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第42話 二人の鏡子

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ


 ガレオスとエリシアの結婚式から数日。

 ハサミ理容室は、朝からとんでもない大盛況となっていた。


「次の方、どうぞー!」

『こっちだよ〜!』


 鏡子の明るい声に続いて、淡い青白い光の尾が店内を横切る。

 光の精霊ウィルだ。


 手のひらほどの小さな身体で、待っていた女性客の頭上をふわふわと飛び、美容椅子まで先導していく。

「まあ、可愛い妖精さんね」

『ボク、ウィルだよ!』

「うちの看板妖精なんです」

『妖精じゃないよ! 精霊だよ!』

「あはは、ごめんごめん」


 いつの間にか、ウィルもすっかりハサミ理容室の一員になっていた。

 店内に並ぶ三つの椅子は、朝からほとんど空く暇がない。

 結婚式でエリシアを彩った、華やかな髪型と化粧。

 ガレオスの威厳を引き立てた髪型。

 そして、王都中の話題をさらった王族たちの見違えるような装い。

 そのすべてを手掛けたのがハサミ理容室だという噂は、瞬く間に王都中へ広がっていた。


 王城や貴族たちからの予約申し込みも殺到している。

 だが、だからといって町の常連や一般の客を断るようなことを、亮一も鏡子もしなかった。


「いつも通りでいいぞ」

 亮一がそう決めたからだ。

 その結果――。


『亮一! 次、カットだって!』

「分かった」

『その次、男の子!』

「分かった」

『そのあと、おヒゲを剃るお客さんがね――』

「おいおい、落ち着けウィル。順番に片付けるから、一人ずつ頼む」


 亮一は二番椅子の男性客にクロスを巻きながら、苦笑交じりに答えた。


「兄ちゃん、今日は短く頼むよ」

「どれくらいだ?」

「仕事中に邪魔にならないくらい。思い切ってやってくれ」

「分かった」


 櫛を入れ、愛用のハサミが走る。

 ――シャキ、シャキ、シャキ。


 迷いがない。

 横、後ろ、上。

 頭の骨格を見極めながら長さを決め、あっという間に全体を整えていく。


「はい、終わり」

「……え?」


 男がおずおずと鏡を見る。

 鬱陶しく伸びて耳に被さっていたサイドと襟足は、すっきりと短く整えられている。

 頭頂部も仕事の邪魔にならない長さでありながら、手櫛だけで自然に毛流れが収まる、清潔感のあるショートカットへと生まれ変わっていた。


「もう!?」

「ああ」

「いや、確かにめちゃくちゃサッパリしたけどよ……」


 男が頭を左右に動かして仕上がりを確かめる。

「早すぎないか?」

「髭剃りなし、カットだけならこんなもんだ」

「だからって雑にやったわけじゃねぇんだろ?」

「当たり前だ」


 男は鏡に映る自分の髪型をもう一度確かめ、満足そうに笑って席を立った。


「次」

 待合席から、待っていた少年が元気よく椅子へ飛び乗る。

「兄ちゃん! 短くして!」

「どのくらいだ?」

「騎士みたいに!」

「それじゃ分からん」

「すっごく短く!」

「分かった。スポ刈りだな」


 亮一がワゴンから手動バリカンを手に取る。

 ドワーフの希少金属・星銀で作られたそれは、見た目からは想像もつかないほど重い。

 だが亮一は、その重量をものともせず軽快に使いこなしていく。


 ――ジャキジャキジャキジャキッ!

 小気味よい金属音とともに、バリカンが襟足から頭頂部へと滑り上がる。

 ほんの二、三分後。


「終わり」

「はやっ!」

 少年がすっきりと刈り上がった頭を両手で触り、目を輝かせる。

「すげぇ! サッパリ!」

「走るなよ」

「はーい!」


 そう言ったそばから、少年は母親のもとへ駆けていった。

 その様子を隣の美容椅子から見ていた鏡子が、呆れたように笑う。


「……今の何分?」

「三分くらいだろ」

「三分!? てかスポ刈り三分ってどんなスピードよ」

「短くするだけならそんなもんだ」

「普通は終わらないの!」


 鏡子が担当している女性客まで、つられて吹き出した。

 そんな調子で、午前中は過ぎていった。

 この時間帯はまだ、ミリアがいない。


 ミリアは鏡子に弟子入りしてからも、午前中は実家のパン屋を手伝い、午後からハサミ理容室へ来る生活を続けている。

 そのため午前中は、亮一と鏡子の二人で客を回さなければならない。

 もちろんウィルも頑張っている。


『次のお客さん、こっち〜!』

「ありがとう、ウィル!」

『まかせて!』


 客の案内なら立派な戦力だ。

 だが、さすがにタオルを洗ったり、床いっぱいの切り毛を掃いたりはできない。

 客を一人終えるたびに、亮一が床を掃く。

 道具を片付ける。

 次の道具を用意する。

 その間にも、新しい客が入ってくる。

 鏡子も同じだ。

 カラーの準備をして、施術をして、片付けて、次の客を迎える。


 休む暇などなかった。

 そして正午を過ぎても、二人とも昼食を取れないまま。

 午後になってようやく――。


 ――カラン!

