第32話 真夜中の訪問者③
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
――シャッ。
テントの入口が開く。
外の冷たい空気が、濃い霧とともにゆっくりとテントの中へ流れ込んできた。
亮一と鏡子は、並んで霧の向こうを見つめる。
そこには――。
青白い光が、いくつも浮かんでいた。
一つ。
二つ。
三つ。
全部で五体。
手のひらほどの小さな身体。
その身体そのものが、蛍のように淡い青白い光を放っている。
そして――。
顔の前には、まるで怪異のような、長く伸びた白髪。
ボサボサの髪が顔を完全に覆い隠し、二つの不気味な目だけが、その隙間からじっとこちらを覗いている。
「……」
「……」
鏡子が、思わず息を呑んだ。
目の前に浮かぶ精霊たち。どう見ても、普通ではない。背筋が粟立つような異様な空気が漂っている。
一番手前にいた精霊が、ゆっくりと口を開いた。
「……やっと、開けてくれたね」
低く、不気味な声が森に響く。
「それでは……二人とも仲良くなって――」
「そんなことより」
亮一が食い気味に言った。
「どんな髪型にしたいんだ?」
「……え?」
精霊がピタリと固まった。
不気味な空気を完全に無視して、鏡子も亮一の横から顔を出す。
「髪がボサボサで辛いんでしょ?」
「……」
「どんな髪型がご希望かしら?」
精霊は、戸惑ったようにしばらく黙り込んだ。
「……髪型?」
「ああ」
亮一は組んでいた腕を解き、腰のシザーケースへ手を伸ばす。
暗い霧の中で、星銀のハサミが鋭く鈍い光を反射した。
「どんな髪型でも、希望に合わせてカットするぞ」
精霊たちは互いに顔を見合わせる。
「……僕たちを怖がらないの?」
「怖がる必要があるのか?」
亮一が首を傾げる。
「髪を切ってほしいんだろ?」
「……」
精霊は、自分の顔を覆うボサボサの髪を触った。
「た、確かに……」
「ん?」
「僕、ずっとこの髪型なんだけど……」
鏡子が、その伸びきった白髪をじっと眺める。
「それは結構、大変そうね」
「そうなの?」
「長さを変えなくても、すいて毛量を調整するだけで、ずいぶん楽になることがあるよ」
「……本当に?」
「ええ」
鏡子が優しく笑う。
「せっかくだから、やってみる?」
「……じゃあ」
精霊が小さく頷いた。
「お願いしようかな……」
亮一が微笑む。
「任せな」
鏡子も笑った。
「任せて」
精霊たちは、すっかり呆気に取られていた。
自分たちが恐怖の存在として現れたことなど、この二人の前ではもう完全に忘れているようだった。
最初の一体が、亮一の前へふわりと浮かぶ。
「それじゃあ、カウンセリングからだ」
「かうんせりんぐ?」
「ああ。どうしたいのか、ちゃんと聞かせてくれ」
亮一が精霊の髪に触れ、毛質と流れを確認する。
「髪が邪魔なんだな?」
「うん」
「顔にかかるのが嫌か?」
「うん」
「なら、短くしてみるか」
「どれくらい?」
「ショートボブなんてどうだ?」
「しょーとぼぶ?」
「髪を短くして、顔周りをすっきりさせる」
鏡子が横から補足する。
「今よりずっと軽くなると思うよ」
「……それがいい!」
「決まりだな」
亮一がハサミを構える。
精霊の身体は小さい。しかし、亮一の手に迷いはなかった。
長年使い込んできた星銀のハサミが、静かな森の中でリズミカルな音を立て始める。
チョキ。
チョキ。
