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第6話 パン屋の看板娘

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ

 ミリアの朝は早い。

 まだ空が白み始める頃には起き出し、店の掃除を始める。

 床を掃き。テーブルを拭き。窯に火を入れる。

 その頃には父親は既に仕込みを始めていた。


「おはよう、お父さん」

「ああ、おはよう」


 パン生地をこねながら父親が笑う。

 ミリアも笑い返した。

 これがいつもの朝だった。


◇ ◇ ◇


 ミリアの母親は、彼女がまだ幼い頃に病で亡くなった。

 だから父親が男手一つで育ててくれた。

 忙しいパン屋を切り盛りしながら。

 泣き虫だった娘を育てながら。

 一度も弱音を吐かずに。

 だからミリアは父親が大好きだった。


 そして。


 父親の作るパンも大好きだった。


 窯から焼きたてのパンが運ばれてくる。

 香ばしい香り。

 こんがり焼けた表面。

 ふわふわの中身。

 王都のどこの店にも負けない。

 ミリアはそう思っていた。


 だが。


「また残っちまったな」

 夕方。

 父親が売れ残ったパンを見て苦笑する。

 ミリアは悔しそうな顔をした。

「美味しいのにね」

「ああ」

「なんで売れないんだろ」

「分からんな」

 父親は肩をすくめる。


 店は潰れない。

 常連客もいる。

 だが繁盛もしない。

 そんな状態がずっと続いていた。


 ミリアは知っている。

 父親が毎日どれだけ努力しているか。

 どれだけ研究しているか。

 どれだけ早起きしているか。

 だから悔しかった。

 もっと多くの人に食べてほしい。


 もっと店を繁盛させたい。

 でも方法が分からない。


◇ ◇ ◇


 そんなある日。

 常連客の冒険者たちが話していた。

「聞いたか?」

「あの変な店だろ?」

「騎士団長様が通ってるらしいぞ」

「髪を切る店だっけ?」

「そうそう」


 ミリアは耳を傾ける。

「髪を切るだけで若返るらしい」

「顔剃りも気持ちいいらしいぞ」

「変な店だけど腕は本物だ」

「たまに変な髪型を勧められるらしいけどな」


 店内に笑い声が広がった。


「髪を切る店……」

 ミリアは少しだけ気になった。


◇ ◇ ◇


 翌日。

 仕事を終えたミリアは、王都の通りを歩いていた。

 そして。

 見つけた。


 ハサミ理容室。

 見慣れない赤と白と青の柱が回っている。

 窓から見える不思議な店内。

 どう見ても王都の建物ではない。


「ここかな……」

 店の前で立ち止まる。

 少しだけ緊張した。

 男の店に見える。

 自分が入っていいのだろうか。


 その時だった。

 扉が開く。

 中から出てきたのは鏡子だった。


「いらっしゃい」

 自然な笑顔。

 ミリアは思わず背筋を伸ばした。


 綺麗な人だった。

 それだけじゃない。

 どこか自信に満ちている。

 まるで王都の貴族令嬢とも違う。

 初めて見る雰囲気だった。


「えっと……」

 ミリアはおずおずと口を開く。

「ここ……女でも入れますか?」


 鏡子の動きが止まった。

 女性客。

 女性客である。

 女性客だった。


 鏡子は心の中で叫んだ。

(キターーーーー!!)


