第43話 星を盗んだ少年
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
翌朝。
ハサミ理容室の床には、昨夜の騒動の痕跡がはっきりと残っていた。
星銀の手動バリカンが落ちた場所には、床板が深くめり込んでいる。
そこから裏口まで、重い袋を引きずった跡が一本。
そして、いつも星銀の理容道具が並んでいたワゴンには――何もない。
「……」
亮一は無言で、その空いた場所を見つめていた。
そこにあったのは、祖父が知人の鍛冶職人に頼み、作ってもらった理容道具だった。
祖父のために作られ、祖父の手に馴染み、数え切れないほどの客の髪を切ってきた。
やがて父が受け継ぎ、そして今は、亮一が使っている。
祖父から父へ。
父から、自分へ。
ハサミも、剃刀も、手動バリカンも。
亮一にとっては、単なる仕事道具ではない。
金を積めば買い直せるようなものでもなかった。
「亮一……」
隣に立つ鏡子が、心配そうに横顔を覗き込む。
「店、今日は閉める?」
「いや」
亮一はワゴンから視線を外した。
「開ける」
「でも、道具が……」
「予備がある」
「そうじゃなくて……」
鏡子が言葉を止める。
亮一はいつもと変わらないように見える。
だが、鏡子には分かっていた。
こういうときの亮一は、下手に声をかけない方がいい。
「……分かった」
鏡子はそれ以上、何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
事件の報告を受け、王都中央騎士団が動いた。
盗まれたのは、ただの理容道具ではない。
希少金属である星銀で作られた品。
しかも、王族の身だしなみまで任されるようになったハサミ理容室で起きた窃盗事件だ。
ガレオスから話を聞いた騎士団は、すぐに捜査を開始した。
「昨日、昼休みに鏡子そっくりの奴が店に戻ってきた」
事情を聞きに来たルークへ、亮一が説明する。
「鏡子さんに?」
「ああ。顔も声も同じだった」
「それなら、鏡子さん本人だったのでは……」
「私、その時間ミリアとウィルと一緒にパン屋にいたのよ」
「ずっとですか?」
「ずーっと」
『ボクもいたよ!』
ウィルが元気よく手を挙げる。
ルークの表情が険しくなった。
「では……何者かが鏡子さんの姿を?」
「分からん。ただ、鏡子じゃなかった」
「なぜ、そう思ったんです?」
「歩き方だ」
「歩き方?」
「重心の乗せ方が違った。それに、鏡子なら避けるはずの床の切り毛を平気で踏んでた」
「……そんなところまで見てるんだ」
鏡子がぼそっと呟く。
「毎日一緒に仕事してりゃ分かる」
「へぇー」
鏡子の口元が、ほんの少し緩んだ。
「なんだよ」
「べつにー?」
そう言いながらも、どこか嬉しそうだった。
ルークが小さく咳払いした。
「それで、その人物は?」
「倉庫へ入った」
「店の倉庫……」
「ああ。その直後に客が来た。あとで確認するつもりだったんだが、そのまま忙しくなって忘れた」
亮一は床に残された引きずり跡を見る。
「そして昨夜、星銀だけが盗まれた。無関係とは思えん」
「分かりました」
ルークが頷く。
「その人物についても調べます」
そして騎士団の捜査は、王都の表通りから裏通りへと広がっていった。
◇ ◇ ◇
数日後。
ハサミ理容室は、相変わらず営業を続けていた。
星銀の道具がなくても、亮一の仕事ができなくなったわけではない。
地球から持ってきた予備のハサミや剃刀。
こちらの世界で手に入れた道具。
それらを使いながら、いつも通り客の髪を切っていく。
だが――。
鏡子は分かっていた。
亮一は、道具を選ばない。
どんなハサミを持たせても、客が満足する髪型に仕上げてしまう。それだけの腕を持っている。
けれど――だからといって、どんな道具でも同じというわけではない。
祖父から父へ、父から亮一へと受け継がれてきた星銀の理容道具。
その重さも、刃の癖も、手に伝わる感触も、亮一は知り尽くしている。
亮一の技術を、最も余すことなく引き出せるのは、やはりあの道具だった。
予備の道具でも、仕事はできる。
いつもと変わらない仕上がりにすることだってできる。
それでも――あれでなければならない理由が、亮一にはあった。
だからこそ、余計に分かった。
星銀の道具が、亮一にとってどれほど大切だったのか。
そんな日の午後だった。
――カラン!
