第33話 丹波と三太夫
2月に入ったある日、里に百地丹波が柘植隼人を伴ってやって来た。
事前に三太夫が百地丹波に宛てた密書を見て駆けつけてきたのだ。
「丹波様自らお越しいただけるとは誠に恐縮でございます。」
三太夫は深々と頭を垂れた。
「なぁに、此度のことは互いの存亡がかかること。他人任せにはできぬ。」
三太夫の庵、三太夫と丹波二人だけの会話である。
「しかし、信長の正体があのショウだとはな。」
丹波が唸った。
「誠に…。私も報告を聞いたときは、にわかに信じられませんでしたが、この短刀を差し出されたら、信じざるを得ませんでした。」
三太夫はゴエモンから預かった織田木瓜の刻まれた千子村正の“鎧どおし”を丹波に披見した。
丹波はその短刀を手に取ると、ヌルりと鞘から引き抜き刀身をマジマジと見つめた。
刃文は直線的な直刃で、地鉄が詰まった簡単には折れそうもない実戦向けの刀である。
刀身は青黒い光を帯び、まるで刀自身に生命が宿っているようなその輝きは『切れる』と見るものを魅了する怪しい光だった。
丹波はしばしそれを見つめた後、そっと鞘に納め三太夫に差し戻した。
「正に天下人の逸物だな。短刀…懐刀というのも意味深だな。信長の懐刀になれという意味にも取れる。」
丹波は感心したように呻いた。
「さて、三太夫、伊賀の未来を昔からその方は俺や父上に語って来ていた。
はじめは全く信じる気にならなかったものだが…」
丹波は昔を思い出すように目を瞑り語っている。
「それこそお前が未来から来た者として俺と初めて話した時、俺は『この乱世を治めるのは誰か』と問うたのを覚えているか?」
三太夫は苦笑しながら二度三度頷きこう言った。
「もちろん覚えております。『尾張の織田信長でございます』と言った時は、丹波様も御父上もまったく信用されておりませんでしたな。
あれで偽りを語る者として、打ち首にされるのではと冷や汗をかきましたわ」
丹波も笑って続けた。
「それはそうだろう。まだ今川も健在で、武田、北条、上杉、三好、毛利など、遥かに大きな勢力が健在だったのだ。それなのに、尾張一国を治めるのに汲汲としていた織田が天下を獲るなどと言われて信じる方がおかしいわ。」
「だが結果的にそんな荒唐無稽な話が着々と現実になっていくと、もう信じるほかなくなったわな。」
三太夫も深く頷きながら、懐かし気に答えた。
「はい。結果的にはこの時代の人間ならば誰も予想できない未来を言い当てていくことで、我らの信憑性を高める結果になりました。」
丹波は無言で頷いている。
「そしてこの伊賀にとって最悪の出来事が目前に迫ってきた。これまでのそなたの言動からして、これは最早避けられないことなのだろうな。」
「はい。ショウが信長というのは意外でしたが、それでも大きな時代の流れは止めることができないのです。
しかるに、我ら平成の里の民は、生き残ることを最優先といたします。
信長がショウならば、伊賀征伐が終わった後、再びこの地に戻ることができ得るかもしれません。それまでは、各自命を繋ぐことこそ肝要と存じます。」
「お主たちはそれが最善であろうな。
だが、我らはそうもいかぬ。伊賀十二人衆の方針は徹底抗戦と決まっているからな。
我ら百地党のみ、それに異を唱えることはできぬ。百地党内ですら、未来を知るのは俺一人だ。頭領が臆したと思われれば、戦いの士気にもかかわる。」
「ご心中お察しいたします。」
三太夫は丹波の苦しい胸の内を推し量った。
いくら前回勝利を手にしたといっても、信長が本気を出してくれば手に負えないことは皆わかっているのだ。
それでも武士や忍び、この時代戦うことを生業としている者は、死しても最期まで戦うという死生観が植え付けられている。
こうなれば、生きたいと思う考えそのものが“悪”ととらえられるため、誰もそれを口にできなくなるのだ。
「死にたい男はそれでいい。だが、女や子供などはできるだけ生かしてやりたい。
それゆえ、お主ら平成の里の計画に我らも協力する故、我が手の者もおぬし等で匿ってはもらえないだろうか。」
丹波は少しでも自身の同胞を生かす方策を考えているのだ。
「それにつきましては、これまで百地家に受けた我らの恩義を思えば、こちらからお願いしてでもやらせていただきたいことでございます。」
三太夫がそういうと、丹波は目を見開き
「それは重畳。感謝申し上げる。」
と頭を下げた。
その丹波に対し、三太夫が少し含みのある笑みを伴いながらこう発した。
「しかし、丹波様。私の研究では、天正伊賀の乱における百地丹波という人物は、生死不明となっております。つまり、死んではいなかったのではないかということです。」
「何が言いたい?」
「伊賀の忍びの意地として、最後まで織田軍に抵抗するのは良いと思いますが、存分に戦われた後は、落ち延び、我らに合流されたらよろしい。丹波様だけではなく、柘植様も、その他の百地党の皆さんも。皆様方の忍びとしての技量ならば、十重二十重に包囲されているなかでも、脱出してくることは容易でありましょう。」
丹波は瞑目していた。
そしてそれっきり一言も発しなかった。
しかし、心を強く揺さぶられるものはあったようだ。
しばしの沈黙の後、丹波は言った。
「今後の事を考えると、この里の件、俺に万が一のことあった場合に備え、隼人には打ち明けてもよいだろうか。」
「それは丹波様にお任せいたします。丹波様がご信頼される方ならば、我ら何も心配しておりません。
まして、キュウサクと蛍がお世話になっているお方ですからな。」
三太夫は真剣な眼差しで答えたあと、ふっと笑みを漏らして続けた。
「ただ、里が未来人の集まりだなどと言ったら、丹波様の気が触れたのではと疑われるかもしれませぬぞ。」
「違いない!」
二人は声を上げて笑った。
平成の里と百地党の秘密計画はこうして結ばれたのだった。




