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第30話 真夜中の訪問者①

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ


蚕人族の里での出張任務を終え、一行は王都へ向けて帰路を走っていた。

 魔導馬車は、夕暮れの森を抜けるように進んでいる。

 空は茜色に染まり、木々の隙間から差し込む光も、少しずつ弱くなっていた。


「王都までは、あとどれくらいだ?」

 御者席からガレオスが尋ねる。

「この調子なら、明日の午前中には着くだろう」

 隣でレインが答えた。

 その時だった。

 ――ガタンッ!


 魔導馬車が大きく揺れた。

「うおっ!」

 車内にいた亮一たちが身体を支える。

 続いて、

 ――ガガガガ……。

 魔導馬車から、不穏な音が響いた。

「止めるぞ!」

ガレオスが操縦桿を引いた。

 馬車はゆっくりと減速し、森の中で完全に停止した。


「何だ?」

 亮一たちが馬車から降りる。

 ガンツはすぐに車体の下へ潜り込んだ。

「……ったく。嫌な音しやがったと思ったら、やっぱりか」

「何か問題が?」

 ガレオスが尋ねる。

「馬車に動力を伝えるシャフトがイカれてやがる。こいつを直すには、ちょいと時間がかかるな」

「どのくらいだ?」

「今夜いっぱいは見た方がいい」

「つまり……」

 鏡子が辺りを見回す。

「今日はここで泊まり?」

「ああ」

 ガンツが車体の下から顔を出した。

「今夜は野営だ」


◇ ◇ ◇


一行はその場で野営の準備を始めた。

 荷物を降ろし、テントを張り、焚き火用の薪を準備する。

 ガンツは魔導馬車の整備を続け、ガレオスとレインは周囲を確認する。

 やがて、森の中に小さな野営地が出来上がった。


「たまにはキャンプもいいね!」

 鏡子が嬉しそうに言う。

「そうだな」

 亮一も頷いた。

 王都への帰還が一日遅れることになったというのに、二人にはあまり緊張感がない。

 むしろ、久しぶりの野営を楽しんでいるようだった。

 やがて焚き火が起こされ、簡単な夕食が用意された。

 パチパチと薪が爆ぜる。

 亮一と鏡子は火を囲みながら、地球でのキャンプを思い出していた。

「こういうの、久しぶりだなぁ」

「修学旅行でサマーキャンプしたこともあったよね」

「そうだな」

 鏡子が楽しそうに笑う。


 ガンツは魔導馬車の整備にかかりきりになっている。

 車体の下へ潜り込み、工具を手にシャフト周辺を確認していた。

その一方で、ガレオスとレインは、こうした夜の森には慣れているのか、談笑しながらも警戒を怠ってはいなかった。

 その様子を見た亮一も、自然と周囲へ意識を向ける。

 ――そうか。

 俺も、二人を見習った方がいいな。

 亮一は焚き火の向こうへ視線を走らせ、少しだけ警戒を強めた。


 やがて、食事を終えた頃。

 森の様子が、少しずつ変わり始めた。

「……ん?」

 亮一が顔を上げる。

 さっきまで聞こえていた虫の声がない。

 森の奥から聞こえていた動物の気配も消えている。

 風の音すら、妙に遠い。


「静かだね……」

 鏡子が呟いた。

 レインが周囲を見渡す。

「……静かすぎる」

 その瞬間だった。

 地面のあたりから、白い霧がゆっくりと湧き始めた。

「霧?」

 鏡子が目を細める。

 しかし、その霧は普通ではなかった。

 足元を這うように広がったかと思うと、あっという間に野営地全体を包み込んでいく。

 焚き火の明かりさえ、数メートル先までしか届かない。


「ガンツ!」

 ガレオスが声を上げる。

 すると、魔導馬車の下からガンツが這い出してきた。

「何だ!?」

 手にした工具を置き、ガンツが立ち上がる。

 その時――。


「……キャハハ」

 霧の向こうから、声が聞こえた。

 一行が凍りつく。

「……今の、何?」

 鏡子が小声で尋ねる。

「ウフフ……」

 また聞こえた。

 幼い笑い声。

 男の子とも女の子ともつかない、中性的な声だった。

 そして――。


 霧の中に、青白い光が浮かんだ。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 さらに数が増えていく。

 小さな光の玉が、まるで一行を取り囲むように、ゆっくりと近づいてくる。

「……!」

 レインの顔色が変わった。

 次の瞬間――。


「火を消せ!」

 突然、レインが叫んだ。

「全員、すぐテントに入るんだ!!」

「レイン?」

 普段の冷静さからは想像できないほどの切迫した声だった。

 亮一が立ち上がる。

「何がいるんだ?」

「説明は後だ!」

 レインは青白い光を睨みつけている。

「早くしろ!」

 その剣幕に押され、一行は急いで焚き火を消した。

 辺りは完全な暗闇に包まれた。


「レイン……」

 鏡子が不安そうに尋ねる。

「危険な精霊なの?」

「……ああ」

 レインが答えた。

「あれは光の精霊――ウィル・オ・ウィスプだ」

「ウィル・オ・ウィスプ?」

 亮一が聞き返す。

 レインは青白い光を見ながら続けた。

「数多くの冒険者パーティが、これによって解散している」