「亮一さん!」
勢いよく店へ飛び込んできたのは、ルークだった。
「見つかりました!」
亮一の手が止まる。
「……どこだ」
「王都の地下で開かれていた違法オークションです。盗品や禁制品を扱っていた連中を押さえました」
「理容道具は?」
「回収しています」
「……そうか」
それだけ言うと、亮一は再び客の髪へ櫛を入れた。
ルークが目を瞬く。
「亮一さん?」
「今、客の途中だ。終わるまで待ってくれ」
「は、はい!」
鏡子が思わず苦笑する。
◇ ◇ ◇
最後の客を送り出したあと。
ルークが騎士団の詰所から運ばせた包みを、亮一の前へ置いた。
布を開く。
星銀のハサミ。
星銀の剃刀。
星銀の手動バリカン。
「……」
亮一はすぐには何も言わなかった。
まずハサミを手に取る。
刃を開く。
閉じる。
光へかざし、刃こぼれがないか確認する。
次に剃刀。
刃先。
歪み。
傷。
最後に手動バリカン。
可動部を動かし、昨夜落とされた際についた傷まで確かめる。
「……大丈夫?」
鏡子が小さな声で聞く。
「ああ」
亮一はようやく息を吐いた。
「使える」
「よかったぁ……」
鏡子が胸を撫で下ろす。
『おかえり〜!』
ウィルが星銀の道具の周りを嬉しそうに飛び回った。
『もう盗まれちゃダメだよ!』
「道具に言っても仕方ないだろ」
『じゃあ亮一がちゃんと見てて!』
「……それはそうだな」
ほんの少しだけ。
亮一の声に、いつもの調子が戻った。
だが、事件はまだ終わっていなかった。
「ただ……」
ルークの表情が曇る。
「盗んだ本人が、まだ捕まっていないんです」
「オークションの連中じゃないの?」
鏡子が尋ねる。
「元締めたちは全員捕らえました。ですが、彼らは星銀を持ち込んだ人物について、妙なことを言っているんです」
「妙?」
「証言がまるで一致しません」
ルークが困惑した顔で続ける。
「ある者は、中年の男だったと言っています」
「うん」
「別の者は、若い女性だったと」
「……え?」
「老人だったという証言もあります」
鏡子が、不思議そうに首を傾げた。
「……同じ人の話よね?」
亮一も黙ってルークを見る。
「同じ星銀の道具を持ち込んだ人物について聞いているはずなのに、年齢も性別も、体格すら一致しないんです」
「それって……」
鏡子が亮一を見る。
亮一も同じことを考えていた。
昼間、店へ現れた――もう一人の鏡子。
そのとき。
ハサミ理容室の扉が開いた。
「ルーク」
「――団長!」
聞き慣れた低い声。
入ってきたのは、ガレオスだった。
ルークは反射的に背筋を伸ばす。
「お疲れ様です、団長!」
「ああ」
ガレオスは軽く頷き、亮一たちへ視線を向けた。
「星銀は無事に戻ったようだな」
「ああ」
「それは何よりだ」
そして、すぐにルークへ向き直る。
「窃盗犯の件だが、王都内の捜査はここで中断する」
「……中断、ですか?」
「ああ。西門で、怪しい人物が王都を出たとの報告があった」
ガレオスは淡々と告げる。
「すでに犯人は王都の外へ逃れた可能性が高い。これ以上、王都内へ人員を割く必要はない」
「では……」
「街道沿いの各騎士団へ情報を回せ。辺境騎士団にも申し送り、以後の捜査を引き継がせる」
「承知しました!」
ルークが姿勢を正す。
「すぐに手配を――」
そこで。
亮一が動いた。
「……亮一?」
鏡子が、その動きを目で追う。
亮一は何も言わず、ガレオスへ歩いていく。
「どうした?」
ガレオスが尋ねる。
亮一は答えない。
そのまま目の前まで近づき――。
腕を掴んだ。
「な――」
腰を落とす。
身体を潜り込ませる。
次の瞬間。
「――ふっ!」
ガレオスの身体が宙を舞った。
――ドンッ!!
