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第34話 誰も、その花を知らない②

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ


カランカランッ。

王都アルトの片隅にある、ハサミ理容室。

夕暮れ時の店内には、いつもの穏やかな時間が流れていた。

「……邪魔するよ」

扉を開けて入ってきたのは、エルフのレインだ。

彼は羽織っていた外套(マント)をわずかに緩めると、仕事の疲労を滲ませながら店内へと進み入る。

「ふぅ……今日も疲れたな」

レインが待合の椅子に腰を下ろす。


ミリアがカウンターの奥から顔を出した。

「お疲れさまです、レインさん。今日もハーブティーでいいですか?」

「ああ。頼む」

「はい、どうぞ」

ミリアが湯気の立つカップを差し出す。

レインは一口飲むと、ほっと息を吐いた。

「ああ。ここのハーブティーは格別だ。仕事の後に飲むと落ち着く」

「ふふっ、ありがとうございます」

ミリアが嬉しそうに微笑む。


そこへ、再びカランカランッと扉のベルが鳴った。

「おう! やっとるか!」

豪快な声と共に、ドワーフの鍛冶師ガンツが店に入ってくる。

彼は仕事終わりの汗を拭いながら、レインの隣の椅子へどっかりと腰を下ろした。

「亮一! ワシにもいつものを頼む!」

「はいはい」

亮一が冷蔵庫を開ける。

中から取り出したのは、一本のビール缶。

「ほら」

「おお!」

ガンツが受け取る。


プシュッ。

「……っはぁ!」

一気に喉を潤し、満足そうに息を吐いた。

「やっぱり仕事終わりの一杯は最高だわい!」

「毎回それ目当てで来てないか?」

亮一が苦笑する。

「何を言う! ワシはお前さんたちの道具の調子を見に来てやってるんじゃ!」

「ついでにビール?」

「そうとも言う!」

「堂々と言うなよ」

カウンターで後片付けをしていた鏡子も思わず笑う。


地球から持ち込まれた商品は、翌日になると店の在庫が元に戻る。

そのため、ガンツが何本飲もうが、亮一たちは特に困らなかった。

そんな、いつもの光景だった。


ふと、鏡子がカウンターから身を乗り出した。

その肩の上には、淡い青白い光をまとった小さな光の精霊――ウィルが、ちょこんと乗っかっている。

「ねえねえ、聞いてよ。この前、二人がいない時にすっごく面白いお客さんが来たんだよね」


『面白いお客さん〜?』

鏡子の肩の上で、ウィルも真似するように小さな身体を乗り出してきょろきょろと首を傾げる。


「面白い客?」

レインがハーブティーのカップを持ったまま首を傾げる。

「そう! なんか将校さんだったんだけど、仕上がりを鏡で見て、薄かった髪がフサフサになってるのに感動したみたいで、すっごく喜んでてね!」

鏡子が思い出し笑いをする。

「亮一に髪を整えてもらったら、感極まったみたいで。最後はボロ泣きしながら『この恩は一生忘れない!』って亮一に抱きついてたんだから!」


『だきついてた〜!』

ウィルがキラキラと光の粉を散らしながら楽しそうに飛び跳ねる。


「あれは凄かったな……」

亮一も苦笑する。

大の大人の、しかも屈強な軍人に泣きながらハグされ、あの時の亮一はなす術もなく固まってしまったのだ。

(……俺も、髪を切って泣かれたのは初めてだったな)

そんなことを思い出しながら、亮一が頭を掻く。


レインがカップを置いた。

「……将校?」

「ああ」

亮一が何気なく答える。

「なんか、『北部辺境騎士団長』とかいう人だったな」

「…………」

レインの動きが止まった。

「どうした?」

「……いや」

レインは一度、目を伏せる。


北部辺境騎士団長。

それは、単なる一人の将校ではない。

中立派の筆頭とも言える人物。

北部辺境騎士団は、魔族との有事に際して、即時開戦の権限を持つ。

しかも、シアール王国軍において最大規模の陸上戦力を誇る武力集団だ。

王国における重要人物の一人だ。

それを――。


「……髪が生えたから泣いて喜んでいた、と?」

「そうそう」

鏡子が笑う。

「ガッハッハ! 大の大人が、しかも屈強な軍人が髪の毛でボロ泣きとはな! そいつは傑作だわい!」

隣でビールを煽っていたガンツも、腹を抱えて会話に混ざってきた。

レインは、思わず額を押さえた。

(この二人は……自分たちが何をしているのか、本当に分かっているのか?)


