第18話 心の再生
いつの間にか眠っていた。
さすがに昨日から激動の一日を過ごしただけあって、体は疲れ果てていたのだろう。
気づいたら燭台に灯が灯っていた。
キュウサクはまだ眠っていた。
横にいた蛍がいない。
襖を開け、隣の部屋に行くとサイゾウもショーゾーもイビキをかいていた。
皆疲れているのだ。
廊下に出た。
厠の方に進んでいくと、中庭の縁側に腰掛ける蛍がいた。
空はまだ薄明るいが、風は夜風になって来ていた。
蛍の隣に腰掛けながら話しかける。
「風邪ひくぞ」
「起きた?」
微笑みながら蛍が言う。
「蛍は寝てないの?」
と僕が聞き返す。
「一流の忍びはね、2〜3日寝なくても大丈夫なのよ」
と言って屈託なく笑う顔は、先ほど魂を震わせて涙していた子とは別人のようだ。
「君はやっぱり笑ってる方がいいよ」
キザなセリフがスラスラ出るくらい自然な笑顔だった。
蛍を挟むように座る人影があった。
百地丹波だった。
「夕べはご苦労だったな。隼人から報告は聞いた。」
そう言うと丹波は「ふー」と一つため息をついた。
「キュウサクという若者は痛ましいことをした。
平成の里の民のこと、俺は知っている。三太夫と親父殿は古馴染みでな。
俺が家督を継ぐ際、平成の里については親父殿がしていた通りにしてくれと言われている。」
以前三太夫が言ってた通り、丹波は平成の里のことを知っていた。
丹波は続けた。
「平成の里の者が育った環境ならば、人を殺めて心が壊れるのも無理のないことよ。」
丹波は未来というものが、戦の無い時代だということも知っているような口ぶりだった。
「だがこのまま里に帰してもどうだろうな。落ち着く反面、無気力で孤立してしまうだろう…。」
「そして蛍。夕べは当家を救ってくれたそうだな。礼を言う。」
丹波は蛍の方を向き頭を下げた。
「しかし、理由はどうあれ、元の組織を裏切ったことになる。そうなるとどこに行っても危険だ。逆にいうと一番安全なのは今いるここだ。」
蛍は初めて会うこの男が誰だか知らない。まして何が言いたいのか見当もつかない。
ただ黙って丹波の言葉を聞いていた。
「なぁ、ゴエモン。キュウサクとこの蛍、当家で預からせてくれないか?」
思いがけない一言だった。
確かに蛍はこれから元の忍び仲間から抜け忍の罪で狙われることだろう。
一番安全なのは、そこと敵対する組織の本丸であるここ、伊賀であることは間違いない。
だがキュウサクは…。
そんな僕の気持ちを察した様に、丹波は続けた。
「キュウサクと蛍、2人は互いに励まし合い心を修復していった方が良いと思っている。
俺もこれまで何人も心を壊したものを見て来た。
それを修復するのは1人では大変なのもよく知っている。
同じ境遇の誰かの存在は、互いに支えになるはずだ。」
蛍は身じろぎもせず丹波の言うことを聞いていた。
さすが忍の統領。
僕には思いもつかないことを考える。
しかし一つだけ気になることがあった。
「丹波様、蛍によもや忍び働などさせぬでしょうな」
と問う僕に、丹波は
「そんなことしたらまた元に戻ってしまうではないか。安心しろ。」
と笑う丹波に対し、僕は向き直り
「御無礼つかまつりました」
と言って頭を下げた。
「それでいいか、蛍?」
中庭の鹿威しを見つめる蛍に、僕はそっと問いかけた。
「…いいも悪いも…私、行くところないから…」
ぽつりと、蛍が呟くように言う。
「忍に戻ることもできなくなったし…」
そう言う蛍の表情は、まるで感情の色を塗り忘れた人形のように無表情だった。
「待ってる人もいない…ゴエモンについて行こうと思ったけど…
想い人、いるみたいだし…迷惑だよね…」
「なっ、そ、そんな人、い、いないよっ!」
思いもよらぬ方向に話が飛び、僕は焦って変な声を出していた。
「…赤い髪紐、きれいだった…
あんなのもらったら嬉しいんだろうな…」
(見られてた…!?)
きっと蛍は、僕らが宿を出てからずっと、紙片を渡す機会をうかがっていたのだろう。
さすが、くの一…。
(ということは……あの髪紐を買うまで、店の前で右往左往してたところも…!?)
僕は頭を抱えたくなった。いや、できれば地面に埋まりたい。
ちらりとそんな僕の様子を見て、蛍が静かに、でもまっすぐに言った。
「ゴエモンに対する気持ち、今まで出会ったどの男とも違うんだ。
ゴエモンといると、あったかくて…すごく安心できる。
…でも、それが“好いてる”って気持ちなのか、わかんないの。
たぶん私、心の奥底に閉じ込めてた感情を解放しないと、ちゃんと人を好きになることって、できないんだと思う」
そう言って蛍は、夜風に髪をなびかせながら、顔を上げた。そこには、ひとつ決心を固めた少女の横顔があった。
「だから、私…ここでキュウサクと一緒に、心を癒すことにする。
それで、心を取り戻した時に、ちゃんと“好き”って気持ちだってわかったら、その時は、行く。ゴエモンのところに。」
「…うん」
僕は笑って、彼女の頭にそっと手を置いた。
「忍じゃなく、人として生きて。
楽しいこと、ちゃんと見つけるんだぞ」
「うん...でもね、赤い髪紐の人に、ちゃんと伝えておいてね」
蛍はくすりと笑って言った。
「私が心を取り戻したら、ゴエモン、いただきに行きます!って」
僕は苦笑いするしかなかった。アヤカにそんなこと言えっこない。
まだアヤカは僕の何でもないんだから。
「おませだな、16、7の小娘のくせに」
僕がおどけ口調でいうと
「あ、私まだ14だよ」
と蛍は真顔で言った。
「ウソ!?」
幼いとは思っていたけどそれほどとは…
そして、こんな年端もいかないうちからどれほどの地獄を見てきたのか...
でもまだやり直せる。
普通の女性の幸せを取り戻してあげたい。
僕は心からそう思わずにいられなかった。
そんな僕らのやり取りをちょっと遠巻きに見ていた丹波が、立ち上がりながら、ぽつりと言った。
「気持ちは固まったようだな。
心のことは、時間がかかる。焦らず、ゆっくりやるといい」
僕と蛍は、深々とお辞儀をして言った。
「ありがとうございました」
歩きながら、丹波は最後にこう付け加えた。
「礼なら隼人に言うがよい。
冷徹漢のあいつがな、『キュウサクは保護しろ、蛍は無罪放免にしろ』と、俺の寝所に飛び込んできたのよ。まったく、あの峻厳な奴が、あんなふうに心を動かすとはな。
…ゴエモン、お前に感化されたようだぞ。ハハハ…」
そう言い残して、百地丹波はゆっくり屋敷の奥へ消えていった。