白い髪が、霧の中へハラハラと舞い落ちていく。
「……!」
精霊が目を閉じる。
その表情から、次第に強張っていた力が抜けていく。
「……気持ちいい……」
チョキ。
最後の一束が落ちる。
亮一がハサミを収めた。
「よし」
精霊が自分の髪を触る。
「……軽い!」
顔を覆っていた不気味な髪がなくなり、青白い可愛らしい顔がはっきりと見える。
「すごい!」
精霊が嬉しそうに、青い光の尾を引いて飛び回った。
「全然違う!」
「良かったね」
鏡子が微笑む。
すると――。
「僕もやって!」
後ろで見ていた別の精霊が、たまらず飛び出してきた。
「僕も!」
「私も!」
「私も髪を短くしたい!」
あっという間だった。
残りの精霊が、亮一と鏡子の周りへわっと殺到する。
「ちょ、ちょっと待って!」
鏡子が慌てる。
「順番、順番だからね!」
「俺が先にカウンセリングする!」
亮一も声を上げる。
「髪型を決めてからだ!」
だが、精霊たちは止まらない。
「私、雲みたいにふんわり!」
「僕は葉っぱみたいにツンツンに!」
「僕はどんぐりみたいに丸く!」
「私は最初の子と同じの!」
いつの間にか――。
恐怖に満ちていた霧の夜の森が、完全に活気あふれる美容室へと化していた。
◇ ◇ ◇
チョキ、チョキ、チョキ。
ハサミの軽快な音が、静かな森に響き続ける。
亮一は一体ずつ丁寧に髪を整えていく。鏡子も隣で、精霊たちの希望を聞きながら次々と髪型を決めていた。
「もう少し短くする?」
「うん!」
「じゃあ、ここを整えるね」
「お願い!」
別の精霊が鏡子の前へ飛んでくる。
「私は長さを残したい!」
「じゃあ、毛先を整えて、軽くしましょうか」
「それがいい!」
さらに別の精霊。
「僕は格好よくして!」
「格好よくって、どういう感じ?」
「……分からない!」
「じゃあ、一緒に考えようか」
鏡子は笑いながら、精霊の髪を優しく梳かす。
「お顔周りをすっきりさせて、毛先に動きをつけてみようか」
「それ!」
精霊たちは、髪を切ってもらうたびに表情を明るくしていった。
「すごい!」
「軽い!」
「前が見える!」
「風が気持ちいい!」
その様子を遠くで見ていた精霊たちが、青白い光を揺らしながらさらに集まってくる。
「私も!」
「僕も!」
「次は僕!」
「順番だからねー!」
鏡子が笑いながら声を上げる。
絶え間なく手を動かしながら、亮一も苦笑した。
「……こんな深夜の森で、行列ができるとはな」
やがて――。
その行列は、亮一たちのテントの周りだけでは収まらなくなった。
少し離れた隣のテント。
ガレオス、レイン、ガンツがいるテントの周囲に集まっていた精霊たちまでもが、噂を聞きつけて亮一と鏡子のところへ押し寄せてきた。
「私も切ってほしい!」
その後ろから、さらに精霊たちが続いて飛んでくる。
「次は僕!」
「私も!」
夜は更けていく。
それでも、二人のハサミの音は止まらなかった。
チョキ。
チョキ。
チョキ。
やがて、頭上を覆っていた深い霧が少しずつ晴れ、東の空がわずかに白み始めた。
紫から淡いオレンジ色へと、森の空気が変わっていく。
「……あと一人!」
鏡子が声を上げる。
「最後だな」
亮一がハサミを動かす。
チョキ。
「……終わった」
最後の精霊が、自分の髪を触る。
「ありがとう……」
その声には、昨晩のようなどろりとした不気味さは微塵もなかった。
