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第36話 誰も、その花を知らない④

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ


ある日、ハサミ理容室は朝から異様な雰囲気に包まれていた。

 店の前には、普段なら見かけない王国兵。

 通りの両端にも警備が配置され、店へ近づく者には厳しい確認が行われている。

 今日は――王族の貸し切りだった。


 王。

 王妃。

 そして、結婚式に参列する王族たち。

 彼らが結婚式に向けた身支度を整えるため、ハサミ理容室を訪れていた。


「……すごい警備ですね」

 ミリアが窓の外を見ながら呟く。

「まあ、王族がまとめて来てるからね」

 鏡子はいつも通りだった。


「でも、お店の中ではいつも通りでいいよ」

「はい!」

 店内では、亮一と鏡子が王族たちを直接担当した。


まずは亮一による、王や男性王族たちのカットだ。

 シャキッ、シャキッ――。

 静かな店内に、リズミカルで心地よい鋏の音が響く。

 ミリ単位で計算された亮一のカットは、一人ひとりの骨格に合わせ、無駄な重さを削ぎ落としていく。

 続いて、シャンプー台での洗髪だ。

 温かいお湯が頭皮を濡らし、きめ細かい泡が髪全体を優しく包み込む。

「……おお……」

 王の口から、心地よさに耐えきれないような感嘆の息が漏れた。

 力強くも絶妙な指の動きによる頭皮の揉みほぐしが、日々の政務で溜まった頭の芯の疲れまで、すっきりと洗い流していく。

 席へ戻ると、次はシェービングである。

 レバーが引かれ、椅子がゆっくりと後ろへ倒れる。

 やがて、アツアツの蒸しタオルが顔全体を包み込む。

「……ふぅ……」

 男性王族の一人から、思わず深い息が漏れた。

 熱い蒸気が凝り固まった顔の筋肉を解きほぐし、極上のまどろみへと誘う。

 温かな泡の上を、カミソリがショリッ、ショリッと滑る。産毛と古い角質が取り除かれ、肌に澄んだ清潔感が通っていく。

 冷たい水を含ませたタオルで肌を引き締め、アフターシェーブローションを優しくパッティングする。

 最後に、上品な艶の出るポマードを手のひらに伸ばし、髪全体へ薄く馴染ませる。コームで綺麗に毛流れを整え上げ、完璧なスタイルを作り上げた。

「終わりました」

 椅子を起こされ、目を開けた王や男性王族たちは、鏡の中の自分を見て息を呑んだ。


「我が目を疑うとは、まさにこのことだな……」

「見違えるように凛々しくなった……! これほどまでに頭が軽く、気分が晴れやかになるとは」

「うむ、まるで気力が底から湧いてくるようだ。最高の気分で式に臨めるぞ」

 彼らは自らの頬を撫で、深い感嘆の声を漏らした。


 一方、鏡子は王妃をはじめとする女性王族たちのヘアセットとメイクを行っていた。

「ここを少し整えて……」

 鏡子が王妃の髪をまとめる。

「当日は、この形を基本にしましょう」

「ええ、お願いします」


 続いてメイク。

 肌の状態を確認し、色を選び、顔立ちに合わせて整えていく。

 鏡子の筆が、羽のように優しく肌の上を滑る。

 肌のくすみを消し、顔立ちに合わせてハイライトを入れ、頬にはほんのりと自然な血色を乗せていく。

「ここは少し薄めにして……」

「なるほど」

「この色なら、当日の衣装にも最高に合うと思いますよ」


「……」

 そっと目を開け、鏡を見た王妃は――言葉を失った。

「これが……私……?」

 思わず、震える指先で口元を覆う。

 鏡の中にいるのは、日々の疲れを感じさせない、十歳は若返ったかのように美しく、生命力に溢れた自分の姿だった。


「まあ……! なんという……」

 王妃の瞳に、感激の涙が滲む。

「すごいわ……まるで本物の魔法にかけてもらったみたい」


 他の女性王族たちも、仕上がった自分の姿を鏡で確認し、次々と歓声を上げていた。

「信じられない……肌が息をしているみたいに軽いのに、こんなに綺麗だなんて……」

「いつもと全く雰囲気が違うわ!」

「ねえ、用意していたドレスじゃこのお化粧に釣り合わないわ。私たち、急いで新しいドレスを仕立て直さないと!」


 王族たちは皆、これ以上ないほどの深い感動と満足感に包まれていた。

 施術を終えた彼らは、来店時とは見違えるほど晴れやかで、自信に満ちた表情で店を後にしていく。

「今日はありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました!」


◇ ◇ ◇


 王族たちが帰った後。

 しかし――数名のメイドたちは、緊張した面持ちで店に残っていた。

「あれ?」

 鏡子が振り返る。

「みんな帰らないの?」


 すると、メイドの一人が、思い詰めたような顔で一歩前に出た。

 そして――勢いよく、深々と頭を下げた。


「お、お願いがございます……!」

「えっ?」

「私たちは、当日のために王妃様たちの髪のセットとメイクを覚えさせていただきたいのです。ですが……先ほどの鏡子様の技術は、とてもではありませんが、私たちの見よう見まねで再現できるようなものではありませんでした」


