第30話 信長だよ
前田利家が密かにショウを伴い、清州城に戻った頃、陽はとっぷりと暮れていた。
柴田勝家は腕組みしたまま目の前の男を凝視している。
つい先刻、前田利家が連れてきた男。
信長が自らの身代わりにといった男。
背格好、年恰好は似ている。
顔はそこまで似ていない。
だが、大病で顔つきも人格も変わることはこの時代よくあった。
“狐つき”などということも信じられていた時代だ。
ましてや写真や動画など無い時代である。
数カ月、数年、会ってなければ“こんな顔だったかな?”などと思うことは当たり前にあった。
その点でいけば、うつけと軽んじられ、皆に遠巻きにされていたのが、かえって幸いする。
それ以上に柴田が感心したのはこの男の醸し出す雰囲気。
会う前までは、
(たかが影武者。我らが上手く操ればいいのだろう。)
くらいに思っていた。
だが、目の前の男には、百戦錬磨の柴田をもってしても、座って見詰められるだけで圧倒される威圧感がある。
「このこと引き受けるからには、俺のやり方にしたがってもらうぞ。影だからと軽んじるようであれば容赦なく成敗する。」
「ハッ」
思わず平伏させられる圧倒的存在感。
有無を言わさぬ強い口調だった。
-信長の寝所
室内は静寂に包まれていた。
行燈のほの暗い灯りが、かすかに揺れ、障子や床の影をゆらめかせる。
その中に、小姓が二人、膝を揃えて控えていた。二人とも顔色は青ざめ、しかしその瞳には決意の光が宿っていた。
信長に仕える小姓たちは、ただの召使いではない。幼少の頃より殿の一挙手一投足を見続け、その心をも知る者たちだった。
彼らの他にも6人ほど小姓はいる。それらも併せて事前に勝家に呼ばれ、全てを打ち明けられていた。
信長がすでに息絶えたこと、この策が織田家の存亡を懸けた最後の手立てであること、そして絶対に他言無用であること。
涙に声を詰まらせながらも、小姓たちはひとたび誓った以上、ただ成し遂げる覚悟でいた。
ショウはまだ信長が安置されている枕頭にゆっくり正座し、そっと白布を取った。
その亡骸は安らかで、もはやこの世の重責から解き放たれた者の穏やかさを湛えていた。
そっと両手を合わせ、声なき祈りを捧げる。
(なんとも…とんでもないことに巻き込みやがったな、お前は。だがな…ここまで来りゃ俺も腹をくくるしかねぇ。第六天魔王―お前はまだ知らぬ後世のあだ名だろうが、その名に恥じぬよう、俺が引き継いでやる。だから、安心して眠れ…)
微かに口元に笑みを刻み、ショウは一瞬だけ目を閉じた。その姿は、信長その人としか見えぬ威容だった。
その後ショウは、勝家と利家に命じた。
「土田御前(信長の母)の所へ信長が危篤だと知らせてやれ。信行にもな。さすればあやつノコノコと俺の様子を確かめに来るはずだ。そこでやつを斬る」
勝家も利家も戦慄した。
確かにショウとは血が繋がってるわけでもなんでもない弟だが、何の躊躇もなく切り捨てると言い放つショウの姿は既に覇王の風格を漂わせているようにも見えた。
「権六、信長の遺体は秘密裏に丁重に葬ってやれ。」
「ハハッ」
ショウの発する一言一句が鋭く的確であるため、勝家も利家もただただ気圧されるだけであった。
二人とももう眼前の男が織田信長であることに微塵も疑いを持っていなかった。
―翌日午後
信長の生母、土田御前が見舞いに訪れた。
我が腹を痛めて産んだ子でありながら、信長を忌み嫌い、信行を溺愛するこの母でも、最期の時は母になるのか。
利家はそう思いながら寝所に案内した。
寝所は薄暗く、医師の指示にてあまり近付かぬよう伝えたため、マジマジと顔を見られる心配はなかった。
まして危篤だ。ショウはひたすら荒い息遣いで苦悶の表情を浮かべ続けた。
ショウの足元に座るや母は語り始めた。
『どうじゃな信長殿。その様子ではもう3日と持ちますまい。
思えばそなたは鬼の子じゃった。
母の言いつけなど何一つ聞かず、おかしな風体でそこいらを歩き回り、皆から阿呆じゃ、うつけじゃ、織田家の面汚しじゃと、言われ放題でこの母がどれだけ肩身の狭い思いをしていたか。」
土田御前は最期の時まで我が子憎しだった。
心配する言葉などなく、罵詈雑言を浴びせ続けた。
「信秀様に訴えても『あれでいいんじゃ。好きにさせとけ』というばかりで、家督を信行にと言うても全く聞く耳持ってくれなんだ。
お前の何がいいのか、それだけが信秀様に対する不満であった。
だけどその忌々しさももう終わりじゃ。信長、せいぜいあの世で傾奇おるがいい、ホホホ』
そう高笑いし、言いたいことを言うだけ言って土田御前は帰っていった。
(実の親にあそこまで言われるとは…信長よ、少しお前に同情するぜ...)
