第28話 天羽絹が作れない!③
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
蚕人族の里を出た一行は、ティセラの案内で魔界の森へと足を踏み入れていた。
森へ入った途端、空気が変わった。
濃密な魔素が、霧のように漂っている。
足元には見たこともない草花が茂り、頭上には巨大な木々が枝を広げていた。
葉と葉の隙間から差し込む陽光は細く、森の奥へ進むほど薄暗くなっていく。
レインが周囲を見渡した。
「ここから先は魔素がかなり濃い」
亮一は辺りを見回す。
「確かに、里とは全然違うな」
「魔界の森ですから〜」
ティセラが、のんびりとした声で答えた。
「この森は、私たち蚕人族にとっても大切な場所なんですよ〜」
しばらく進んだ、その時だった。
森の奥から、何か巨大なものが立ち上がっているのが見えた。
「……なんだ、あれ」
亮一が足を止める。
木々の隙間から見えているだけなのに、それが他の木とはまるで違うことが分かる。
高い。
あまりにも高い。
周囲の木々を何本も束ねたとしても届かないほどの巨木だった。
「見えてきましたね〜」
ティセラが微笑む。
「あちらが、桑の木様です〜」
一行は、そのまま森の奥へ進んだ。
やがて、木々が途切れる。
そこに立っていたのは――巨大な桑の大樹だった。
太い幹はまるで城壁のようにそびえ立ち、幾重にも分かれた枝が空を覆っている。
無数の葉が重なり合い、樹冠は一つの巨大な屋根のようになっていた。
そして――。
亮一は、ふと幹の一角へ目を止めた。
「……ん?」
そこには、人の顔を思わせる形が浮かび上がっていた。
鼻のように突き出した枝。
口のように刻まれた幹の裂け目。
そして、目に見える位置には、長い年月を刻んだ幹の皺が深く刻まれている。
偶然できたとは思えない。
まるで、本当に巨大な老人の顔がそこにあるようだった。
「……顔がある」
鏡子も目を丸くする。
「本当に人みたい……」
ティセラが微笑んだ。
「桑の木様は、とても長い年月を生きていらっしゃいますから〜」
ティセラが大樹の前へ進み出る。
「桑の木様〜。お客様をお連れしました〜」
すると――。
「……おお」
低く、穏やかな声が響いた。
「ティセラか……」
一行の足が止まる。
「本当に木が喋った……」
亮一が呟く。
ガンツも目を丸くした。
「いやぁ……分かっちゃいたが、実際に聞くと妙なもんだな」
レインは驚きながらも、静かに大樹を見上げていた。
「長い年月を生き、濃い魔素を蓄えた植物なら、意思を持つこともある」
「そういうものなのか?」
「この世界ではな」
ティセラが微笑む。
「桑の木様は、この森で一番古く、大きな桑の木なのです〜」
亮一は改めて大樹を見上げた。
その巨大さに圧倒される。
しばらくして、ティセラが本題を切り出した。
「桑の木様〜。以前、お話しした件なのですが〜」
「うむ……」
「最近、桑の葉の質が落ちてしまっているのです〜。そのせいで、最高級の天羽絹が作れなくなってしまって……」
桑の木は、しばらく沈黙した。
「……そうじゃのう」
やがて、ゆっくりと声が返ってくる。
「わし自身も、近頃どうにも頭が重いような気がするのじゃ」
「頭が……?」
鏡子が首を傾げる。
「うむ」
桑の木の声に、わずかな困惑が滲む。
「近頃、どうにも頭の周りに熱がこもるようでな。常にモッサリとしていて、少々わずらわしいのじゃ」
「熱がこもる……?」
「じゃが、病なのかどうかも分からぬ。なぜそう感じるのか、わしにも分からぬのじゃ」
ティセラが申し訳なさそうに頭を下げる。
「私もお尋ねしたのですが〜。桑の木様ご自身にも原因が分からないそうなのです〜」
「なるほど……」
亮一は腕を組んだ。
桑の木は、自分が何となく重く、わずらわしいことは感じている。