「もちろん!」

 勢いよく答える。

 あまりの勢いにミリアが少し後ずさった。


「こ、こちらへどうぞ!」

「は、はい!」


 こうして。

 ハサミ理容室初の女性客が店の中へ足を踏み入れた。

 そして。

 鏡子が、この世界で美容師として本当の一歩を踏み出す瞬間が訪れようとしていた。


◇ ◇ ◇


 鏡子は美容椅子に座ったミリアの肩へケープを掛けた。

 鏡越しに目が合う。

「さて」

「はい」

「どんな髪型にする?」


 ミリアは固まった。

「え?」


「だから、どんな髪型にしたい?」

 当たり前のように聞かれる。

 だが。

 ミリアには答えられなかった。

「えっと……分かりません」


 鏡子は少しだけ首を傾げた。

「可愛くなりたい?」

「え?」


「綺麗になりたい?」

「うーん……」


「大人っぽく?」

「それも違う気がします」


 鏡子は腕を組んだ。

 なるほど。


 この子は髪型を変えたいわけじゃない。

 もっと別の理由でここへ来ている。

「じゃあ質問を変えるわ」

「はい」

「何のために髪を切るの?」


 ミリアは考える。しばらく考えて。

 ようやく口を開いた。


「お父さんのパン屋を……」

「うん」

「もっと繁盛させたいです」


 鏡子はにやりと笑った。

「なるほどね」

「じゃあ決まった」

「え?」

「パン屋の看板娘にする」


 ミリアは目を丸くした。

「私がですか?」

「あなた以外に誰がいるのよ」


 鏡子は赤毛を指で梳く。

「髪質もいい」

「赤毛も綺麗」

「そばかすだって可愛い」

「磨けば絶対化ける」


 ミリアは顔を真っ赤にした。

「そ、そんな……」

「そんなよ」


 鏡子は自信満々だった。

「任せなさい」

「お父さんの店の売上を上げるわよ」


◇ ◇ ◇


「まずは洗うわ」

 案内されたのは不思議な椅子だった。


「ここに寝るの?」

「そう」

「本当に?」

「本当に」

 恐る恐る頭を預ける。

 首が支えられる。

 少し緊張した。


 温かいお湯が流れる。

 頭皮に触れた瞬間、ほっとするような温度が広がった。

「ひゃっ」

「熱い?」

「ち、違います」


 耳元でさらさらと湯が流れる音が心地いい。

 気持ち良かっただけだ。


 鏡子の指が髪の中へ入る。

 泡立てる。

 しゅわりと細かな泡が増え、甘い香りがふわりと漂った。

 頭皮を優しく揉む。

 指先が頭全体を動く。

 くしゅ、くしゅ、と泡の弾ける音が耳に近い。


「き、気持ちいい……」

 思わず声が漏れた。


 今まで父親に髪を切ってもらったことはあっても。

 こんな風に髪を洗ってもらったことはない。


 温かな指先にほぐされるたび。

 疲れが溶けていくようだった。

「まだあるわよ」

「まだ!?」


 次はトリートメントだった。

「これ何ですか?」

「髪の栄養」

「髪に栄養!?」

 ミリアは本気で驚いた。

「綺麗な髪は財産なのよ!」

 鏡子は当たり前のように言う。


 自分の赤毛を見つめる。

 そんな風に考えたことはなかった。


 髪を乾かす。

 温かな風が頬を撫でる。

 濡れて重かった髪が少しずつ軽くなっていく。

 指がするりと通る。

 引っ掛からない。


「すごい……」

 乾いた髪はさらさらと肩を滑り、指先に絹のような感触を残した。

 自分の髪じゃないみたいだった。


 美容椅子へ戻る。

 鏡子がハサミを手に取る。

 シャッ。

 最初の一太刀。

 耳元で澄んだ音が響く。


 ミリアは息を呑んだ。

 シャキ、シャキ、と小気味よくハサミが踊る。

 長すぎた毛先を整える。

 傷んだ部分を切る。

 肩に落ちた赤毛がさらりと滑った。

 重たさを取り除く。

 顔周りの髪を少しずつ調整する。

 丸みのあった輪郭が自然に見える位置を探る。

 前髪も切る。


 シャッ、シャッ。

 目に掛かりそうだった前髪を少し短く。

 少しだけ横へ流す。

 視線が自然と目元へ集まる。

 鏡子の動きに迷いはない。


 途中。

 亮一が顔を出した。

「どうだ」

「順調」

「上手いな」

「誰に言ってるのよ」


 ミリアは思わず笑った。

 なんだか仲の良い兄妹みたいだ。


 最後にドライヤー。

 温風が髪をふわりと持ち上げる。


 ブラシが滑り、艶が整っていく。

 細かな調整。

 そして。

 鏡子は小さなハサミを取り出した。

「最後に眉を整えるわ」

「眉も切るんですか?」

「切るわよ」

「髪じゃないのに?」

「眉も顔の一部だから」

 