亮一はそんなレインの様子にも気づかず、思い出したように言った。

「そういえば、鏡子も似たようなことがあったじゃないか」

「私?」

「王妃陛下だよ」

「あー……あれね」

鏡子が苦笑する。


「『お願いだから、私の養子になって』ってやつ?」

「そう」

「王妃様、しつこかったー」

鏡子が肩をすくめる。

「亮一の王様対応と一緒で、王妃様を月一でケアすることで、なんとか納得してもらったけど……」

「ああ」

亮一が頷く。

「それが原因か分からないが、俺たちの予約枠は城が管理することになったよな」

「そうそう」


その言葉に、ビールを飲んでいたガンツがピタリと動きを止めた。

「おいおい。城が管理しとるって……じゃあ、ワシらの整髪はどうなるんじゃ!?」

少し焦ったように身を乗り出すガンツに、鏡子がクスッと笑う。

「大丈夫ですよ。ガンツさんやレインさんたち常連さんの予約枠は、城とは別にしてちゃんと確保してますから」

「おお、そうか! なら安心だわい!」

ガンツはホッと息を吐き、再び嬉しそうにビールを煽った。


レインは黙って彼らの会話を聞いていた。

(……なるほど)

王族が定期的にハサミ理容室の施術を受ける。

そして、その予約枠を城が管理する。

貴族が二人の施術を受けようと思えば、王家に頼るしかない。

平民と同じように店の前で順番を待つなど、貴族たちにはできないだろう。


(王家は……この店を完全に囲ったのか?)


レインの頭の中で、いくつもの情報が繋がっていく。

王族派――アルベルト王を筆頭に、国力を高めるため中央集権を図る勢力。

貴族派――王家を牽制し、これまで膨れ上がった自分たちの利権を死守しようとする勢力。

そして中立派。「我が国は盟約のシアールによって興った」という建国の理念を掲げ、権力闘争そのものを否定する者たちだ。

シアール王国では、一世紀以上にわたってこの三つの勢力がせめぎ合ってきた。

だが――。


(アルベルト王は、その構図そのものを変えようとしているのか?)

王都から最も遠い場所に、北部辺境騎士団という強大な戦力を置く。

その団長は中立派の筆頭。

そして今、王族だけでなくその男までもが、このハサミ理容室と繋がりを持ってしまった。


(偶然……なのか?)

レインは考え込む。

長寿である自分たちエルフ族でさえ、時と共に変わるのだ。

ましてや、短命な人間族の移り変わりの激しさは言うまでもない。

千年という歴史の中で、初代シアール国王の血脈は薄れ、代わりに無数の貴族たちが利権を貪るように増え続けてきた。

エルフ族は、それを決して歓迎してはいなかった。


(この流れが、王国にとって良い方向へ向かうのなら……)

レインは、ちらりとガンツを見る。

ガンツは何も知らず、ビールを飲んでいる。

「……」

(まったく。ドワーフも他人事ではないというのに)

しかし――。


(亮一と鏡子には、言わない方がいいな)

二人に余計な政治の心配をさせる必要はない。

二人はただ、人の髪を整え、人を笑顔にしていればいい。

そう思った、その時だった。


「あの……レインさん」

ミリアが声をかけてきた。

レインは一瞬、身構える。

(む……ミリア君は、気づいてしまったか……)

