第50話 さらば平成の里
「左輔様がおりませぬ。」
隼人の元へ玄十が報告してきた。
「初めて来た里が物珍しくてうろついているのではあるまいか?」
出立の準備を終え、旅程を地図で確認しながら隼人は問い返した。
「いえ、我ら百地の忍び5人で各所探して歩きましたが、どこにも見当たりません。」
さすがにそこまで聞くと、隼人も地図から目を離さざるを得なかった。
「まことか?」
そう言って立ち上がったとき、部屋の戸が開き、朧が千草を伴い入って来た。
「隼人様。千草様が左輔様を見たと…」
「おぉ。それで左輔様はいずこに?」
隼人が膝を折り、千草と同じ目線で問う。
「左輔、里の使い番についていっちゃった。」
「なに!?」
恐らく自分たちの出立を知らせる使いだろう。
行先は言わずもがな、京のゴエモンのところだろう。
「その話いつ頃ですか?」
隼人が千草に尋ねると、もう半刻は経つだろうと言う事だった。
「いかがしますか?今から追いかけて連れ戻しますか?」
玄十が問いかける。
「今から行っても間に合うまい。使い番は何度か俺のとこに来たことがあるケンタという少年だろう。里一番の健脚だ。
それに左輔様だろ。我らの脚で追いつけるわけがない。」
そう言って隼人は苦笑した。
「まったく困ったお方だが、忍びとしては天性のものを持っている。二人ならば人目にもつかず行くこともできよう。」
(丹波さま、あの子は我が手に余りますぞ…)
隼人は内心で呟きつつ、苦笑いした。
「まぁ、よい。元々戦力には数えていなかったからな。何かあればいずれかの情報網から聞こえてこよう。」
そう言うと隼人は朝まで少し眠っておけと皆に指示した。
翌朝、旅支度を整えた一行は、里の門をくぐり思い思いに振り返った。
風に混じる薪の香り、土の匂い、遠くで鳴く鳥の声…。
長く過ごした里の風景が、胸の奥でじんわりと染み渡る。
炊事場、畑、皆で火を囲み宴を催した広場。
目に焼き付く光景の一つひとつが、静かに、だが確かに心に刻まれていく。
「今度はいつ帰ってくるの?」
薪背負い(まきしょうい)を改良して、子供が座れるようにしたものに背負われながら、風が無邪気に尋ねる。
「そうだな~。一冬越して来年の今頃かな~」
マイが極力明るく答える。
里の入口では、三太夫とゲンさんがいつまでも手を振っていた。
次に戻ってくるとき、里はどうなっているのか…。
ゲンさんの元気な姿を見るのは、これが最後かもしれない。
皆、声には出さぬが、そんな思いを胸に抱き、深々と一礼してゆっくり歩を進めた。
里の一行は当初の17名から、居残る2人と使い番に出たケンタを除いた14名、百地党は左輔を除いた7名、計21名になった。
一方ケンタと左輔
夜中はさすがに土地勘の無いところは危険と思い、途中の小さな神社の軒先で野宿した。
二人がぐっすり寝入っていた夜半、参道から人の気配がしてきた。
左輔は薄目を開き、参道を注視していた。
やがて山伏風の男二人が近づいて来た。
こうした寺社を旅人が野宿に使うことはよくあった。
向こうも先客がいることに少し驚いていたが、子供だとわかると気にせずくつろぎだした。
小声であるが、二人の会話が聞こえる
「織田様の包囲は厳しいな。これほどとは思わなかったわ。」
「まことに。伊賀は草木一本たりとも残らず焼き払うというのは本当なのだろうな。」
「我ら修験者には、はた迷惑な話よ。」
「それに加えて山賊共も色めきたっておるわ。伊賀から脱出しようとする奴らは全財産持っておるからの。稼ぎがガッポガッポじゃろう」
「さらにそいつらを織田の陣地に差しだして、伊賀者であったなら褒賞にもあずかれると言われれば、皆進んで街道狩りを致すわな」
「あー、俺も少しあやかろうかの~」
そう言って修験者2人は、声を押し殺しながら笑っていた。
左輔は怒りで頭に血が上っていた。
自分の故郷を、その民を、猟場で鷹狩でもするかのごとく嘲笑う目の前の二人に我慢がならなかった。
無意識だった。
体が勝手に動いていた。
左輔は手にした苦無を投げ、一人の胸板に命中させた。
もう一人には短刀を首元に当て掻き切った。
物音に気付いたケンタは驚愕した。
「さ、左輔…お前、何を...」
ケンタは二つの骸の前に立ち尽くす小さな少年に駆け寄り、その顔を見た。
左輔は泣いていた。
ボロボロと大粒の涙を流して。
ケンタに縋り付き号泣になった。
初めて人を殺めたのだ。
そして修験者によって語られた現実…
故郷が蹂躙される様を思い、悲しみと怒りが入り混じった。
ただ泣くことしかできない、どこにもやり場のない感情だった。
ケンタはただ左輔の背を撫でた。
「俺たちで、皆を助けような…」
左輔は泣きじゃくりながら、かすかに頷いた。
空が白み始める頃、ケンタと左輔は神社を出た。
修験者の骸は暗いうちに山の中へ葬って来た。
「なぁ、俺、都に行くのは初めてなんだ」
左輔の顔には笑みが戻っていた。
(強い子だ…)ケンタは感心する。
昨晩、激情に任せて修験者を斬った左輔も、悔いてはいるようだ。だが必要以上に自らを責め込まぬのは、生まれながら武家の子として死生観を植えつけられているからだろう。そこが里の者とは違う…ケンタはそう思った。
「俺も初めてだよ。けど京都のゴエモンさんは優しくて強くて…きっと左輔も好きになるよ」
「ふん。強いやつなら百地にもごろごろいるさ。どんな奴か楽しみだな」
二人は言葉を交わしながら駆け出していた。




