第4話 留置所の美容師
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
眩しい。
最初に鏡子が感じたのは、それだった。
瞼の裏を焼くような日差し。耳に飛び込んでくる大勢の人々の話し声。背中に伝わる石畳の固い感触。
「……え?」
鏡子はゆっくりと目を開いた。
見知らぬ天井ではない。見知らぬ空だった。
真っ青な空がどこまでも広がり、白い雲がゆっくりと流れている。
「……ここ、どこ?」
身体を起こした鏡子は、思わず息を呑んだ。
石造りの建物が立ち並び、広場の中央では噴水が水しぶきを上げている。見たことのない文字が刻まれた看板。荷車を引く巨大な鳥。そして獣耳や長耳を持つ人々が、ごく自然に行き交っていた。
「うそ……」
ついさっきまで、自分は青山の『Salon Miroir』にいたはずだった。
スタッフと開店準備を終え、今日の予約を確認し、お客様を迎える準備をしていた。それなのに今、自分は知らない街の真ん中に立っている。
夢だと思って頬をつねる。
「痛っ!」
普通に痛い。
夢ではない。
鏡子は空を見上げ、大きく息を吸った。
「アフロディーテぇぇぇぇぇぇっ!!」
広場中に叫び声が響く。
もちろん返事はない。
「ちょっと話を聞くだけって言ったじゃない!」
美容の女神を名乗る女性。
髪には人を幸せにする力がある、この世界の美容を変えてほしい――そんな話を一方的に聞かされ、気が付けばここにいた。
「私の店ぇぇぇぇぇ!」
何年もかけて築き上げたサロン。苦楽を共にしたスタッフ。予約を入れてくれていたお客様。そのすべてを置いてきてしまった。
「今日のお客様……どうするのよ……」
店長として最後まで責任を果たしたかった。胸が締め付けられ、涙が一筋だけ頬を伝う。
「帰りたい……」
◇ ◇ ◇
「ママー!」
「見てー! 月兎族の格好してるー!」
鏡子が振り向くと、小さな少女が自分を指差していた。
「見ちゃダメよ。」
「えー?」
「関わっちゃダメ。」
母親は娘の手を引き、そのまま立ち去っていく。
「普通に傷付くんだけど!?」
鏡子は思わず叫んだ。
しかし周囲からも視線が集まり始める。
「月兎族か?」
「いや、耳が違う。」
「真似してるのか?」
「怪しいな。」
「密偵じゃないか?」
ひそひそと囁く声が広場中から聞こえてくる。
「怪しくないわよ!」
反論しても誰も耳を貸さない。
ため息をついた、その時だった。
「道を開けろ。」
低く響く声に、人々が左右へ分かれる。
重厚な鎧をまとった騎士たち。その中央を歩く大男は、一目で歴戦の戦士と分かる風格をまとっていた。
騎士団長ガレオス・ヴァルツ。
彼は鏡子の前で足を止める。
「貴様。」
「は、はい!」
「月兎族の真似か?」
「違います!」
「私は美容師です!」
騎士たちが顔を見合わせた。
「びようし?」
「聞いたことがない。」
「そんな仕事はない。」
「あるわよ!」
「髪を切って、人をもっと素敵にする仕事よ!」
騎士たちはさらに首をかしげる。
「……理容師なら存在する。」
ガレオスが静かに言った。
「えっ?」
「理容師はいるの?」
「ああ。」
美容師はいないのに理容師だけがいる。
鏡子の頭は混乱した。
「連れて行け。」
「えっ、ちょっと!」
「待って! 本当に怪しい者じゃないから!」
騎士たちに両脇を抱えられ、鏡子は必死にもがく。
「判断するのは我々だ。」
ガレオスは小さく息を吐いた。
「私は用事を済ませてから戻る。それまでは監視しておけ。」
「はっ!」
「ただし乱暴な扱いはするな。女性だ。怪しい人物ではあるが、罪人と決まったわけではない。食事と寝床は用意しろ。」
「了解しました!」
怖そうな人物だが、公平さは失っていないらしい。
少しだけ安心した、その瞬間だった。
「行くぞ。」
「え?」
「いやあああああぁぁぁっ!!」
鏡子の悲鳴が王都中に響き渡った。