「えええええええっ!?」
鏡子の絶叫が店内に響いた。
「だ、団長ぉぉぉっ!?」
ルークも目を剥く。
だが亮一は止まらない。
床へ叩きつけたガレオスの腕を取り、そのまま背中へ回して押さえ込む。
「ぐっ……! 何をする!」
「亮一!? ちょっと待って! ガレオスさんだよ!?」
「亮一さん! 団長から離れてください!」
「……」
「亮一さん!」
ルークが剣へ手を伸ばしかける。
「待て」
亮一が低く言った。
その一言で、ルークの動きが止まる。
亮一は押さえ込んだ男を見下ろした。
「うまく化けたつもりだろうが、俺は騙せん」
「……何を言っている」
「お前はガレオスじゃない」
「えっ?」
鏡子とルークの声が重なる。
「何を馬鹿なことを……!」
「足の運び」
「重心の乗せ方」
「……!」
男の表情が、わずかに強張った。
「ガレオスはもっと腰が据わってる。騎士として何年も身体を鍛えてきた奴の歩き方じゃない」
「……」
「それとな」
亮一の視線が、男の髪へ向く。
「その髪型だ」
「……髪?」
「それは、俺が最初にガレオスを切った時の、ショートレイヤーベースの『英雄スタイル』ってやつだ」
「……。」
「結婚式のあと、あいつは『クラシカル・サイドパート・フェード』が気に入ってな。自分でもできるように、セットの仕方まで教えた」
亮一は男の髪を見て、わずかに目を細める。
「顔も声もよく似てるが――ちょっとモノマネの情報が古かったな」
「……っ!」
「……あっ、ほんとだ!」
鏡子もようやく気づいたように、偽ガレオスの髪を見る。
「結婚式の時に髪型変えたもんね。これ、その前のガレオスさんだ」
「ああ。こいつが知ってるのは、それより前のガレオスってことだ」
男は、何も言い返せなかった。
亮一が腕を押さえる力をわずかに強める。
「ぐっ……!」
「誰だ、お前」
「……」
「答えろ」
「……っ」
その瞬間だった。
男の身体が揺らいだ。
「え……?」
ルークが息を呑む。
ガレオスの大きな身体が、まるで水面に映った像のように歪んでいく。
肩幅が狭くなる。
太い腕が細くなる。
身体そのものが、みるみる縮んでいく。
「う、嘘……」
鏡子が目を見開いた。
数秒後。
亮一が押さえ込んでいたのは、ガレオスではなかった。
華奢な身体。
深緑色の髪。
まだ幼さの残る顔。
そこにいたのは――、一人の少年だった。
「……子供?」
ルークが呆然と呟く。
亮一は少年の腕を押さえたまま、その顔を見た。
「お前が、俺の理容セットを盗んだ犯人だな」
「……」
少年は答えなかった。
だが、その表情だけで十分だった。
――そのとき。
「……何の騒ぎだ?」
聞き覚えのある低い声が、背後から聞こえた。
全員が振り返る。
理容室の入口。
そこに――ガレオスが立っていた。
「団長!?」
「ガレオスさん!?」
ルークと鏡子の声が重なる。
ガレオスが怪訝そうに眉を寄せる。
「……なぜ二人してそんな顔をしている」
鏡子が、本物のガレオスを見る。
床に押さえ込まれている少年を見る。
もう一度ガレオスを見る。
「……昨日は私が二人」
「ああ」
亮一が答える。
「今日はガレオスが二人だったな」
ガレオスは床の少年へ目を向けた。
「……まず、何があったのか説明してくれ」
◇ ◇ ◇
少年は、騎士団の取調室へ移された。
名前は――ゼノ。
亮一、鏡子、ガレオス、ルークが同席する中、ゼノは椅子に座り、俯いている。
「ゼノ」
ルークが静かに問いかける。
「確認する。ハサミ理容室から星銀の理容道具を盗んだのは、お前だな」
「……はい」
「どうやって店へ入った?」
その問いに、ゼノは一瞬だけ亮一を見た。
「……変身魔法です」
「やっぱり……」
鏡子が呟く。
「昨日、私になったのも?」
「……はい」
「声まで同じだったぞ」
亮一が言う。
「実際に見て、声を聞いたことがある人なら……その人の姿と声を真似できます」
「誰にでも?」
