第13話 伊賀の忍び
翌朝、百地砦の忍び対面所にて。
柘植隼人に呼び出されたゴエモンは、厳しい眼差しを一身に受けていた。
「貴様、昨夜、敵の間者を逃がしたそうだな」
ゴエモンはあっさりと頷いた。
「はい。逃がしました」
「皆殺しと言ったはずだ。」
「相手は……子供でした」
「忍びに年齢は関係ない」
柘植の声は冷たく響いた。
「貴様、どのような道を通って忍びになったかは知らんが、おおよそ忍びの心得すら理解しておらんようだな。」
柘植が嘲るように言い放つ。
「俺も、ここ伊賀にいる忍びも皆、生まれて歩けるようになったら忍びの技を叩き込まれ育っている。忍び働きは老若男女を問わん。」
「しかし命令は絶対。任務に失敗すれば死するも止む無し。その覚悟なしで忍びなど務まらん」
ゴエモンはそう言い放つ柘植の言葉にだんだん腹が立ってきた。
「ふ、あんたはどうだったんだ?
忍びの鍛錬を強要され、言われるまま教え込まれてきたんじゃないのか?」
柘植の眉がピクリと動いた。
「あんたの言う老若男女の忍び達で、自ら成りたくてなったやつは何人いるんだ?
皆幼少のころ忍びの里に買われてきて、親の愛情も知らず、子供らしい遊びも知らず、ただ人の殺し方、騙し方を教え込まれ、実践させられてきただけだろう。」
そういいながらゴエモンは、蛍のあの華奢な体を震わせて死の恐怖に耐えている姿を思い出し、涙を流しはじめた。
冷徹な柘植隼人も
(こいつ普通の忍びと違うな…)
と思い、自分の理解の外にいる者として不思議な気持ちになってきていた。
「忍の掟なんて人を縛り付けるための方便でしかなかろう!誰だって生きたいにきまっているだろう!」
そういうとゴエモンはゴシゴシと溢れ出る涙を袖で拭った。
その時、横に控えていたサイゾウが静かに前に進み出て言った。
「こたびの不始末、すべて我が不徳の致すところにございます。」
「我らは神仙の山の守り人。育ちは皆様方とは異なります。
故に技術は教える事が出来ても心得はまだまだ未熟。情に流される甘っちょろい忍でございます。」
柘植は黙って聞いている。
「されど、わが里の長は、神仙に仕えるものとして情を最も大事にしております。その点で行けばこの者は長の言いつけを守ったと言えまする。」
訥々と媚びるわけでもなく、サイゾウは里の者の心意気を伝えた。
「この者を処断されるのであれば、まずはその責任、私が受けましょう」
「それはダメだ、サイゾウさん!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらゴエモンがサイゾウに叫んだ。
だが、サイゾウはさらなる大音声で
「お前は黙ってろ!」
と一喝し、あらためて柘植の方へ向き直り平伏した。
柘植隼人は目を閉じ長く沈黙した。
目の前にいるのは、見た目は忍びでも、中身はまったく異なる“何か”
理屈では測れない、理解を超えた生き物のようだった。
ボロボロ泣く大男は、憎めない奴ではあるが、命令違反を見逃しては、他の忍びに示しがつかない。
(可哀想だが仕方あるまい)
そう決心し、打首の沙汰を下そうとした時、奥の襖が音もなく開き、小柄だが常人ではない雰囲気を纏った男が入ってきた。。
それを見た柘植は横に飛び退き、
「これは丹波様、何故このようなところへ」
と頭を下げた。
「ふ、友人に会いにきたのよ」
そう言うと視線をサイゾウに向けた。
「久しいのサイゾウ。三太夫は息災か」
それを聞きサイゾウも、
「これはお懐かしゅうございます、丹波様。我が師三太夫もめっきり歳をとりましたが、病一つ負う事なく息災に過ごしております。」
と答え、微笑んだ。
丹波と呼ばれた男は、ゴエモンをジッと見つめてきた。ゴエモンはどう言う態度を取ったらいいかわからず、かと言って視線を逸らす事もできず、蛇に睨まれたカエルのように固まっていた。
「悪いが話は奥で聞かせてもらっていたぞ。お主敵の間者を逃したそうな。子供だったとか。」
「はい」
「私は皆殺しの命を出しておりました。忍が命に背くは裏切り。裏切り者には死あるのみでござきます。」
と柘植が口を挟んだ。
「なあ、隼人よ。近頃は我ら伊賀も忍び働きが重宝され、各地の大名らに雇われ盛況だがな、近頃の伊賀忍びは少し道を踏み違えているような気がしてならんのだ。」
「どう言う事でございましょうか?」
と訝しがる柘植。
「伊賀の忍びの里が、何故人買いから子供を買って育ててきたか。
俺は父から、さらに爺様からよく聞かされていた。」
丹波は虚空を見上げ、父祖からの教えを思い出すように言葉を続けた。
