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第41話 間章 世界の種子

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ


 何もない。


 光もなければ、音もない。ただ、どこまでも続く黒い空間があった。


 そこには、いくつもの存在がいた。


 いつからそこにいるのか。そんなことは誰も知らない。

 そもそも、知ろうとも思わなかった。


 食べる必要はない。眠る必要もない。子孫を残す必要もない。


 そして――死ぬこともない。


 自分以外にも、同じような存在がいる。

 だが、それだけだった。


 話しかける理由もなければ、相手を知りたいとも思わない。何かをする必要すらない。


 何も起こらない。何も変わらない。


 永遠とも思える時間が、ただ過ぎていく。


 …………。


 つまらない。


 ふと、その存在はそう思った。


 それが何なのか、この時はまだ分からなかった。


 後に生まれる存在たちは、その感情をこう呼ぶことになる。


 ――退屈。


 それは、この存在が初めて知った感情だった。


 何かをしてみよう。


 理由などない。ただ、この何もない状態とは違うものを見てみたかった。


 存在は、自らの手元をじっと見つめた。


 そして――。


 バチッ。


 闇の中に、一瞬だけ光が走った。


 小さな空間が生まれる。


 その中へ、いくつもの物質を散らした。


 熱を生み出し。光を生み出し。それらを適当に放っておいた。


 他の存在たちは、何をしているのかと一瞬こちらを見た。


 だが、それだけだった。


 すぐに興味を失い、再び何もしなくなった。


 最初は、自分自身も大して面白いとは思わなかった。


 手元の空間には、物質と熱と光があるだけ。


 それらがぶつかり。集まり。離れ。形を変える。


 ただ、それだけだった。


 だが――。


 時間が過ぎた。


 どれほど過ぎただろう。


 いつしか無数の光が生まれ、その周囲には数え切れないほどの小さな星々ができていた。


 その中の、本当に小さな一粒。


 青い水をたたえた星で。


 何かが生まれた。


 存在は、それを見つめた。


 動いている。

 自らの力で。


 増えている。

 形を変えながら。


 生きている。


 その瞬間。


 胸の奥――胸など持ってはいないのだが――に、これまで感じたことのない何かが広がった。


 なんだ、これは。


 もっと見たい。

 どうなる。

 次はどうなる。


 その小さなものから、目を離すことができない。


 甘い。心地よい。

 初めて感じる感覚だった。


 後に、その感情には名がつく。


 ――喜び。


 それは退屈の次に知った、二つ目の感情だった。


 その感情は、周囲の存在にも伝わった。


 これまで何にも関心を示さなかった者たちが、初めてこちらを見る。


 そして。


 あちらでも。

 こちらでも。


 小さな光が弾け始めた。


 他の存在たちも、自分たちの空間を作り始めたのだ。


 だが、そんなことはどうでもよかった。


 存在の関心は、自分の作った空間へ戻っていた。


 小さな生命は、少しずつ姿を変えていった。


 海を泳ぎ。陸へ上がり。空を飛ぶものまで現れた。

 栄えては滅び。

 滅びては、また別のものが現れる。


 面白い。


 実に面白い。


 そして――。


 世界を作ってから、およそ百三十六億年が過ぎた頃。


 それまでの生命とは、明らかに違うものが現れた。


 道具を使う。

 言葉を交わす。

 仲間と協力する。


 争う。

 笑う。

 泣く。

 怒る。

 愛する。


 互いに高度な意思を伝え合い、次々と新しいものを作り出していく。


 存在は夢中になって、その生命を観察した。


 不思議だった。


 あまりにも弱い。


 少し環境が変われば死ぬ。食べなければ死ぬ。眠らなければ弱る。


 寿命も短い。


 自分とは比べることすらできないほど、下等な生命だった。


 なのに。


 どこか、自分たちに似ている。


 考え。

 選び。

 迷い。


 そして、感情を持っている。


 存在はその生命に、名をつけた。


 ――人間。


 生命が初めて生まれた時と同じくらい、大きな喜びを感じた。


 しばらくは、これを見ていよう。


 そう決めた。


 他の存在たちはどうしているのだろう。


 少しだけ周囲へ意識を向けてみる。


 それぞれ好き勝手にやっていた。


 世界の形を何度も変える者。

 自ら生命を作り、思い通りに動かそうとする者。


 気に入らなくなれば滅ぼし、また新しい生命を作る者までいる。


 愚かな。


 存在はそう思った。


 そんなものの、何が面白い。


 最初から答えを知っていて、自分の望んだ通りに動くものを作る。


 それでは何が起こるか、分かっているではないか。


 偶然が重なり。

 偶然がまた次の偶然を生み。


 その果てに、自分ですら想像しなかったものが生まれる。


 だからこそ、面白いのだ。


 だからこそ――尊い。


 まあ、分からないのなら勝手にやっていればいい。


 存在は再び人間へ意識を戻した。


 その時だった。


 何かの視線を感じた。


 隣の存在が、こちらの世界を覗き込んでいる。


 何をしている。

 存在は警戒した。


 人間に手を出すつもりか。


 自分の世界へ干渉するのであれば――滅ぼす。


 そう考えた時。


 相手から感情が送られてきた。


 敵意ではない。


 欲しい。


 そんな感情だった。


 何が欲しい。


 問い返す。


 返ってきた答えは――。


 世界の種子。


 存在は拒絶した。


 嫌だ。


 これは自分の世界だ。


 自分で作れ。


 だが、隣の存在は諦めない。


 何度もこちらを覗き込み、同じ感情を送ってくる。


 欲しい。


 分けてほしい。


 欲しい。


 しつこい。


 非常にしつこい。


 これでは人間を観察できない。


 仕方なく、その存在が何を気に入ったのか確かめてみた。


 どうやら、人間そのものだけではないらしい。


 人間が生み出した、ある概念。


 形。

 色。

 姿。

 装飾。

 音。


 そして、人が人を見て心を動かされる感覚。


 ――美しさ。


 隣の存在は、それをひどく気に入ったようだった。


 理解できない。


 とはいえ、欲しいというなら仕方ない。


 存在は、自らの世界から小さな種子を一つ取り出した。


 これだけだ。

 二度はやらん。


 そう伝えて、放り渡す。


 隣の存在から、これまで感じたことのないほど大きな喜びが返ってきた。


 そして早速、自分の場所へ戻っていく。


 やがて、小さな光が弾けた。


 どうやら世界を作り始めたらしい。


 存在はしばらくそれを眺めた。


 自分の世界から生まれた種子。


 ならば、少しくらい似た世界ができるのかもしれない。


 それも、悪くない。


 だが、それ以上の興味はなかった。


 存在は再び、自らの世界へ視線を戻した。


 人間たちは、今日も争っていた。


 昨日まで手を取り合っていた者同士が憎み合い。

 その一方で、昨日まで敵だった者同士が手を取り合う。


 誰かを傷つけ。

 誰かを救う。

 奪い。

 与える。

 憎み。

 愛する。


 まったく理解できない。


 矛盾だらけだ。


 だからこそ――面白い。


 この生命は、次に何をするのだろう。


 存在は、期待した。


 これからも観察しよう。


 誰にも邪魔されずに。


 永遠に。


 そうして。


 世界の種子を受け取ったもう一つの存在が作り上げた世界は、長い時を経て、そこに生きる者たちから一つの名で呼ばれることになる。


 セレスティア。


 亮一と鏡子がやがて迷い込むことになる、もう一つの世界の始まりだった。


カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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