◇ ◇ ◇
留置所。
分厚い鉄格子に囲まれた石造りの部屋は、昼間でも薄暗かった。小さな窓から差し込む西日だけが、床を細く照らしている。
「帰りたい……」
鏡子は簡素なベッドに腰掛け、膝を抱えた。目を閉じると、青山のサロンが鮮明によみがえる。ドライヤーの音。スタッフ同士の笑い声。「鏡子さん、次のお客様です」と呼ぶ声。「ありがとう。また来るね」と笑顔で帰っていく常連客。その何気ない日常が、今は何より恋しかった。
「失礼します。」
鉄格子の向こうから声が聞こえた。
若い騎士が木製の盆を持って立っている。
「食事です。」
「……ありがとう。」
盆を受け取ろうとした鏡子は、騎士の顔を見た瞬間、動きを止めた。
「どうかしましたか?」
長く伸びた前髪が目にかかり、表情を暗く見せている。鼻筋は通っていて輪郭も整っているのに、その髪型だけが印象を損ねていた。
「ねえ。」
「はい?」
「その前髪、邪魔じゃない?」
「前髪……ですか?」
「目に入ってるでしょ?」
「慣れてます。」
鏡子は小さく首を振る。
「慣れの問題じゃないわ。鎧も靴も革ベルトも、ちゃんと手入れしてるのに、髪だけ放ったらかし。すごくもったいない。」
騎士は驚いたように自分の前髪へ触れた。
「そんなに分かりますか?」
「美容師だもの。そういうのは一目で分かるわ。」
「もったいない……ですか?」
「ええ。素材はすごくいいもの。」
「そんなこと言われたのは初めてです。」
「素材はいいから、整えれば絶対カッコよくなるよ。」
ルークは照れくさそうに頭をかいた。
「……そんなわけないですよ。」
「そんなことあるって。」
鏡子はにっこり笑い、ルークを見つめる。
「ねぇ。その姿を見せて、『驚かせたい相手』とか、いたりしない?」
ルークの肩がぴくりと震えた。
「……えっ?」
「その反応、分かりやすいなぁ。」
ルークは顔を真っ赤にして視線を逸らした。
「好きな人、いるでしょ?」
「な、なんで……。」
「顔に書いてあるもの。」
耳まで真っ赤になった騎士を見て、鏡子は思わず笑った。
「王都の市場に幼なじみがいるんです。でも、子供の頃から一緒だから、全然男として見てもらえなくて……。」
「だったらなおさらよ。」
「え?」
「髪型は印象を変える。一番簡単に、自分を変えられる方法なの。」
「髪を切るだけで、そんなに変わりますか?」
「変わるわ。」
鏡子は迷いなく答えた。
「だって私は美容師だもの。」
その言葉には、自信ではなく、積み重ねてきた経験が滲んでいた。
「でも、あなたの荷物は、牢へ入れる前に没収しています。」
「あっ!」
鏡子はようやく思い出した。
美容道具はすべてバッグの中だった。
「ハサミも櫛もスプレイヤーも、全部その中なの。」
「だから返して。」
「できません。」
「お願い。」
「できません。」
「お願い。」
「だからできません。」
「お願い。」
「……しつこいですね。」
そのやり取りを聞いていた周囲の騎士たちが吹き出した。
「監視付きなら問題ないんじゃないか?」
「ルーク、一旦返してやれよ。」
「逃げられるわけないだろ。」
「美容師っていう仕事、ちょっと興味ある。」
「面白そうじゃないか。」
ルークは周囲を見回し、大きくため息をつく。
「皆さんまで……。」
鏡子は胸の前で両手を合わせた。
「お願い! 一人切るだけでいいから!」
しばらく黙っていたルークは、観念したように肩を落とす。
「……分かりました。ただし、監視付きです。」
「本当!?」
「絶対に変なことはしないでくださいね。」
「もちろん!」
鏡子の表情が、一気に明るくなった。
ルークは牢の鍵を開け、保管庫から一つのバッグを持って戻ってきた。
「こちらで間違いありませんか?」
鏡子はバッグを見た瞬間、目を輝かせた。
「私のバッグ!」
急いで受け取り、ファスナーを開ける。
