第12話 蛍火
表通りから一本裏路地へ入るとそこは月明りのみの薄暗く静かな通りだった。
その裏路地を少し行くと、小さな川が流れている。
その川縁を歩いていると、柳の木の陰から微かに声が聞こえてきた。
「そこを行きかう旦那様。わちきとひと時遊んでいかれませんか…」
声の感じからしてかなり若い。
(これが遊女ってやつか...)
僕は時代劇なんかで見るそれを思い出し、
(本当にいるんだ…)
と思うと同時に、好奇心を掻き立てられた。
不純な気持ちではない。
どういう人なのか、ちょっと興味が湧いたので、話してみたくなり足を止めた。
僕が足を止めると、声の主はスルスルと近づいてきた。
「わちきのお願い聞いていただきありがとうございますぅ。こちらへどうぞ...」
といって、先ほどいた柳の木の陰へ誘おうとする。
「いや、そうじゃなくて…」
「…おや、こちらではお嫌と仰せですか。
場所を変えるなら今晩一晩の料金となりますが、よろしどすか?」
淡々と交渉してくるその声は手慣れているが、やはりかなり若いと感じた。
「あ、いや、そうでもなくて...」
僕がそういうと、遊女は急に口調が変った。
「冷やかしかい?商売の邪魔するだけならさっさと帰ってくんな!」
そう言った途端、通りの小屋の陰から2名の男が現れた。
「旦那~、俺たちは遊びでこんな商売してんじゃないんだぜ。
あんたが今こいつを止めて商売できなくした時間分の稼ぎを弁償してもらおうか?」
(まずい展開になったな…)
自分の軽はずみな行動を悔いた。
しかし、こうなっては仕方ない。
事を穏便に済ませたい。
「いくらだ?」
「物わかりのいい旦那だな。そういう素直な態度が長生きの秘訣だ。」
そう言と男の一人が、ニタニタと笑いながら手で算盤をはじく真似をしている。
「こいつの客引き代が100文、そして、俺たちの手間賃が50文ずつ。
計200文払ってもらおうか?」
この時代の遊び女の相場など当然知る由もなかったが、
言っている値段が法外に高いということだけはわかった。
「そうかそうか、それは済まなかったな…キッチリ払わないとな…」
そう言って僕は、懐から財布を取り出すフリをしながら、
右横に立つ男の鼻っ柱におもいっきり肘打ちを叩き込んだ。
何の警戒もしていなかった男は、プロレスラーの渾身の肘打ちをくらい
鼻の骨を砕かれ一撃で失神した。
「な、こいつ!」
正面の男はそういって飛びついて来ようとしたが動きが遅い。
ゴエモンは余裕でかわすと背後に回って裸締めで落とした。
(殺しちゃいない)
理不尽な額だったとはいえ、相手も仕事を果たしただけだと思うと、
必要以上に痛めつける気にはならなかった。
こういうアコギな商売をすると痛い目に合うという、いい薬になればいい。
(さて、あの娘は…)
振り返ろうとした瞬間、背後から何かが放たれる気配を感じた。
反射的に身を低く沈め、頭上を掠めた刃をかわす。
回転しながら一歩跳び下がり、構えを取る。
「…!」
相手は先程の遊女。月明かりが射すと、子供のように見えた
「あんた…、何者?」
遊女が低く唸るように聞いてくる。
「…織田方の間者か?」
僕が逆に問う。
「まあね。でもこいつらは関係ないよ。
城下に入り込むのに、村が飢饉で稼ぎが欲しいと言ったら、
ホイホイとこんな商売を紹介してくれたよ。
まったくどこに行っても…、男ってやつは救いようがないね...」
そう吐き捨てるようにいうと遊女は、背後の柳の陰に飛びのき、身を潜めた。
(…誘いだな)
迂闊に飛び込むと逆にやられる。
木の上か、さらに背後の物陰か。
どちらにしても柳の木の陰からはとうに移動しているはず。
だが、時間をかけると逃げられる恐れがある。あの小さな体を有効に生かすには、
(上だ!)
僕は柳の木に全力でタックルを喰らわせた。
木が大きく揺れ、上から、くのいちの小さな身体が跳ねるように落ちてきた。
「呆れた力ね」
言う割には動じていない。
次の瞬間、くのいちは、迷いなく短刀をギラ付かせ斬り込んでくる。
速い!
間一髪避けつつも、微かに空を切る白刃が髪の毛を掠めた。
だがこちらも負けていない。
僕は相手の攻撃を受け流し、捌く。
(速いが、いかんせん力が無い。組んでしまえば勝ちだ)
この力なら少しくらい喰らっても致命傷にはならないが、
こういう力のない忍びは得物に毒を塗っていることが多い。
なので、掠られるのもあまりよろしくない。
僕は、くのいちの動きを観察した。
彼女の繰り出す剣捌きの動きはある程度見切った。
上から斜め袈裟に切り下した時は、必ず逆方向の胴に向かって払う。
反復練習で得た動きは、夢中になればなるほど無意識に出てしまう。
次にその動きが来た時、払った後がら空きになる胸部に向かって
強烈な掌底を胸元に叩き込む。
さすがに少し疲れたのか、くのいちも肩で息をしていた。
「なぁ、もうやめないか。今夜の事は見なかったことにしてやるから。」
そう言って、僕は帰りかける素振りを見せた。
無論誘いだ。
瞬間くのいちが動いた。
(来た!予想通り!)
