第22話 理容師と羊たちの沈黙①
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
王都アルトの王城。
その一室は、重苦しい空気に包まれていた。
騎士ガレオスとエミリアの結婚式まで、あとわずか。
しかし、花嫁のドレスに使われる最高級織物――蚕人族が織る『天羽絹』が、約束の日を過ぎても届いていない。
「……まだ届かぬのか」
国王アルベルトが低く呟く。
その前には、騎士ガレオスと宰相レオナルドが並んで立っていた。
「あの蚕人族が納期を守らぬとは……。余の知る限り、一度も聞いたことがない」
アルベルトは腕を組み、静かに目を閉じる。
「何かあったと考えるべきだろう」
その時だった。
コンコンコンッ。
慌ただしく扉が叩かれる。
「陛下、お取り込み中失礼いたします!」
「蚕人族の女王ティセラ様より、至急の親書が届きました!」
「何だと」
アルベルトは立ち上がり、急いで封を切る。
便箋を広げると、そこに書かれていたのは、たった一行。
『た、す、け、て……。』
部屋が静まり返る。
「……え?これだけか」
アルベルトは手紙を見つめたまま呟いた。
「まさか……里が魔族の襲撃でも受けたというのか」
「んんっ」
わざとらしい咳払いが響く。
宰相レオナルドだった。
「陛下。どうか少しお待ちください」
「蚕人族の方々は、穏やかで心優しい反面、少々おおらか過ぎるところがございまして」
アルベルトは苦笑する。
「そうであったな。悪気はないのだが、どこか抜けておる種族だった。」
「左様でございます」
「使者にも事情を尋ねましたが、『女王様が困ってます〜』と、そればかりでして。詳しい事情は、本人も分かっていないようでした」
ガレオスが思わず眉をひそめる。
「使者までその調子ですか……」
「悪い方々ではないのですが、昔から少々抜けておられる方が多い種族でして」
レオナルドは苦笑しながら肩をすくめた。
アルベルトは深く息を吐く。
「つまり、何が起きているのか誰にも分からぬということだな」
「その通りでございます」
ガレオスが一歩前へ出る。
「陛下。実際に現地へ赴き、確かめるしかありません」
アルベルトは力強く頷いた。
「うむ」
「とにかく、ただ事ではないのは確かだ。」
「ガレオス。」
「はっ!」
「直ちに出立の支度を整えよ。」
「同行者は、お前が最適と思う者を選定し、蚕人族の里へ向かえ。」
「承知いたしました。」
ガレオスは迷いなく答えた。
「まずは、エルフの狩人レイン殿を招集いたします」
「蚕人族が住む境界の森は広く深い。あの地を知る者でなければ、安全な道を見つけることすら困難です」
「彼は一流の冒険者であると同時に、森を知り尽くした狩人でもあります。魔物の痕跡や自然の異変を見抜く力にも長けており、不測の事態にも十分対応できる手練です」
アルベルトは満足そうに頷く。
「うむ」
「続いて、鍛冶師ガンツ殿」
「未知の鉱石や素材、道具に関する知識は王国随一。現地で何が起きているか分からぬ以上、その見識は必ず役に立つでしょう」
「加えて、ガンツ殿も歴戦の冒険者です。卓越した腕力と経験は王国騎士にも引けを取らず、戦力としても申し分ありません」
「良い人選だ」
アルベルトは一度頷き、静かに続けた。
「……それと。」
「『ハサミ理容室』の亮一殿と鏡子殿にも声を掛けよ」
ガレオスは少し驚いた表情を見せる。
「理容師と美容師のお二人ですか?」
「今回は危険な任務になるやもしれません」
アルベルトは穏やかに微笑んだ。
「だからこそだ」
「何が起きているのか分からぬ時こそ、常識に囚われぬ者が必要になる。」
「亮一殿と鏡子殿は、これまで幾度となく剣では解決できぬ問題を解決してきた。」
「二人の『理美容』という視点は、時として騎士の剣では届かぬ答えを導いてくれる。」
ガレオスは深く一礼する。
「承知いたしました。」
「必ず、お二人にも同行をお願いしてまいります。」
アルベルトは玉座からゆっくりと立ち上がった。
手には、蚕人族の女王ティセラから届いた親書。
そこに書かれているのは、ただ一言。