だが、その原因までは分からない。
亮一は黙ったまま、大樹を見上げた。
理容師として、客の髪を見る時と同じ目で。
枝。
葉。
全体の形。
そして――内部。
亮一は少し歩いて、大樹の横へ回った。
「鏡子」
「うん?」
「あそこ、見えるか?」
亮一が指差す。
幾重にも重なった枝葉。
外側の葉は太陽の光を浴びている。
しかし、その奥は――。
「……暗い」
鏡子が目を細めた。
「中まで、ほとんど光が入ってないわ」
「ああ」
亮一はさらに木を見上げる。
「枝が多すぎる」
ガンツが首を傾げる。
「枝が多いのが、そんなに悪いのか?」
「ああ」
亮一は桑の木を見上げながら答えた。
「俺たちの世界では、森を健康に保つために木を間引くことがあるんだ」
「木を……間引く?」
「そう。間伐っていうんだ」
亮一は少し考え、昔の旅を思い出す。
「一人で旅をしてた頃、スウェーデンに行ったことがある」
「すうぇーでん?」
ガレオスが聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「ああ。俺たちの世界の国だ」
亮一は、目の前の森を眺めながら続ける。
「国土の約七割が森林で、林業も盛んなんだ」
「七割も……?」
ガレオスが驚く。
「それだけ森が多いのか」
「ああ。俺もそこで、森の手入れを手伝ったことがある。その時に間伐を経験した」
亮一は、木々の間へ視線を向ける。
「木は、ただ増やせばいいってわけじゃない」
「増えすぎたり、枝葉が茂りすぎたりすると、日光が届かなくなる。風も通らなくなるんだ」
亮一は桑の木の内部を指差した。
「だから、必要な木を残して、混み合ったところを間引く」
「そうやって森を健康に保つんだ」
レインが静かに頷いた。
「自然と人間が共存するために、人の手を入れる……か」
亮一が頷く。
「そういう考え方が根付いている国だった」
「それは素晴らしい国だな」
レインが静かに微笑んだ。
自然を大切にするエルフである彼にとって、その考え方は心に響くものだった。
「木だって、放っておけばいいってわけじゃない」
亮一が続ける。
「必要な枝は残して、密集してるところを整理する」
鏡子も周囲を見渡した。
「外側ばかりが茂って、中が苦しくなってる……」
「そういうことだ」
亮一は頷いた。
「桑の葉の質が落ちたのも、そこが原因かもしれない」
ティセラが驚いたように顔を上げる。
「では……桑の木様の枝を整理すれば〜?」
「光が中まで届くようにする」
亮一が答える。
「必要な枝は残して、密集してるところを整えるんだ」
鏡子が桑の木を見上げる。
「人間の髪と同じね」
「ん?」
「伸びっぱなしだと、健康的じゃないってこと」
亮一は少し笑った。
「そういうことだな」
桑の木が、ゆっくりと声を響かせる。
「……なるほど」
長い沈黙。
「わしの枝を……整えるのか」
ザワッ、と大樹の葉が揺れる。
戸惑いか、それとも期待か。
「ああ」
亮一は真っ直ぐに巨木を見上げて、不敵に笑う。
「見違えるほど綺麗にしてやる」
しかし――。
ガンツが、もう一度大樹を見上げた。
「問題は、どうやって切るかだな」
ガレオスが剣を抜く。
だが、届くはずもない。
「無理だな」
ガレオスが剣を収める。
ガンツも大斧を担ぎ直す。
「俺の斧でも同じだ」
遥か頭上にある太い枝を睨む。
「高さがありすぎる」
亮一は腰のシザーケースを見る。
そこから星銀製のハサミを取り出した。
鏡子も自分のハサミを見つめる。
「……理美容用のハサミじゃ、枝は切れないわね」
「ああ」
亮一も頷く。
「道具がない」
その時だった。
鏡子の視線が、亮一の手元へ止まった。
「……ねえ、亮一」
「ん?」
「星銀って、魔力を通すと形を変えられるんだよね?」
ガンツが頷く。
「古い伝聞じゃ、シアールは盾や鎧、鞭に変えてたって話だ」