「何だ?」

ミリアは少し心配そうにレインを見る。

「さっきから、ずっと難しい顔してますよ」

「……」

やはり気づいていたか。

「ハーブティーのお代わりが欲しいなら、言ってくださいね」

「…………」

レインは、しばらく黙った。

「……そういうことか」

「はい?」

「いや……何でもない」

ミリアは首を傾げる。

「じゃあ、お代わり淹れてきますね」

「……頼む」

レインは小さく息を吐いた。

――やはり、この店は平和だ。


◇ ◇ ◇


カランカランッ。

再び、店の扉が開いた。

「いらっしゃい」

カウンターにいた亮一が顔を上げる。


「失礼する」

入ってきたのは、ガレオスだった。

彼はいつものような堂々とした様子ではなく、どこか照れくさそうにしている。

そして、開けたままの扉に手を添え、優しく促すようにエスコートしたその先には――静かに微笑むエリシアの姿があった。


二人は店内へ進むと、亮一たちに向かって頭を下げた。

「今日は、お願いがあって参りました」

エリシアが静かに口を開く。

「結婚式の準備について、改めてご相談させていただきたく……」

「ああ」

亮一が頷く。

すると鏡子が、すぐに身を乗り出した。

「結婚式!」

目が輝いている。

「もちろん任せて!」

「え?」

エリシアが目を丸くする。

鏡子は嬉しそうに続けた。

「エリシアさんの髪もカットするし、当日のヘアセットもする。メイクもネイルも、衣装の着付けも!」

そして、満面の笑み。

「ドレスも私が作る!」

「えっ……」

エリシアが固まった。

「い、いえ……そこまでしていただくわけには……」

「遠慮しないで!」

「ですが、鏡子さんもお仕事もあるのでしょう?」

エリシアは申し訳なさそうに眉を下げる。

「私一人のために、そこまでお時間をいただくのは……」

「大丈夫、大丈夫!」

鏡子は笑顔のままだ。

「できることは全部やりたいの」

そして、エリシアの目を真っ直ぐに見つめる。

「エリシアさんの結婚式だもん」

「でも……」

「任せて!」

鏡子が胸を張った。

「最高の結婚式にしてあげる!」

エリシアは困ったようにガレオスを見る。

ガレオスも苦笑する。

すると亮一が、ガレオスの肩を軽く叩いた。

「こうなったら、鏡子は聞かないぞ。」

「ちょっと、亮一!」

鏡子が頬を膨らませる。

だが、その時。


「待て待て、鏡子」

ガンツが口を挟んだ。

「二人の結婚式までは、あと一カ月。お前さんは通常営業のほかに、王妃やその他の王族のカットもしなきゃならんだろう。いくらお前さんでも、ドレスの仕立てまで全部一人じゃ無理だ」

