第7話 ドワーフの誇り①
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
王都アルトの東区画。
朝早くから金属を打つ甲高い音が辺りに響き渡る。
カンッ! カンッ! カンッ!
王都でも名高いガンツ鍛冶場。
騎士団の剣から冒険者の武具まで、多くの武器を生み出してきた名工の工房だ。
炉の前では、身長こそ人間より低いものの、岩のように隆々とした体格のドワーフが、大槌を振るっていた。
棟梁――ガンツ。
王国で5本の指に入る鍛冶師である。
額から流れ落ちる汗が立派な髭を濡らし、熱気を含んだ髭が首元へまとわりつく。
しかしガンツは気にも留めず、真っ赤に熱した鋼へ槌を打ち続けた。
「親方!」
若い弟子の一人が声を上げる。
「温度、上がります!」
「分かっとる!」
ガンツは鋼を水へ浸す。
ジュウゥゥッ――。
大量の蒸気が立ち昇り、鍛冶場は一気に白く霞んだ。
熱気と湿気が混ざり合い、まるで蒸し風呂のようだ。
昔はここまで暑くはなかった。
近年、鍛冶の技術は飛躍的に進歩した。
鋼を何度も熱し、何度も冷やす。
不純物を取り除き、温度を細かく管理することで、以前とは比べものにならないほど品質の高い剣が打てるようになった。
その代償が、この暑さだった。
ガンツは汗をぬぐう。
そのたびに分厚い髭が熱を抱え込み、息苦しさを覚える。
胸の奥がじわりと焼けるように熱く、呼吸が浅くなるのを感じる。
(……こんな程度で息が上がるとはな。)
わずかな苛立ちが胸をかすめる。
昔なら、この程度の熱など気にもならなかったはずだ。
だが今は、槌を振るうたびに腕の奥に鈍い疲労が溜まり、握った柄がわずかに滑る。
それを悟られまいと、ガンツは無意識に力を込め直した。
「親方! 昼飯ですよ!」
弟子の声で、ようやく槌を置いた。
◇ ◇ ◇
鍛冶場の隅では、若いドワーフたちが昼食を囲んで盛り上がっていた。
「昨日さ、ハサミ理容室って店に行ってきたんだ。」
「おっ、本当か!」
「どうだった?」
「最高だったぞ。」
青年は短く整えられた髪を撫でる。
「髪も髭もさっぱりしたし、嫁にも若返ったって褒められた。」
「朝の手入れも楽なんだ。」
「へぇ、そんなに違うのか。」
「今度俺も行ってみようかな。」
ガンツはパンをかじりながら鼻を鳴らした。
「ふん。」
「髭は長くあってこそドワーフだ。」
若い弟子たちは苦笑する。
「親方はそう言いますけど。」
「最近の若い連中は、みんな身だしなみに気を遣うんですよ。」
「それに暑いですし。」
「だからと言って短くするとは情けない。」
「髭は誇りだ。」
「先祖代々受け継ぐ魂でもある。」
誰も反論はしない。
ガンツの言葉には、長年鍛冶師として生きてきた重みがあった。
すると、一人の弟子が思い出したように口を開く。
「そういえば……。」
「あの理容師のハサミ、星銀じゃなかったか?」
一瞬、場が静まり返る。
次の瞬間、笑い声が上がった。
「馬鹿言え。」
「星銀が理容室にあるわけないだろ。」
「そうそう。」
「王家でも滅多に手に入らない伝説の金属だぞ。」
「仮に手に入ったとしても、あんな精巧なハサミやカミソリに加工できる鍛冶師なんていやしねぇ。」
「それもそうだな!」
笑いが広がる。
しかしガンツだけは笑わなかった。
(……星銀。)
その言葉が、胸の奥に小さな棘のように引っかかる。
あり得ぬ話だと分かっている。
だが、もし本当だとしたら――。
自分の知らぬところで、誰かが自分の領域を越えているのではないか。
そんな考えが一瞬よぎり、無意識に奥歯を噛み締めた。
◇ ◇ ◇
午後。
再び炉の前に立つ。
ガンツは深く息を吸い込み、鋼を見据えた。
「第32回……王下鍛錬祭。」
十年に一度開催される、王国最高峰の鍛冶大会。
優勝者の名は王国中に知れ渡り、その名は歴代優勝者の石碑へ永遠に刻まれる。
ガンツも若い頃から、その石碑へ自分の名が刻まれる日を夢見てきた。
今年こそ――。
そう思いながら槌を振り下ろす。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
だが、汗が目に入る。
視界が滲み、焦点がわずかにずれる。
熱を含んだ髭が首元へ張り付き、息が苦しい。
胸が圧迫されるように重く、呼吸のたびに喉が焼ける。
意識がわずかに霞ぐ。
(集中しろ……!)