鏡子は星銀のハサミを見つめ、それから桑の木を見上げる。
「だったら……」
少し考えて。
「枝に届くハサミに変えればいいんじゃない?」
一同が顔を見合わせた。
「なるほど」
ガレオスが頷く。
「それなら可能性はある」
だが、亮一が首を傾げる。
「誰が変える?」
その場に沈黙が落ちた。
レインが口を開く。
「私は魔力や精霊の存在を感じ取ることはできる。だが、自在に操れるわけではない」
ガレオスも首を横に振る。
「私には、そのような力はない」
「俺もだ」
ガンツが言う。
すると――。
「あら〜?」
ティセラが鏡子を見る。
「鏡子さんは、魔力をお持ちですよ〜」
「え?」
鏡子が固まる。
亮一も顔を上げた。
「……え?」
「鏡子さんからは、かなり強い魔力の波動を感じます〜」
「私、魔力を持ってるの?」
「はい〜。しかも、とびきりの魔力ですよ〜」
鏡子の顔が、一気に輝いた。
「やったー!」
一行が呆気に取られる。
「私、昔から魔法少女に憧れてたんだよねー!」
鏡子は嬉しそうに両手を握る。
「美人で、美のカリスマで、そのうえ魔法まで使えるなんて!」
亮一は何とも言えない顔をした。
そして、ふと思う。
「……俺は?」
ティセラは亮一を見る。
少しだけ首を傾げた。
「亮一さんからは、何も感じないです〜」
「……そうか」
亮一は、わずかに肩を落とした。
ガレオスがそっと肩を叩く。
「気にするな」
ガンツも笑う。
「そうだぜ! 俺も持ってねぇ!」
レインも頷く。
「私も自在に扱えるわけではない」
「……お前ら」
励まされる亮一だった。
◇ ◇ ◇
亮一の星銀のハサミを、鏡子が両手で握っていた。
「……これに、魔力を流せばいいのよね?」
「はい〜。ご自身の中に眠る力を、ぐぐっと引き出すようにしてみてください〜」
「ぐぐっと引き出す……オッケー、任せて!」
鏡子が目を閉じる。ハサミを顔の前に構え、大きく息を吸い込んだ。
(いでよ、私の魔法……!)
ビシッ! と目を見開き、ハサミを天高く掲げる。
「りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん!」
そのただならぬ迫力に、ガレオスとガンツが息を呑んだ。
(なんだあの呪文は……!?)
(古代魔法か……!?)
「はっ!」
鏡子が気合とともにハサミを振り下ろす。
男たちが思わず身構えた。
…………。
しーん。
魔界の森を、静かな風が吹き抜けた。遠くで名も知らぬ鳥が鳴いている。
何も、起こらない。
ティセラが小首を傾げた。
「何をやっているんですか〜?」
ピシャリと響いた無邪気な声に、鏡子の顔がカァァァッと沸騰するように赤くなる。
「い、いやっ! 魔法って呪文がいるかなって……!」
ティセラは優しく微笑み、鏡子の背中へそっと手を当てた。
「魔法はイメージです〜。星銀の道具を変化させるイメージを持って、願うのです〜。私もお手伝いしますね〜」
鏡子はゆっくりと息を吸った。
そして――吐く。
余計な力を抜く。
背中に触れたティセラの手から、温かな魔力が流れ込んでくる。
その感覚に導かれるように、鏡子の身体の奥で何かが目を覚ました。
胸の奥。
そこに小さな光が灯る。
それは鼓動に合わせるように、ゆっくりと明滅していた。
ひとつ。
またひとつ。
光は少しずつ大きくなり、胸から肩へ、腕へと流れていく。
指先まで届いた瞬間――。
星銀のハサミが、淡い光を帯びた。
「……これ?」
「はい〜。そのままです〜」
鏡子は目を閉じたまま、意識を集中させる。
すると、星銀の奥から微かな鼓動のような感覚が伝わってきた。
まるで、道具そのものが鏡子の魔力を受け止めている。
そして――。
鏡子の魔力と星銀の波長が、ゆっくりと重なっていく。
「……!」
レインが目を見開いた。
鏡子から溢れた魔力は、激しいものではなかった。