愛用のハサミ、使い慣れたカットコーム、スプレイヤー、ダッカール、クロス。
どれも元のまま入っていた。
鏡子は一本一本を確かめるように手に取り、小さく微笑む。
「……よかった。」
異世界へ来てから初めて、胸の奥に安心感が広がった。
「この子たちまで失ったら、私は美容師じゃなくなっちゃうところだった。」
騎士たちは道具を興味深そうに覗き込む。
「それが美容師の道具か……。」
鏡子は大切そうにハサミを握り直した。
「うん。私にとっては、相棒なの。」
そしてルークへ向き直る。
「待たせちゃったね。」
「それじゃあ、始めましょう。」
◇ ◇ ◇
「じゃあ、ここに座って。」
ルークは少し緊張した面持ちで椅子へ腰を下ろした。
鏡子はルークの肩にクロスをふわりとかけて。
「なるべく動かないでね。」
ルークの後ろへ回り、ゆっくりと髪へ指を通した。
伸び放題の前髪は目元を完全に覆い、横髪は耳にべったりと張り付き、襟足は首元で重たく広がっている。汗と埃で束になった髪は艶を失い、無精髭は頬から顎までぼさぼさに伸び放題。
本来整っているはずの顔立ちは、そのすべてに覆い隠されていた。
(これは……完全に素材を殺してるタイプね。)
美容師として、そう思わずにはいられなかった。
「まずは髪を落ち着かせるね。」
持っていたスプレイヤーに水を入れ、細かな霧を髪全体へ吹きかける。
濡れた髪を櫛でゆっくり梳かしていくと、絡まっていた毛先が少しずつほどけていった。
「なんだか気持ちいいですね。」
「でしょ? 濡らすだけでも扱いやすくなるの。」
鏡子は深呼吸する。
そしてハサミを静かに開いた。
シャキッ。
最初の一束が床へ落ちる。
シャキッ、シャキッ。
無駄のないリズムで鋏が動く。
長く重たい前髪を軽くし、目元が見える長さまで整え、自然に横へ流れるようにカットする。
耳周りはすっきりと出し、清潔感を強調。
襟足は短く締めて、鎧に干渉しないように整える。
トップには軽くレイヤーを入れ、動きと立体感を出す。
無造作に見えて計算された、爽やかで精悍なショートスタイル。
騎士としての力強さと、若さを引き立てる髪型へと変わっていく。
留置所にはのハサミ軽快な音だけが響いていた。
「……。」
見守る騎士たちは誰一人として口を開かない。
鏡子の手は迷いなく動き続ける。
ハサミを持ち上げる角度。ハサミを入れる位置。櫛を動かす速さ。
そのすべてが流れるようだった。
「すごい……。」
誰かが思わず呟く。
「まるで魔法みたいだ。」
鏡子は小さく笑った。
「魔法じゃないわ。積み重ねてきた技術よ。」
最後に全体のバランスを整え、前髪を指先で軽く払う。
「……よし。」
すると鏡子の視線はルークの顎へ向かった。
無精髭が濃く伸び、せっかく整った輪郭を隠している。
「髭も整えていい?」
ルークは驚いたように瞬きをする。
「髭もですか?」
「うん。でも先に言っておくね。」
鏡子は少し照れくさそうに笑った。
「私は美容師だから、カットは専門だけど、シェービングは理容師さんほど得意じゃないの。」
「だから完璧とは言えないけど……それでも良ければ。」
ルークは迷わず頷いた。
「お願いします。」
「ありがとう。」
鏡子はバッグの中を探り、小さな眉用カミソリを取り出した。
「これは地球で眉を整える時に使うカミソリなの。細かいところを剃るには便利なのよ。」
騎士たちは興味津々で身を乗り出す。
「そんな小さな刃で?」
「見てて。」
鏡子は周囲を見回した。
「ねえ、誰かお湯を用意してもらえる?」
騎士たちは一瞬きょとんとする。
「お湯?」
「そう。温かいお湯があると、髭が柔らかくなって剃りやすくなるの。」
「なるほど……!」
一人の騎士が慌てて立ち上がる。
「すぐ持ってきます!」
「頼む!」
数分後、湯気の立つ桶が運ばれてきた。
「これでいいですか?」
「ありがとう、助かるわ。」
鏡子は布をお湯に浸し、軽く絞る。
「まずは蒸しタオル。」