 鏡子は笑った。

「前髪と眉で顔の印象はかなり変わるの」


 余分な部分だけを整える。

 細くし過ぎない。

 派手にもしない。

 パン屋の看板娘らしく。

 親しみやすく。

 優しく。


「よし」

 鏡子は満足そうに頷いた。

「できたわ」

 鏡が向けられる。


 ミリアは息を呑んだ。

「これ……私?」


 そこに映っていたのは。

 確かにミリアだった。

 肩の少し下で揺れる赤毛。

 重かった毛先は軽やかになり。

 自然な動きが生まれている。

 前髪は柔らかく流れ。

 顔周りの髪が優しく輪郭を包む。

 艶を取り戻した赤毛は窓から差し込む光を受けて輝いていた。

 そばかすはそのまま。

 だが。

 今までよりずっと明るく見える。

 親しみやすく。優しそうで。

 思わず話しかけたくなる。


 まさに。

 パン屋の看板娘だった。


「なんだか顔まで違って見える……」

「髪だけじゃないわ」

 鏡子は笑った。


「前髪と眉で顔の印象はかなり変わるの」

 ミリアは何度も鏡を見た。


 別人ではない。

 でも違う。

 今までより少しだけ自信が持てそうだった。


「ありがとうございます……」

 目に涙が浮かぶ。

「私じゃないみたいです。」

 

