第5話 理容師と美容師
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
留置所の応接室にて。
「なるほど、キョウコはリョウと同じで髪を切ることを生業としていたのだな。」
「であれば、不審者ではないので、勾留は解除できる。」
鏡子はそれを聞いて、ホッとする。
「ただ……。」
ガレオスは一息置いた。
「問題が一つある。」
ガレオスは書類へ目を落とした。
「まだあるの?」
鏡子がうんざりした顔をする。
「彼女の身元だ」
「身元?」
「リョウは既に王国民として登録されている」
「え⁈」
亮一が固まった。
「何でアンタが驚くのよ!」
鏡子が即座に突っ込む。
「いや、初耳だぞ」
ガレオスが咳払いをした。
「エリシアが手続きを進めていた。営業許可証も渡したはずだ」
「営業許可証?」
亮一は首を傾げる。
そして数秒後。
「あ」
何かを思い出した。
「店の前に紙が貼ってあった」
「それだ」
ガレオスが即答した。
「営業許可証だ」
「そうだったのか」
「読んでいなかったのか?」
「読めないし」
沈黙。
鏡子が顔を覆う。
「そうだった……」
ガレオスも額を押さえた。
「異世界の文字だったから……」
「だから飾りかと思ってた」
「いや、聞かんかい!」
鏡子が叫ぶ。
◇ ◇ ◇
ガレオスは咳払いをして話を戻した。
「問題は彼女だ」
鏡子を指差す。
「住民登録なし」「住所なし」「仕事なし」
「最後のは余計よ」
「事実だ」
反論できなかった。
「そこで相談だ」
ガレオスが亮一を見る。
「リョウ」
「嫌だ」
即答だった。
「まだ何も言ってないぞ」
「面倒事だろ」
「その通りだ」
ガレオスは認めた。
鏡子が吹き出す。
「正直ね」
「知人なら身元引受人になれないか」
ガレオスが言った。
亮一は露骨に嫌そうな顔をする。
「なんで俺が」
「助かる」
「受けると言ってになってぞ。」
「同郷のよしみだろ。」
「面倒事の匂いしかしない」
ガレオスは少し考えた。
「今後も王都で仕事するなら、受けといた方がいいと思うぞ」
「脅しか?」
「善意だ」
「どこがだ」
◇ ◇ ◇
亮一は鏡子を見る。
「お前」
「なによ」
「今日どこで寝る」
鏡子が黙った。
「……考えてない」
「金は」
「日本円しかない」
「飯は」
「知らない」
「……」
沈黙。
ガレオスも何も言わない。
机の上には鏡子の荷物。
財布。スマホ。パジャマ。
そして美容師用のハサミケース。
それだけだった。
鏡子は思わず目を逸らす。
革のケースの擦れた感触が視界の端に映る。
それは何年も手に馴染ませてきた、自分の分身のような道具だった。
Salon Miroir。青山。スタッフ。お客様。コンテスト。
脳裏に浮かぶ光景は鮮明だった。
朝のミーティングの声。
ドライヤーの音。
シャンプーの香り。
予約表を埋め尽くす名前。
忙しさに追われながらも、確かに積み上げてきた日々。
つい昨日まで当たり前だった現実。
帰れば店があり、仲間がいて、明日の予定があった。
だが今は違う。
スマホの画面を見ても圏外の表示しかない。
連絡したい相手は大勢いるのに、誰にも届かない。
胸の奥がひやりと冷えた。
もしかしたら戻れる。
どこかでそう思っていた。
夢かもしれない。
そのうち目が覚めるかもしれない。
そんな淡い期待が、机の上のわずかな荷物を見た瞬間に崩れていく。
全部失った。店も。居場所も。
積み上げた人生も。
残ったのは美容師としての道具だけ。
喉の奥が締め付けられる。
泣きたいのに涙は出なかった。
現実感だけが重く胸に沈んでいく。
◇ ◇ ◇
亮一は黙って鏡子のハサミケースを見つめる。
使い込まれたケースだった。
美容師人生そのものが詰まっている。
それくらいは分かる。
亮一自身も異世界に飛ばされた身だ。
だが自分には店があった。
店ごと転移したおかげで、住む場所も仕事道具も残った。
客さえ来れば、いつも通り髪を切って食っていける。
訳も分からないまま放り込まれたのは同じでも、鏡子は違う。
手元にあるのはハサミだけ。
店もなければ住む場所もない。
美容師として生きてきた人間から仕事場を奪われるのがどれほど辛いか、亮一には想像できた。
