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第24話 理容師と羊たちの沈黙③

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ


翌朝。

 街道は朝靄(あさもや)に包まれ、ひんやりと澄んだ空気が大地を満たしていた。

 東の空がゆっくりと白み始め、山々の稜線から朝日が顔を覗かせようとしている。

 街道を埋め尽くす岩毛羊たちは、昨夜と変わらず、その場に身を寄せ合っていた。

 重く伸び切った羊毛は朝露を含み、地面を引きずっている。

 苦しそうに頭を垂れたその姿は、まるで重い鎧を背負わされたようだった。


 亮一は静かに羊たちを見つめ、小さく息を吐く。

「……頼む。」

 その一言に、レインが静かに頷いた。

 横笛を口元へ運ぶ。

 村人たちも竪琴や笛、弦楽器を構え、息を合わせた。

 ガレオスが全員を見渡す。

「始める。」

 短い号令。


 次の瞬間――。


 澄み切った横笛の音色が、朝靄を優しく震わせた。

 どこまでも穏やかで、透き通るような音。

 山を渡る風が、そのまま旋律になったかのようだった。

 そこへ竪琴の柔らかな響きが重なる。

 さらに笛。さらに弦楽器。

 幾つもの音色が一つに溶け合い、静かな街道をゆっくりと包み込んでいく。

 まるで母親が幼子へ歌う、優しい子守歌のようだった。

 風が吹く。草木が揺れる。

 鳥たちのさえずりさえ、その旋律へ寄り添うように響いていた。

 その音色に反応したのは、一頭の岩毛羊だった。

 ぴくり、と耳が動く。続いてもう一頭。また一頭。

 張り詰めていた耳がゆっくりと垂れ、荒かった呼吸が少しずつ穏やかになっていく。


「……メェ。」

 短く、小さな鳴き声。昨日聞いた苦しげな声とは違う。

 どこか安心したような、優しい響きだった。

 一頭が静かに前脚を折る。すると、その隣の羊も。

 また一頭。また一頭。

 群れ全体が春の日だまりで眠るように、その場へゆっくりと伏せ始めた。

 身体から力が抜けていく。

 長く張り詰めていた緊張が、音楽と共にほどけていくようだった。


「……すごい。本当に落ち着いてる。」

 鏡子が思わず息を呑む。

「まだ安心はできない。演奏を止めれば、すぐ警戒を取り戻すだろう。」

 レインは演奏を止めることなく、小さく答えた。

 亮一が一歩前へ出る。

「待て。まだ危険かもしれん。」

 ガレオスが低い声で制した。

 亮一は振り返り、小さく笑う。

「大丈夫。もう怖がってない。」

 再び羊へ視線を戻した。


 ゆっくり。一歩。また一歩。

 羊を驚かせないよう、静かに歩み寄る。

 誰も息をするのも忘れ、その様子を見守っていた。

 一頭の岩毛羊がゆっくりと顔を上げる。

 長く伸びた羊毛の隙間から覗く銀色の瞳が、じっと亮一を見つめた。

 逃げない。威嚇もしない。

 亮一は静かにしゃがみ込む。

「怖くない。辛かったな。」

 そっと首元へ手を伸ばした。

 指先が柔らかな羊毛へ触れる。一瞬だけ身体が震える。

 その次の瞬間だった。

「……メェ。」

 大きな頭が、そっと亮一の肩へ預けられた。

 甘えるような仕草だった。

「ふふっ。お客さんと同じだね。」

 鏡子が思わず笑みをこぼす。

「ああ。力を抜いて。すぐ終わるからな。」

 亮一も自然と笑う。


 腰のシザーケースからハサミを抜く。

 シャキン。

 澄んだ金属音が朝の街道へ響く。

 昨日とは違う。

 ハサミは何の抵抗もなく羊毛へ滑り込み、するすると長い毛を切り落としていく。

 床屋でクロスを払うような、慣れた手つき。

 羊も目を細め、うっとりと首を伸ばした。

「メェ〜……。」

 まるで頭を撫でられているかのように、気持ち良さそうな声を漏らす。


 その様子に鏡子も微笑み、自身のシザーケースから愛用のハサミを取り出した。

「じゃあ、私はこっちの子ね。」

「ああ。そっちは任せた。」

 二人は笑い合い、それぞれ別の岩毛羊の前へ立つ。

 それだけで十分だった。

 長年培ってきた職人同士の呼吸。

 余計な言葉は必要ない。

 職人の表情へ戻った二人のハサミが、朝日にきらりと輝いた。


◇ ◇ ◇


 シャキッ。

 シャキッ。


 朝の街道へ、心地よいハサミの音が響く。

 亮一の両手に、一切の迷いはなかった。

 伸び切った羊毛の流れを一目見ただけで見極め、最短の軌道で刃を走らせる。

 長く絡み合い、重い鎧と化していた毛束が、ドスッ、ドスッと重々しい音を立てて地面へ落ちていく。

 その手は速い。だが、決して乱れない。寸分の狂いもない正確さだった。

 ハサミを入れる角度。毛を持ち上げる位置。次の一手。

 そのすべてが計算され尽くしている。


「……見事だ。」

 ガレオスが思わず息を呑む。


 まるで剣術の型を見るような、無駄のない動きだった。

 十分な長さまで整えると、亮一はハサミをシザーケースへ戻す。

 代わりに腰から取り出したのは、重厚な星銀製の手動バリカンだった。

 鈍い銀色の光を放つその道具を見たガンツが、目を丸くする。

「お、おい……。そのバリカン、星銀製だろ?」

「ああ。…そうらしいな。」

 亮一は短く答え、右手でゆっくりと柄を握り込んだ。

 ギュッ。

 次の瞬間――