「こんにちはー! 遅くなりました!」

 勢いよく扉が開き、ミリアが飛び込んできた。

「ミリアー! 待ってたー!」

 鏡子の顔がぱっと明るくなる。

「すみません! パン屋の方も今日はすごく忙しくて!」

「いいのいいの! 来てくれただけで救世主だから!」

「すぐ準備します!」

「お願い! まずタオル見てもらえる?」

「はい!」


 ミリアは午前中、実家のパン屋を手伝っている。

 ハサミ理容室へ来るのは午後から。

 それが彼女のいつもの生活だった。

 すぐにエプロンを身につけると、ミリアは店内を見回す。


 洗うべきタオル。

 使用済みのクロス。

 床の切り毛。

 補充が必要なシャンプー等の消耗品。


「うわぁ……」

「ごめんねー。忙しくて片付ける暇がなくて……」

「が、頑張ります!」


 ミリアが加わると、少なくとも美容側は一気に回り始めた。

 合間を縫って蒸しタオルを用意し、床に散らばった切り毛を掃き、使用済みのクロスを回収する。

 鏡子のカラーやパーマの準備も手伝う。

 見習いとはいえ、以前とは比べものにならないほど手際がよくなっていた。


 だが、ミリアはあくまで美容師見習いだ。

 客がひっきりなしに訪れれば、鏡子の補助で手一杯になる。

 結果として、理容側の2席を回し続けるのは、相変わらず亮一一人だった。


 刈り上げ。

 髭剃り。

 顔剃り。

 道具の準備。

 片付け。

 息をつく間もなく、次の客を迎える。

 ミリアが来てからしばらくして、ようやく客足が一段落した。


「……ふぅー」

 鏡子が大きく息を吐く。

 そして時計を見るなり、目を丸くした。

「えっ、もうこんな時間!? ミリア、お昼食べた?」

「まだです。今日はパン屋の方も忙しくて、食べる暇がなくて……」

「やっぱり? 私たちもまだなんだよねー」


 すると、鏡子のお腹が小さく鳴った。


「……聞いた?」

「聞いてません」

『ボクは聞いた!』

「ウィル!」

 ミリアがくすくす笑う。

 鏡子も笑ってから、亮一を見る。


「じゃあ三人で――」

「二人で行ってこい」

「え?」

 鏡子が目を瞬く。

「俺は店に残る」

「えー。また?」

「三人で出たら、客が来たとき対応できなくなるだろ」

「だったら私が残るよ。亮一、朝からずっと切りっぱなしじゃん」

「それは鏡子もだろ。いいから行ってこい」

「でも――」

「ミリアも腹減ってるんだろ。二人で食ってこい。俺はあとでいい」


 ミリアが申し訳なさそうに眉を下げる。

「亮一さん……」

「そんな顔すんな。客が途切れたら適当に食う」


 鏡子がじーっと亮一を見る。

「……ほんとに食べる?」

「食う」

「絶対?」

「絶対だ」

「この前もそう言って――」

「今日は食う」


「ほんとかなぁ……」

 疑いの眼差しを向けながらも、鏡子はミリアの背中を軽く押した。

「じゃ、行こっか」

「はい」

『ごはん〜!』

 ウィルが嬉しそうに宙を一回転する。

「亮一の分も何か買ってくるからね」

「ああ。頼む」


 鏡子たちは店を出ていった。

 カラン、とドアベルが鳴り、扉が閉まる。

 喧騒が去り、店内には久しぶりの静寂が戻ってきた。

「……ふぅ」

 亮一は軽く息を吐く。

 腹は減っている。

 だが、鏡子も朝からほとんど休まず働いていた。