周囲を包み込むような、穏やかな波。
優しく、柔らかく――まるで春風のようだった。
「……不思議な魔力だ」
レインが呟く。
「こんな穏やかな波長は、初めて感じた」
鏡子は、その声も聞こえていないかのように集中している。
頭の中に浮かぶ。
木。
枝。
剪定。
高い場所。
切る。
そして――。
「……高いところを切れるハサミ」
明確なイメージが結んだ、その瞬間だった。
ドクンッ、と。
鏡子の魔力が一気に膨れ上がった。
淡い光が彼女の身体から溢れ出し、周囲の魔素を巻き込んで柔らかな旋風を生み出す。
レインが思わず腕で顔を庇うほどの光の奔流。
その光の中心で、手の中の星銀が眩く輝き始めた。
金属が熱を持つことも、溶けることもない。
だが、確かな意思を持ったように、星銀の形が滑らかに再構築されていく。
キィン……キィン……キィィィン――。
澄んだ和音のような音を響かせながら、ハサミの柄が長く伸びていく。
先端の刃が巨大化し、二枚の刃を繋ぐ構造が複雑に組み替わる。
柄の途中には、見たこともない伸縮機構が刻み込まれていく。
圧倒的な神秘の光景。
そして――。
ガチンッ!!
重厚な金属音が響き、巨大な刃が噛み合った。
光が収まる。
鏡子の手に残っていたのは――。
神々しい輝きを放つ、
高枝切りバサミ。
長く伸びた柄。
大きく開閉する刃。
さらに、柄を伸縮させる機構まで備わっている。
「…………」
一同、言葉を失った。
亮一が、まじまじと道具を見る。
「……これって」
少し間を置いて。
「夜の通販番組で、よく見るヤツ……」
「せ、成功よ!」
鏡子が慌てて答える。
「私の国では、枝を切るといったらコレだから!」
ガレオスが高枝切りバサミを手に取る。
柄を伸ばし、先端を動かす。
「素晴らしい。これなら高い枝まで届く」
レインも刃を確認する。
「刃の大きさも申し分ない。これなら太い枝も切れるだろう」
ガンツは伸縮機構を眺め、興味津々に手を動かす。
「高さまで変えられる機構が付いてやがる……」
目を輝かせる。
「これを設計した奴は、相当な匠だな!」
鏡子は少し汗を浮かべながら頷いた。
「そ、そうよ!」
亮一は何とも言えない顔で高枝切りバサミを見る。
「…………」
だが――。
これで、道具は手に入った。
亮一が高枝切りバサミを受け取る。
そして、袖をまくった。
白い理容服の袖から、鍛え抜かれた前腕が露わになる。
普段は隠れているその姿に、ガレオスが思わず目を止めた。
「……む」
「どうした?」
「理容師でなければ――」
ガレオスは亮一の腕から視線を上げる。
「騎士団にスカウトしたいところだ」
「……俺を?」
「ああ」
亮一は自分の前腕へ目を落とした。
「……これか?」
「仕事してりゃ、こうなるだろ」
ガンツが腹を抱えて笑った。
「ガハハハ! そりゃそうだ!」
「毎日、重てぇ星銀の道具を振り回してんだからな!」
亮一は、そのずっしりと重い星銀製の高枝切りバサミを、片手でスッと持ち上げた。
そして、真っ直ぐに構える。
その瞬間、亮一の纏う空気が変わった。
ぶっきらぼうな青年の顔から、ミリ単位の誤差も許さない『職人』の顔へ。
周囲の空気が、ピリッと引き締まる。ガレオスたちも思わず口を閉ざした。
遥か頭上。
無数に絡み合う枝葉の中で苦しむ、巨大な桑の木を見上げる。
亮一は、わずかに口元を上げた。
「まあ、これで道具が手に入ったわけだ」
手元のグリップを握り込む。
ガシャキッ、と。
巨大な刃が、鋭く重い音を立てて開閉した。
「なら、これからは――」
一拍の静寂。
魔界の森に、静かな風が吹き抜けた。
桑の葉が一斉に揺れ、まるで道を開けるようにざわめく。
「バーバーの仕事だ」
―― To Be Continued...
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