自分に言い聞かせるが、鼓動がやけに早く、耳の奥で脈打つ音がうるさい。
槌を振るう腕に、ほんのわずかな遅れが生じる。
その一瞬のズレが、鋼に伝わる。
「……くっ。」
最後の一打を入れ、ゆっくりと剣を持ち上げた。
刃を光へかざす。
沈黙。
やがてガンツは静かに首を横へ振った。
「違う。」
重心がわずかに狂っている。
刃文も美しくない。
切れ味は申し分ない。
だが、自分が目指した剣ではない。
胸の奥がざわつく。
指先に残る振動が、失敗を何度も突きつけてくるようだった。
(こんなはずではない……。)
喉の奥が乾き、唾を飲み込む音がやけに大きく響く。
「こんな出来では……。」
ガンツは拳を握り締めた。
掌に食い込む爪の痛みが、かろうじて意識を繋ぎ止める。
「勝てん。」
ガンツは完成した剣を静かに作業台へ置いた。
その刃に映る光は確かに美しい。だが、手に伝わる重みも、刃の鳴りも、どこか噛み合っていない。鍛えたはずの鋼が、自分の意志からわずかにずれている――そんな違和感が、指先に残っていた。
鍛冶場にいた弟子たちも、その表情を見て口を閉ざす。
長年ガンツの背中を見てきた彼らには分かる。
親方がその顔をするときは、自分自身に納得していない時だ。
誰も声を掛けられなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
王都の一角にあるパン屋には、焼きたての香ばしい香りが漂っていた。
扉を開けると、店内では赤毛の少女が焼き上がったパンを並べている。
「いらっしゃいませ……あっ!」
少女はぱっと笑顔になった。
「ガンツ親方!」
「おう、ミリア。」
ガンツは少しだけ表情を緩める。
「いつものライ麦パンを頼む。」
「はーい。」
ミリアは慣れた手つきでパンを袋へ入れる。
幼い頃から見てきたガンツは、ミリアにとって近所のおじさんのような存在だった。
ガンツもまた、小さな頃から母親の後ろをちょこちょこ歩いていたミリアを知っている。
「親方。」
パンを渡しながらミリアが首をかしげた。
「最近ちゃんと寝てる?」
ガンツは苦笑した。
「お前には隠せんか。」
「顔を見れば分かるよ。」
「小さい頃から親方を見てきたもん。」
「最近、ずっと難しい顔してる。」
ガンツは大きく息を吐いた。
「剣が打てん。」
その一言だけで十分だった。
ミリアは黙って続きを待つ。
「昔なら鍛冶場の熱気なんか何ともなかった。」
「だが最近は炉の前に立つと息が上がる。」
「集中も続かん。」
「昨日も一本仕上げたが……。」
ガンツは首を横に振った。
「俺が打ちたかった剣じゃなかった。」
「鋼は応えているはずなのに、俺の手がそれを引き出せていない。」
「まるで、道具と身体の間に薄い膜があるみたいにな。」
ミリアは少し考えてから口を開く。
「それって……。」
「お髭のせいで息苦しいってこと?」
ガンツは立派な髭を撫でる。
「分からん。」
「だが、暑いのは確かだ。」
「熱がこもって息苦しい。」
「だからって短くはせん。」
「これはドワーフの誇りだからな。」
ミリアは笑って頷いた。
「うん。」
「親方がお髭を大事にしてるのは知ってる。」
「だったら。」
「ハサミ理容室へ行ってみたら?」
ガンツは眉を上げた。
「理容室?」
「若い連中も言っとったな。」
「髪や髭を整える店だと。」
「うん。」
「私、昼からそこで働いてるの。」
ガンツは少し驚いたように目を丸くする。
「そうか。」
「頑張っとるんだな。」
ミリアは照れくさそうに笑う。
「えへへ。」
「亮一も鏡子さんも、本当にいい人だよ。」
「無理に切ったりしないし。」
「ちゃんと相談に乗ってくれる。」
ガンツは腕を組んだ。
「そういえば。」
「その理容師の道具は、星銀だったか?」
ミリアはきょとんとする。
「星銀?」
「それが何かは分からないけど……。」
少し考えてから答えた。
「亮一のハサミ、すごく重いんだ。」
「鉄よりずっと重いよ。」
ガンツの眉がぴくりと動く。
「……鉄より重い?」
その言葉に、鍛冶師としての感覚が鋭く反応する。
鉄より重い金属など限られている。しかも、それを刃物として扱うとなれば――ただの素材ではない。
「うん。」
「掃除するときに持たせてもらったけど、びっくりした。」
「ハサミだけじゃなくて、カミソリも手動バリカンも重かった。」
ガンツは静かにライ麦パンを受け取る。