床の中でショウは思っていた。
さらに翌日信行が来た。
ショウは二人きりで対面すると言った。
勝家も利家も少し困惑した。戦術家としてのショウは確かに凄いが、武術をどのくらい使えるのかは未知数だったからだ。
坊ちゃん育ちとはいえ、信行は幼少の頃から剣術など教え込まれている。
仕損じるどころか、返り討ちもあるかと思い、利家は不安だった。
「せめて拙者だけでも立ち合いに」
と懇願したが、ショウは笑いながら
「俺が一番得意なのは組み手だぞ」
と言って一笑に付した。
ショウは昨日と同じように伏臥し、苦しそうな息遣いで昏倒しているフリをしていた。
信行は静かに部屋に入り、昨日土田御前が座っていた辺りに着座した。
「兄上…」
信行が語りかけた。
ショウは返事をしない。
『フッ、うつけで傍若無人の兄上もこうなるとあっけないものですな。
この毒は私が兄上に盛ったものなんですよ。こんなに簡単に引っかかるとは思いませんでしたがね』
ショウは怒気が込み上げてくるのを感じながらも、冷静に信行との距離を測っていた。
(遠い…)
飛びついても後ろに下がられたらそのまま廊下に出られてしまう。
そう思ったら行動も早いのがショウだった。
掠れる声で「の、の…ぶゆ……き」と、左腕を上げ信行を手招いてみた。
一瞬信行は妙な違和感を覚えた。
(兄上の声、こんなだったか?)
だがそんな考えもすぐに振り払った。危篤で声を発するのもやっとなのだろうと。
(憎き兄なれど、最期の時くらいは手でも握ってやるか)
そう思うと枕頭に進み出て、そっと差し出している左手を両手で握ってやった。
瞬間、信行は確信した。
(違う、兄上じゃない!)
ふと顔を見るとさっきまでの苦しそうな呻き声は無く、冷徹で射抜くような鋭い目がこちらを睨んでいた。
慌てて掴んだ手を離そうとしたが逆に右腕を掴まれ、恐るべき膂力で臥所に引き摺り込まれた。
信長と思っていた男は信長では無く、口元に薄ら笑いを浮かべながら右手に隠し持っていた短刀を無言で信行の心臓に真っ直ぐ突き入れてくる。
「お、おまえは…?」
そこまで言うと信行はどうと倒れ、陸に上がった魚のように口をパクパクさせながら数十秒後事切れた。
勝家と利家が入ってきた。
「…信長だよ」
事切れた信行に向け、ショウは冷たくそう吐き捨てた。
ショウが織田信長となった瞬間ですね。
この物語ではショウの信長としての人生はそこまで掘り下げませんが、この物語が完結した暁には、外伝としてショウの生涯を書くのも面白いかなと思っています。