白刃が振り下ろされ、薙ぎ払われた瞬間、小さなくのいちは3m程吹っ飛び、どうと倒れた。
くのいちは呻きながらも、手放さなかった短刀を構え、なお臨戦態勢を取ろうとした。
だが、僕はその手首をしっかりと押さえ、ついに動きを封じた。
「くっ……殺せよ」
歯を食いしばって吐き捨てるように言うくのいちの顔は、
白粉で厚化粧しているが、少女という年齢のそれだった。
「殺さないと、我らは信長を連れて、舞い戻ってくるぞ」
柘植隼人の「皆殺し」の命令が脳裏をよぎる。
だが、目の前の少女は、あまりに若く、あまりに儚い。
「…本当に死にたいのか?」
思わず言葉が漏れた。
「お前、まだ十六、七だろ? これから楽しいことだって…」
僕がそう言い終えるのを待たずに、少女は嘲るように笑いだした。
「とんだ甘ちゃん忍びだね…」
その声は、笑っているのにどこか壊れていた。
「体術がすごいから、どれほどの忍びかと思ったら…その程度?」
「…いったいこの地獄の世の中に、何の“楽しみ”があるっていうのさ?」
僕は息を呑んだ。
「物心ついたときには親に売られてたよ。」
「忍の家に買われてからは、遊びの代わりに毒見の仕方、殺し方、
男のたらし込み方を叩き込まれてさ。
できなきゃ殴られ、飯も食わせてもらえなかった。」
壮絶な過去を淡々と話す少女の目から、一粒ぽろりと涙がこぼれた。
「任務に失敗すれば殺される。成功してもまた、次の任務。地獄が続くだけ。
生きてることが楽しいなんて…あんたが初めて言ったよ。ハハハ……ハハハハ!」
泣き笑いが川原にこだました。
現実を、少女の口から突きつけられた僕は、ただ呆然と彼女を見下ろしていた。
「…名前、教えてくれよ」
押さえつけたままの少女に、そっと声をかけた。
「殺す人間の名前聞いてどうすんだよ。一思いに殺れよ」
「…そんなに死にたいのか?」
そう言うと、僕は静かに懐の短刀を抜いた。
刃を逆手に握り、少女の胸元へと振り下ろす。
少女は目を固く閉じ、全身を強張らせた。
…だが、いつまで経っても冷たい刃は、肌に食い込んでこない。
そっと目を開けると、そこにはゴエモンの顔があった。
「な、なんで…?」
ゴエモンは刃を引っ込めながら言う。
「口で殺せって言ってたけど、体は硬直して“死にたくない”
“助けて”って叫んでた。体って正直だからな。」
少女は、あっけにとられたように口を開いたまま、何も言えなかった。
これまで出会ってきた男たちは皆、ただ欲望を満たすために、
心を踏みにじり、体を蹂躙し、傷つける奴ばかりだった。
自分を人間として見てくれた男なんて、今まで誰一人いなかった。
「わからない…あんたみたいな男…会ったことない。」
心が揺れていた。涙が、頬をつたっていた。
「私は…どうしたらいいんだ…」
「生きたらいいさ」
ゴエモンは、静かにそう言った。
「そして、生きててよかったって思えるものを見つけなよ。」
そういうと立ち上がり、歩き出した。
少女はその背中を見送っていた。
背を向けたままのゴエモンに向かって、小さな声で呟いた。
「…蛍」
ゴエモンは歩みを止めて、振り返った。
「いい名前だ。」
ゴエモンは微笑んだ。
「…それだけが、実の親が私に残してくれたものらしい…
それを取って育ての親は、私に蛍火という忍び名を付けたんだ。」
蛍は遠い目でポツリと呟いた。
「君の親がどんな理由で子供を売ったのかはわからない。
けど、そんな名前をちゃんと付けてくれていたんだ。
子供が憎いとか、邪魔だとか、そんなんじゃなかったんじゃないかな。」
蛍はハッとしてゴエモンを見上げた。
「このご時世、子供が増えすぎて間引きする親も大勢いるよ。
でも、君の親はそれをしないで、名前まで付けてる。
少なくとも自分たちが育てるより、ちゃんと生きていけるところに託したのは、
君にちゃんと生きていってくれることを願っていたからじゃないかな。」
ゴエモンは優しく問いかけた。
「生きてて、いいの…私。任務に失敗したのに…」
「親御さんも泣く泣く君を手放したんだと思うよ。生きてほしいから。
だから君は生きなきゃいけないんだ。」
蛍の頬に涙が伝っていた。
「じゃあな、蛍。この城下は伊賀忍だらけだ。早いとこ、脱出するんだぞ」
そう言って、ゴエモンは今度こそ歩き出した。
月明かりの下、蛍はその背を、ただ黙って見送っていた。
我ながらお気に入りのエピソードです。
はじめはゴエモンの初戦闘シーンを書こうと思い、普通の忍びとの戦闘シーンを考えていたのですが、くのいちの方が面白いかな?と思い、くのいちにしたら、だんだん蛍というキャラクターが勝手に動きだし、思いもしない話になっていきました。