** ジャキジャキジャキジャキッ!!**

 街道へ刃が激しく噛み合う金属音が響き渡る。

 刃が凄まじい速度で往復し、羊毛を一気に刈り上げていく。

 まるで重機が唸りを上げているかのようだった。

 分厚い羊毛が、滝のように流れ落ちる。


 ガンツは作業の手を止め、呆然と呟いた。

「星銀は鉄なんぞより遥かに比重が重ぇ……。しかも、それは魔動具でもねぇ」

 なおも激しい刃音を響かせる手動バリカンを見つめ、乾いた笑いを漏らす。

「……そんな重てぇ代物を、魔動具みてぇな速さで動かしやがるとは。コイツ……バケモンか」


「毎日やってりゃ、こうなる。」

 ガンツの言葉に亮一が肩をすくめて答えると、

「なるか!!」

 と豪快なツッコミが返り、村人たちから笑いが起こった。

 その隣では、鏡子もまた一頭の岩毛羊へ向き合っていた。


「よしよし。もう少しだからね。」

 優しく首元を撫でながら、羊毛を持ち上げる。

 右手のハサミが、軽やかな音を立てる。


 シャッ。

 シャッ。


 長い毛が滑るように切り落とされていく。

 そして、左手では手動バリカンが休むことなく動いていた。

 星銀を腕力でねじ伏せる亮一に対し、鏡子は地球から持参した軽量モデルのバリカンを使用し、道具の重さと振動を完璧にコントロールして刈り進めている。

 ガチャ、ガチャ、ガチャ――。

 ハサミで整えながら、同時に刈り進める。


 次の瞬間。

 鏡子は何事もないように左右の道具を持ち替えた。

 右手にバリカン。左手にハサミ。

 さらに数秒後には、また逆へ。

 その動きには一切の淀みがない。

 まるで両腕が、それぞれ別の意思を持っているかのようだった。


 その光景に、レインの瞳が大きく見開かれ、思わず横笛を吹く指が止まりそうになる。

(……なんだ、あの動きは。右手と左手で、全く別の作業を同時に行っている……。しかも、どちらも一級品だ)


レインは演奏を続けながら、鏡子の手元をじっと見つめていた。

(……ただ、器用なだけではない)

 鏡子は、羊毛を刈っている途中で何度も手を止めることなく、ハサミとバリカンを使い分けている。


 毛の密度が高い部分にはバリカンを入れ、細かな毛が残りやすい場所ではハサミに持ち替える。

 さらに、毛の流れや長さを見ながら、刃を入れる角度まで瞬時に変えていた。


 その判断には、迷いがない。


 羊一頭一頭で毛の生え方も、毛質も、身体の大きさも違う。

 それを鏡子は、まるで最初からすべて分かっているかのように見極めていた。


(毛を見て、道具を選んでいる……)


 レインは横笛を吹きながら、わずかに目を細める。

(……あれが、職人というものなのか)


 レインはゆっくりと亮一へ視線を移す。

 豪快で圧倒的な速度。

 再び鏡子を見る。

 繊細で流れるような美しさ。

 どちらも違う。だが、どちらも極みに達している。

(力では亮一が勝る。だが、器用さでは鏡子が一歩上か……)

 レインは思わず感嘆の息を漏らした。

(二人とも、常人の域を超えている)


 鏡子はそんな視線にも気付かず、羊へ優しく微笑んだ。

「はい、終わったよ。」

 短く整えられた羊毛は、丸みを残しながらふんわりと身体を包んでいた。

 機能性だけではない。そこには美容師らしい、美しさへのこだわりがあった。

「メェ〜……。」

 羊は気持ち良さそうに目を細める。

 首を伸ばし、鏡子の手へ身体を預けている。

「ふふっ。気に入ってくれた?」

 鏡子が首元を軽く撫でると、羊は嬉しそうに尻尾を振った。


 一方、その隣では――

** ジャキジャキジャキジャキッ!!**

 再び激しい刃音が響く。

 亮一の手動バリカンが、見る間に羊毛を刈り上げていく。

 仕上がった岩毛羊は、大きく身体を震わせた。

 ブルルルッ!!

 朝日に照らされた純白の毛並みが輝く。

 短く整えられた毛は、三〜五センチほどを残して美しく揃えられていた。

 まるで重い鎧を脱ぎ捨てたように、羊は大きく伸びをする。

「メェェェーー!!」

 嬉しそうに草原へ駆け出した。

 飛び跳ねる。走り回る。何度も何度も仲間の周りを駆け巡る。

 その姿を見た別の岩毛羊が、おずおずと立ち上がる。

「……メェ。」

 亮一の前へ歩く。

 すると、また一頭。さらにもう一頭。

 気が付けば岩毛羊たちは、自ら順番を待つように二列を作り始めていた。


「お、おい……並んでやがるぞ……。」

 ガンツが目を丸くする。

 しかも、不思議なことに。

 体格の大きな岩毛羊は亮一の前へ。

 小柄な羊や子羊は鏡子の前へ。

 まるで、自分に合う職人を選ぶかのように。

「ふふっ……みんな、それぞれ好みがあるみたい。」

 鏡子が思わず笑みを浮かべる。

「ああ。人間と同じだな。」

 亮一も苦笑した。


 レインはその光景を見つめ、小さく頷く。

(理容師と美容師。同じ毛を整える仕事でありながら、その技も、目指す美しさも違う。どうやら、それは羊たちにも伝わるらしい)

 朝の街道には、穏やかな旋律が流れ続ける。

 そして岩毛羊たちは、安心しきった表情で、自ら施術の順番を待っていた。

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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