↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/45

第31話 真夜中の訪問者②

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ


 テントの外から、幼い子供の声が聞こえ続けていた。

「……ねぇ、あけて……」

 鏡子は両手で耳を塞いだ。

 それでも声は消えない。

 耳からではなく、頭の奥へ直接響いてくるようだった。

「……亮一」

 返事はない。

 亮一はテントの中央であぐらをかき、腕を組んだまま目を閉じている。

「……聞こえてる?」

「……ああ」

 亮一が静かに答えた。

「聞こえてる」

 鏡子が息を呑む。

 やはり、亮一にも聞こえている。

 しばらくすると、子供の声が少しずつ遠ざかっていった。

 そして――。


「……誰か、いませんか?」

 今度は、女性の声だった。

 先ほどの幼い声とはまったく違う。儚げで、今にも泣き出しそうな声。

「道に迷ってしまって……」


 鏡子が顔を上げる。

「女性……?」

 声はテントのすぐ外から聞こえていた。

「お願いです……」

 女性が震える声で訴える。

「どうか、テントに入れてください……」

 鏡子は思わず亮一を見る。

 亮一は目を閉じたまま、静かに首を横に振った。

「……開けるな」

「でも……」

「レインが言ってただろ」

 亮一の声は落ち着いている。

「外の声は、全部無視するんだ」

「……うん」

 鏡子は唇を噛んだ。

 その時だった。


「お願いです!」

 女性の声が、突然大きくなる。

「魔物が……!」

 森の奥から、低い唸り声が響いた。

「……!」

 鏡子の身体が強張る。

「来る……!」

 女性の声が震える。

「魔物が、そこまで来ています!」


 ――ズシン。

 地面を踏みしめるような音。


 続いて、獣の唸り声。

「いや……!」

 女性が叫んだ。

「お願い! 開けて!」

 鏡子は反射的にテントの入口へ手を伸ばした。

「鏡子」

 亮一の声が飛ぶ。

「駄目だ」

「でも……!」

「幻だ」

 その瞬間――。


 テントのすぐ外で、激しい物音が響いた。

「きゃああああっ!」

 女性の悲鳴。

 何かが地面を転がる音。

 そして――。


「痛い! 助けて!」

 鏡子は両手で口を押さえた。

「開けて! 開けてー!!」

 声が響く。

 その直後。

 獣の唸り声。

 激しい物音。

 そして――生々しい咀嚼音が、静かな森の中に響いた。


「……っ!」

 鏡子の顔から血の気が引いていく。

 やがて、女性の声は途切れた。

 森に静寂が戻る。

 鏡子は息をすることさえ忘れていた。

 ――何だったの?

