第43話 風結庵
翌日、町の空気は一変していた。
ゴエモンとアヤカが通りに出ると、町のあちこちから声が掛けられるようになった。
「あんたら凄かったんだってな。奥さん神業の持ち主なんだって?」
「早産の母子共に救うなんてすごいわ~、うちの嫁の出産のときも頼むわ。」
「男なんて穢れだなんだって、女の苦労も知らずに『子はまだか』『男子を産め』とばかり言うけど…あんた、神谷の旦那と息子を叱り飛ばしたって聞いて、ほんまスカッとしたで!」
「早う開業してや! 旦那さんの按摩、めっちゃ効くらしいな。タツがめっちゃ楽やったって、玉さんが町中に言うて回っとるわ」
どうやら、姑の玉が昨日の一件をあちこちで触れ回っているらしい。だが、悪く言われているわけではない。ありがたいことだった。
物件は、六角堂からは少し離れているが、長屋ではなく独立店舗の少し大き目な所に決めていた。
理由はいずれ里から避難してくる人たちを一時的にでも収容するため、ある程度広さがあること、百地党や里の者の出入りがあることからも、近隣と離れている方が都合がいいと思われたからだ。
手続きやらがあり、実際に越してこれるまで少しかかりそうだが、掃除や荷物の搬入は始めていいと言われていたので、必要なものを買いつけに町に出てきたのだ。
住居にかかる費用は京都守護の村井貞勝が面倒見てくれると言っていたが、神谷宗兵衛も
「嫁と孫の命の恩人に何もしないなんて、それこそ神谷の名折れです。ここは意地でも面倒見させていただきまっせ。」
と言って、町衆にゴエモン達が来て買い物した時は、一切代金を受取らず全て宗兵衛にツケて置けとお達ししているらしい。
まったく、京都初日に味わった京都人の冷たい仕打ちは何だったのか、と思わされるほどの熱いもてなしにアヤカもゴエモンも逆に戸惑いを覚えていた。
家財道具や養生所で使う長椅子や机、など目ぼしいものを一通り決めた。大きいものは配達してくれるというが、その際に
「お店の名前は?」
と聞かれてハッとした。
そう言えば決めてなかった。
その場は住所だけ言ってきたが、何て名前にするか、宗兵衛宅の離れに戻って二人で話あった。
「なんか考えてた?」
アヤカが聞いてくる。
「いや~、養生所をやるってことだけ決めてそれが名前のように思っていたよ。
なんか名案ある?」
ゴエモンがそう問い返すと、アヤカは虚空を見上げて少し考えていった。
「2案あるんだ。一つは私たちの里の名前そのままに平成堂。もう一つは“風結庵”。」
「それはどういう意味で?」
「うん。私たち里でもここでも本当にたくさんの人の好意で生かされてるなって思うの。そんな私たちが、ここで人と人を結び付けて、それをどんどん大きくしていきたいなって。そんな願いを込めて付けてもいいかなって。それと、風はあなた。風の如く現れ人を結ぶ忍び。」
「素敵だね。風結庵……それでいこう!」
こうして二人の京都での拠点が決まった。
開店の日、神谷宗兵衛と宗一郎が祝いに訪れ、立派な木彫りの看板を贈ってくれた。
風結庵の三文字が大きく刻まれたそれは、堂々として美しかった。
そして神谷邸でのアヤカとゴエモンの活躍を聞きつけた町衆が、列を成して開業をまちわびていた。
京都町廻りの日置忠之進も様子見に来てくれた。
アヤカは受付を担当し、来訪者の相談内容を聞き取って、ゴエモンが診るか、アヤカが対応するか、それとも医師への紹介が必要かを振り分ける。今で言う「トリアージ」だ。
ゴエモンの按摩は力加減が絶妙で、さらに小さな蕎麦殻枕のようなものを熱して手拭いに包み、患部に当てて痛みを和らげた。いわばホットパックの代用である。
さらに、神鳳堂と連携し、症状に応じた薬を処方。いわば院外処方箋と薬局のような仕組みだ。神鳳堂からは一人、薬の注文係も常駐してくれることになった。
アヤカもゴエモンも、特別なことをしている意識はなかった。
だが、町の人々にとっては革新的で、「風結庵」の名は瞬く間に広がっていった。
だがその分、本来の目的であった情報収集はまったく進まなかった。
井村五平との接触も、信長との繋ぎも、何も得られぬまま十日以上が過ぎた。
そんなある日。
朝から診療を始め、三人目の患者が入ってきた。
四十代ほどの、ややくたびれた浪人風の男。
受付票には「膝の痛み、治療希望」とある。
男を一目見るなり、ゴエモンは声をかけた。
「…右近か。本当に治療か? それとも、またお役目か?」
すると男はニヤリと笑い、顔をゆるめた。
「おお、旦那。成長しましたなあ。
今まではあっしの変装にコロッとだまされてばっかでしたが、ようやく見破れるようになりましたか」
変装を見破られたことを、むしろ誇らしげに語る右近。
ゴエモンは、日々さまざまな患者を診るうちに、あることを学んでいた。
人には変えにくい特徴がある―鼻の形、耳の輪郭、歯並び。
右近との接触を重ねる中で、そうした「変えられない部分」を自然と覚えていたのだ。
「旦那も、立派な忍びになったということですな」
右近は身を乗り出し、声を潜めて告げた。
「さて、本日は前田様からのご伝言を預かっております。
今夜、戌の刻。前田様の京の屋敷にて、お会いしたいとのこと。初回ですので、あっしがご案内いたしやす」
ゴエモンの胸に、久々の緊張が走る。
だが右近は、ひょうひょうと笑って言った。
「まあ、せっかく来たことですし。旦那、ついでにこの膝、診てくだせえな」