 他のメイドたちも、次々と深く頭を下げる。

 職人の持つ卓越した技術。それは本来、門外不出の秘伝であり、今日会ったばかりの者に簡単に教えるはずがない。

 それは彼女たちも重々承知していた。

 それでも、見違えるように美しくなった王妃たちのあの笑顔を見たから。

 そして何より、王宮のメイドとしての誇りにかけて、結婚式当日に王族たちを最高の姿で送り出したいから。


「ご無礼は承知しております……! ですが、どうか! 私たちにも、鏡子さんの技術をお教えいただけないでしょうか!」

 不敬を問われる覚悟での、祈るような悲痛な声が店内に響く。


 沈黙が落ちた。

 メイドたちは、怒鳴られる覚悟すらして、震えながら返事を待つ。

 すると――。


「いいよ!」

「……え?」

 メイドたちが、弾かれたように顔を上げた。

 そこには、拍子抜けするほどあっけらかんとした笑顔の鏡子がいた。


「い、いいのですか……!? あのような素晴らしい秘伝の技を、私たちのような者に……」

「秘伝ってほどじゃないし。それに――実を言うと、すっごく助かる!」

「助かる……とは?」

「当日は参列する王族の方々が多すぎて、私一人じゃ全員のヘアセットとメイクなんて、物理的に手が回らないなって焦ってたの」

 鏡子が苦笑いしながら頭をかく。


「だから、みんなが技術を覚えて手伝ってくれるなら、こんなに心強いことはないよ」

「私たちが……鏡子様のお手伝いを……」

「そういうこと! 当日みんなで王妃様たちを綺麗にできたほうが絶対いいもんね」


 鏡子はすぐに道具を用意する。

「じゃあ、さっそく特訓ね! まず髪のセットからいくよ」

「「「はいっ!!」」」

 メイドたちの顔に、パッと明るい希望の光が宿った。


◇ ◇ ◇


 鏡子が、一人のメイドをモデルにして後ろに立つ。

「みんな、王族の方々の髪をまとめるとき、崩れないようにとにかく隙間なく、強く引っ張って結んでるでしょ?」

 メイドたちが顔を見合わせ、コクリと頷く。


「それだと少し堅苦しくて、平面的な重たい印象になっちゃうの。ヘアセットは『空気感』と『抜け感』が命だよ」

 鏡子の指先が、メイドの髪を鮮やかに掬い上げる。


「まずはベースの形作り。根元を紐で結んだら、こうしてトップ(頭頂部)や後頭部の毛束を、指先でほんの少しだけ細くつまんで引き出すの」


「ひ、引き出すのですか!? せっかく結んだのに崩れてしまいませんか……?」

「大丈夫。全部引っ張るんじゃなくて、等間隔に数ミリだけ。ほら、適度なたわみを作ることで、頭の形が立体的で綺麗に丸く見えるでしょ?」


「本当です……! 髪がふんわりと柔らかく、優しげに見えます!」

「次にピンの留め方ね。みんな、留めるときにピンを大きくパカッと開いて押し込んでない?」

「はい……そうしないと、うまく髪が挟めなくて」

「それだと頭皮が痛いし、ピンの金具が外から丸見えになっちゃうの。ピンはね、開かずに使うのよ」


「開かずに……?」

「こうやって、ねじった毛束の端にピンの先を少しだけ引っ掛けて……そのまま地肌に沿わせるようにスッと奥へ挿し込むの」


 鏡子の手が滑らかに動き、一本のヘアピンが髪の中に吸い込まれるように消えた。

「まあ……! 全然痛くありません! しかも、あんなにしっかり固定されているのに、外からピンが全く見えませんわ!」


「これが『隠しピン』の技術。最後に、顔周りの『おくれ毛』のバランスを見て少しだけ残す。これが洗練された大人の『アップスタイル』の基本ね」


「素晴らしいです……ただキッチリ結ぶのとは全く違う、緻密に計算された技術……!」

 メイドたちは一言も聞き漏らすまいと、食い入るように鏡子の手元を見つめていた。


 次はメイク。

 鏡子は、メイドたちが持っていた王宮の化粧箱の中身を広げさせた。

「当日、私が持ってる地球の化粧品は王妃様たちに使うから、他の王族の方々にはこの世界にあるお化粧品で代用していくね」

「このお道具で、先ほどのような仕上がりにできるのでしょうか……?」

「大丈夫! 要は使い方の問題だから。みんな、お化粧ってシミやシワを隠すために『塗りたくるもの』だと思ってない?」


 メイドたちが再び頷く。


「それは違うの。メイクは、隠す技術じゃなくて、その人らしさを引き出す技術なのよ」

 鏡子が、王宮の白粉(おしろい)に別の粉をほんの少し混ぜて筆に取る。


「例えば肌。このおしろいを顔全体に分厚くベタ塗りしたら、平面的で作り物みたいになっちゃうでしょ? だから、光が当たる顔の中心部分にだけ薄く乗せて、顔の輪郭にはあえて塗らないの」


「塗らない……ですか?」

「そう! そうすることで自然な影が残って、顔に立体感が出るの。メイクは『足し算』じゃなくて『引き算』のバランスが命なんだから」

 筆がモデルのメイドの肌の上を優しく滑る。

「血色を足す粉も、ただ赤くするんじゃなくて、笑った時に一番高くなる頬の骨の位置にフワッと乗せるだけ。ほらね?」


「まあ……本当です……!」

「隠すんじゃなくて、光や色を味方につけて『本来の美しさを引き出す』のがポイントだよ」

「じゃあ、一度やってみようか」

「はい!」


 メイド同士で二人一組になる。

 互いの髪を整え、メイクを施す。

「ここ、もう少し細く引き出すのかな?」

「うん。鏡子さんはピンを開かずに挿してたよ!」

「じゃあ、もう一回!」

 何度も何度も練習する。

 やがて、一人のメイドが鏡子に向かって深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「私たち、必ず覚えます」

「結婚式当日まで、みんなで練習しておきます!」

「うん。頼りにしてるね!」

 鏡子は嬉しそうに笑った。

 こうして、ハサミ理容室の技術は少しずつ王宮へと伝わっていくことになった。


――To Be Continued.

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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