「人間とか、獣人とか……人の形をした種族なら……」
ガレオスが尋ねる。
「動物には?」
「なれません」
「人の記憶は?」
「分かりません」
「他の魔法は?」
「使えません」
ゼノが首を振る。
「姿と声だけです。その人が何を知ってるとか、どういう癖があるとか……そういうのは分かりません」
亮一が鼻から小さく息を吐いた。
「だから歩き方までは真似できなかったわけか」
「……はい」
「どのくらい化けていられる?」
「今は……十分くらいです」
「十分……」
鏡子が考え込む。
そして、はっと顔を上げた。
「じゃあ、あの日……」
ゼノが小さく頷く。
「昼に、あなたの姿になって……店に入りました」
「忘れ物って言って?」
「……はい」
「それで倉庫へ?」
「はい」
ゼノは膝の上で拳を握った。
「倉庫に入って……変身が解けるまで待って……」
「そのまま隠れてたのか」
「……夜まで」
あの日の謎が、ようやく一本につながった。
昼間に現れた、もう一人の鏡子。
倉庫へ入ったまま、出てこなかった理由。
そして深夜、倉庫から現れた侵入者。
「裏口の鍵も、お前か」
「……倉庫から出られたときに、逃げるために開けておきました」
「なるほどね……」
鏡子が腕を組む。
「でも、どうして私だったの?」
「……店に入る前に、何度か見てたから」
「私を?」
「はい」
亮一がゼノを見る。
「オークションの連中が証言していた、中年の男や若い女もお前だな」
「……はい」
ルークが思わず額を押さえた。
「それで証言が全部違ったのか……」
「さっきの西門の目撃情報も?」
ガレオスが尋ねる。
「……嘘です」
「だろうな」
ガレオスの眉間に皺が寄る。
「俺の姿で騎士団へ虚偽の命令まで出そうとしたわけか」
「……ごめんなさい」
ゼノがさらに小さくなる。
亮一は黙って、その少年を見ていた。
しばらくして。
「……なんで盗んだ」
抑えた亮一の声に、ゼノの肩がびくりと震えた。
「金か?」
「違います!」
それまで小さかった声が、初めて大きくなる。
「じゃあ、なんだ」
「……」
「言え」
ゼノは唇を噛んだ。
「……魔族の国へ、行きたかったんです」
「魔族の国?」
「はい……」
「星銀を盗むことと、どう関係がある」
ルークが尋ねる。
「俺……ずっと、魔族の国へ行く方法を探してたんです」
「それで?」
「裏通りで、国境を越える手引きをしてくれる奴がいるって聞いて……」
ゼノは膝の上で拳を握った。
「姿を変えて、そいつらに会いに行きました。魔族の国へ行きたいって言ったら……金じゃなくて、仕事をしろって」
「仕事?」
「ハサミ理容室にある、星銀の道具を盗んでこいって……」
亮一の目が細くなる。
「それを持ってくれば、国境を越える手配をしてやるって言われました」
「国境は閉まってるし……俺たちだけじゃ行けないし……」
肩が震える。
「だから俺……信じるしかなくて……」
部屋が静かになる。
ルークとガレオスが顔を見合わせた。
「ゼノ」
ガレオスの声が低くなる。
「それは嘘だ」
「……え?」
「現在、魔族の国との国境は厳重に閉鎖されている。正規の手続きもなしに簡単に越えられる場所じゃない」
「でも……あの人たちは、抜け道があるって……」
「ない」
ガレオスははっきりと言った。
「少なくとも、今回捕らえた連中に国境を越えさせる力などない」
「……」
「お前は騙されたんだ」
「……そんな」
ゼノの顔から血の気が引いた。
「じゃあ……」
唇が震える。
「じゃあ、母さんは……」
亮一の目がわずかに細くなる。
「母さん?」
ゼノは俯いた。
「……母さんを、助けたかったんです」
「どういうこと?」
鏡子が、ゼノの顔を覗き込む。
「母さんは……魔族なんです」
ルークが息を呑む。
「魔族……」
「俺は、人間と魔族の間に生まれました」
ゼノは自分の深緑色の髪を触る。
「母さんは、ずっと俺を育ててくれた。でも最近……どんどん弱ってて……」