夜明け前の森に、静かで爽やかな風が吹き抜ける。
髪を綺麗に整え、青白い光をまとった精霊たちが、二人の周囲にふわりと集まった。
「……ありがとう」
最初に髪を切った精霊が言う。
「僕たち、髪を切ってもらったの、初めて」
亮一がハサミをシザーケースにしまう。
「それで、一つ聞きたい」
「何?」
「どうして俺たちを惑わせようとした?」
精霊たちが、少しだけ俯いた。
「……僕たちは、争いが嫌いなの」
「争い?」
「うん」
小さな声が続く。
「だから、みんなに仲良くなってほしくて……」
「良かれと思って……」
鏡子が眉を寄せる。
「だから、無理やり好きにさせてたの?」
「……うん」
「それは駄目よ」
鏡子が優しく、しかしはっきりと言った。
「人の感情は、その人自身のものだから」
亮一も頷く。
「仲良くなるかどうかは、その人たちが決めることだ」
「……」
「強制するのは良くない」
精霊たちはしばらく黙っていた。
やがて――。
「……ごめんなさい」
一体が申し訳なさそうに頭を下げる。
「もう、やめる」
「本当に?」
鏡子が尋ねる。
「うん」
「みんなに無理やり好きになってもらうの、やめる」
亮一は満足そうに頷いた。
「それならいい」
鏡子もほっとしたように笑った。
「これで一件落着ね」
――と思った、その時。
「じゃあ、その代わり!」
「ん?」
「これからも僕たちをカットして!」
「……」
亮一と鏡子が顔を見合わせる。
「でも、俺たちは普段、王都にいるぞ?」
「大丈夫!」
精霊が胸を張る。
「僕たちは『一にして全』だから!」
「一にして……全?」
「そう!」
精霊たちは嬉しそうに飛び回る。
「僕たちは、みんなで一つなんだ!」
「一人が亮一たちについていけば――」
「いろんな髪型にしてもらった感覚を、みんなで共有できるの!」
亮一が鏡子を見る。
鏡子も亮一を見る。
「……一人ついてくるくらいなら」
「まあ、いいか」
あっさりと話がまとまった。
その時――。
「……あーーーっっ!」
静かな朝の森に、隣のテントからレインの悲鳴が響き渡った。
「あ」
鏡子が振り返る。
「そうだった」
亮一も立ち上がった。
「隣のテントを見に行くか」
◇ ◇ ◇
亮一と鏡子は、足早にガレオスたちのテントへ向かった。
「おーい」
亮一が外から声をかける。
返事がない。中からはドタバタと何かが揉み合う音だけが聞こえる。
「大丈夫?」
鏡子が思い切って入口の開ける。
「……」
「……」
二人は、その場で固まった。
「レイン!」
テントの中央で、筋骨隆々のガレオスが、細身のレインに覆い被さっていた。
「頼む! 私と一緒に――!」
「やめろ!」
レインは真っ青な顔で必死に抵抗している。
「ガレオス! 正気に戻れ!」
「私は正気だ!」
「正気じゃない!」
そのすぐ横では――。
「グゴォォォ……」
ガンツが毛布にくるまり、大いびきをかいて熟睡していた。この地獄絵図にまったく気付いていない。
「……」
亮一は深く額を押さえた。
「何やってんだ……」
「頼む!」
レインが涙目でこちらを見る。
「二人とも、見てないで助けてくれ!!」
鏡子は――。
「…………」
口元を手で覆い、妙に目を輝かせていた。
「美男子とイケオジ……」
「鏡子」
「何?」
「楽しむな」
「……はい」
鏡子は渋々頷いた。
「ガレオス!」
亮一が鋭く声を上げる。
「いい加減にしろ!」
ゴッ!
