第21話「その髪型、本当にお好きですか?」④
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
王城へ戻ったアルベルトを迎えたのは、王妃アリシアだった。
執務服へ着替えて部屋から出てきたアルベルトを見た瞬間、アリシアは思わず息を呑む。
扉の向こうから現れたその姿は、彼女の知る王とは明らかに違っていた。
歩みは軽やかでありながら、一歩ごとに床を踏みしめる確かな重みがある。背筋は自然に伸び、肩の力は抜けているのに、そこには揺るぎない威厳が宿っていた。
「陛下……そのお姿……。」
アルベルトはゆっくりと歩み寄り、柔らかく微笑む。その仕草一つで、部屋の空気が静かに引き締まる。
「どうだ。」
アリシアは目を潤ませながら、何度も頷いた。
「とても素敵です。」
「以前より若々しく、それでいて王としての威厳がございます。」
「まるで建国王の肖像画から、そのまま抜け出してこられたようです。」
そこには、豪奢な鬘と重厚な王冠で威厳を演出していた王の姿はなかった。
丁寧に整えられた髪は光を受けて自然な艶を帯び、額を囲むように収まるサースレット型の王冠が、その輪郭を際立たせている。
アルベルトが軽く顎を引くだけで、王冠は決して主張しすぎることなく、彼の存在を引き立てる。
王冠が王を飾るのではない。
王自身が放つ風格が、その王冠を最も相応しいものへと変えていた。
アリシアは少し頬を膨らませる。
「……あなただけ、ずるいですわ。」
「む?」
「わたくしにも、そのお店を紹介してくださいませ。」
アルベルトは苦笑する。
「理容室だぞ。」
「ですが、美容師という女性を専門に施術する者がいると聞いております。」
「……よく知っているな。」
「もちろんです。」
「王都の奥様方は、新しいお店の噂話が大好きですもの。」
「早く紹介してくださいませ。」
美容への興味に火が付いたアリシアの勢いに押され、アルベルトは珍しく言葉に詰まった。
その様子に、控えていた侍女たちは顔を見合わせ、小さく笑みをこぼす。
先ほどまで圧倒されていた空気が、ふっと和らいだ。
「……わ、分かった。」
王妃には敵わぬ。
そう苦笑する王の姿は、威厳を損なうどころか、むしろ人としての魅力を際立たせていた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
アルベルトが謁見の間へ足を踏み入れた瞬間、ざわめいていた空気が一斉に凍りついた。
重厚な扉が開き、光を背にした王の姿が現れる。
その歩みは静かであるにもかかわらず、床を打つ靴音がやけに鮮明に響いた。
臣下たちは思わず言葉を失う。
「陛下……。」
「なんと、お若く……。」
「いや……。」
「以前にも増して威厳がある。」
「まるで神々しい……。」
誰一人として目を逸らせなかった。
アルベルトは視線をゆっくりと巡らせる。その一瞥だけで、臣下たちは無意識に背筋を伸ばし、姿勢を正した。
豪華な王冠でも、豪奢な衣装でもない。
整えられた髪と簡潔な王冠、そして無駄のない所作。
それだけで、王の存在は圧倒的な重みを帯びていた。
アルベルトが玉座へ向かう。
一歩、また一歩と進むたびに、空気が張り詰めていく。
玉座の前で一瞬だけ足を止め、静かに振り返る。その動きに合わせて、臣下たちの視線が一斉に揃う。
そして、ゆっくりと腰を下ろす。
その一連の動作には一切の無駄がなく、まるで長年磨き上げられた儀式のような完成度を持っていた。
その姿だけで、臣下たちの背筋は自然と伸びた。
その日、王の言葉には、これまで以上の重みが宿っていた。
◇ ◇ ◇
その日の執務を終えた夕刻。
アルベルトはガレオスを執務室へ呼び寄せた。
部屋には宰相レオナルド・ハーティリーも控えている。
アルベルトは椅子に深く腰掛けながらも、背筋は崩れず、視線はまっすぐに二人を捉えていた。
「ガレオス。」
「そろそろ其方とエリシアの婚礼を挙げねばなるまい。」
「はっ。」
ガレオスは恭しく頭を下げた。
アルベルトは軽く頷く。その仕草一つにも、確かな決断の重みが感じられる。
「エリシアの婚礼ドレスには、天羽絹を使うといい。」
ガレオスは驚き、顔を上げた。