「病気なのか?」
「分かりません」
ゼノが首を振る。
「ただ……母さんの魔力が……」
声が震える。
「どんどんなくなってるんです」
「魔力が?」
「日に日に減って……もう、ほとんど起き上がれなくて……」
ゼノの目に涙が溜まる。
「治し方も分からない。薬を買っても治らない。誰に聞いても分からないって……」
ぽたり。
膝の上へ涙が落ちた。
「魔族の国なら……何か分かるかもしれないって思ったんです」
「……」
「あっちは、人間の国より魔力が濃いって聞いたことがあって……だから母さんを連れていけば、もしかしたらって……」
ゼノは両手で顔を覆った。
「でも……国境は閉まってるし……俺たちだけじゃ行けないし……」
肩が震える。
「そんなとき、あいつらが……星銀を盗めば連れていってやるって……」
亮一は黙って聞いていた。
そして、静かに口を開く。
「……理由があれば、盗んでいいわけじゃねぇ」
「……はい」
「こいつは、じいさんから親父へ、親父から俺へ渡された道具だ」
「……」
「俺にとっちゃ、いくら金を積まれても手放せない、大切なもんなんだ」
「……ごめんなさい」
ゼノが震える声で言う。
「本当に……ごめんなさい……」
「……」
亮一は許すとは言わなかった。
盗んだことと。
母親を助けたかったこと。
それは別の話だ。
ゼノが顔を上げる。
涙で濡れた顔は、まだ幼い。
「母さんが死んじゃったら……俺……」
そこで言葉が途切れた。
亮一が立ち上がる。
「……母親はどこだ?」
「え……?」
ゼノが顔を上げる。
「助けたかったんだろ」
「……はい」
「だったら案内しろ」
「亮一?」
鏡子が亮一を見る。
「行くぞ」
「……うん!」
鏡子もすぐに立ち上がった。
◇ ◇ ◇
ゼノに案内され、一行は王都の外れへ向かった。
華やかな大通りから離れるにつれ、石造りの立派な建物は減っていく。
道は狭くなり、舗装も荒くなる。
やがて辿り着いたのは、王都の外れにある貧しい一角だった。
古びた家々。
補修を繰り返した屋根。
細い路地。
行き交う人々の服も、中心街とは明らかに違う。
「……魔族だから、ここに?」
鏡子が小さな声でルークへ尋ねる。
「法律上、魔族だからという理由だけで住む場所を制限することはできません」
ルークも声を落とす。
「ですが……魔族の国との往来がほとんど途絶えてから長い。恐れる人もいます」
「……そっか」
「母さんは、普段であれば、魔族だって分からないんです」
前を歩くゼノが言った。
「普通の人間に見えるから……」
やがて、一軒の小さな家の前で足を止める。
「……ここです」
ゼノが扉へ手をかける。
だが、すぐには開けなかった。
「母さん……」
小さく呟く。
それから意を決したように扉を押した。
――ギィ。
薄暗い室内。
古い机。
小さな椅子。
必要最低限の家具しかない。
そして、奥に置かれた寝台。
「母さん」
ゼノが駆け寄る。
そこには、一人の女性が横たわっていた。
頬は青白い。
かなり衰弱しているのが、一目で分かる。
それでも、やつれた顔には美しさが残っていた。
だが――。
「……え?」
鏡子が立ち止まった。
亮一も目を細める。
寝台で何かが動いた。
細長いもの。
深緑色。
一本。
また一本。
その先端は、寝台のそばの床を這っていた。
「……髪?」
鏡子が呟いた。
違う。
それは、髪ではなかった。
――シュル。
ゆっくりと頭を持ち上げる。
小さな目が開く。
舌が伸びる。
「……蛇?」
女性の頭を覆っていたもの。
髪だと思っていたものが、一斉に動き始めた。
何十もの蛇が、まるで目覚めたかのように鎌首をもたげる。
――シュルルルル……。
薄暗い部屋の中。
無数の蛇の目が、亮一たちを見た。
――To Be Continued.
カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。




