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第19話「その髪型、本当にお好きですか?」②

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ


重厚な扉がゆっくりと開かれる。

 玉座の間は、思わず息を呑むほど広かった。

 高い天井には精巧な彫刻が施され、白い大理石の柱が整然と並ぶ。


 真紅の絨毯は玉座まで真っ直ぐ伸び、その両脇には近衛騎士や文官たちが一糸乱れぬ姿勢で控えていた。


 玉座に座る男は五十代半ば。


 王としての威厳を漂わせながらも、その眼差しはどこか穏やかだった。


 ガレオスが片膝をつく。

「陛下。亮一殿、鏡子殿をお連れしました。」

 亮一と鏡子も慌てて頭を下げる。


「面を上げよ。」

 王は柔らかく微笑んだ。


「そう畏まる必要はない。」

「今日は王としてではなく、一人の客として二人に会いたかった。」


 その言葉に、二人の緊張が少しだけ和らぐ。

 王はゆっくりと立ち上がった。


「皆、下がれ。」


 静かな声だった。


 しかし、その一言だけで空気が変わる。

 文官たちは一礼し、近衛騎士たちも整然と玉座の間を後にした。

 重厚な扉が閉まり、広い空間には四人だけが残る。


 王。

 ガレオス。

 亮一。

 鏡子。


 王はふっと肩の力を抜いた。

「……これで楽に話せる。」


 そう言うと、頭の王冠を外す。

 続いて、両手を頭へ添えた。

 ゆっくりと持ち上げる。


「えっ……。」

 鏡子が思わず声を漏らした。


「か、かつら……?」

 亮一も目を見開く。


 王は苦笑しながら卓上へそれを置いた。

「王家に代々伝わる儀礼用のかつらだ。」


 しかし。


 その下から現れた本来の髪を見た瞬間、二人は言葉を失った。

 耳に掛かるほどの長さで切り揃えられている。

 だが、それだけだった。

 艶は失われ、毛先は乾燥しきって枝毛が目立つ。


 毎日かつらで押さえつけられているせいか、根元には不自然な癖がつき、髪全体に活力が感じられない。

 頭皮も赤みを帯び、乾燥している。


 理美容師でなくとも、健康な状態ではないことが分かる髪だった。


 そして何より。


 その傷んだ髪が、王の印象そのものを変えていた。

 堂々とした顔立ちにもかかわらず、髪に艶がないだけで実年齢より十歳近く老けて見える。


 鏡子は思わず息を呑んだ。

(こんなにも印象が変わるなんて……。)


 亮一も静かに王を見つめる。

(これじゃ髪が悲鳴を上げてる。)


