第40話 京でのお仕事
翌朝、早々に近江屋を出、昨日の番所へ赴いた。
番所の役人は、昨日とは打って変わって満面の笑みで迎えてくれた。
(一体どっちが本当の顔なんだか…)
心中そう皮肉りながらも、
「昨日は大変ご迷惑をお掛けいたしました。村井様にまたこちらに来るよう仰せつかっておりまして、罷りこした次第です。」
と丁寧にあいさつした。
すると番所奥から、背は高くないが肉厚でがっしりした体型の中年男が出てきた。
「そちがゴエモンだな。拙者村井貞勝から市中の町廻りを仰せつかっている、日置忠之進と申す。以後見知りおかれよ。」
「お世話になります。よろしくお願いいたします。」
二人は日置に丁寧に頭を下げた。
「うむ。村井様から委細聞いておる。
その方ら京にて商いのできる住まいを探しているとのことだが、どこでどのような商売をするのか了見はあるのか?」
ゴエモンとアヤカは事前に話し合っていた。
新たな商売と言っても、この時代の商習慣に疎い自分達ではまともな商売はできないだろう。そう思い、自分たちの特技を生かしたことをしようと思っていた。
「私ら、医者ではありませんが、人の体を癒したり、怪我した人の痛みを取る術について教えを受けたことがありますので、按摩、導引(※1)などの養生所などを開こうかと思うております。」
ゴエモンはプロレスラーとして肉体のケアについてよく研究しており、同僚や先輩レスラーのマッサージなどよくやっていた。
自身も整体や理学療法士の元へ通い、体のケアについての見識も高めていた。
怪我の多い職業だっただけに、怪我したレスラーが様々な痛みを抱えながら、それでも試合に出場しなければならない時、いかに応急処置をするかも実地で身につけていた。
この時代にも按摩や鍼治療があり、けが予防の体操や呼吸法などを教える導引という職業があることを三太夫から聞かされた時、京で生業にするならこれだなと内心思っていた。
アヤカも看護師の知識を生かしながら、町の人の健康相談などできればと思っていたので、二人は迷うことなく養生所開設を決めていた。
「ふーむ。そうした類の者が集まっているところはいくつかあるが、六角堂(※2)周辺がよいかの~」
日置は腕組みして考えていた。
「あのあたりの薬種商の元締めは…誰だったかの?」
日置が横にいた若い役人に問いかけると、
「薬問屋神鳳堂の神谷宗兵衛殿ですな。」
と即答した。いかにも頭の切れそうな顔つきをしている。
「そうか、ではお主ひとっ走り神鳳堂に行って神谷を呼んできてくれぬか?」
「ハッ、早速」
そう言うと若侍はスッと立ち上がり、番所を飛び出していった。
六角堂付近とは六角通と烏丸通の交差点付近で、番所のある室町通からは通りを一本隔てた距離でさして遠くない。
30分程で若侍は、50がらみの恰幅のいい男を伴って戻って来た。
「これは神谷殿。朝からご足労いただき申し訳ない。」
「ほんま、朝から何の騒ぎどす?こちらのお役人さんが理由もよう言わず、日置はんのご指示で同道願いたいの一点張りどすねん。」
そういいながらも神谷は怒った様子もない。
日置という役人とは旧知の間柄なのだろう。
「いや~、すまんすまん。理由をクドクド申すよりも、来てもらった方が話が早いと思っての。説明もろくにせんと迎えに行かせたのよ。」
そう言って笑った。
「こちらの二人がな、六角堂あたりで養生所をやりたいと申しておってな。場所も含めてお主に委細任せようと思ったのよ。」
「ほう。それはそれは。」
そう言いながら神谷は値踏みするようにゴエモンとアヤカを見た。
「どなたか身元を保証される方からのご紹介はありますか?」
そう言うと日置が自慢げに言い放つ。
「聞いて驚くな。この者たちの保証は村井様直々にお引き受けなさる。故に何の心配もいらんぞ。」
「左様ですか。それほどの厚遇、こちらの方々、よほどのご身分の方なのでしょうな。」
「それは我らも存ぜぬが、織田家の家紋入りの懐刀を持つ者だからな。粗略に扱わぬ方がよいぞ。」
そう言って日置は笑い、神谷はあらためてゴエモンの顔を注視していた。
「わかりました。それではこちらの方々については、私が責任を持って身を立つようお世話させていただきます。」
そう言ってうやうやしく一礼すると、最後に
「して、この件についてかかるお代などはどちらにご請求したらよろしどすか?」
と現実的な話を切り出してきた。
日置は苦笑いしながら、
「全部村井様が持つということだが、とりあえず俺んとこ持ってこい。」
と言った。
「おおきに。それではお二人さん、早速物件見にいかはりましょう。」
そう言って神谷は、番所を出て行った。
ゴエモンとアヤカは再度日置と若侍に向かい
「色々お骨折りいただきありがとうございました。」
と深々と頭を下げた。
日置は気さくな感じで
「おう。頑張れよ。」
と言って右手を上げ、番所の奥へ姿を消した。
(※1)導引
導引とは、中国古来の健康法で、体を「導き」呼吸を「引く」ことによって、気血の流れを整え、心身を健やかに保つ方法を指します。すでに戦国時代以前の日本にも伝わっており、医療や養生の一環として知られていました。
身体を伸ばしたり、屈めたり、ひねったりといった柔らかな動作を、深い呼吸と合わせて行うのが特徴です。現代でいう「気功」や「ヨガ」のような側面を持ち、血行の改善、体力の回復、心の安定などに効果があるとされました。
戦国の世では、武将や僧侶、または医師が心身を整えるために実践したとされ、出産や療養の場でも「呼吸と体の動きを整える技」として活用されたと伝わります。
六角堂(頂法寺)とは
(※2)六角堂
京都市中のほぼ中央、烏丸通六角に位置する古刹で、正式には紫雲山頂法寺といいます。本尊は聖徳太子の創建と伝わる如意輪観音で、古くから都人に「六角さん」と呼ばれ親しまれてきました。
名前の由来は、その本堂の平面が六角形をしていることにあります。この独特の形は、伽藍配置の中心を示す「へそ石」とともに、京の町の中心地を象徴するものとされました。
また、六角堂は華道の池坊の発祥地としても知られ、境内には池坊専応の邸宅跡があり、花の文化と深く結びついています。戦国時代にも町の人々の信仰を集め、寺子屋的な役割や、旅人・困窮者を受け入れる場所にもなっていました。