温めた布をルークの頬へそっと当てた。
じんわりとした温もりが髭を柔らかくしていく。
ルークは自然と目を閉じた。
「……気持ちいい。」
「でしょ?」
数十秒ほど置いてからタオルを外す。
柔らかくなった髭へ、鏡子は慎重に刃を滑らせた。
頬のラインをすっきりと出し、口元は清潔に整え、顎はシャープな輪郭を際立たせるように剃り上げる。
ぼさぼさだった髭は消え、顔の骨格がはっきりと浮かび上がっていく。
「痛くない?」
「はい、大丈夫です。」
鏡子は何度も角度を確認しながら丁寧に剃り進めた。
剃り終えると、冷たいタオルで肌を引き締める。
最後に少量の保湿クリームを薄く伸ばした。
「これで終わり。」
鏡子はクロスを外し、ルークへ鏡を差し出した。
「見てみて。」
ルークは鏡を受け取り、自分の顔を見つめる。
「……。」
言葉が出ない。
さっきまで目元を隠していた前髪は軽やかに流れ、澄んだ瞳がはっきりと見える。
耳周りはすっきりと整い、首元は引き締まり、全体に清潔感が漂う。
無精髭で覆われていた顔は、シャープな顎と整った鼻筋が際立つ精悍な顔立ちへ。
無造作ショートに整えられた髪が、若々しさと騎士らしい凛々しさを同時に引き出していた。
まるで、くたびれた新米騎士が――王都でも通用するイケメン騎士へと変わったかのようだった。
「……別人みたいだ。」
鏡子は嬉しそうに微笑む。
「別人じゃないわ。」
「元々格好良かったルーク君が、ちゃんと見えるようになっただけ。」
ルークは鏡から目を離せない。
やがてゆっくり顔を上げると、深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
その姿を見ていた騎士たちは一斉に立ち上がった。
「すげぇ!」
「ルークか、あれ!?」
「俺も切ってくれ!」
「いや、俺が先だ!」
「俺の前髪もどうにかしてくれ!」
留置所は一瞬で歓声に包まれた。
鏡子は思わず苦笑する。
「順番、順番! 一人ずつ並んで!」
さっきまで怪しい人物として見られていた自分に、今は騎士たちが列を作ろうとしている。その変化が少しおかしかった。
鏡子は一人ひとりの顔を見渡した。
癖毛を活かした方がいい者。前髪を軽くするだけで印象が変わる者。耳周りを整えるだけで精悍に見える者。それぞれ骨格も髪質も違う。同じ髪型にすればいいわけではない。
「みんな座って。」
騎士たちは素直に従う。
「まず言っておくけど、人の真似をしても格好良くはならないわ。その人に似合う髪型が一番素敵なの。」
何人かが顔を見合わせる。
「俺もルークと同じにしてください。」
「俺も。」
「俺もです。」
鏡子は笑って首を横に振った。
「ダメ。」
その一言に騎士たちは驚いた。
「どうしてですか?」
「顔も頭の形も髪質も違うから。同じ服を着ても全員が似合うわけじゃないでしょう? 髪型も同じなの。」
騎士たちは納得したように頷いた。
「なるほど……。」
鏡子は二人目の騎士の髪へ指を通す。
「あなたは髪が硬いから短めの方が似合うわね。前髪は少し流して、耳周りを軽くしましょう。」
迷いなく鋏を入れる。シャキッ、シャキッ。
小気味よい音が留置所に響く。
◇ ◇ ◇
鏡子は次々と騎士たちの髪を整えていった。
前髪を軽くするだけで表情が明るくなる者。耳周りを短くして精悍さが増す者。襟足を整えるだけで鎧姿が引き締まって見える者。同じ騎士でも、似合う髪型は一人ひとり違う。鏡子はその違いを見極めながら、一番魅力が引き立つ形へと仕上げていく。
「終わったわ。」
「……おお。」
鏡を見た騎士は思わず頬を触った。
「俺じゃないみたいだ。」
「いや、お前だろ。」
「なんか強そうに見えるぞ。」
「前より十歳若返ったんじゃないか?」
笑い声が広がる。
鏡子もつられて笑った。
「だから言ったでしょ。髪型は印象を変えるって。」
騎士たちは代わる代わる鏡を覗き込み、自分の変化に驚いている。