 王は二人の視線に気付き、小さく笑った。

「やはり、一目で分かるか。」


 王は自らの髪へ触れる。

「二、三か月に一度、侍従が長さを整えてくれている。」


「目的は、このかつらへ収めることだけだ。」

「公務の日は朝から夕方まで、このかつらを着ける。」

「固定には王家伝来の香油を使う。」

「洗髪も身を清める程度。」


 王は穏やかな表情のまま続ける。


「気づけばこの有様だ。」

「だが、これも王としての務めだ。」


 静かな声には迷いがない。

「初代国王より受け継がれてきた王家の象徴。」

「千年続く伝統。」

「民が安心するなら、それで十分だ。」


 亮一は廊下で見た歴代国王の肖像画を思い出す。

 誰もが同じ髪型。

 誰一人、変えようとしなかった。

 それが、この国の歴史だった。


 王は二人へ向き直る。

「ガレオスから聞いた。」

「二人は髪を切るだけではない。」

「その者らしく生きる手助けをしている、と。」


 ガレオスは静かに頷く。


「だからこそ聞きたい。」

「理容師と美容師として、この髪を見てどう思う。」


 鏡子は傷んだ毛先を見る。

 亮一は乾いた頭皮を見る。


 二人の胸には、同じ感情が込み上げていた。


 髪は、その人を映す鏡だ。


 だが今、目の前にあるのは、伝統という名の下で長年酷使され続けた髪だった。


 亮一は一歩前へ出る。


「陛下。」

「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか。」


「構わん。」


 玉座の間が静まり返る。


 亮一は王の目を真っ直ぐ見つめ、静かに口を開いた。

「その髪型、本当にお好きですか?」


 その一言に。


 王の表情が、初めてわずかに揺らいだ。


◇ ◇ ◇


王は静かに立ち上がった。


「質問に答える前に、部屋を変えよう。」


 そう言うと、卓上に置いていた儀礼用のかつらを両手で抱える。


 亮一と鏡子は顔を見合わせ、小さく頷いた。


 ガレオスも無言のまま、その後に続く。


 玉座の間を出ると、城内は夕暮れに包まれていた。

 窓から差し込む茜色の光が長い廊下を照らし、四人の足音だけが静かに響く。


 やがて王は一枚の木製の扉の前で立ち止まった。


「ここだ。」


 執務室へ入ると、王は応接用のソファを勧めた。

 壁一面には本棚が並び、机には書類が整然と積まれている。

 窓際には王妃と幼い王子、王女と並んで微笑む家族の肖像画が飾られていた。


 玉座の間とは違う。


 ここは国王ではなく、一人の男が日々国を支える場所だった。


「楽にしてくれ。」


 王が腰を下ろす。

 亮一と鏡子も向かいへ座った。

 ガレオスは入口付近で控えようとしたが、


「ガレオス。」


 王が穏やかに呼び止めた。


「お前も座れ。」

「……しかし。」

「今日の話は、お前にも聞いていてほしい。」


 その言葉に、ガレオスは静かに一礼し、二人の隣へ腰を下ろした。

 王は抱えていたかつらを机へ置き、しばらく見つめる。

 やがて、小さく息を吐いた。


「……ガレオス。」

「はっ。」

「お前が二人をここへ連れて来た理由は分かっている。」


 ガレオスは背筋を伸ばした。


「近頃の陛下は、公務の後に肩を押さえておられることが増えました。」

「かつらを外された後も、何度も頭を気になさっていた。」

「長年お仕えしてきた私には、それが気掛かりで……。」


 ガレオスは亮一と鏡子へ目を向ける。

「私自身がハサミ理容室で施術を受けた時、確信しました。この方々なら、きっと陛下のお力になってくださると。


「私の願いを陛下がお聞き入れくださり、この場を設けていただいたのです。」


 王は苦笑した。

「お前らしい。」


 そして静かに頭を下げる。

「すまなかったな。」

「余計な心配を掛けた。」


「陛下、おやめください!」

 ガレオスは慌てて立ち上がる。

「私は騎士として当然のことをしたまでです。」


 王は穏やかに微笑んだ。

「お前は昔からそうだ。」


「誰よりも国を思い、誰よりも私を見てくれている。」

「忠臣を持てたことを、私は誇りに思う。」


 ガレオスは何も答えられず、ただ深く頭を垂れた。


 部屋に静かな時間が流れる。


 王は再びかつらへ目を向けた。

「さて……。」

「さっきの質問だったな。」


 亮一は静かに頷く。

 王は窓の外へ視線を向ける。

 夕日に染まる王都では、人々が家路を急ぎ、子どもたちの笑い声が風に乗って届いていた。


 しばらくその景色を眺め、小さく笑う。

「……好きなわけがない。」


 その一言には、一人の男としての本音が滲んでいた。

「重い。」

「暑い。」

「蒸れる。」

「肩も凝る。」

「毎日十時間以上、公務の間は着けっぱなしだ。」


 王は自らの傷んだ髪へ手を伸ばす。

「若い頃は耐えられた。」

「だが、歳を重ねるにつれ、少しずつ堪えるようになってきた。」

「髪が傷んでいることも。」

「頭皮が荒れていることも分かっていた。」

「それでも、どうすることもできなかった。」


 苦笑が漏れる。

「侍従は髪を整えるだけ。」

「医師は病ではないと言う。」

「誰も、この髪を気にする者はいなかった。」


 一度言葉を切り、自ら訂正する。

「……いや。」

「気にしなかったのは、私自身も同じだ。」

「これが王の務めだと思っていたからな。」


 王はかつらをそっと持ち上げる。

「だが、このかつらは王家千年の象徴。」

「民はこの姿に王を見る。」

「私一人の都合で変えてよいものではない。」


 王は静かに首を横へ振った。

「ガレオス。」

「お前の気持ちは本当に嬉しい。」


