第39話 懐刀
一刻(2時間)は経過しただろう。
外はとっぷりと日が暮れ、室内も暗くなっていた。
「いつまで待たせるのかな?」
アヤカが不安そうに聞いてくる。
ゴエモンも見当がつかず、首を捻るしかなかった。
腹も減ってきたが、飯はおろか白湯一杯出てこない。
(京都に着いた早々にこれか…先が思いやられるな)
ゴエモンはそう思い深く嘆息した。
―この頃京都の治安維持を任されていたのは村井貞勝だった。(この時代まだ正式に京都所司代という役職はなかった)
村井は早くから信長に仕えた重臣だが、槍働きの人ではなく、優れた行政官だった。
その行政能力を買われ、信長が京都を治めるようになってからは京都の治安維持、行政、公家、寺社対応など一手に引き受けていた。
その村井の元に一通の書類がもたらされていた。
夕刻室町通の番所から届いた報告。
織田の家紋が入った短刀を持つ男。
造り、拵えからして偽物ではない。
だが、侍ともいえない行商人が、護身用に持つには分不相応である。
普通で考えれば盗品の類だが、そのようなことがあったとは聞いていない。
何より持っている者の態度が落ち着き払っており、とても盗んだものとは思えないとの報告だった。
捕らえて詮議することも考えたが、織田家とゆかりがあるものであれば、それこそ問題だ。
判断に窮した村井は、二条城に早馬を飛ばした。
ちょうど信長が入京していたので確認の手紙を送り判断を仰いだのである。
自己判断で軽率な行動をしない。
村井貞勝の優れた行政能力の一端である。
半刻あまり過ぎた時、早馬が返書を持ち帰った。
手紙は信長の直筆であった。
一度拝礼してから村井は手紙を開いた。
書いてある内容を見て村井は驚き、至急自身番所まで出向くことにした。
室町通の番所
アヤカはゴエモンに寄りかかって少しまどろんでいた。
ゴエモンも睡魔に襲われていたが、必死で目を見開いていた。
その時役人が入ってきた。
「長時間待たせて大変ご無礼つかまつった。これより奥へ案内するのでついてまいれ。」
二人はきょとんとしながらも、言われるまま役人の後に続いた。
奥の座敷に案内されると、少し年配の細身の男が待っていた。
品がよい佇まいで、武将というより高級官僚という感じがした。
「長時間引き止めて申し訳なかったな。我らもこの都の治安を守るお役目を任されているゆえ、怪しい者は詮議しなければならんのだよ。」
そう言うと柔和な顔を作って微笑みかけてきた。
「あの…失礼ですが、あなたは?」
「おう、これは失礼いたした。儂は信長様からこの京都の仕置きを任されている村井貞勝と申す者だ。」
名前は三太夫から聞いていた。
「村井様。私たちは怪しいものではござりませぬ。」
ゴエモンがそういうと、村井は笑って
「うむうむ。お主たちの疑念は晴れた。
なにせ、上様直々に手紙を寄こされ、お主たちは我が手のものであり、短刀は我直々に与えた物だと言ってこられたからな。」
ゴエモンもアヤカも驚いていた。
力になると言ってくれた言葉は嘘ではなかったのだと思った。
「また、上様は、儂に対して『あの者ども、京に来て寄る辺も無く難渋しているに相違ないから、お主が後ろ盾となり、あれらが立ちいくように支援してやれ。』と言ってこられたのだ。」
そう言うと、柔和な笑顔をこちらに向けてきた。
「今宵はもう遅いので、近くの宿を手配させてもらった。明日またこの番所に来られるがいい。儂の使いを寄越しておく。」
「そんな、何から何までご厚意に甘えるわけには…」
ゴエモンがそういうと村井は首を振り言った。
「我らは上様の為に身命を賭して働いておる。その上様がお主のことを『あれは儂が懐刀を与えた物だ。つまりあいつ自身が儂の懐刀よ。
そのつもりで、あいつの動きは我が意を得て動いていると思い、できることは何でも協力してやれ。』と言われたのじゃ。拙者一人の好意ではなく、右大臣織田信長の命としてしていることじゃと思うてくれ。」
ゴエモンとアヤカはその言葉に感動していた。
「信長様と村井様には、いくら感謝してもしきれません。」
ゴエモンがそう言うと村井は軽く右手を振りながら、
「まずは今日のところはゆっくり休まれるがよかろう。京での家探しのことなどは、明日儂の手の者を寄越すので大船に乗ったつもりでいなさい。」
そう言うと座を立った。
村井が辞すると同時に、役人が入ってきて、
「本日は大変ご無礼つかまつりました。織田家ご家中の縁者とは露知らず…。これより手配した宿までご案内いたします。」
と促され、番所近くの近江屋という旅籠に案内された。
京都に入った1日目は散々な目に遭ったが、信長様の気持ちが本気であることを知り、これからの任務に一筋の光明が見えた気がする二人であった。