 ミリアもパン屋の仕事を終えて、そのままこちらへ来ている。

 なら、まず二人を先に行かせればいい。

 亮一にとっては、それだけのことだった。


「さて……」

 客が来ないうちに、使った道具の手入れを始める。

 ハサミを専用のセーム革で拭き、剃刀の刃先を整える。

 手動バリカンについた細かい毛を払い、次の客のためにクロスを畳み直す。

 その作業の最中だった。


 ――カラン。

 入口のベルが鳴り、扉が開いた。


「ん?」

 亮一が顔を上げる。

 入ってきたのは――鏡子だった。

「なんだ。もう食い終わったのか?」

「ううん。ちょっと忘れ物!」

 早口でそう告げると、鏡子は足早に店の奥へ向かっていく。

「何忘れたんだ?」

「ちょっとねー!」

 返事もそこそこに、そのまま奥の倉庫へ入っていった。

「……?」

 亮一の手が、ふと止まった。


 顔、声。


 どこからどう見ても鏡子だ。

 だが――ほんのわずかに、何かが引っかかった。


 鏡子はいつも、つま先から軽く弾むように小気味よく歩く。

 それに、床に散らばった切り毛を用心深く避ける癖がある。

 だが今の鏡子は、そんなことを気にも留めず、切り毛を踏み歩いていた。

 足取りも、わずかに重い。


 それだけではない。

 店の奥へ向かうまでの短い間、妙に視線が忙しかった。

 椅子。

 ワゴン。

 階段。

 倉庫。

 何度もこの店に立っている鏡子なら、いちいち確かめる必要のないものへ目を向けていた。


(……なんだ?)

 忘れ物を取りに戻っただけなら、急いでいたとも考えられる。

 だが――いつまで経っても、倉庫から出てこない。


 何かがおかしい。


 亮一が倉庫の扉を見つめた、そのとき。

 ――カラン。


「やってるかい?」

 新しい客が入ってきた。

「ああ、どうぞ」

 仕事に入れば、亮一の意識は目の前の客へ集中する。

 先ほど感じた違和感は、頭の片隅へ追いやられていった。


 それからしばらくして。


「ただいまー!」

「ただいま戻りました、亮一さん!」

『おいしかった〜!』

 両手にパンの包みを持った鏡子とミリア。

 そして、その頭上をご機嫌で飛ぶウィルが揃って入ってくる。

 亮一はちょうど、客のクロスを外して代金を受け取ったところだった。


「忘れ物、見つかったのか?」

「え?」

 鏡子がぽかんと目を丸くする。

「忘れ物?」

「さっき一人で戻ってきただろ。倉庫に何か取りに」

「ええっ!? 戻ってないよ! ねえミリア?」

「はい。ずっと一緒にいましたよ?」

『ボクもずっといっしょ〜!』


「……は?」

 亮一は眉を寄せる。

 鏡子がケラケラと笑い出した。

「なにそれ! 亮一、働きすぎてついに私の幻覚でも見えたの?」

「幻覚なわけあるか。……じゃあ、さっきのは誰だ」

「えー、疲れてうたた寝でもして夢見たんじゃない? ちゃんとお昼食べないからだよー」

「少なくとも、見た目と声は確実にお前だったぞ」

「はいはい。お腹空きすぎて幻聴まで聞こえちゃったんだ。ほら、パン買ってきたから後でちゃんと食べてよ?」

 鏡子はまったく本気にしていない様子で、パンの入った袋をカウンターに置いた。

 ミリアも不思議そうに小首を傾げる。


「……」

 亮一は倉庫の扉をちらりと見る。

 さっき感じた違和感。


(……あとで倉庫を確認するか)