 しばらくして。


「……開けて」

 声がした。

 鏡子は目を見開く。

 先ほどまでの女性の声ではない。

 低く、野太い男の声。

 まるで、別人の喉から発せられたような声だった。

「開けろ! 開けろ! 食べられてる!」

「痛い! 痛い、痛い、痛い……!」

「開けろ! 開けろーー!!」

 男の声は次第に歪み、森の奥へ遠ざかっていく。

 鏡子は、凍りついたように動けなかった。

 ――今のは、いったい誰の声だったのか。

 さっきまで助けを求めていた女性と、同じ人物なのか。

 それとも――最初から、そんな女性など存在していなかったのか。


「……怖い」

 鏡子の声が震える。

 亮一は静かに手を伸ばし、ガタガタと震える鏡子の手をしっかりと握った。

「大丈夫だ」

「本当に……?」

「ああ」

 しかし、その声にはいつもの余裕がなかった。

 鏡子を安心させるように握られた彼の手もまた、強い緊張でこわばっていた。

 外の怪異は、二人の反応を確かめるように、しばらく沈黙していた。

 そして――。


 今度は、聞き覚えのある声が響いた。

「鏡子さん……」

「……!」

 鏡子の身体が跳ねる。

 それは――地球に残してきた、青山のサロンスタッフの声だった。

「鏡子さんがいないから、サロンが大変なんです」

「……そんな」

「みんな、どうしていいのか分からなくて……」

 鏡子の目に涙が浮かぶ。

「今なら……元の世界に帰れますよ」

「……!」

 その言葉に、鏡子の心が大きく揺れた。

「本当に……?」

「はい」

 声は優しく続ける。

「帰ってきてください、鏡子さん」

「サロンを……みんなで守ってきたじゃないですか」

「このままだと、店が潰れます」

「お客様も離れてしまいます」

「私たちが苦労してオープンしたサロンなのに……」

「……やめて」

 鏡子が耳を塞ぐ。

「やめてよ……」

 それでも声は止まらない。

「鏡子さんがいないからです」

「……!」

「戻ってきてください」

「お願いです」

「鏡子さん……」

 鏡子の目から、涙がこぼれた。

 身体が勝手に動く。

「……帰らなきゃ」

「鏡子!」

 亮一が腕を掴んだ。

「離して!」

「駄目だ!」

「でも、みんなが待ってるの!」

「それは幻だ!」

「分かってる!」

 鏡子が涙を流しながら叫ぶ。

「分かってるけど……!」

 その言葉に、亮一は黙った。

「私がいなくなって、みんな大丈夫なのかなって……ずっと思ってた」

 鏡子の肩が震える。

「私だけ、こっちの世界で楽しくやってていいのかなって……」

 亮一は鏡子の腕を離さなかった。

「……俺にも聞こえてる」

「え?」

 鏡子が顔を上げる。

「俺にも、知り合いの声が聞こえてる」

 亮一は目を伏せた。

「親父が危篤だから、早く帰ってこいって」

「……」

「近所の連中の声だ」

 亮一は静かに続ける。

「でも、俺は分かってる」

「……何を?」

「それが、まやかしだってことだ」

 亮一は鏡子の目を見る。

「何を聞いてるかは分からない。でも、ここにいる俺たちに、地球の人間が話しかけられるわけがない」

「……」

「だから、聞くな」

 鏡子は涙を拭った。

 そして――。


「……うん」

 ゆっくりと頷いた。

「これは……私の記憶を使った幻なんだ」

「ああ」

「私がアフロディーテに召喚されて、この世界に来たことも……」

「ああ」

「地球にいるスタッフが、ここまで来られるはずがない」

「そういうことだ」

 鏡子は深く息を吸った。

 そして、目を閉じる。

「……もう、騙されない」

 しばらくすると、外から聞こえていた声が少しずつ弱くなっていった。

 そして――。


 ピタリ。

 完全に消えた。

「……終わった?」

 鏡子が小さく呟く。

「たぶんな」

 亮一も目を閉じたまま答える。

 静寂。

 森は再び、音を失っていた。

 ――だが。


「……うぇ……」

 今度は、泣き声。

「……?」

 鏡子が眉を寄せる。

「また……?」

 子供の声だった。

「うぇぇ……」

 小さなすすり泣き。

 しかし、今度の鏡子には余裕があった。

「もう、その手には乗らないわよ」

 腕を組む。

「子供の声だからって、助けに行くと思った?」

 亮一も静かに目を閉じたままだ。

「そうだな」

 ところが――。


「……髪が伸びて、邪魔なんだ……」

「…………」

「誰か……切って……」

 亮一の目が開いた。

「……」

「お願い……」

 亮一が、ゆっくりと立ち上がった。

「ちょっと、亮一?」

「……」

「待って」

 亮一はテントの入口へ向かう。

「亮一!」

 鏡子が慌てて腕を掴んだ。

「幻だよ!」

「分かってる」

「じゃあ、なんで開けようとしてるの!?」

 亮一が振り返る。

 その顔から、さっきまでの疲労も緊張も消えていた。


 そこにあったのは――。

 理容師として仕事をするときの、職人の顔だった。


「……そうだな」

 亮一は静かに言った。

「幻かもしれない」

「だったら――」

「でも」

 亮一がテントの入口を見る。

「たとえ幻でも、髪を切ってくれって頼まれたなら……」

 わずかに口元を上げる。

「それに応えるのが、バーバーだ」


「…………」

 鏡子は呆気に取られた。

「……もう」

 そして、思わず笑ってしまう。

「そこなの?」

「そこだ」

「親父さんの危篤より?」

「それとこれとは別だ」

「サロンが潰れるって言われても耐えたのに?」

「それも別だ」

「髪が伸びて困ってるって言われたら出るの?」

「ああ」

 亮一は即答した。

「俺は理容師だからな」


 鏡子は大きく息を吐いた。

「……本当に、しょうがないんだから」

 そして――。


 亮一の隣に立つ。

「分かった」

「鏡子?」

「私も美容師よ」

 鏡子は拳を握った。

「私もカットしてやるわ!」

 亮一が目を細める。

 そして、ふっと笑った。

「流石は俺の相棒だ」

「ふふっ」

 鏡子も笑う。

「そうこなくっちゃ」


 二人はテントの入口を見つめた。

 外には、何がいるのか分からない。

 精霊なのか。怪異なのか。

 それとも――ただの幻なのか。

 だが、二人の覚悟は決まった。

「……じゃあ」

 亮一がテントの入口に手をかける。

「開けるぞ」

「OK!」

 鏡子が頷く。

 ――シャッ。

 入口が開いた。

 濃い霧が、テントの中へ流れ込んでくる。

 その向こう。

 青白い光が、いくつも浮かんでいた。

「……」

「……」

 亮一と鏡子は、並んで霧の向こうを見つめる。

 そして――。

 青白い光の中から、小さな影がゆっくりと姿を現した。


―― To Be Continued…

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。