「それは、どうしてなんだ?」

「ウィル・オ・ウィスプは、物理的な力そのものは弱い。テントに逃げ込み、入口をしっかり閉めていれば襲われることはない」

「なら、そこまで怖がる必要はないんじゃないか?」

「問題は、奴らの声だ」

 レインの表情が険しくなる。

「奴らは幻聴を使う」

「幻聴?」

「ああ。人の心に入り込み、理性を狂わせる。そして――」

 レインは一度、言葉を切った。


「強制的に、近くにいた者を好きにさせてしまう」

「……え?」

 鏡子が目を丸くする。

 亮一も固まった。

「つまり……魅了ってことか?」

「そうだ」

 レインは真剣な顔で頷く。

「その結果、多くの冒険者パーティが、これによって解散している」

 鏡子が心配そうに尋ねた。

「それって……心に傷を負ってしまったってこと?」

「いいや」

「え?」

「仲良くなった者たちは、結婚して冒険者をやめてしまった」

「…………」

「今は皆、幸せに暮らしている」

 亮一と鏡子が顔を見合わせる。

 二人の心の中に、ほぼ同じ言葉が浮かんだ。

(……いい事じゃない?)


 しかし、レインはさらに続けた。

「ちなみに、仲良くなるのは異性とだけではない」

「……」

 亮一。

「……」

 ガレオス。

「……」

 ガンツ。

 三人の顔から、一斉に血の気が引いた。

(それはマズい!!!)


「というわけで、今夜は絶対にテントから出るな」

 レインが断言する。

「複数人で、お互いを監視するんだ! 魅了された奴がいたら殴りつけろ!」

「賛成だ!」

 ガレオスが即答した。

「俺も異論はねぇ!」

 ガンツも頷く。

 亮一も静かに頷いた。

「分かった」

 こうしてテントの割り振りが決まった。

 ガレオス、レイン、ガンツの三人が一つ。

 そして――。


「亮一と鏡子は、あっちだ」

 ガレオスが別のテントを指差した。

「え?」

 鏡子が固まる。

「私、1人の方がいいんじゃ……」

「一人はよりマズい」

 レインが即座に答えた。

「魅了されたら、正気に戻れなくなる可能性がある」

「そ、そうなの……?」

 鏡子が不安そうに呟く。


 ガレオスは二人を見て、少し考えてから言った。

「この二人なら、万が一何かあっても大丈夫だろう……」

「ま、万が一って何!?」

 鏡子の顔が赤くなる。

「いいから早く入れ!」

 レインが急かす。

「テントの外から何を言われても、絶対に耳を傾けるな!」

 レインが真剣な顔で指を立てる。

「いいか。朝が来るまで、何があっても開けるんじゃないぞ!」


「え?! ちょっ、心の準備が……!」

 鏡子が慌てて声を上げる。

 しかし――。


 亮一はそんな鏡子を気にする様子もなく、さっさとテントへ入っていった。

「ちょっと、亮一、待って!」

 鏡子も慌てて、その後を追いかけるようにテントへ入った。


 亮一がテントの入口を閉めた。

 外界から隔離された、狭いテントの中。

「…………」

 鏡子は妙に落ち着かない。

 先ほどレインが言った言葉が頭から離れない。

(魅了されたら……亮一と……)

「……」

 鏡子は一人で勝手に考え込み、頬を赤くした。


 一方の亮一はというと――。

 すぐにあぐらをかいて目を瞑ってしまった。

「亮一?」

「何だ?」

「……ううん」

 鏡子はため息をついた。

「何でもない」

「そうか」


 外からは、何の音もしない。

 静寂。

 あまりにも静かだった。

 鏡子は少しずつ緊張していく。

「……ねえ、亮一」

「ん?」

「本当に大丈夫かな?」

「レインが言ってた通りなら、朝までここにいればいいんだろ」

「そうだけど……」

 その時――。


 外から、何かが聞こえた。

「……」

 二人が同時に顔を上げる。

 しばらく、何も聞こえない。

 そして――。


「……ねぇ」

 小さな声。

 幼い子供の声だった。

「……あけて……」

 鏡子の背筋が、ぞくりと凍った。

「……誰?」

 思わず耳を塞ぐ。

 それでも――。


「……ねぇ、あけて……」

 聞こえる。

 耳を塞いでいるはずなのに。

 まるで、頭の中へ直接声を流し込まれているようだった。

 鏡子の顔から血の気が引いていく。

「亮一……」

 しかし、亮一は答えなかった。

 テントの中であぐらをかき、腕を組んで目を閉じている。

「……」

「亮一……聞こえてる?」

 しばらくして、亮一が静かに口を開いた。

「……ああ」

 低い声。

 目は閉じたままだ。

「聞こえてる」

「……!」

 その直後――。


「……ねぇ、あけて……」

 また、幼い声が響いた。

 テントのすぐ外から。

 そして――。

 耳を塞いでも。

 目を閉じても。

 その声は、消えなかった。

 森は完全な静寂に包まれている。

 ただ一つ。

 テントの外から聞こえる、小さな声だけが――。

「……あけて……」

 二人の耳元へ、何度も何度も届いていた。


―― To Be Continued...

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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