 そう思った直後だった。

「すいませーん、今からカットいけますか?」

 次の客が扉を開け、その後ろからもう一人が店内を覗き込む。


「あ、はい! すぐご案内します!」

 ミリアが元気よく駆け寄った。


「亮一?」

「……いや、なんでもない」

「そう?」

「ああ。客だ」

亮一は倉庫から視線を外し、入ってきた客へ向き直った。


 しかし、その後も客足は途切れなかった。

 一人終われば、また一人。

 さらにもう一人。

 夕方になっても店は忙しく、亮一はひたすらハサミとバリカンを動かし続けた。


 目の前の客をさばくことに完全に集中していくうち、いつしか「倉庫を確認する」というタスクは、忙殺される思考の彼方へとすっかり押し流されてしまっていた。


 結局、亮一が倉庫の違和感を完全に忘れたまま営業を終え、その小さなさざ波を思い出したのは――深夜になってからのことだった。


◇ ◇ ◇


 その夜。


 昼間の喧騒が嘘のように、店内は静まり返っていた。

 すべての灯りは落とされ、外を吹き抜ける風の音だけがかすかに聞こえている。


 店の片隅。

 ドーラが作ってくれた小さな専用ベッドで、ウィルが気持ちよさそうに丸くなって眠っていた。

 小さな寝息に合わせて、淡い青白い燐光がぽわん、ぽわんと柔らかく明滅している。

『むにゃ……前髪は、そろえる感じでぇ……』


 どんな夢を見ているのか。

 そのときだった。

 暗闇に沈んだ店の奥。

 倉庫の扉が――ギィ、と微かな音を立てて開いた。

 小さな影が抜け出してくる。


 昼間から誰にも見つかることなく、じっと息を潜めていた侵入者だった。

 辺りを見回す。

 店内に人の気配はない。

 影が迷いなく向かったのは、レジの金ではなかった。


 ワゴンに整然と並べられた、星銀の理容道具。

 ハサミ。

 剃刀。

 そして、手動バリカン。


 祖父から父へ。

 父から亮一へ。

 三代にわたって受け継がれてきた、大切な理容道具。


 小さな手が伸び、まず手動バリカンを持ち上げる。


『……っ!』


 持ち上げた瞬間、影は目を見開いた。

 昼間、亮一が片手で自在に操っていた道具だ。だから簡単に持ち上がると思っていた。

 だが、自分で触れて初めて分かった。

 重い。

 見た目からは到底想像できないほど、異常に重い。

 不意の重量にバランスを崩し、小柄な身体ではとても支えきれない。


 ――ツルッ。

 手動バリカンが手から滑り落ちた。


 ――ドガァァァンッ!!


 静寂を粉々に叩き割るような重低音が、店内に響き渡った。

『ふぎゃぁぁっ!?』

 ウィルがベッドから飛び起きる。

 驚いた拍子に、青白い光の粉がバチバチッと周囲へ飛び散った。


『な、なに!? だれっ!?』

 暗闇の中。

 小さな影が硬直する。

 ウィルの目が、その姿を捉えた。

『泥棒ぉぉっ!?』

『……っ!』


 侵入者は慌てて持参した丈夫な袋を広げ、星銀の道具を次々とかき集めて入れた。

 袋を抱えて逃げようとするが――やはり重い。

 とても持ち上げたまま走れるような代物ではない。

 それでも諦めない。

 ずっしりと重い袋を床に引きずりながら、あらかじめ鍵を開けておいた裏口へ向かって必死に進む。


『待てぇぇっ! 亮一ー! 鏡子ー! 泥棒だよーっ!』

 ウィルの甲高い叫び声が、真夜中の店内に響き渡った。


◇ ◇ ◇


「どうした!?」

 亮一が階段を駆け下りてくる。

 すぐ後ろから、寝巻きの上に上着を羽織った鏡子も血相を変えて飛び込んできた。

「何があったの!?」


『泥棒! 泥棒がいたの!』

 ウィルが慌てながら、開け放たれた裏口を指差す。

『あっち! 裏から逃げてった!』

「何を持ち出された?」


 亮一はすぐさま店内を確認した。

 レジの売上金。

 無事。

 客からの預かり物。

 無事。

 棚も引き出しも、荒らされた形跡はない。


「……変だな」

「亮一、これ……!」

 鏡子の指先が、床の一角を指す。

 床板に、深くめり込んだような生々しい打痕。

 そしてそこから裏口へ向かって、重い金属の入った袋を引きずった跡が真っ直ぐに伸びていた。

 亮一の視線が、その傷を逆にたどる。


 そして――。

 ピタリと止まった。


「……」

「亮一?」

 返事はない。

 鏡子がおそるおそる亮一の視線の先を見やり、息を呑んだ。


 手入れを終えた道具が、いつでも使えるよう整然と置かれていたはずのワゴン。

 三代にわたって受け継がれ、この異世界でも亮一の右腕であり続けたもの。


 星銀の理容道具。

 その場所だけが、ぽっかりと空いている。


「……ない」

 鏡子の顔から血の気が引いた。

「嘘でしょ……? 亮一の、あの道具が……」


 亮一は答えない。

 空になったワゴンを見つめている。

 そして、低い声で言った。


「俺の理容セットが……ない」

 それだけだった。

 怒鳴りもしない。

 拳を叩きつけることもしない。

 ただ亮一は、道具の消えた場所をじっと見つめていた。


「……亮一」

 鏡子も、それ以上は何も言わなかった。

 

 分かっている。

 亮一は、本当に怒っているときほど静かになる。


 昼間、不自然な足取りで倉庫へ消えた、もう一人の鏡子。

 あの時の視線。

 歩き方。

 そして今、金には目もくれず、星銀だけが盗まれた。

 亮一は床に残された深い傷へ目を落とした。

「……昼間のあれと、無関係じゃなさそうだな」


その声は、普段よりもずっと低く、静かだった。


 ――To Be Continued.

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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