 鏡子は優しく言った。

「いいえ」

「元々あなたよ」


 その言葉は。

 ミリアの胸の奥に静かに残った。

 そして、その変化が父親のパン屋を大きく変えることになるのだった。


◇ ◇ ◇


エピローグ


 その日の夕方。

 ミリアは何度も窓ガラスに映る自分を見ながら家路についていた。

 髪を触る。

 指がするりと通る。

 肩の下で揺れる赤毛。

 本当に自分なのだろうか。

 そう思ってしまう。

 昨日までの自分なら、髪を隠すように歩いていた。

 伸び放題でまとまらない髪を見るたびに、自分まで冴えない人間になった気がしていた。

 けれど今は違う。

 風に揺れる髪が軽い。

 胸の奥まで少し軽くなったような気がする。

 鏡の中の自分を見て、初めて嫌じゃないと思えた。

 やがて見慣れたパン屋が見えてきた。


 扉を開ける。


「ただいま」


 店の奥では父親が翌日の仕込みをしていた。

「おう、おかえ――」


 言葉が止まる。

 父親が固まった。

「ミリアか!?」


 今度は父親が叫んだ。

「な、なんだその髪!」

「変かな!?」


 思わず不安が込み上げる。

 せっかく少しだけ好きになれた自分を否定されたらどうしよう。

 そんな考えが頭をよぎった。


「違う違う!」

 父親は慌てて首を振った。

「綺麗になったな」

 ミリアの顔が赤くなる。

「そ、そうかな……」

「ああ」

 父親は少し目を細めた。

「母さんに似てきた」

 ミリアが目を丸くする。

 母親の話を父親がするのは珍しかった。

「本当?」

「ああ」

「笑った時なんか特にな」

 父親は少し懐かしそうに笑った。

 ミリアは胸の奥が温かくなるのを感じた。

 鏡子に切ってもらった髪。

 それだけなのに。

 父親がこんな顔で笑ってくれる。

 なんだか不思議だった。

 髪型が変わっただけではない。

 自分の表情も、気持ちも変わっていたのだと気づく。

 ずっと下を向いていた自分が、少しだけ前を向けるようになっていた。

 その夜。

 ミリアは久しぶりに明るい気持ちで眠った。


◇ ◇ ◇


 新しい朝を迎えた。


そして


 パン屋に小さな変化が訪れる。


「お、おう」

 朝一番の客だった。

 若い冒険者が妙によそよそしい。

「パン二つください」

「はい」

「あと二つ」

「え?」

「いや、四つで」


 父親とミリアは顔を見合わせた。

 その日。

 若い男性客が妙に多かった。

 翌日も。その翌日も。

 そして三日後。


「売り切れましたー!」

 昼前だった。

 店内のパンは一つも残っていない。

 父親が呆然と立ち尽くす。

「売り切れた……」

 ミリアも信じられなかった。

 父親のパンは前から美味しかった。

 味は何も変わっていない。

 変わったのは。

 自分だった。

 その事実に戸惑いもあった。

 けれど同時に思う。

 もし鏡子が自分の髪を切ってくれなかったら。

 もしあの日、勇気を出して店に入らなかったら。

 この光景はなかったかもしれない。


 その日の夜。

 閉店後の店内で父親がぽつりと言った。

「ありがとうな」

「え?」

「お前のおかげだ」

「そんなことないよ」

「あるさ」

 父親は笑った。

「店が明るくなった」

「客も増えた」

「お前が頑張ったからだ」

 ミリアの目に涙が浮かぶ。

 嬉しかった。

 父親にそう言ってもらえたことが。

 ずっと役に立てているのか不安だった。

 父親の負担になっていないか、足を引っ張っていないか。

 そんな気持ちを抱えながら働いていた。

 だからこそ、その言葉は胸の奥深くまで染み込んだ。


◇ ◇ ◇


 翌日。


 ミリアは開店前のハサミ理容室へ向かった。

 勢いよく扉を開ける。

「鏡子さん!」

 店内では鏡子が掃除をしていた。

「どうしたの?」

「ありがとうございました!」

 ミリアは深々と頭を下げた。

「お店が繁盛したんです!」

「本当に?」

「はい!」

「お父さんが笑ってたんです!」


 鏡子は少しだけ目を細めた。

「そう」

「良かったじゃない」

 ミリアは大きく頷く。

 そして。

 真っ直ぐ鏡子を見た。

「私、分かったんです」

「ん?」

「鏡子さんは髪を切っただけじゃない」

「お父さんを笑顔にしたんです」

 鏡子は言葉を失った。

 ミリアは続ける。

「最初は、髪なんて切っても変わらないと思ってました」

「でも違ったんです」

「髪が変わったら、自分の気持ちが変わりました」

「前を向けるようになりました」

「そうしたら、お父さんも笑ってくれて、お店も明るくなって……」

 胸の奥から言葉が溢れてくる。

「鏡子さんは、髪を通して人の気持ちを変えてるんです」

「私、それがすごいと思いました」


「だから私も」

「誰かを笑顔にしたい」

「美容師になりたいです!」


 ただ憧れただけではない。

 自分自身が救われたからこそ分かる。

 髪を切ることには、人を元気にする力があるのだと。

 しばらく沈黙が流れる。


 その時。


 店の奥から亮一が顔を出した。

「パン屋はどうする?」

 ミリアが固まる。

「あ……」

 父親の顔が浮かんだ。

 笑っていた顔。

 ありがとうと言ってくれた顔。

「辞めるつもりはありません!」

 慌てて答える。


「お父さんの店は大好きです!」

「うちの店、お昼過ぎには落ち着くんです」

「午後だけでも手伝わせてください!」

 

 鏡子は少し考える。

「まずは掃除からよ。」

「はい!」

「接客も」

「はい!」

「サボったらクビよ?」

「サボりません!」


 元気な返事が響く。

 亮一がぽつりと言った。

「俺の店だが」


 ミリアが吹き出した。

 鏡子も笑う。

 亮一は呆れたように肩をすくめた。


 こうして。

 パン屋の看板娘は。

 異世界初の美容師見習いにもなった。

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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