正直、面倒事だ。
だが――。
「……しょうがねぇな」
亮一が頭を掻いた。
鏡子が顔を上げる。
「え?」
「俺が引き受ける」
ガレオスが笑う。
「助かる」
「同郷の人間を見捨てるほど、薄情じゃねぇ。」
鏡子は唇をきゅっと結び、小さくうつむいた。
◇ ◇ ◇
留置所を出ると、夕暮れの風が石畳を吹き抜けた。
二人は並んで歩き出す。
しばらく無言だった亮一が、ふと鏡子を見た。
「なあ。」
「なによ。」
「その格好で歩く気か?」
鏡子は自分の服を見下ろく。
白いうさ耳付きのパジャマ。
異世界ではどう見ても浮いていた。
「あっ……。」
今さら気付いた。
留置所に入れられてから服どころではなかった。
「恥ずかしくなってきた……。」
鏡子は両腕で体を隠すように抱える。
道行く人がちらちらと視線を向けていた。
亮一はため息をつく。
「しょうがねぇな。」
「え?」
「服、買いに行くぞ。」
鏡子は目を丸くした。
「いいの?」
「そのまま連れ歩いてたら、今度は俺まで変な目で見られる。」
「ひどい理由!」
「事実だ。」
鏡子は頬を膨らませる。
「もう少し言い方ってものがあるでしょ。」
「可哀想だから買ってやる、なんて言った方がいいか?」
鏡子は少しだけ黙った。
「……それはそれで腹立つ。」
「面倒くさいやつだな。」
亮一は苦笑しながら歩き出す。
鏡子も少し遅れて後を追った。
その足取りは、留置所を出た時より少しだけ軽くなっていた。
◇ ◇ ◇
「じゃああんたは?」
鏡子は異世界に来た状況を亮一に確認していた。
「分からん」
「そこは分からんないんだ」
「朝起きた。店を開けた。異世界だった」
「……は?」
「だから俺もよく分からん」
鏡子は頭を抱えた。
「絶対そっちの方がおかしいわよ」
「俺もそう思う」
やがて二人はハサミ理容室へ到着した。
赤、白、青のサインポールが静かに回っている。
鏡子は思わず足を止めた。
「本当に店ごと来てる……」
「見れば分かるだろ」
「何回見ても意味が分からないのよ」
亮一は苦笑した。
そして扉を開ける。
カラン。
懐かしい音が響いた。
鏡子は店内へ足を踏み入れた。
シャンプー剤の匂い。
整然と並ぶ道具。
鏡に映る美容椅子。
一瞬だけ胸が高鳴った。
仕事場だ。
自分の居場所に似た空間だ。
だが次の瞬間、その感覚は鋭く裏切られる。
ここは自分の店ではない。
スタッフもいない。
見慣れたロゴもない。
予約表も、お客様のカルテもない。
鏡に映った自分の姿が、ひどく頼りなく見えた。
異世界に来てから初めて、自分が本当に帰る場所を失ったのだと実感する。
胸の奥がずしりと沈む。
それでも前に進むしかない。
そして――。
「……あれ?」
「……ちょっと待って」
鏡子は足を止めた。
理容椅子が二台。
その奥に、美容椅子が一台置かれている。
「なんで美容椅子があるの?」
「使うから」
いつものぶっきらぼうな返事。
だが今回は続きがあった。
「昔から近所の女の子も来てたからな」
「へぇ」
「七五三とか卒業式とか」
「なるほど」
「短く切るだけじゃ済まない客もいる」
鏡子は少し驚いた。
亮一らしい答えだった。
さらに店内を見回す。
ドライヤー。ヘアアイロン。ロッド。カラー用品。
パーマ機材。メイク用品。ネイル用品。マツエク用の設備。
美容室でも十分通用する設備だった。
「ちょっと待って」
「なんだ」
「なんでこんなに揃ってるの?」
亮一は肩をすくめた。
「頼まれたことをやってたら増えた」
「行き当たりばったりじゃない」
「地域の客は色々言うからな」
鏡子は思わず笑った。
確かに地域密着型の店らしい。
棚を開いた鏡子は今度こそ固まった。
「……これ」
高級シャンプー。高級トリートメント。
頭皮ケア用品。カラー剤。スタイリング剤。
どれも美容師なら知らない者はいない一流品だった。
「全部使ってるの?」
「ああ」
「結構高いわよ?」
「そうなのか」
「知らずに使ってたの?」
「評判が良かったからな」
「それだけ?」
亮一は少し考える。
「髪が傷みにくい」
「うん」
「洗った後の手触りがいい」
「うん」
「匂いも残る」
