思いでいたのが嬉しかった。
「そうだひより。頼むからうちの子になってくれよ。おじちゃんずっとひよりが子供ならって思ってたから、今回ひよりを背負えるの嬉しくて嬉しくて、下ろしたくないって思ってるんだぜ。」
里の皆も、サイゾウとオユキの機転と優しさに感動していた。
同時にさすが里のリーダーだとも思った。
何よりひよりの顔に笑顔が戻ってきていた。
「どう、ひより?私たちの子になってくれる?」
「それなら、一緒に京都へ行ってもいいの?」
ひよりは上目遣いで聞く。
「そんなのうちの子にならなくても一緒でいいのよ。そうじやなくて、私たちは純粋にひよりと家族になりたいの。」
ひよりは恥ずかしそうに笑い、オユキに抱きついた。
「じゃあ、なる」
念を押すようにオユキが聞き返すと、ひよりはこくりと二度頷いた。
重苦しかった空気に、ぱっと光が射し込んだようだった。
小さくとも里の仲間。
誰もが各々の命を悔いなく燃やし尽くしていた。