『た、す、け、て……。』
王は便箋を静かに畳み、ガレオスへ視線を向ける。
「ガレオス。」
「はっ!」
「何が起きているのか、現時点では誰にも分からぬ。」
「だが、蚕人族は、古くから我が国と友好を結んできた大切な隣人だ。」
「天羽絹が届かず、その女王自ら助けを求めてきた以上、看過することはできん。」
一拍置き、力強く告げた。
「直ちに蚕人族の里へ向かえ。」
「原因を突き止め、必要であれば救援せよ。」
ガレオスは右拳を胸に当て、深く頭を垂れる。
「はっ!」
「この任、必ず果たしてまいります。」
◇ ◇ ◇
王都を出発した魔導馬車は、街道を軽快に駆けていた。
「……なんで俺たちまで行くことになったんだ?」
馬車の中で腕を組み、亮一が小さくため息をつく。
「いいじゃない! 私たちって、王都の外に出たことほとんどないじゃない。」
向かいに座る鏡子は窓の外へ目を向け、楽しそうに微笑んだ。
「どんな景色が広がってるのか、ずっと気になってたんだから!」
「観光じゃないんだけどな。」
亮一が苦笑すると、鏡子は舌を出して笑う。
「そういえば、その蚕人族ってどんな人たちなの?」
鏡子の問いに、御者台からガレオスが答えた。
「千年前の大戦の話はしたな。」
「ああ。」
亮一が頷く。
「その時、蚕人族は人間側へと身を寄せた。」
「魔族なのに?」
「ああ。」
「蚕人族は極めて温厚な種族だ。争いを嫌い、戦う力もほとんど持たない。もし魔王軍へ従っていれば、最前線へ送られ、真っ先に滅んでいただろう。」
「だから人間側についたってことか。」
レインが静かに話を引き継ぐ。
「それ以来、蚕人族は友好の証として、代々その絹を人間へ提供し続けている。」
「貴族たちが身にまとう高品質な絹。その多くが蚕人族の手によるものだ。」
「そして、その中でも王族だけが身にまとう最高級の絹――天羽絹は、歴代の女王だけが紡ぐことができる。」
「つまり、その女王に何かあれば天羽絹も失われるってことか。」
「ああ。」
ガレオスが短く答えた。
「見た目は人間とほとんど変わらない。ただ、頭には羽毛のような触角が二本ある。」
「感情が表に出やすくてね。驚いたり喜んだりすると、ぴこぴこ動くんだ。」
「可愛い!」
鏡子が目を輝かせる。
「それと髪。」
「蚕人族の髪は、まるで絹糸そのものなんだ。」
「一本一本が極細で、光を浴びると真珠のような艶を放つ。美容師なら、一度は触れてみたい髪質だと思う。」
「絶対触る!」
「勝手に触るなよ。」
亮一が苦笑する。
「ちゃんと許可はもらうわよ!」
鏡子は胸を張った。
「首元や手首には白く柔らかな毛が生えていて、背中には純白の羽もある。」
亮一が首を傾げる。
「飛べるのか?」
「いや。」
レインは首を横に振った。
「羽を動かす筋力が足りなくて飛べない。」
「ガハハ! 羽があるのに飛べねぇとは、面白ぇ種族だな!」
ガンツの豪快な笑い声が馬車の中に響く。
その笑いにつられ、張り詰めていた空気も少しだけ和らいだ。
ガレオスが静かに口を開く。
「蚕人族を治めるのは女王ティセラ陛下。」
「その女王自らが助けを求める手紙を送ってきた。」
「しかも、天羽絹は届かなかった。」
「陛下が事を重く見られた理由も分かるだろう。」
誰も言葉を返さなかった。
婚礼の品を受け取りに行くだけの旅ではない。
千年続く友好を守るための救援任務。
その重みを、それぞれが胸に刻んでいた。
その時だった。
ガレオスの視線が鋭くなる。
前方を見据えたまま、静かに手綱を引いた。
魔導馬が短く鼻を鳴らし、魔導馬車はゆっくりと速度を落として停止する。
「どうした?」
亮一が御者台へ身を乗り出した。
その先に広がっていたのは――
街道を埋め尽くす、無数の羊。
一頭や二頭ではない。
何百頭もの羊が、白い壁となって行く手を塞いでいた。
風が羊毛を揺らす。
それでも、一頭として鳴き声を上げない。
草を食む音さえ聞こえない。
そこにあったのは――
羊たちの沈黙だった。
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