鏡子は目を丸くした。
「ちゃんと見てるじゃない」
亮一は不思議そうな顔をする。
「客の髪だからな」
その一言に鏡子は言葉を失った。
美容椅子がある。設備もある。薬剤もある。道具もある。
そして。
自分には技術がある。
胸の奥で止まっていた何かが少しずつ動き始める。
――できる。
この世界でも。
美容師として仕事ができる。
◇ ◇ ◇
「補充はどうしてるの?」
鏡子が棚を見ながら聞く。
「してない」
「は?」
「朝になると戻る」
「……は?」
「シャンプーも薬剤も」
「意味分かんないんだけど」
「俺も不思議なんだが……」
亮一は棚を見る。
「電気も使える」
「ガスも使える」
「水道も出る」
「店ごと異世界に来たのに?」
「ああ」
亮一は苦笑した。
「誰かが俺にここで理容をしろって言ってるみたいだ」
鏡子の脳裏に、泣きながら土下座していた女神の姿が浮かぶ。
(絶対あいつだ……)
だが説明するのも面倒なので黙っておいた。
「帰りたいと思わないの?」
鏡子が聞く。
亮一は少し考えた。
「思うぞ
意外な答えだった。
「でも客が来るんだ」
「え?」
「髪を切ってくれって言われる」
亮一は店内を見回した。
鏡。椅子。ハサミ。
いつもの仕事場。
「髪を切ってくれと言われたら応える」
少し間を置く。
「それがバーバーだろ」
鏡子の胸が少しだけ高鳴った。
何よ。
その言い方。
ずるいじゃない。
普段は無愛想で。口も悪くて。
面倒くさそうな顔ばかりしているくせに。
そういう時だけ真っ直ぐなことを言う。
(……ちょっとカッコいいじゃない)
そんなことを思ってしまった自分が悔しかった。
「なによ」
「なんだ」
「別に」
鏡子はそっぽを向いた。
亮一は理由も分からず首を傾げる。
だが、亮一のその言葉で鏡子の迷いは消えていた。
Salon Miroirは失った。
青山にも帰れない。
それでも。
美容師としての人生は終わっていない。
◇ ◇ ◇
「決めた」
「何をだ」
鏡子は勢いよく振り返った。
「Salon Miroir異世界王都店をオープンするわ!」
沈黙。
亮一は数秒考えた。
「誰の店で?」
「もちろんここ」
「もちろんじゃねぇ」
「王都初の美容室よ!」
「人の店で勝手に開業するな」
「掃除は誰がやる」
「私がやるわよ」
鏡子は胸を張る。
「新人の頃は毎朝やってたもの」
「そうか」
「理容室の掃除だって別に構わないわ」
亮一が少し意外そうな顔をした。
「叩き上げなのよ、私」
◇ ◇ ◇
「ところで」
亮一が言う。
「なによ」
「今日どこで寝る気だ」
鏡子が固まった。
「……」
「考えてなかっただろ」
「……はい」
亮一はため息を吐く。
「二階使え」
「え?」
「部屋余ってる」
鏡子は目を丸くした。
「いいの?」
「住む場所ないんだろ」
「ただし条件がある」
亮一が指を一本立てた。
「なによ」
「店を手伝え」
「美容師としてなら」
「理容室もだ」
鏡子は少し考えた。
「まあ、しょうがないわね」
亮一が眉を上げる。
「受付も掃除も、新人の頃は当たり前だったし」
そしてニヤリと笑う。
「その代わり、美容師の仕事もさせなさいよ」
「明日から働け」
「当然よ」
鏡子は胸を張る。
「見てなさい」
「何をだ」
「Salon Miroir異世界王都店」
「絶対成功させる」
「歴史が変わるわ!」
亮一は肩をすくめた。
「まずは女性客を見つけるところからだな」
鏡子が固まる。
「あ」
大事なことに気付いた。
「この店の客って……」
「今のところ十割男だ」
「……」
「理容室だからな」
沈黙。
数秒後。
「ちょっと待って!」
鏡子が叫ぶ。
「私のターゲットがいないじゃない!」
「だから言っただろ」
「言ってないわよ!」
「今言った」
「今じゃ遅いのよ!」
店の中に二人の声が響く。
鏡子は頭を抱える。
異世界初の美容室。
華々しく開業宣言したまでは良かった。
だが肝心の女性客がいない。
前途は多難である。
こうして。
理容師と美容師。
二人のバーバーによる奇妙な共同生活が始まったのだった。
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