「鏡を見るのがこんなに楽しいなんて初めてだ。」
「俺も切ってもらってよかった。」
「髪型って、こんなに大事だったんだな……。」
鏡子は鋏を布で丁寧に拭きながら微笑んだ。
「髪は毎日見るものだからね。少し変わるだけで、気持ちまで変わるの。」
その言葉に、騎士たちは静かに頷いた。
「美容師って、そういう仕事なんですね。」
鏡子は少し照れくさそうに笑う。
「ええ。髪を切るだけじゃないの。その人が自信を持って笑えるようにする仕事。」
留置所の空気が穏やかになった、その時だった。
重い扉が開く音が響く。
ギィ……。
騎士たちが一斉に姿勢を正す。
「団長、お戻りです!」
留置所へ姿を現したのは、騎士団長ガレオスだった。
彼は騎士たちの顔を見回し、わずかに目を見開く。
「……なんだ、その髪は。」
誰もが数時間前とは別人のように印象が変わっていた。
ルークが一歩前へ出る。
「この女性に切っていただきました。」
ガレオスの視線がゆっくりと鏡子へ向けられる。
鏡子は胸を張り、ハサミをそっと握り直した。
「だから言ったでしょ。」
小さく笑って言う。
「私は美容師だって。」
ガレオスはしばらく鏡子を見つめたあと、騎士たちへ視線を移した。
「……全員、印象が変わったな。」
誰も返事をしない。ただ少し誇らしそうに背筋を伸ばす。
ルークが一歩前へ出た。
「団長。この方は本当に髪を切っただけです。ですが、皆の表情まで変わりました。」
ガレオスは再び鏡子を見る。
「髪を切るだけで、ここまで変わるものなのか。」
鏡子は静かに頷いた。
「髪はその人の印象を決める大切なものです。隠れていた魅力を引き出せば、人は自然と前を向けるようになります。」
ガレオスは腕を組み、少しだけ考え込んだ。
「……なるほど。」
その時、一人の騎士が思い出したように声を上げる。
「そういえば団長!」
「何だ。」
「婚約、おめでとうございます!」
その一言で留置所の空気が明るくなる。
「おめでとうございます!」
「ようやくですね!」
「祝い酒ですね!」
次々と祝福の声が飛び交う。
鏡子も事情は分からなかったが、自然と笑顔になった。
「おめでとうございます。」
ガレオスは少し照れくさそうに頭をかいた。
「ありがとう。」
歴戦の騎士団長とは思えない表情に、騎士たちから笑みがこぼれる。
「実は婚約の報告は、先に済ませてある。」
「そうだったんですか?」
「ああ。世話になった理容師へ、一番最初に伝えた。」
鏡子の耳がぴくりと動く。
「理容師?」
ガレオスの表情がわずかに和らいだ。
「あの男には借りがあってな。」
◇ ◇ ◇
数刻前――王都の理容室。
カラン。
扉の鈴が鳴る。
「おっ、ガレオス。」
亮一は帳簿を書いていた手を止めた。
「どうした?髪の手直しか?」
ガレオスは店内を見回し、小さく首を振る。
「今日は客として来たわけではない。」
「?」
亮一は椅子にも座らせず、そのまま話を聞く。
ガレオスは少しだけ口元を緩める。
「婚約が決まった。」
「……お。」
亮一は目を丸くした。
「そうか。」
少し間を置いて笑う。
「おめでとう。」
「ああ。」
ガレオスは静かに頷いた。
「まず、お前には伝えておこうと思ってな。」
「俺に?」
「世話になったからだ。」
亮一は照れくさそうに頭をかく。
「俺は髪を切っただけだぞ。」
「その髪のおかげで、想い人の前に立つ自信が持てた。」
「そういうもんか?」
「ああ。」
亮一は苦笑する。
「それなら理容師冥利に尽きるな。」
二人の間に穏やかな沈黙が流れる。
やがて亮一が口を開いた。
「……で、その報告だけじゃない顔してるな。」
ガレオスは小さく息を吐いた。
「実は妙な女を保護した。」
「妙な女?」
「ああ。自分を美容師と名乗っている。」
「美容師?」
亮一にとっては、聞き慣れている言葉。
(・・・この世界に美容師がいるのか?)
