第41話 掴んだ信用
番所から出ると、神谷宗兵衛がひっそりと立っていた。
「お待たせしました」
ゴエモンが声をかけると、神谷は何も言わずに踵を返し、歩き出した。
またか…。
昨日の一件で、京都人の冷たさは骨身に沁みていた。
だからこそ、神谷のつれない態度にも、二人はもう腹も立たなかった。
これからは、こういう人たちを相手に生きていくのだ。腹を括るしかない。
神谷と連れ立って通りを歩くと、町のあちこちから声がかかる。
「おはようさんどす」
「宗兵衛はん、そちらはどなたさんや?」
「新しいお奉公はんかいな?」
「これうちで作った佃煮。後でおすそ分け持ってくな。」
神谷は一つひとつに丁寧に頭を下げ、穏やかに挨拶を返していく。
そのやりとりを見ていると、昨日感じた京都人の冷淡な印象とはまるで違っていた。
アヤカもそれを感じていたのだろう。小声でゴエモンに囁いた。
「昨日の街の空気と全然違うね…。正直あんな感じが続くなら、私…ここでやっていく自信、なかったよ…」
ゴエモンもまったく同じ気持ちだった。
頷いて返事をしようとしたその時、神谷がふと足を止め、振り返った。
じっと二人を見つめると、ゆっくりと深く頭を下げた。
突然の行動に、二人は戸惑った。どう応じればよいのか分からない。
神谷はやがて顔を上げ、静かに口を開いた。
「…あんさんら、昨日はひどい目に遭われたようで。同じ京の町に暮らす者として、ほんまに申し訳あらしまへん」
「いえ、そんな…私たちが怪しく見えたのかもしれませんし」
アヤカが言うと、神谷は静かに首を横に振った。
「ちゃいます。落ち度はあらしまへん。
ただ一つ、わかっていただきたいのは…、この京の町は、鎌倉以来ずっと武家の世で、何度も荒らされてきたんどす」
神谷の語りは、まるで古い傷をなぞるようだった。
「源義仲の軍は乱暴狼藉ばかり。室町の公方はいてもいてへんようなもん。
野盗すら取り締まられん時代が、長う続いた。
せやさかい、うちら町衆は、身を守るために“信じられん者には近づかへん”ちゅう知恵を身に着けてきたんどすわ」
言ってることは分かる。
ゴエモンは、ゆっくりと頷いた。
「けどな、今は織田はんの御代。
信長公は軍紀に厳しいお方で、市民に乱暴する兵は、すぐ斬られる。あのお方は“一銭斬り”(※)とまで呼ばれてまっさかい」
神谷は口元にわずかな笑みを浮かべ、続けた。
「ほんまの京の町衆はな、先ほどあんさんらが見はった通り、気さくで情にもろい人らや。
せやから、最初に見たもんだけで京を決めつけんといてほしい。
懐に飛び込んでいく勇気。それが、ここで商いして生きていく肝どすえ」
アヤカは神谷を見て、ぽつりとこぼした。
「それなら…最初からそう言ってくれたらいいのに。神谷さんも、昨日までの人たちと同じかと思ってたんですよ…」
神谷はふっと声を立てて笑った。
「これは気丈なおなごはんやな。いやいや、失敬。
わしな、京の本当の空気を肌で感じてもらいたくて、あえて黙って案内してたんどす」
「わしが千の言葉で説明するより、あんさんらが昨日と今日で感じはったことの方が、よっぽど分かりやすいやろ?」
アヤカはその言葉に胸を突かれたように立ち尽くし、ぽろぽろと涙をこぼしだした。
神谷はたまげた様子で声を上げた。
「ど、どないしはったん!?さっきまであんな啖呵きってはったのに…」
アヤカは涙を拭いながら言った。
「もう…ずっと辛くて、不安で…京都なんて大嫌いになりそうだったの。でも…今、やっと…」
言葉にならず、しゃくりあげながら泣き続けた。
神谷は困ったように笑い、アヤカの肩にそっと手を置いた。
「…それは、済まんことしたな。けど、もう大丈夫や。これからは、この神谷宗兵衛がしっかり面倒みたるさかい、心配いらしまへん」
ゴエモンも胸の奥に、ようやく明かりが灯るのを感じていた。
前途に不安がないわけではない。けれど、ようやくこの町で生きていける希望が見えてきたのだ。
それからの神谷は人が変わったように饒舌になり、あちこちの空き家を紹介してくれた。
「ここの家なんかどうどす?空いて一年も経ってへんし、傷みも少ない」
「ここは立派なんやけどな、水場が遠うて、養生所には不向きやなあ」
「ここはちょい古いけど、家具も残ってまっさかい、すぐ住めまっせ」
近所の人々も続々と声をかけてくる。
「お、新入りさんかいな?宗兵衛はんの紹介やったら、間違いない人やわ」
「按摩さん?ちょうど腰が痛うてな。開店したら、わし一番乗りやで!」
神谷は満足そうに笑った。
「どや、これが京の町衆ちゅうもんや。もう誰も、あんさんらのこと“余所者”とは言わしまへんで」
ゴエモンとアヤカは顔を見合わせ、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
やっと、自分たちはこの町に受け入れられたのだ。
ようやくこの京都で、生きていける気がしていた。
(※)信長の一銭斬り
織田信長がまだ尾張の若き領主だった頃、城下で商人が法外な値をふっかけて一銭を余分に取ろうとしたといわれます。信長はその場で刀を抜き、商人を斬り捨ててしまいました。
この逸話は「信長の一銭斬り」と呼ばれ、わずか一銭であっても不正やごまかしを決して許さない苛烈な性格を象徴する話として語り継がれています。