その重さの話を聞いた瞬間、頭の中でいくつもの可能性が組み上がる。
もしそれが星銀なら――あの扱いの難しい金属を、精密な道具に仕上げているということになる。
剣ですら扱いを誤れば死ぬ素材を、日常の道具として使いこなしているなど、常識では考えられない。
「そうか。」
短くそう答えると店を出た。
店の外で足を止める。
(星銀かどうかは分からん……か。)
だが、鍛冶師として長年培ってきた勘が告げていた。
鉄より遥かに重い理容道具。
しかも、それを扱う者がいるという事実。
それは単なる道具ではない。
技術の結晶だ。
自分が今、掴み損ねている何か――その答えがそこにある可能性すらある。
もしそれが本当なら、一度この目で確かめる価値がある。
ガンツはライ麦パンを脇に抱え、ゆっくりと歩き出した。
◇ ◇ ◇
夕方
ガンツが足を止めた先には、一軒の店があった。
木製の看板には『ハサミ理容室』と刻まれている。
「ここか……。」
店の中から笑い声が聞こえてきた。
ガンツはゆっくりと扉を開ける。
カランッ。
澄んだベルの音が店内に響く。
「いらっしゃいませ!」
最初に顔を出したのは鏡子だった。
「あっ、ガンツ親方!」
「ミリアから聞いてます。」
「どうぞ、こちらへ。」
店内は木の香りと石鹸の優しい香りが漂い、鍛冶場とはまるで別世界だった。
壁には見たこともない道具が整然と並び、窓から差し込む陽射しが店内を明るく照らしている。
その奥で、一人の男が革砥にカミソリを滑らせていた。
シャッ……シャッ……
一定のリズムで刃を研ぐ音だけが静かに響く。
鏡子が声を掛ける。
「亮一。」
「お客さん。」
亮一は顔を上げる。
ガンツの立派な髭を見るなり、思わず口元が緩んだ。
「……すげぇ髭だな。」
ガンツは腕を組む。
「笑うか?」
「いや。」
亮一は首を横に振る。
「こんな立派な髭は初めて見た。」
「毎日手入れしてるのが分かる。」
その一言に、ガンツの表情がわずかに和らぐ。
髭を見て笑う者はいても、手入れを褒める者は少ない。
「分かるのか。」
「ああ。」
「毛先も傷んでねぇ。」
「油もちゃんと入ってる。」
「大事にしてる髭だ。」
ガンツは静かに頷いた。
「当然だ。」
「これはドワーフの誇りだからな。」
亮一は椅子を引く。
「座れよ。」
「話を聞く。」
ガンツは腰を下ろした。
亮一は髭を正面から見つめ、横へ回り込み、後ろへ回る。
一本一本を観察するように視線を走らせる。
「なるほどな。」
「毛量が多い。」
「それに密度もすげぇ。」
ガンツは鼻を鳴らす。
「自慢だからな。」
「だろうな。」
亮一は笑う。
「でも、この髭じゃ熱が逃げねぇ。」
「鍛冶場じゃ相当きついだろ。」
ガンツは驚いた。
「……見ただけで分かるのか。」
「分かる。」
「俺は理容師だからな。」
亮一は髭を軽く持ち上げる。
「この内側に熱がこもる。」
「汗も乾かねぇ。」
「息苦しくなる。」
「集中も切れる。」
ガンツは目を見開く。
まるで鍛冶場を見てきたかのような言葉だった。
「その通りだ。」
「だが。」
ガンツは亮一の目を真っ直ぐ見た。
「一つだけ約束しろ。」
「髭は短くせん。」
「ドワーフの誇りは捨てん。」
亮一は少しも迷わず答えた。
「分かった。」
「長さは変えねぇ。」
「……何?」
「長さはそのままだ。」
「でも毛量は減らせる。」
「内側だけ間引けば風が通る。」
「見た目はほとんど変わらねぇ。」
「誇りも残る。」
ガンツは思わず息をのんだ。
そんな発想は、一度もしたことがなかった。
「そんなことが……できるのか。」
亮一は自信ありげに笑う。
「できる。」
「切るだけが理容師の仕事じゃねぇからな。」
ガンツはゆっくりと目を閉じた。
そして静かに頷く。
「……任せよう。」
その瞬間だった。
ガンツの視線が、壁に掛けられた一丁のハサミへ吸い寄せられた。
「……ん?」
窓から差し込む光がわずかに揺れ、刃の縁で冷たい銀色の反射が瞬いた。店内の柔らかな香りの中に、かすかに金属の乾いた匂いが混じる。どこからともなく、チリ、と耳の奥で火花が弾けるような錯覚が走った。
理容室の音が一瞬だけ途切れ、空気が張り詰める。
そのハサミは、静かにそこにあるだけなのに、まるで呼吸しているかのように存在を主張していた。
カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。