「美容師という職業はあるのか。」
「いや、聞いたこともない。この間まで理容師も知らなかった。」
「怪しい奴なのか?」
「怪しいと言えば怪しい。月兎族の格好をしている。」
ガレオスは苦笑した。
「げっと・・・何だって?」
亮一は今度は、聞き慣れていない言葉に眉をひそめる。
「月兎族だ。だが、不思議と嘘をついているようにも見えん。」
「今は留置所で預かっている。」
亮一は腕を組む。
「へぇ……。」
「少し会ってみるか?」
ガレオスがそう尋ねると、亮一は肩をすくめた。
「面白そうだ。」
「行くか。」
二人は並んで理容室を後にした。
◇ ◇ ◇
現在。
「……というわけだ。」
話を聞いていた騎士たちは感心したように頷く。
「その理容師、すごい人なんですね。」
「ああ。腕も、人柄も信頼できる。」
ガレオスがそう言った、その時だった。
「その美容師というのは、どこにいるんだ?」
聞き覚えのない男の声が留置所に響く。
全員が入口へ振り向く。
そこには白衣姿の男が立っていた。
鏡子も視線を向ける。
「……え。」
男も足を止めた。
「ん?……。」
数秒の沈黙。
二人は互いの顔を見つめたまま動かない。
見間違えるはずがない。
世界大会のコンテスト。
メーカー主催の講習会。
業界誌の取材。
何度も同じ舞台に立ち、何度も技術を競い合ってきた。
理容師と美容師。
互いの腕は認めている。
だが、会えば張り合わずにはいられない。
そんな相手だった。
「……あんた。」
鏡子がぽつりと呟く。
「……お前。」
男も同時に口を開いた。
「知り合いですか?」
ルークが恐る恐る尋ねる。
二人は同時に相手を指差した。
「なんでいるのよ!」
「それはこっちの台詞だ!」
留置所中に二人の声が響き渡る。
騎士たちはぽかんと口を開けたまま固まっていた。
ガレオスだけが小さく息を吐く。
「……知り合いだったのか。」
亮一は苦笑しながら肩をすくめた。
「相変わらず騒がしいな。」
「誰のせいよ! 私は女神に騙されて飛ばされたの!」
亮一は眉をひそめた。
「……女神?」
「え?」
「なんのことだ?」
鏡子は目を丸くする。
「え? ・・・違うの?」
「ああ。俺は店にいたはずなんだ。気が付いたら、この世界にいた。」
鏡子は亮一を見つめたまま固まる。
「じゃあ……あんたは女神に会ってないの?」
「会ってない。」
「うそでしょ……。」
鏡子は額に手を当て、大きくため息をついた。
「なんなのよ、その違い……。」
「せっかく異世界まで来たのに、なんで最初に会うのがあんたなのよ……。」
「俺も同じことを思ってる。」
「その冷静な顔、腹立つ。」
「褒め言葉として受け取っておく。」
鏡子は思わず吹き出した。
日本では何度も張り合ってきた相手。
だが、その姿を見た瞬間、不思議と張り詰めていた気持ちが少しだけ軽くなっていた
見知らぬ世界で、唯一知っている人間。
それが亮一だった。
ルークは二人を交互に見比べながら首を傾げる。
「仲がいいんですか?」
「「違う。」」
息ぴったりの返事に、留置所は大きな笑いに包まれた。
理容師と美容師。
異世界で果たした二人の再会は、シアール王国だけでなく、世界セレスティアそのものの運命を大きく変えていくことになる。
カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。