亮一の容赦ない拳が、ガレオスの頭に無慈悲に振り下ろされた。
「……!」
鈍い音が響き、ガレオスがピタリと固まる。
そして、ゆっくりと頭を抱えて崩れ落ちた。
「……私は……何を……」
「……助かった」
レインが、その場に力なくへたり込む。
その声には、心底疲れた色が滲んでいた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
すっかり霧の晴れた街道を、魔導馬車は王都へ向けて走っていた。
窓から差し込む朝の光が、車内を明るく照らしている。
ガレオスは御者席で、膝に肘を突き、深く落ち込んでいた。
「…………」
その隣では、ガンツが腹を抱えて大笑いしている。
「ガハハハハ!」
「笑うな……」
「だってよぉ!」
ガンツは目尻に浮かんだ涙を拭う。
「俺が寝てる間に、お前が必死な顔してレインに迫ってたって聞いたらよぉ!」
「……忘れてくれ」
後方の座席では、レインが窓枠に頭を預けてぐったりしていた。
「私も忘れたい……」
亮一が尋ねる。
「結局、何があったんだ?」
レインが深いため息をついた。
「ガレオスが、婚約者のエリシアが魔物に襲われ、助けを求めている幻聴を聞いたらしい」
「……なるほど」
「私が止めようとしたんだが……振り切られてテントの外に出てしまった」
レインは遠い目をする。
「ガンツは?」
「ずっと寝ていた」
「役に立ってねぇな!」
亮一が呆れる。
御者席からガンツが叫ぶ。
「聞こえてるぞ!」
鏡子がくすくすと笑った。
「でも、それだけエリシアさんのことが大切ってことじゃない?」
「……」
ガレオスは黙り込む。
「そこは、ちょっと感心するけどな」
亮一が言う。
「……ありがとう」
ガレオスが、少しだけ照れたように小さく答えた。
その時――。
「ところで」
レインが顔を上げる。
「その精霊は?」
「……あ」
亮一が振り返る。
車内の隅には、ショートボブに整えられた青白い小さな精霊がふわりと浮かんでいた。
「この精霊は……ええと。そういえば、名前を聞いてなかったな」
「名前?」
精霊が首を傾げる。
「僕たちには名前なんてないよ」
「ない?」
「今まで必要なかったから」
「でも、不便だろ」
亮一が腕を組む。
「名前くらい決めよう」
鏡子がパッと手を挙げた。
「はい!」
「はい、鏡子くん」
「光の精霊だから――」
鏡子は、自信満々ににっこりと笑った。
「光雄とかどう?」
「…………」
精霊の顔が、露骨に引きつった。
「…………」
亮一も黙る。
レインも黙る。
ガレオスでさえ、前を向いたまま何とも言えない顔をしている。
馬車が車輪を鳴らす音だけが、やけに大きく聞こえた。
精霊は、ものすごく嫌そうな顔で鏡子を見た。
「……嫌?」
「すごく嫌」
「そっかぁ……」
鏡子が残念そうに肩を落とす。
亮一が苦笑した。
「じゃあ……」
精霊を見る。
「光の精霊、ウィル・オ・ウィスプだから――」
少し考える。
「『ウィル』でどうだ?」
「ウィル……?」
「嫌なら別のを考えるが」
「それがいい!」
精霊の表情が一気に明るくなる。
青白い光を輝かせながら、馬車の中を嬉しそうに飛び回った。
「ウィル! 僕はウィル!」
「気に入ったみたいね」
鏡子が笑う。
「光雄も良かったのに……」
「…………」
亮一とレインは顔を見合わせる。
「ははは……」
「……ははは」
二人の乾いた笑いが重なった。
やがて――。
前方に、朝日に照らされた巨大な防壁と街並みが見えてきた。
王都アルト。
長い旅を終え、一行はようやく帰ってきたのだ。
ガレオスが前を見つめる。
「……帰ってきたな」
亮一が笑った。
「いい加減に元気を出せ、ガレオス」
「……」
「ほら。もうすぐ王都だ」
ガレオスが小さく笑う。
「ああ」
魔導馬車は、朝の光の中を真っ直ぐに走っていく。
トラブル続きの帰路だった。
魔導馬車は壊れ、森では怪異に遭遇し、精霊たちの髪を夜通し切り、挙げ句の果てには――。
「ガハハハ!」
ガンツの笑い声が響く。
「もう笑うな!」
ガレオスが怒鳴る。
「ふふっ」
鏡子が笑う。
レインは疲れ切った顔で、窓から青空を見上げる。
そして、その頭上を――。
『あははっ!』
青白い小さな精霊が、楽しそうに飛び回っていた。
新しい仲間を乗せた魔導馬車は、王都アルトへ向かって走り続ける。
ウィルという賑やかな家族が加わり、彼らの日常はさらに彩りを増していくことだろう――。
―― 真夜中の訪問者・完 ――
カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。