「……あ」

鏡子が図星を突かれて固まる。

ガンツはエリシアへ向き直った。

「ドレスの仕立ては、ワシのカミさんに任せろ」

「え?」

「鏡子がデザインして型紙を作る。それをワシのカミさんが縫う。それでどうだ」

鏡子がパッと明るい顔をする。

「いいの!?」

「何を遠慮しておる」

ガンツが豪快に笑う。

「エリシアは、よく現場に足を運んでくれるからな。ワシらの話にも、ちゃんと耳を傾けてくれる」

ガンツは、ニヤリと笑った。

「そういう奴を、ドワーフは嫌わん」

ガンツは力強く告げる――。

「我らドワーフは、みんなあの娘の味方だわい」


エリシアは、しばらく何も言えなかった。

やがて、深く頭を下げる。

「……ありがとうございます」

その声は、少し震えていた。

「本当に……ありがとうございます」

顔を上げたエリシアの瞳には、わずかに潤んだ光が浮かんでいる。

自分がこれまで市井のためにしてきたこと。

それを、ちゃんと見てくれていた人たちがいた。

その事実が、胸に温かく染み込んでいく。


「皆さんのお気持ちを、無駄にはしません」

エリシアは静かに微笑んだ。

「……お言葉に甘えさせていただきます。私も、精一杯この結婚式を迎えたいと思います」

「そうこなくっちゃ!」

鏡子が笑う。

「じゃあ、さっそく始めよう! まずは採寸ね」

「はい」

ミリアがメジャーを取り出す。

そして、その場に突っ立っている男たち――亮一、ガレオス、ガンツ、レインを鏡子がジロリと睨みつけた。

「……じゃあ、男子たち」


「「「「ん?」」」」

四人の声が見事にハモる。

鏡子は腰に手を当て、ビシッと店の扉を指差した。

「ん? じゃないわよ。サッサと出て行きなさい。これからエリシアさんの採寸をするって言ってんでしょ!」

「お、おい押すな!」

「ワシはまだビールを……」

ガラガラガラ……ガシャーン!

有無を言わさず全員が店外へ追い出され、鏡子によって無情にもシャッターが下ろされた。


「…………」

王都アルトの夕暮れ。

ハサミ理容室の店前にある順番待ち用のベンチに、屈強な男四人が肩を並べて座っていた。

しばらくの沈黙の後。

亮一が、いつのまにか手に持っていたビールの缶を、ガレオスとガンツに差し出した。

「……男の出る幕じゃないな」

「……ああ」

ガレオスが受け取る。

「違いないわい」

ガンツも受け取る。

プシュッ、プシュッ。

男三人が並んでビールを飲み始めた。

その横では、レインだけがちゃっかり持ち出したカップで、優雅にハーブティーを飲んでいる。


シャッターの奥から、鏡子たちの楽しげな声が聞こえてきた。

『エリシアさん、腕を少し上げてください』

『こうでしょうか?』

『そうそう。肩幅は……って、え!? エリシアさん、腰、細っ!』

『うわぁ……スタイル抜群ですねー。ぐふふ』

『ちょっとミリア、よだれが出てるわよー』

『ハッ!』


薄いシャッター越しに聞こえてきたそのやり取りに、ベンチに座っていた男四人の間に、いたたまれないような気まずい空気が流れた。

「んんっ……」

ガレオスが目を逸らして不自然な咳払いをし、ガンツは無言でビールを勢いよく煽る。レインはハーブティーのカップでそっと口元を隠した。

亮一も慌てて視線を泳がせる。


中からは、照れたようなエリシアの声が続く。

『も、もう……お二人とも、からかわないでください』

『からかってないわよ! これならどんなドレスでも似合うわ。うん、型紙はすぐにできるよ』

『そ、そんなに早く?』

『うん。大丈夫。私、昔からずっと描き溜めてるデザインノートがあるの。その中に、私が考えた最高のウェディングドレス――通称「キョウコデラックス」の寸法図も書いてあるから! それをエリシアさんサイズに計算し直して、すぐに型紙を引いてみせるわ!』

『キョウコデラックス……?』


外のベンチにいた亮一が、気まずい空気を誤魔化すように、わざとらしく小さく笑って呟いた。

「……名前は仮だからな」

『中にまで聞こえてるわよ、亮一!』

シャッターの奥から、鏡子の抗議の声が飛んでくる。

そのやり取りに、顔を赤くしていたガレオスもガンツも、そしてレインも、思わず声を上げて笑った。


こうして、最高級の天羽絹を使ったウェディングドレス――。

後に「キョウコデラックス」と呼ばれるかもしれないドレスの制作が始まった。

型紙は鏡子。

仕立てを担うのは、ガンツの妻。

そして、ナラ、ノエル、ミリア。

さらに、エリシアを知る近所の主婦たちも協力することになった。


「エリシア様の結婚式なら、私たちも手伝いますよ!」

「ええ。いつも私たちのために動いてくださっているんですもの」

「今度は私たちの番ね」

一人、また一人と仲間が増えていく。

エリシアは、その光景を少し離れた場所から眺めていた。

自分のために、こんなにも多くの人が動いてくれている。

「……ありがたいですね」

小さく呟く。

その隣で、ガレオスが笑った。

「ああ」

二人の結婚式まで――。

あと、一カ月。

最高の花嫁を作るための準備が、静かに始まった。


――To Be Continued…

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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