「しかし陛下。」
「天羽絹は王族のみが身にまとうことを許された絹にございます。」
「しかも、エミリアは平民の出です。」
「本来であれば、私どもの婚礼は簡略式で執り行うのが慣例でございます。」
「その件でしたら、ご心配には及びません。」
穏やかな声で口を開いたのは、レオナルドだった。
「エミリア殿は以前から、困窮する民や孤児たちのために尽力されておりました。」
「その姿に心を打たれ、我が家へ招いて食事を共にすることもしばしばございました。」
「妻もすっかりエリシア殿を気に入りましてな。」
レオナルドは優しく目を細めた。
「私どもには子がおりません。」
「食卓を囲み、笑い合う時間を重ねるうち、いつしか本当の娘のように思うようになっておりました。」
「正式に養女として迎えた日など、『ようやく娘ができた』と妻は涙を流して喜んでおりましたよ。」
照れくさそうに笑う。
「もちろん、それだけではございません。」
「ハーティリー家も代々王国を支えてきた名門。」
「家を未来へ繋ぐことも、当主としての務めです。」
「ガレオス殿とエリシア殿が二人、三人と子を授かれば、そのうちの一人にハーティリー家を継いでもらうこともできます。」
「親としても、当主としても、これ以上ない縁談だったのです。」
ガレオスは深く頭を下げた。
「……身に余るご厚意、心より感謝申し上げます。」
レオナルドは穏やかに頷く。
「礼には及びません。」
「これからは家族として、遠慮なく頼ってくだされば結構です。」
アルベルトは二人を見渡し、静かに口を開いた。
「さて、本題だ。」
「天羽絹は本来、王族のみが身にまとう伝統ある絹。」
「だが、試作品として使用すると言えば、頭の硬い連中も納得するだろう。」
ガレオスは首を傾げる。
「試作品……でございますか。」
「ああ。」
「王族の婚礼衣装としての可能性を探るための試作品だ。」
「そういう名目であれば、伝統を損なうことにはなるまい。」
レオナルドも深く頷いた。
「なるほど。」
「伝統を守りながら、新たな価値を生み出すということですな。」
アルベルトは静かに微笑む。
「亮一殿からは面白い考え方を教わった。」
「守破離。」
「伝統とは、ただ守るだけでは未来へ残せぬ。」
「新たな価値を受け入れてこそ、より強く未来へ受け継がれていく。」
「これからの王国も、そうありたいものだ。」
レオナルドは深く一礼する。
「まさに陛下のお考えにございます。」
ガレオスも恭しく頭を下げた。
「陛下のお言葉、しかと胸に刻みます。」
◇ ◇ ◇
後の歴史書には、このように記されている。
アルベルト王は、ある理容師との出会いを転機として、『守破離』の理念を深く愛し、これを統治の根幹に据えた。
古きを尊び、しかしてそれに縛られることなく、新しきを取り入れる――その柔軟にして確固たる姿勢は、政治、文化、産業のあらゆる分野に波及し、王国にかつてない繁栄をもたらした。
後世の史家たちは、この時代をもって王国の黄金期の幕開けと断じている。
また、アルベルト王は重厚なる王冠よりも、簡潔にして気品を湛えたサースレット型の王冠を好んだと伝えられる。
それは、外形の華美に頼らず、己が内に宿る威徳をもって王たらんとする、その信念の象徴であったとも言われている。
さらに、王は月に一度、王都の一角にある小さな理容室へと足を運び、自らの髪を整えさせたという。
その姿は、民と同じ目線に立ち、日常の中にこそ真理を見出そうとする王の在り方を示す逸話として、今なお語り継がれている。
民の間には、こんな言い伝えも残されている。
『陛下は整髪を終えた翌日、必ずや国を導く妙策を思いつかれる』
それが事実であったか否かは、もはや知る術もない。
しかし、その噂を笑い飛ばす者は、ついぞ現れなかったという。
ただ一つ、確かなことがある。
一人の理容師との出会いが、一人の王の思索を深め、その志を磨き上げたという事実である。
そしてその志は、やがて国を導き、時代を変え、人々の記憶に刻まれることとなった。
ゆえに人々は、畏敬と親愛を込めて、その名をこう称える。
――賢王アルベルト。
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