「それは、親にも捨てられた貧しい子供が、先々生きて行くためにには己の技能をあげ、一芸を持って身を立てれるようにするほかなかったのだ。
古き伊賀の老人達は、子らに人らしく生きていけるようにしてやりたかったのよ」
皆息を呑んで丹波の話を聞いている。
「しかるに、この男の言ってる事は正しい。子供の人生を救ってやるための忍術。
我らの目指したものに適っているのよ。」
丹波の言葉は柘植に教え諭すような声音に変わっていた。
「強く任務に忠実なれど、人の心を失わず。それが伊賀の忍ぞ。」
そう言うと丹波はサイゾウの方に視線を移し、
「サイゾウ、お前の所には面白き忍びが多いな。」
そう言って丹波は笑った。
最後に丹波はゴエモンに向かい
「いい目をしているな。汚れのないいい目だ。情けを知る忍び、良いではないか。
きっとそれがお主の財産になるぞ。精進いたせ。」
そう言うと丹波は、また襖の奥へ消えていった。
(あれが伝説の忍び…大きい人だ)
ゴエモンはそのスケール感に圧倒されるだけだった。
丹波が去った部屋。
静寂の中、柘植隼人がしばし考え込んでいたが、軽く頭を振り―やれやれ―というような微笑を一瞬浮かべた後、いつもの冷徹な仮面に戻ってゴエモンに告げた。
「丹波様があのように仰せられた以上、この件、これ以上は問わぬ。下がってよい。」
低く、しかし明瞭な口調だった。
「寛大なるご処置、誠にありがとうございます。」
サイゾウが深々と頭を下げる。
慌ててゴエモンもそれに倣い、勢いよく土下座しようとしたその瞬間。
――ゴン!
床に思いきり額を打ちつけた。
一瞬、場が凍りつく。が。
「……フッ……ハハハ……ハハハハハ!」
それまで氷のように無表情だった柘植隼人が、腹を抱えるようにして笑い出した。
それを見て、サイゾウもゴエモンもポカンと顔を見合わせた。
「な、なんだよ…」
額を擦りながらボソッと呟くゴエモン。
「お前……やっぱりただの忍びじゃないな…」
そう呟いた柘植の声は、どこか苦笑い混じりで、わずかに―ほんのわずかに、あたたかかった。
百地砦の詰所から解放されたゴエモンとサイゾウは、裏門へ向かって歩いていた。
日差しはすでに傾き始めているが、心はまだ張り詰めたままだ。
砦の勝手口を出ようとした時、すれ違いざま入って来る御用商人と鉢合わせした。
「おやおや、お命が助かったようで何よりですな。」
しゃがれた声で慇懃に挨拶してくるが、話した内容は聞き捨てならない。
ゴエモンは身構え、相手を凝視しながら聞いた。
「…お前、誰だ?」
声の主は、五十前後に見える小柄な男。城下に出入りする御用商人のような風体だが、見覚えはない。
顔には人懐こそうな笑みが浮かんでいたが、その目は鈍く光をたたえ、まるで底の見えない井戸のようだった。
サイゾウも即座に男の背後に回り、警戒の構えを取っている。
「いやだなあ、旦那。忘れちまいましたか? 一昨日、一緒に酒を酌み交わした仲じゃありませんか」
「!!あの時の忍び!?」
僕は言葉を失った。あの時、酒処「無明庵」で疑いをかけた行商人風の男は、三十代半ばほどで、体格ももっと大きく、声も若く張りがあった。
目の前のこの小男と、まるで一致しない。
「まあ、驚かれるのも無理はありません。あっしは“百面の右近”と呼ばれております。
変装・潜入・諜報を得意とする、ケチな忍びの端くれでしてな。
徒手空拳ではとても旦那には敵いませんが、忍びの道は多様。
今回こうして顔を合わせたのも何かのご縁、以後お見知りおきを」
そう言って右近は深々と頭を下げたかと思うと、くるりと踵を返した。
…が、数歩進んだところでふと立ち止まり、こちらを振り返る。
「旦那、符号の応対はもっとスラスラやらなきゃいけませんぜ。あっしじゃなきゃ、あの場で一突きされてましたよ」
そう言って右近はカカッと笑うと、音もなく─まるで空気に溶けるように─路地の奥へと姿を消していった。
「油断ならない相手だな」
ぽつりとサイゾウが言った。
「はい。本物の忍びの凄みがありました。」
「伊賀者は、金であちこち雇われているからな。同じ伊賀の者だからと言って、必ずしも味方とは限らん。多分柘植にお前のことを密告したのも…」
そう言うサイゾウの顔は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
僕は背筋を冷たいものが走るのを感じていた。
忍びの世界…面従腹背…。そんな言葉が脳裏をよぎった。
(誰が敵で、誰が味方かもわからない…。)