「亮一殿、鏡子殿。」

「二人も私を案じてくれたことにも感謝している。」


 そして申し訳なさそうに微笑む。

「だが……。」

「私は、この伝統を変えるつもりはない。」


 その言葉には迷いがなかった。

 部屋が静まり返る。


 亮一は王の目を真っ直ぐ見つめ、静かに頷く。

「……承知しました。」


 それ以上は何も言わない。

 王の覚悟を受け止めたからこそ、その場で反論はしなかった。


 夕日に染まる執務室で、静かな沈黙だけが四人を包んでいた。


◇ ◇ ◇


執務室には静かな時間が流れていた。


 誰も口を開かない。


 夕日だけが窓から差し込み、机の上に置かれた儀礼用のかつらを赤く染めている。


 やがて亮一が静かに口を開いた。


「陛下。」

「一つだけ、私の話を聞いていただけますか。」


 王はゆっくりと頷く。

「申してみよ。」


 亮一は背筋を伸ばした。


「私たち理容師の世界には、『守破離』という考え方があります。」


 王は興味深そうに眉を上げる。

「守破離……。」


「まず『守』。」

「師から教わった技術や心構えを、忠実に学び、守ることです。」

「私も修業時代は、毎日同じことを繰り返しました。」

「技術だけではありません。」

「先人たちが、その技術に込めた想いまで受け継ぎます。」


 王は静かに頷く。

「伝統を守るということだな。」


「はい。」

「ですが、それだけでは終わりません。」


 亮一は続けた。


「次が『破』です。」


「教えを深く理解したうえで、本当に守るべきものは何かを考え、より良い形へ磨いていく。」


 王が静かに問い返す。


「……それは、伝統を変えるということではないのか。」


 亮一は穏やかに微笑んだ。

「いいえ。」

「伝統を守り続けるためです。」


「何百年と受け継がれてきた伝統も、人が受け継がなければ、そこで途絶えてしまいます。」

「時代が変われば、人も暮らしも変わる。だからこそ、その時代に合わせて形を整え、受け継いでいくことが大切なんです。」

「変えているように見えても、守ろうとしているものは何一つ変わりません。」


 部屋が静まり返る。


「最後が『離』。」

「受け継いだものを大切にしながら、新しい時代でも受け継がれる形へ育てていく。」


「髪型も同じです。」


「昔とまったく同じ髪型を、今の人が望むとは限りません。」

「けれど、その人を美しく見せたいという想いは、昔も今も変わらない。」

「形は時代に合わせて変えても、受け継ぐべき本質は変えない。」


「それが『離』だと、私は思っています。」


 亮一は机の上のかつらへ目を向けた。

「陛下。」

「私は、このかつらをなくすべきだとは思いません。」


 王は黙って耳を傾けている。


「この国には、この国だけの歴史があります。」

「歴代の王が守り続けてきた伝統には、必ず意味があります。」

「私は、その歴史を否定するつもりはありません。」


 一拍置き、亮一は続けた。


「むしろ、尊敬しています。」

「だからこそ、お聞きしたいのです。」


 亮一は王の目を真っ直ぐ見つめた。


「歴代の王が守ろうとしてきたものは、このかつらだったのでしょうか。」


「それとも、王としての矜持だったのでしょうか。」


 王は答えない。

 視線は静かに、かつらへ落ちていた。


 亮一は穏やかな口調のまま続ける。

「もし守るべきものが王としての矜持なら。」

「その想いは、この先も、何百年先も受け継ぐべきです。」

「ですが、そのための方法は、一つとは限りません。」


 鏡子も優しく微笑んだ。

「髪型は変えられても。」

「誰かを敬う気持ちや、歴史を大切に思う心は変わりません。」

「だからこそ、千年も受け継がれてきたのだと思います。」


 亮一は静かに頷く。

「変えるのは、形です。」

「守るのは、想いです。」


 その言葉が、静かな執務室にゆっくりと響いた。


 王は立ち上がり、窓辺へ歩く。

 夕日に染まる王都。

 市場では商人たちが店を畳み、子どもたちが家族の待つ家へ駆けていく。


 王はその景色を見つめながら、小さく笑った。


「……王位を継いで、もう十七年になる。」

「この伝統を疑ったことは、一度もなかった。」


 静かな声だった。


「いや。」

「疑うこと自体が、不敬なのだと思っていた。」


 王はゆっくりと振り返る。

「亮一殿。」

「貴殿の言う守破離。」

「それは、伝統を壊す教えではないのだな。」


 亮一は力強く頷いた。

「はい。」

「伝統を未来へ残すための教えです。」


 王は静かに目を閉じる。


 長い沈黙が流れた。

 やがて、机の上のかつらを手に取り、優しく撫でる。

「私は、このかつらを守ることばかり考えていた。」

「だが、本当に守るべきものは……。」


 その先の言葉は、口にしなかった。

 しかし、その表情はもう迷っていない。


 王は亮一と鏡子の前まで歩み寄る。

 そして、自分の髪へそっと手を添え、小さく笑った。


「……好きになってみたい。」

 一拍置く。


「いや。」

 王は真っ直ぐ二人を見つめる。


「好きになれる髪に、してくれ。」


 亮一は穏やかに微笑み、深く一礼した。

「お任せください。」


 その返事を聞いたガレオスは、静かに目を閉じる。

 胸の奥に込み上げるものを堪えるように、誰にも気付かれぬよう拳を握り締めた。


 長年仕えてきた主が、自ら未来へ踏み出す瞬間だった。

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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